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中編6
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缶コーヒーと遠回りの夜

「ああ、嘘でしょう?」

私は、駅の電光掲示板に目をやり、ひとり呟いた。

雪の為、終日運休。

バスターミナルに長い行列が出来ていた時点で嫌な予感はしていた。

あの行列に並んで、果たしていつになったらバスに乗れるだろう。

たかが3駅だ。

私は、意を決して歩き始めた。

長い道のり歩いて帰るなんて、久しぶりだ。

学生の頃は、平気で歩けた距離も、あの頃とは違うパンプスで歩くことと体力を考えると気が遠くなってしまうが、あの寒さの中、いつ乗れるかわからないバスを待つよりはマシだ。

さすがに、しばらく歩いていると、パンプスの中に雪が入ってきて、足がジンジンしてきた。

これはヤバイ。このままでは、凍傷になってしまう。しかし、この時間ではもう、開いている靴屋などなく、仕方がないので、どこか温かいところで暖をとろうとあたりを見回してみるが、真っ暗な道が続くばかりで何も無い。

「あれ?」

私は、立ち止まった。

いくら方向音痴の自分でも、道を間違えるはずは無い。

このあたりは、コンビニもファミレスもあったはずだ。

ぼんやりしていて、一本道を間違えたか。

それにしても、この道は、一度通ったことがある。

遠い昔。

どこだっけか?

降りしきる雪の中、私は遠い記憶を呼び起こしていた。

すると、突然、後ろから頬に熱い物を押し当てられた。

「キャッ、あつっ!」

驚いて振り向くと、そこにはニヤニヤ笑う長身の男が立っていた。

私は恐怖で目を見開いていたが、その男の顔を確認して、さらに大きく目を見開いた。

「マサト?」

「久しぶり。」

そう言うと、マサトは、私に今頬に押し当てた、缶コーヒーを差し出してきた。

「ずいぶん寒そうだな。まあ、飲めよ。温まるぞ。」

「どうしたの?いつこっちにきたの?」

マサトは、私の初恋の相手だ。

告白をした日も、こんな雪の日だった。

マサトは微笑んでいるだけで何も言わなかった。

「あっ、思い出した。」

私は、思わずまわりを見回して呟いた。

そうなのだ。仕事に追われ、すっかり忘れていたけど、今日は特別な日。

私がマサトに初めて告白して、付き合い始めた記念日だった。

2月13日。

忘れもしない。皆が2月14日にチョコレートを渡して告白するのであれば、私はその前に渡して彼の気を引きたかったのだ。

あの日、部活帰りの私の後からマサトが追いついてきて、こんなふうに、缶コーヒーをほっぺたに押し付けてきたんだった。あの頃から、マサトは悪戯が好きだった。

そして、今、私が居る場所は、あの故郷の道だ。

薄暗い街灯、古びた自動販売機、小さな駄菓子屋も、クリーニング屋、近所の人しか集まらない喫茶店も当時のままだ。

「どうして?」

私がそう呟くと、マサトは、

「とりあえず、寒いから、歩こうか?」

と言って微笑んだ。

あの頃と変わらない笑顔。笑うとほぼなくなってしまう、つぶらな優しそうな瞳が大好きだった。

懐かしさと切なさが、胸にじんと広がって、私はマサトの後をついて行く。

「ユカに会いにきたんだ、実は。」

「福岡から?」

「うん、無性に会いたくなってさ。」

「なってさ、だって。なんか東京の人みたいじゃん。」

「あはは、じゃあ、会いたくなったとよ。だけん、会いにきたとよ。」

「あはは。ねえ、この道、なんだか故郷の町の道にそっくりじゃない?」

「そうだな。俺も、こんな場所があるなんてびっくりしたよ。」

缶コーヒーを飲みながら、私たちは、今の近況のこと、故郷の友人達のことで盛り上がって、ずいぶんと歩いた。

「ねえ、マサト?私がマサトに告白した日のこと、覚えてる?」

「ああ、覚えてるよ。あれは度肝を抜いたね。バレンタインデーならともかく、その前の日にチョコレートをもらうなんて思ってもみなかったから。」

「マサト、優しいから、私がわざと遠回りして家に送ってもらったの、知ってたんでしょう?」

「うん、俺も、同じ気持ちだったから。少しでも、ユカと一緒に居たくて。」

「あ~、懐かしいなあ。」

「うん、そうだな。」

「ねえ、マサトは、今、彼女とか、いるの?」

「いや、今は居ないな。」

「...そう。」

「ユカは?」

私は黙って首を横に振った。嘘をついた。私はずるい。

胸の奥がチクリとうずく。

私は県外に就職が決まり、マサトは地元の自分の家の家業を継ぐために残った。

最初は、遠距離恋愛で頑張っていたものの、仕事に振り回される毎日、疲弊してついつい、マサトとの連絡も絶え絶えになり、私は、すぐ側にある恋愛に走ってしまったのだ。

道ならぬ恋、相手は妻子ある上司だ。いまだに、不毛な関係をずるずると引きずっている自分に嫌悪感を覚える。もう一度、やり直せるものなら。そんな考えがチラリとよぎったが、やはり私は上司のことを諦めきれない。

「遠回り、しよっか。」

そう言うと、マサトは微笑んで私の手を握った。

氷のように冷たかった。

だけど、私はその手を温めようと、握り返した。

私たちは、今まで離れていた時間を埋めるように、とめどなくいろんなことを話した。

ただし、私の今の恋愛については何も話すことはなかった。

自分のアパートに着き、マサトに家にあがるように促したが、明日仕事だからと、マサトは私を送ってそのまま帰ってしまった。

「せめて、電話番号だけでも。」

と私は、都合のいいことを彼に求めた。

電話番号を変えて、彼と連絡がとれないようにしたのは自分だろう。

「会いたくなったら、また来るけん。」

そう言って、マサトは手を振った。

怒っているのは当たり前だ。

「ごめん、マサト!ごめんね!」

謝ったところで許してもらえるはずはないが、私はマサトの背中に叫んでいた。

「なんば謝っとうと?俺はなんも思うとらんけん。心配すんな。」

私は泣いていた。

マサトは微笑んで、

「今日は、遠回りしてくれて嬉しかったけん。もう泣くな。」

と私の頭を撫でた。

そして、私は、また毎日満員電車に揺られ、代わり映えのない仕事をとつとつとこなし、不毛な恋におぼれる日々を過ごすのだ。

バレンタイン当日に、上司は家族と過ごし、そのあくる日に彼にご機嫌とリのようにホテルで抱かれた。

ホテルでいつものように、時間差で先に部屋を出て、最終電車に乗る。

「なにやってんだろ、私。」

自分がたまらなく惨めになった。

しかし、この現状を招いたのは、紛れも無い自分なのだ。

「あ、雪。」

電車で自宅の最寄の駅に降り立つと、雪がちらついてきた。

ああ、また寒くなるんだ。満たされない気持ちと、自分の行く先を考えると重い溜息をつく。

それと同時に、携帯が鳴る。

「ユカ、久しぶり!」

それは郷里の友人からだった。

「ユカ、電話番号黙って変えるなんて酷いよ~。」

「ごめーん、誰から番号聞いたと?」

つい、故郷の言葉が口からこぼれる。

「ユカのお母さん。それより、ユカ、大変だよ!」

「え?なに?」

「マサトくん、死んだんだよ!」

「えっ!ウソッ!なんで?」

「交通事故。」

「いつ死んだの?」

私はついこの間、あったばかりのマサトが死んだことにショックを受けていた。

携帯電話を持つ手が震えた。

「うーんとね、2月13日!」

そんなバカな。あの日、私はマサトと会っていたのだ。

「嘘!だって、私、あの日、マサトと会ったんだよ?」

「ありえないよ、それは。だって、マサトくん、2月13日の早朝に交通事故で死んだんだもの。」

「からかってんの?怒るよ?」

「こんな冗談、言うわけないでしょ?」

私は混乱した。確かに、あの日の夜、私は...。

その時、後ろでガコンと音がした。

自動販売機で、誰かが飲み物を買っている。

男だ。

ゆっくりとその男は、顔を上げる。

長身だ。

「...えっ?」

その微笑はまっすぐに私にむけられていた。

「ユカ、遠回り、しよっか。」

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