冬も近くなってきた晩秋のことです。
「A子さん、お願いがあるの」
いつもの大学のカフェ的な所で、優雅にお茶をしていた私のところに音もなく迫り来たA子を追いかけるように現れた迎里さんが、いつになく神妙な面持ちで対面のA子の顔を覗き込みます。
「何?」
不穏な流れを感じ取り、そっと待避しようと腰を浮かせた私の隣にA子がドッカリと座り、私の退路は完全に絶たれました。
しまったっ!!
「まぁ、座んなよ」
チョイチョイと向かいの席を指差したA子に従い、迎里さんはちょこんと席に腰を下ろし、重い口を開きます。
「実は……」
迎里さんの話を要約すると、迎里さんがいつも使っている通学ルートにある一軒の廃屋……正確には廃屋のような空家らしいのですが、そこが何とも嫌な感じがする。
近所の話では、住んでいた家族が何の前触れもなく姿を消しただとか、強盗に一家皆殺しにされただとか、オドロオドロしくも不気味な噂があるそうで、実際に近所に住む女子高生が二日ほど前から行方不明らしいです。
そこで、同じく不気味なA子に調査を依頼しに来た……とのことでした。
迎里さん、意外にアグレッシブなんだね。
「内容は分かったけど、何の関わりもない迎里さんが調査する理由が分からないよ」
つい口から出た疑問をぶつけてしまった私に、迎里さんは真っ直ぐな目を向けて言いました。
「だって、気になるじゃないですか」
は?!
「それだけ?」
「はい……それだけです」
迎里さんの溢れ出す好奇心に呆気に取られていると、A子が横から身を乗り出します。
「理由なんかどうだっていいよ。アタシはもらえるモンさえもらえれば」
何なのよ!オマエは超A級のスナイパーか!!
その時のA子の眉毛がものすごく太く見えた気がしました。
「おばぁからアグー豚と最上級の泡盛が届きます」
曇りのない瞳でA子を見つめる迎里さんに、A子はニタッと笑顔を向け、私の肩に手を乗せます。
「交渉成立だね♪」
私はその時、神様なんていないんだと悟りました。
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件の空家は大学から少し歩いた所にヒッソリとありました。
オーソドックスな古めかしい二階建てで、コンクリートブロックを重ねただけの簡素な塀に囲まれていて、年代を感じさせる黒い汚れが何ともアレな感じです。
これだけだったら普通なんですが、ただ一つを除いては……。
その空家が異様なのは、塀から突き出て見える一階から二階の近くまで緑色のツタのようなモノが覆い、そこに散らばるように点々と咲く濃いめの赤紫の花。
よく見ると、朝顔のようでした。
もう季節は冬になろうというのに、青々と繁るグリーンカーテンに、時知らずの花は明らかに異常です。
「ふぅむ……」
何かを考えるような声を出したA子は、毎度のことながら勝手に敷地内へと侵入します。
「コラッ!ダメだよ!!勝手に入っちゃ!!」
私がたしなめると、A子は「そっか」と呟き、足を停めました。
「お邪魔します」
そうじゃないよ!ばっきゃろぅ!!
最低限のルールを教えてくれなかったA子の親を呪いつつ、諦めた私も続いて中へ入ります。
広くはない庭に立ち、静かすぎる二階を見上げましたが、やはり人の気配はありません。
「えいっ!」
何を思ったのか、A子はいきなりツタの葉っぱをむしり取り、しげしげと眺めます。
「こりゃ本物の葉っぱだ」
千切んなくても触れば分かるじゃん!
「さて、中に入るか」
しれっととんでもないことを言うA子を、私は全力で止めました。
「ダメだよ!!絶対に!!」
「何ソレ、フラグ?」
何を言ってるんだ?このバカは。
「ここまででも充分犯罪なのに、中へ入るなんてもっての他だよ!」
「ちゃんと挨拶するし、靴も脱ぐよ」
「そうじゃないってんだよ!大バカやろぅ!」
必死さのあまり心の声が漏れた私に、A子は嘲笑に似た笑みを浮かべて、何処かに電話し始めます。
「ねぇ、あのさ……ちょっと調べたい家があるんだけど、入ってもいいよね?」
『何や急に……家人に許可とりゃエエやん』
「空家なんだよ」
『……壊すなや?』
「入ってもいいんだね?」
『まぁ、エエよ……通報されたらウチに電話しぃ。何とかしたるけ』
「流石、国家権力ぅ♪頼りになるねぇ!」
『要らんこと言わんでエエ……でも、何かヤバかったらすぐに呼びや?ウチの管轄は日本全国やからな』
「分かった!んじゃね」
電話から漏れ聞こえた何処かで聴いたことのある声に、私は閉口してしまいました。
「国からの許可も取れたし、入るとしますか!」
A子は勝ち誇った顔で玄関に回り、ドアに手を掛けました。
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鼓膜に響く甲高い音を立ててノブが回転し、あっさりと開いたドアに拍子抜けします。
「不用心だねぇ……誰かが入ったらどうすんだろ」
オマエが言うな!
手狭な玄関は空家にしてはキレイで、少し手入れすればすぐにでも住めそうです。
「おっ邪魔~」
まるで友達の家にお邪魔するような軽快なトーンで上がり込むA子の後ろから、嫌々ながらもついていく私。
玄関からまっすぐ延びる廊下の左手に部屋の襖が二つ並んでいて、すぐ右手には二階への階段、その奥にガラス戸が一つ、突き当たりは左に曲がっているようです。
「割りといい家だね」
誰か、この呑気を止めてください……。
手近な部屋の襖を無造作に開け拡げ、ズカズカと中へ入ります。
いわゆる茶の間らしく、八畳間に敷かれた色褪せた畳の上に折り畳み式のテーブルがあり、部屋の隅には小さめのブラウン管テレビがミカン箱くらいのテレビ台に乗っていました。
昭和の香り漂う部屋の様子に、私は子供の頃に行ったお祖母ちゃんの家を思い出しました。
「違う!!……次!」
A子は部屋を一瞥しただけで、すぐに隣へ向かいます。
また乱暴に襖を開けて中に入ると、そこは仏間のようでした。
さっきの茶の間と同じくらいの広さで、右手には押入れ、お仏壇と並んでいて、左の襖は茶の間と繋がっていると思われます。
お仏壇の上に飾られた知らないお爺さんとお婆さんの写真は、優しげな笑みを浮かべて私達を見下ろしている感じがしました。
「ここも違うねぇ……次!」
目玉の動きだけで部屋を見回したA子が、そそくさと部屋を出て、突き当たりを曲がります。
コイツは何を探しているんだろう……。
普段から予測不能なA子の行動が分かるはずもなく、後を追いかけるしかない私。
曲がった先にはトイレと洗面所付きお風呂場があり、そこもチラッと見ただけで踵を返して来ました。
「ちょ……A子?」
行く手を阻んでいた私をスルリとかわして、A子がガラス戸を開けると、和風のダイニングキッチンでした。
まだ生活感の残っているそこは、人の気配はないものの、ひょっこり誰かが出てきそうです。
やっぱりチラ見だけで終わったA子は、そのまま玄関へ戻り、階段を上がって行きました。
「ちょっ…A子!」
スパイ並の速さで立ち回るA子に、割かしどん臭めな私はついていけず、トタトタと小走りで階段を上がろうとした瞬間、玄関ドアからちんまりした80歳を超えているであろうお婆さんが入って来ました。
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お婆さんと目が合った私は思考停止してしまい、何を思ったのか、言葉がポロリとこぼれました。
「……お邪魔してます」
自らの口から吐き出された言葉に驚きつつも、お婆さんは丸くしていた目を細めて笑うと、小さく頷きます。
「そうかい、お茶でも淹れようかねぇ」
「お、お構いなく……すぐにお暇しますから」
お互い見ず知らずの家人と侵入者が出会い頭に相対して、悲鳴を上げられてもおかしくない状況にもかかわらず、おもてなしされようとしているカオスな現場に、私の心臓は16ビートを刻みました。
人懐っこい笑顔のまま家に上がったお婆さんが、茶の間の襖を開けて中に入り、私を手招きします。
「いいからいいから」
もはや逃げられないので、素直に茶の間へ入った私は、お婆さんに勧められるがままにテーブルの前に正座し、お婆さんと向き合いました。
「お嬢ちゃん、あまり見ない顔だけど、この辺に住んでるのかい?」
「いえ、全然違います」
お婆さんはさりげない会話から私のことを聞き出そうとしているのか、なんて変な勘ぐりをしてしまう私。
まるで取り調べを受ける犯罪者の心理状態でした。
「わたしの孫もね、ちょうどお嬢ちゃんくらいだと思うんだけど、最近はめっきり顔を出してくれなくて、寂しかったんだよ」
「そうでしたか……」
深く刻まれたお婆さんの顔のシワは緩やかなカーブを描き、柔らかく微笑んでいます。
「この辺りも近くに大学校が出来て、若い人が増えたけど、年寄りの茶飲み相手になってくれるようなことはないからねぇ……こうして、お嬢ちゃんと話をしていると、孫のことを思い出してしまうよ」
「お孫さんはどちらに?」
お婆さんの寂しげな笑顔が、離れて暮らす自分のお祖母ちゃんと重なり、お婆さんが私のお祖母ちゃんのような気持ちになりました。
「孫はね、そこの大学校じゃない所に通ってるんだよ……何でも、医者になるとか言ってねぇ」
「お医者さんですか!秀才なんですね」
「えぇ、あの子は昔から頭のいい子でね……小学校の頃は作文で賞をもらったこともあるんだよ」
お孫さんのことを嬉しそうに話すお婆さんが、とても可愛くて、ついつい私も笑顔になります。
「中学生くらいの頃だったか、あの子が『お祖母ちゃんが病気になったら、自分が治してあげるんだ!』なんて言ってくれてね」
「優しいお孫さんなんですね」
「うんうん、わたしも嬉しくて……」
そう言いながら、お婆さんがいつの間にか出してくれたお茶が、目の前に置いてありました。
「お医者さんになるってことは、やっぱり勉強が忙しくて、なかなか会いに来られないんでしょう」
「そうだろうねぇ……だから、あの子がいつ来てもいいように、わたしは庭にあの子が好きな花をいっぱい咲かせて待ってるんだよ」
「あの朝顔のことですね?」
「あの子は朝顔が大好きなんだよ……特に赤紫の朝顔が好きでねぇ」
お婆さんと私の話が盛り上がって来たところで、二階からドタドタと降りてきたA子が茶の間へ入ってきて、私の横に当然のように座りました。
「なんだ、婆ちゃん……こんなとこにいたの?」
初めましてから馴れ馴れしいA子に、お婆さんは少し面食らったようでしたが、すぐに元の優しい顔に戻って言います。
「おやおや、今日はお客が二人も来てくれて、何だか嬉しいねぇ」
「それより婆ちゃん、酒ないの?」
バシンッ!
無礼のメーターを振り切ったA子の発言に、私はA子の太ももをフルスイングで叩きました。
「A子!!」
私が強めに叱りつける前で、お婆さんは申し訳なさそうに頭を下げて言います。
「ごめんねぇ……お酒はないんだよ」
「いいんですよ!この子、だいぶバカなんで気にしないでください!」
我が物顔のA子に、若干殺意を孕んだ視線で睨み付けると、A子は口を尖らせて「ちぇ~」なんて声を漏らしていました。
「まぁいいや……婆ちゃん、二階にあったコレって孫の?」
たった今、怒られたことも何処吹く風で、A子は尻ポケットから、日に焼けて色褪せた四つ折りの紙を取り出します。
「あぁ、そうだよ……懐かしいねぇ」
A子から紙を受け取ったお婆さんは、しわしわの顔をしわくちゃに綻ばせました。
「勝手に持ってくるんじゃないよ!」
今にも頭から角が生えそうな私が叱りつけても、ヘラヘラと腹の立つ顔を崩すことなく、A子は飄々と言います。
「婆ちゃん喜んでんじゃん」
うるさいっ!そういうことじゃないんだよ!
A子から受け取った紙を開く時、パリパリという音がして、紙が割れてしまうんじゃないかと思いましたが、大丈夫でした。
紙は原稿用紙だったようで、お孫さんが書いた作文みたいです。
お婆さんは作文に目を落として、しばらく目を細めて読んでいましたが、ふと目を押さえて肩を震わせました。
「婆ちゃん、アタシらはもう帰るよ。またね」
A子が私を小突いて促すとスクッと立ち上がり、慌てて私も立ちました。
「お邪魔しました」
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お婆さんに礼をして玄関から出ると、ボサボサに乱れた髪をした女性が道路に立ち塞がっています。
「何してんのよ!アンタ達!!」
突然、私達に掴みかかって来た女性をA子が軽くいなして庭へ転がすと、仁王立ちのA子は女性を見下ろして言いました。
「おかえり、待ってたよ」
言動と行動が真逆のA子に呆然としてしまいましたが、私はすぐに我に返り、女性の体を起こそうと駆け寄ります。
女性は無言で私を振り払い、その拍子に私も庭に転びました。
土に膝と手をついた私の背中で、A子らしからぬ低く落ち着いた声が響きます。
「ちょっと来い!」
尻餅をついたままの女性を無理矢理に立たせ、A子は女性を引きずるように玄関へ戻って行きました。
私もすぐさま後を追いかけようと立ち上がろうとした時、赤紫色の花が目につきました。
「これ……」
私は花を拾い、急いで玄関へ向かいます。
二人が脱ぎ捨てた靴が散らばる玄関に血の気が引きつつ、靴を並べて上がり込むと、茶の間はもぬけの殻でした。
そのまま部屋の襖を開けると、二人は仏間の方にいました。
「アンタ、言うべきことがあるでしょ?」
お仏壇の前に正座する家人を仁王立ちで見下ろす知らない人という、なかなかカオスなシチュエーションに引きましたが、とりあえず見守ることにしました。
閉じられたお仏壇の扉を開き、身を屈めたA子は女性の肩にそっと手を乗せます。
「さぁ……」
諭すようなA子の声に背中を押された女性は、消え入りそうな声で呟きました。
「ただいま……」
その一言をきっかけに、女性はお仏壇を見上げながら涙声で叫びました。
「お祖母ちゃん!ごめん!私、医者になれなくて、恥ずかしくて会いに来れなかった……本当にごめんなさい!!」
女性は身を丸めて号泣しました。
「アンタの気持ちは分かるけど、別に婆ちゃんは医者のアンタを待ってたんじゃないんだよ……孫であるアンタに会いたかったんだ」
A子の優しい声で顔を上げた女性に、A子はニコリと微笑むと、肩に手を乗せて茶の間越しの私の方に目をやりました。
女性もこちらに目を向けると、私の足下辺りを見て、涙でぐちゃぐちゃの顔を緩めます。
「お祖母ちゃん……」
女性は正座のままズリズリと寄ってきて、深々と頭を下げて言いました。
「お祖母ちゃん……ごめんなさい」
そう言った女性の頭の上に、お婆さんのしわしわの手が伸びて、優しく優しく撫でています。
「あ、あの……」
私は膝をたたんで身を屈めると、女性にさっき庭で拾った花を見せました。
「覚えていますか?」
私の問いに女性は頷き、花を受け取りました。
「その花は西洋朝顔の一種のスカーレットオハラです……花はこの時期まで咲きますが、つるは2メートルくらいしか伸びるものではありません……きっとあなたを待っているお婆さんの気持ちが、朝顔に伝わったのかも知れませんね……」
女性は何度も頷きながら、私達にお礼を言ってくれました。
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女性に見送られて玄関を出ると、今度は二人組のお巡りさんが待ち構えていました。
「ちょっと君達、いいかな?」
ファッ?!
お巡りさんの一人が、私達に近づいて来るのを見て、捕まってしまう!と頭が真っ白になりました。
「ちょっと待て」
お巡りさんを制止する声が、ブロック塀の陰からすると、そこから短髪長身の男性が現れました。
「その子らはいいんだ……」
そう言いながら警察バッジをかざすと、お巡りさん達は敬礼をして去っていきました。
「久しぶりだな!バケモノ娘」
はにかむ男性に宇宙人でも見たかのような顔をしてA子がボソリと言います。
「誰?」
私もその顔を見て、つい笑顔になりました。
「ムトウさん!」
私がお辞儀をすると、ムトウさんは右手を挙げて笑います。
「うちの室長に頼まれてな……まったく、面倒なことを押し付けられたモンだ」
自嘲気味に笑うムトウさんを指差し、A子がアホ面で私に訊きました。
「知ってる人?」
バカかよ!
「A子が電話した人の仲間だよ……山からA子を運んでくれたのもこの人」
そう教えると、A子は合点がいったのか、ポンと手を叩きました。
「肉のお姉さまの仲間だったのか!」
何かもらわないと顔を覚えられないのか!キサマ!
ムトウさんが優し過ぎるのか、A子ががめつ過ぎるのか、何故かムトウさんが私達にご飯を奢らされる流れになり、私まですっかりご相伴にあずかった上に、送ってもらいました。
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後日談
女性は大学受験の失敗から自暴自棄になり、悪い男に騙されてしまったり、多額の借金を背負わされたりと、いろいろとあったそうですが、お婆さんの遺言で、両親がお婆さんの家を女性のためにそのまま遺していたそうです。
そこには、お婆さんが孫のためにコツコツ貯めていた蓄えもあり、女性はそれを使って借金を完済。
あのお婆さんの家から、新たな人生を再出発することにしたそうです。
きっと、女性は大丈夫。
だって、スカーレットオハラの花言葉は『愛情の絆』、そして、『固い約束』なんですから。
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それにしても、一歩間違えれば警察のご厄介になっていたA子の行動に付き合いきれないと思う私ですが、何故かA子には変な『愛着』があり、何だかんだで離れられないのは、また別の話です。
作者ろっこめ
ようやく完成したので、ノーチェックで投稿します。
あぁ……今からじゃ眠れないので、このまま起きてることにしよう……。
次は何を書こうか。
ちょっと考えて、書けたらまた来ましょうかね。
ここに出せる作品だったらいいですけど……。