「ゆき、眠れないの?」
僕は二段ベッドの上から声をかける。
照明を落とした子供部屋。カーテンの真ん中が少し開き、月の光が射し込んだ部屋はぼんやりと明るい。
窓の側に立つゆきが振り返る。僕は眠い目をこすり時計を見ると、12時を少しまわっていた。
三才になったばかりのゆきは、たまに、夜中に目を覚まし、外の景色を眺めていることがある。
「一緒に寝る?」
僕が言うと、ゆきは首をゆっくりと左右に振った。
そのまま自分のベッドに逃げるように入っていく。
その時のゆきの顔が、月明かりのせいか酷く青白く見えた。
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──次の日からお父さんが帰ってこなくなった。
お父さんとお母さんはよくケンカをしていたので、きっとそれが原因で家出をしたんだと思う。
お父さんは家出をする時、お母さんの大事な家庭菜園をメチャメチャにしていった。
野菜は引っこ抜かれ、潰されて、土は掘り返されたのか、所々でこぼこだ。
お母さんが毎日大切に育てていたのを僕達は知っている。最後に嫌がらせをして出ていったお父さんに僕はガッカリした。
ゆきは、お父さんが居なくなった日から変な絵を描くようになった。
大きいシャベルを持った怖い顔の女の人、首から紐が生えた青い顔の男の人、潰れた野菜と茶色いプールのような絵。
お母さんはその絵が気に入らないらしく、その絵は描かないでとよく叱っていた。
お母さんはお酒をいっぱい飲むようになり、家庭菜園の前に座って
「ごめんなさい、......ごめんなさい」とよく泣いている。
そんなに潰された野菜達が可哀想なのかなと、僕は不思議に思う。
それなら僕がお母さんの家庭菜園を直してあげよう。
シャベルで、でこぼこの土をならしていると、お母さんが走って来て僕からシャベルを取り上げた。
「余計なことをしないで!」
シャベルを放り投げ、僕の肩を両手で掴んだ。
ここにはもう近づくなと怒鳴るお母さんの顔が、ゆきの描く女の人に少し似ているように見えた。
「ごめんなさい......」
見たことのない母の形相に脅え、目をそらした先に、お母さんが放り投げたシャベルが真っ直ぐ土に突き刺さっている。僕はそれを見て、何だかお墓みたいだなぁなんて、ぼんやりと思った。
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その日の夜──ピンポーンとチャイムが鳴り、続いて「ただいまー」と声が聞こえた。
「パパだー」一目散にゆきが玄関に走る。後を追う形で僕、それからお母さんと続いた。
玄関ではすでにお父さんの胸にだっこされたゆきが足をパタパタと嬉しそうだ。
「お父さん、家出したんじゃないの?」
久しぶりの父の姿に声がうわずる。
「なに言ってんだよ、ただの出張。お母さんに聞いてないのか?」お父さんは僕の頭をくしゃくしゃした。
そうか、お父さんが家庭菜園をメチャメチャにしたんじゃなかったんだ。良かった。
でも、それなら誰が......
「あなた......」背後から消え入りそうな声が聞こえた。それまでやさしい笑顔だったお父さんの表情が消え、何処か遠くを見るような目になった。
「ちゃんと、埋めたんだろうな?」
誰にともなくお父さんが呟やく。
「ええ......庭に──」
お母さんが震える声で答える。
お父さんはゆきを床に降ろすと顔をお母さんの耳に近づけなにか囁いている。
にどとうわきゆるさないつぎはあいてだけではすまさ......
大人の話しは難し過ぎて僕には何のことだか分からないけど、お父さんが帰ってきてくれて本当に良かった。
作者深山