元カレのエスカレートするストーカー行為に、身の危険を感じ始めた私は急遽、引っ越すことにした。
休みの日を一日潰して不動産屋を廻ったのだが、
予算に見合う物件は中々見つからなかった。
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「郊外にはなるんだけど、面白い物件あるよ」
三軒めに立ち寄った小さな不動産屋の調子よさげなハゲ親爺が、私の前の机上に物件資料を置いた。
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「築五十年、木造スレート葺二階建ての一軒家で、家賃は二万円。
去年まで、おたくさんのような若い女性が暮らしていたから、中はきれいなもんだよ。
かなりがたはきてるけど、おたくのような若い一人ものが暮らすには申し分ないんじゃない?」
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いい加減そうな親爺の勝手な言い分にちょっと腹が立ったけど、今住んでいるところを一刻も早く出たかったし、家賃も魅力的だったので、私はこの物件に決めた。
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早速私は翌日有休をとって会社を休み、一日がかりで引っ越しを終えた。
その家は、市街地から車で一時間の立地。
周囲にはスーパーやコンビニさえも見当たらないような、古い住宅地の一画だった。
周りの家もほとんど、築最低三十年は経っているような木造の家ばかりだ。
一階には台所付きの居間と和室の二間とトイレ、風呂。二階には、和室が二間ある。
庭の真ん中には大きな柿の木が一本、植えられている。
一応きれいに片付けられてはいたが、やはりあちこちかなり傷んでいた。
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午後十時。
和室に置かれた、私物の詰め込まれた段ボールの山を眺めながら、私は居間のテーブルで、遅い夕食を食べていた。
テレビもまだ設置していないので、とても静かだ。
庭に植えられた柿の木の枝葉が風で揺れ、まるであたかも人の呻き声のように鳴っていた。
すると、
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─ゴトッ……
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頭の上から、奇妙な物音が聞こえた。
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─何だろう?
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私は立ち上がって、玄関上がってすぐにある階段を上がってみる。
二階には、階段上がってすぐ左右に、八畳くらいの和室がある。
居間のちょうど真上にあたる部屋は、左の部屋だ。
私はそろっと襖を開けてみた。
暗闇の中、壁にあるスイッチを探して点ける。
殺風景な畳部屋が、パッと現れた。
一番奥に、カーテンの閉じられた窓があり、その傍らに木の机と椅子がある。
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ざっと見まわしたが、これといった変わったところはないようだ。
ほっとため息をつき、部屋を出ようとしたとき、入口横手にある押し入れの襖が少し開いているのに気が付いた。
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─確か昼間、きちんと閉じたんだけどなあ……
念のため、襖を開けてみる。
上の段には、布団が積まれており、下段には、何もない。
屈んで中を覗き込んでみた。奥の方に何か落ちている。
反対側から襖を開けてみる。
それは埃をかぶった一冊の大学ノートであった。
手に取り、表紙を見てみる。
黒いマジックで何か書いてある。
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あゆみの観察日記(2017 2/1~ )
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─観察日記?
表紙ををめくってみる。
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「!?」
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許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない……
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角ばった癖のある手書きの文字が、びっしり紙一面に書き尽くされていた。しかも延々とノートの半分近くまで……。
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─何なのこれは?
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ノートの後半は日付と天気の後に、何行かの文字が書かれていて、日記のようだ。
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ちょっと読んでみようか、と思ったが、引越の疲れもあり、一階の居間に戻ると布団を敷いて、横になった。
薄暗い天井を眺めていると、やがて、ウトウトしてきた。
どれくらいの時間が経った頃だろうか。
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shake
……ドン!ドン!ドン!ドン!
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必死にせわしなく床を叩くような音が鳴り響き、
私はびっくりして半身を起こした。
どうやら、それは上の部屋からのようだ。
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shake
……ドン!ドン!ドン!ドン!
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その音は断続的に、数分続いた。
自然のものでは無い、明らかに人の意志の伴う音に、私はゾッとして金縛りにあったかのように、布団の中で固まっていた。
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翌日、仕事を終えた私は、午後八時頃、家に着いた。
一階の和室に置いてある段ボールを開封し、洋服や食器類などを片付けていく。
あらかた終えた後、シャワーを浴び、ビールの缶を開けて、居間のテーブルに座った。
ふと見ると、テーブルの片隅に、昨日の変なノートがある。
私はビールを一口飲むと、「あゆみの観察日記」というタイトルの大学ノートを恐々と手に取り、
その表紙をめくった。
「許さない」という文字で埋められたページがノートの後半あたりまで続き、その後は日記が綴られている。
適当に飛ばしながら読んでみた。
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二月三日
昨晩から粉雪が舞っている。
朝方、庭を見ると、そこは白い世界に変わっていた。
なんだか童話の世界みたいで、
とってもキ、レ、イ。
自然も多いし空気もきれいだし、ここに来て本当によかった、とシミジミ思う。
それもこれも全て、タロウのためだ。
あ、そろそろ、エサの時間だ。
今朝は何をあげようかな?
でも、なんか面倒くさい。
冷蔵庫の奥にある傷みかけているものを、
適当に混ぜてからあげれば良いだろう。
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二月二十一日
今朝は雲一つない青空だ。
でも、私の心はグレー。
というのは、昨晩タロウがまた逃げ出していた。
さっき家の周辺を探したら、庭の柿の木の下にしゃがみこみ、怯えた眼で私を見ていた。
やっぱり首輪に鎖ではダメなのかな。
何か他に方法を考えないと。
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二月二十二日
今朝も青空だ。
昨晩はたいへんだったけど、なんとかやりとげた。
自分を褒めてやりたい。
これで、タロウも逃げるなんてこと、することはないだろう。
とりあえず一安心。
今日から一週間、罰としてエサなしだ。
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以前ここに住んでいた人なんだろうか。
内容から推察すると、女性のような感じだ。
「タロウ」というのは、飼っていたペットか何かだろうか。
それにしても日記の内容はほとんど、この「タロウ」に関することばかりのようだ。
しかも、かなりの虐待をしているようだ。
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三月十日
曇り。
少々寝不足気味。
二、三日前から、上の部屋にいるタロウが叫んだり暴れたりしているからだろう。
猿轡だけでは足らないようだ。
きつくお仕置きをしないと。
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三月十五日
晴天。
昨晩から上の部屋が静かだったから、見に行ったら、窓際でタロウがぐったりしていた。
触ると冷たい。とうとう死んでしまったようだ。
ずっと置いておく訳もいかないので大型のゴミ袋に入れて、二階から降ろし、庭の柿の木の下に埋めた。
女性の私には結構きつかったが、なんとか終えることができた。
これで……
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ここで日記は終わり、白紙のページが残った。
いったい何なんだろうか、このノートは?
大型犬でも飼っていたんだろうか?
いやいやいや、そんな犬、部屋の中でなんか飼えるはずがない。じゃあ?……。
ふと、テーブルの上のデジタル時計に目をやる。
午後九時十分。
お腹が空いたので、晩御飯でも、と思った時だった。
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shake
……ドン!ドン!ドン!ドン!
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また、あの音だ。
私は意を決して立ち上がり、玄関先にある階段を昇って、震える手で左側の襖をそっと開けてみた。
窓のカーテンから漏れる月の明かりに照らされ、畳敷きの部屋がうっすら見える。
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「???」
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何だろうか?
窓際に、黒いモヤモヤとした塊がある。
目を凝らしじっと見て、それが何か分かった瞬間、私の背筋を冷たいものが走った。
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それは大型犬のように見えた。
だが、その頭部は犬などではなく、
人間の、若い男性だ。
裸の若い男性が、首には首輪、口には猿轡をはめられ、悲し気な目をしながら四つ足で立っていた。
体のあちこちには、痛々しい赤い水膨れや傷がある。
しかも手足の先端には本来あるものがなく、金属製のひづめのようなものが包帯でぐるぐる巻きにして、固定されている。
男は何かを訴えるような目で私を見上げると、徐々に周囲に溶け込んでいき、やがてフッと消えた。
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翌朝、会社が休みだったので、昼から私はホームセンターで大きめのシャベルを買ってきて、庭の柿の木の下の土を掘り返した。
三十分ほど掘り進めると、黒いゴミ袋が出てきた。
中には、芋虫のように丸まった腐りはてた男性の骸が、血糊の付いた大きめのナタと一緒に出てきた。
作者ねこじろう