あの家に入って遊んではいけません。
春休み目前の終業式で、先生たちは、私たちにきつく言い渡してきた。
以前から小学生が空き家に入って遊んでいると、近所の人が通報してきたのだ。
あの頃の私たちは、せっかくの秘密基地をそんなことで奪われることが理不尽でならなかった。
無論、間違っているのは私たちであることは百も承知だ。
しかしながら、幼さゆえ、私たちは、そんな大人を逆恨みしたものだ。
「せっかく私たちが見つけた秘密基地なのにひどいよね~。だいいち、そんなに入っちゃダメっていうわりには、鍵開いてるじゃん。」
「そうだよね。入っちゃダメっていうんなら、あの家を管理している人が鍵をかけるか、門を封鎖して入れなくしちゃえばいいんだよ。」
「ねえ、あそこに私、自分のマンガ置いてるんだよね。一緒にとりに行ってくれない?」
私は、親友のユリカに手を合わせた。
「えー、だって、今日先生が入っちゃダメって言ったばっかじゃん。」
「でも、私のマンガ取りに行きたいだけだもん。あのマンガ、結構気に入ってたから諦められないよ。」
「ごめん、今日は無理。私、スイミングあるから。」
ユリカに断られると、私は、無性にあのマンガがまた読みたくなって、日をあらためて一緒に行けば良いものを、我慢できずに、その日、ひとりであの空き家へ向かったのだ。
その秘密基地と称して、私たちが侵入していた空き家は、まるでついこの間まで誰かが生活していたかのように、家具も食器もそのままにして、家から人の気配だけが消えてしまったかのような家だった。ただし、築年数はかなり経っているようで、今時には珍しい土間のある家で、家具にはすべて経年の埃が積もっていた。それを私たちが手を入れ掃除をして、快適な自分達の秘密基地として拝借していたのだ。
私はたてつけの悪い引き戸を慣れた様子で少しひょいと持ち上げると、ガラガラと音をたてて引き戸をあけた。土間で靴を脱いで、上がってすぐの日本間には、不似合いな洋式のカーペットとソファーが鎮座しており、そこに私が読み捨てていたマンガ雑誌をすぐに見つけた。他にも、この空き家に入ってきている小学生は居るはずだが、どうやら先週買ったばかりの少女マンガは無事のようだった。
「よかった。誰にも持って行かれなくて。」
たいして大きくない小さな家の裏には、一応土蔵があり、そこは母屋よりもっとたてつけが悪い、ブリキの引き戸が閉めてあり、小学生の力ではビクともしなかったので、私たちは無視していたのだ。
ところが、その日、そのブリキの引き戸が開いていたのだ。私は興味本位で、その中を覗いた。
「誰かいますか?」
私は、怖くて、一応声をかけてみた。
返事はない。
鉄格子の窓からは、赤い夕陽が差し込んでいた。
私は、その戸の隙間から体を滑らせると、中へと入り込んだ。
「わぁ~、すごい。」
その土蔵は天井が高く、ちょっとしたロフトのような空間があって、私の冒険心をかきたてた。
下はたたみ敷きの和室があり、そこには、古いこたつや、古い冷蔵庫など、もうどうみても使えないようなものが押し込めてあり、倉庫として使っていたようだ。
無論、私の興味は、はしごで登る上のロフトのような空間だ。はしごは古かったが、小学生が上るには十分強度のあるもので、私はあっという間にするすると、上に登った。
そこには、小さな文机があり、古ぼけたノートが一冊置いてあった。どうやら、私たちが使っている学習帳のようで、デザインは、かなり古いものだった。
「かんさつにっき」
表紙には拙い文字でそう記されていた。
私は興味本位でそのページを開いた。
3がつ13にち
ぼくは、がっこうのかえりに、このこをひろった。
うみべにすてられていたので、まりんというなまえをつけた。
ようやく読めるような字だ。たぶん、小学低学年、1年生くらいだろうか。
この日記からすると、どうやら犬か猫を拾ったのだろう。
3がつ14にち
おかあさんは、どうぶつがだいきらいなので、きっとこのこをかうのをゆるしてくれない。
ぼくは、おかあさんにないしょでここでまりんをかうことにきめた。
3がつ16にち
さいしょはおとなしくしていたまりんが、きゅうになきだした。
ぼくはこまった。ないたらおかあさんに、まりんをかってることがばれてしまう。
しかたがないので、ぼくは、まりんのくちをぬのでしばった。
もうこれでまりんは、なくことができない。
私は、ここまで読んで何となく薄ら寒い気分になった。
3がつ16にち
まりんがぐったりしている。
たいへんだ。おみずをあげなきゃ。
3がつ17にち
ようやくまりんがげんきになった。
まりんは、おかしだけじゃたりないので、こっそりごはんをもってきてあげた。
まりんは、すごくおいしそうにごはんをたべてくれた。
今まで、おかししかあげてなかったのか。
私は、ページをめくる手が止まらなかった。
怖いもの見たさというものなのだろうか。
4がつ9にち
まりんが、ぼくがめをはなしたすきににげてしまった。
でも、すぐみつかった。
くびわとくさりをかわなきゃ。
おしおきとして、しばらくはごはんぬきだ。
なんてかわいそうなことを...。
私の胸が嫌な重さに押しつぶされそうになる。
4がつ12にち
まりんがおしおきのしすぎでぐったりしてしまった。
ぼくは、まりんがにげたことがくやしくて、まりんをたくさんぶったからかな。
ごめんね、まりん。なかなおりしよう。
でも、もうにげないでね。
私は、何だか急に胸糞が悪くなり、吐き気すら覚えた。
この日記を書いた子は、異常だ。
4がつ13にち
まりんにひさしぶりにごはんをあげた。
にんげんってみっかよっかごはんをたべなくてもへいきってほんとだったんだね。
えっ、にんげん?
嘘っ!
私がそう思った瞬間に、バタンと引き戸が閉まる音がした。
まさか!
私は、日記を放り出して、はしごを駆け下りた。
閉じ込められた!
あれだけ、軋んで開けたり閉めたり出来なかった戸が、外から誰か大きな力により、閉められてしまったのだ。
「開けて!開けて!」
私は、ドンドンと戸を叩いて、何度も引き戸を引っ張って開けようとした。
引き戸は、びくともしない。
ガチャガチャと表で、鍵を閉める音がする。
あり得ない!
「助けて!誰か!誰?こんな酷いことするの!」
さんざん泣き喚いて、戸を叩いても、誰も助けにこない。
いくら僻地とはいえ、この近所には、500m先くらいには民家があったはずだ。
なんで!これだけ叫んでも誰も来ないの?
そのうちに、だんだんと暗くなり私は心細くなり、土蔵の暗闇で泣いていた。
そのうちに、土蔵の唯一鉄格子のはまった窓から、月明かりが差し込んできた。
私は、空腹と泣き続けたことによって、疲れ果てそのまま眠ってしまった。
朝日が私の顔を照らして、目が冷めた。
昨日の出来事を夢だと思いたかったが、すえた土蔵の空気と硬いかび臭い畳の臭いがその考えを打ち消した。
私の手元には、情報を得るものは何も無い。
私が一晩帰って来ないのだから、当然家では大騒ぎになって、捜索願が出されているはずだ。
私は、空腹と固い畳で寝た体の痛みに堪え、またドアを叩いて助けを呼んだ。
健闘も空しく、いくら声を張り上げようとも誰も助けにはこなかった。
ああ、私は、このままここで死んでしまうのだろうか。
もう声も出ない。喉が渇き、お腹も空いた。昼頃になると、急に土蔵の中の温度が上がってきた。
私はもう、畳の上でぐったりと動けなくなってしまった。
お母さん、お父さん、助けて。
次に目覚めると、夕方だった。
あれほど暑かった、土蔵の中は、ひんやりと涼しくなっていた。
私は重い体を起こすと、違和感を感じた。
目の前に、見慣れたマークが印字されたビニール袋が置かれていた。
それは、某有名チェーンのコンビニエンスストアのビニール袋だった。
そっと中をのぞくと、その中には、おにぎりや菓子パン、ジュースなどが入っており、私は夢中でそれにむしゃぶりついて食べた。
すべてをたいらげて私の思考回路がようやく、それらの食べ物を誰が置いたかということをつきとめ始める。
やはり私は、誰かの意志により、ここに閉じ込められたのだ。
しかし、いったい誰が?
私は、ぼんやりとあの観察日記の持ち主ではないかという疑念を抱いた。
私は、はしごを上り、真相を確かめるようにページを開いた。
3がつ25にち
ぼくのいえに、まいごのこねこちゃんがまよいこんできた。
まりんちゃんは、しんでしまったけど、こんどはじょうずにこのこをかいたいとおもいます。
日記が更新されている!
そんな...。
もしかして、このまいごのこねこちゃんって、私?
「いやああああ!開けて!ここから出して!」
私は、渾身の力をこめて引き戸をあけようとするが、ビクともしない。
その時、急に後ろから羽交い絞めにされ、口を押さえられた。
そのとたんに、私の意識はすうっと途切れてしまった。
目が覚めると、頭がガンガンと痛かった。
重い体を起こそうとして、違和感を感じた。
口には布で作った猿轡がされて、声が出せなくなっていた。
手は後ろで縛られて、足には鎖がつけられている。
そして、古い文机は、いつの間にか、下に移動されていて、観察日記がこれみよがしに開かれている。
3がつ26にち
せっかくぼくがかってあげようというのに、このこはもうにげようとした。
ぼくはゆるさない。まいごなので、まいこちゃんというなまえにきめた。
まりんちゃんは、にげようとしたことがゆるせなくて、たくさんぶってしまってしんでしまったけど、あのころはまだぼくはこどもで、みじゅくだったことをはんせいしている。
だから、まいこちゃんはたいせつにかうことにきめた。ぼくは、もうおとなだから、そんなことはしない。
でも、またまいこちゃんが、にげようとしたら、ぼくはがまんできないかもしれないよ。
だからもうにげないでね。
私は、この日記を読んで絶望的な気分になった。
私をこんな目にあわせているのは、大人でしかもサイコパスだ。
あのコンビニの袋を置いたのも、この男なのだろう。
私は、あの日、一人でここに来てしまったことを悔いた。
逆らうと、何をされるかわからない。
私を恐怖が支配した。
3がつ27にち
まいこちゃんは、いちばんさきに、めろんぱんにかじりついた。
どうやら、このコンビニのくりーむめろんぱんがすきなようだ。
きょうから、まいにちかってくるね。
毎日、食料は差し入れられるものの、男は、決して私の目の前には姿を現さなかった。
いったいいつ、食料が差し入れられているのかわからなかった。
朝になると、一日分の食料が差し入れられている。
そして、日記は、毎日更新されている。
水道やトイレはその土蔵の中に完備されているので、なんとか生活はできた。
しかし、私に接することもなく、日記だけが更新されている。
正直、この男の目的がわからなかった。
そんな生活が一年続いた。
そんなある日、土蔵の外で誰かの話す声が聞こえたのだ。
私は、ありったけの声を張り上げた。
「助けて!助けてください!」
声は一人だけではなかったから、あの男ではないと思い、勇気を振り絞ってドアを叩いたのだ。
「どうしたんだい?」
「ずっとここに閉じ込められています!助けて!」
そして、私は一年ぶりに、外の日の光に触れたのだ。
助けてくれたおじさんたちは、この土蔵と空き家を、強制代執行で取り壊しにきた人たちだった。
この家の持ち主である男は行方不明で連絡がとれず、危険家屋と断定されたこの家を取り壊しにきたとのことだった。
私を助け出した、おじさんたちは、私の姿を見て驚いていた。
小学六年生にもかかわらず、私の髪の毛は真っ白になっていたからだ。
そして、私は、もっと驚くべきことを、知ることになる。
私が一年と感じていた時間は、わずか一週間だというのだ。
いや、確かに、日記は一年間綴られてきたのだ。
幼い私でも、一年と一週間くらいの時間の差は把握できる。
しかし、確かに、現実に日付は、私が行方不明になってから一週間しか経っていない。
私は、いったい何に捕らわれていたのだろう。
無事私は、自分の家に帰ることができ、髪の毛もすぐにもとの色に戻った。
大人になった今でも、あの一年を忘れる事はできずにいる。
そんな私も、成人し結婚した。
しかし、いまだに、あのコンビニのビニール袋を見ると、あのトラウマがよみがえってくる。
そんなある日、夫があのコンビニで買い物をして、あのビニール袋をぶら下げて帰宅した。
私の胸を、ザラザラとしたいやな感覚が撫でる。
「ほら、好きだろ?クリームメロンパン。」
私は、信じられない面持ちで夫の顔を見上げた。
夫の目は、いつもの優しい瞳ではなく、真っ黒な無機質な碁石のように見えた。
作者よもつひらさか