絢子が消えた。
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それはちょうど一週間前の、まだまだ寒い二月の日曜日のこと。
俺は絢子と、ネットで調べた地元の心霊スポットに出掛けた。
絢子は同じ大学の同級生で、俺の彼女だ。
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そこは、市街地から車で北に一時間ほどの山あいにある古いトンネルで、二年ほど前に数体のバラバラ遺体が発見されたらしい。
犯人はいまだに捕まっておらず、それ以来、そこを歩いた者は、奇妙な物音を聞いたり、不気味な黒い人影を見たりする、ということだ。
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日の落ちかけた位から俺のオンボロ軽で、
山あいにあるその場所に向けて走りだした。
その日は朝から粉雪が舞っていて、片側に山肌の迫る国道を走っている頃には、ワイパーを動かさないといけないほどだった。
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「何か変な胸騒ぎがする。もう帰ろうよ」
助手席の絢子が、せわしなく動くワイパーの向こう側で舞う白い粒子を見ながら、不安げに呟く。
彼女は幼い時から霊感が強いよそうで、この世の者ではない者を何度か見ているそうだ。
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「もうここまで来たんだから、行くだけ行こうよ」
俺は嫌がる絢子の言葉を聞き入れず、ひたすら山あいの暗い道を走り続けていた。
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最初の長いトンネルをようやく抜け出てしばらく国道を走ると、右手に小さな祠(ほこら)が見えてきて、その横に細い道がある。
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ここだ。
ゆっくりと右にハンドルを切り、その横道に入っていく。
国道に並行した旧道のようだ。
急に道幅が狭くなった。
ほとんど対向車と離合出来ないくらいだ。
道の両側からは、木々が覆いかぶさるように迫っている。
用心しながらゆっくり走っていると、
前方に忽然と、目的のトンネルが視界に入ってきた。
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それは古い煉瓦で作られたアーチ型の小さなトンネルだった。
入口の上方には石の看板があるのだが、蔦が邪魔して字が読めない。
ネットの情報によると、それは全長僅か三十㍍ほどの距離ということだ。
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トンネル入口傍の空き地に車を停め、二人で外に出る。
見上げると漆黒の闇に、白い雪の粒が無数に舞ってきている。
雪を逃れるようにトンネル内に入った。
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湿った白い煉瓦の側壁には何カ所か電灯があり、
天井にも蛍光灯が灯っており、
中は比較的明るくシンとしている。
前方にアーチ型の暗い出口が、小さく見えていた。
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「ああ、何かいやな予感がする。しかも寒いし……」
ダウンのジャケットを羽織った絢子が白い息を吐きながら、不安げに呟く。
確かに、トンネル内はかなり冷え込んでいた。
俺たちは肩を並べて、歩き始める。
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コツ、……コツ、……コツ、……コツ、……
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二人の靴音だけが、狭いトンネル内を反響している。
天井から染みてきているのだろうか。
あちこちから大粒の水滴が落ちてきて弾けると、気味の悪い反響音を響かせていた。
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真ん中辺りまで来たところで突然、絢子が立ち止まった。
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「どうした?」
俺も立ち止まり、彼女の白い横顔に向かい尋ねる。
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「何か聞こえない?」
目を閉じ、耳を澄ましている。
俺も同じように、耳を澄ます。
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……
シンと静まり返っていた。
たまに聞こえてくるのは、天井から落ちてくる水滴のはねる音と、天井にある蛍光灯の「ジー、ジー、」という音くらいだ。
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「いや、何も聞こえないけど、どんな音がするの?」
神妙な顔をして目を閉じている絢子に、尋ねる。
「分からないけど、何かテレビの砂嵐のような……」
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「砂嵐?あの『ザーー』という?」
「うん。でも、ごめん、やっぱり私の空耳かな。
行こ、行こ」
そう言うと絢子はまた、歩き始めた。
俺は彼女の背中に続いた。
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数歩進んだところで、また絢子が立ち止まった。
「どうした?」
横に並び、声をかける。
彼女は目を大きく見開きながら「あれ……」と、
震える指先を出口の方に向けていた。
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何だろうと、恐る恐る俺もそちらに視線を移した。
十㍍ほど先にはアーチ型の出口があり、
外では暗闇の中、白い雪が舞っているだけだ。
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「何が見えるんだ?」
恐怖に包まれた彼女の横顔に、俺は尋ねる。
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「いや、さっき、黒い雨合羽を着た男が、出口のところに立っていたように見えたんだけど……」
彼女は呆然としながら、何度となく目を凝らしている。
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だが再び、いつもの顔に戻ると、
「ごめん。見間違いみたい」
と言って、また、歩きだした。
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結局トンネル内では、これということも起こらず、
出口のところまで辿り着いた。
外では相変わらず闇の中、雪が舞っている。
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「おや?」
ふと見ると、出口を出たすぐ右側の岩肌の傾斜地に、十体以上のお地蔵さんがある。
暗がりに、まるでひな壇のひな人形のように並んでいる。
そのすべてが、赤い涎掛けをしていた。
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「こんなところに、どうしてこんなにたくさん……」
俺は一人トンネルを出て、お地蔵さんたちの正面に立ってみた。
誰かのイタズラだろうか、
あるものは首がなく、あるものは腕がなく、
すべてがまともなものがなく、白い雪があちこち積もっていた。
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これはひどいな……
目を閉じてしばらく手を合わせた後、トンネルの方を振り向いた。
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あれ?
さっきまでトンネルの出口の辺りに立っていた絢子がいない。
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「絢子ー!、絢子ー!」
大声で呼びながら辺りを探してみたのだが、
姿はなく、もちろん返事もない。
反対側の岩肌の方まで歩き探すが、やはり、いない。
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再び周辺を十分以上かけて探したが拉致があかないので、今度は名前を叫びながら、トンネル内を入口に向かって歩いた。
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そして今度は、入口周辺を探す。
だが、全く見当たらない。
しょうがないので車まで行き、車内に入りエンジンをかけ、携帯をかけてみる。
コールはするが、でない。
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「そんな、バカな!」
俺はハンドルを二、三回叩いて叫んだ。
ふと、時計に目をやる。
午後八時五分。
やむを得ず、警察に電話をした。
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「なるほど、あなたが振り向いたときには、もう既にいなかったんですね」
停車したパトカーの運転席の制服警官が、後部座席に座る俺の方を振り返りながら、確認している。
もう一人の警官がトンネル入口辺りを動き回りながら、テキパキと写真を撮っている。
そしてあらかた撮り終えると、助手席に乗り込んできた。
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「明日の朝から地元の消防団と共同で、捜索をしていきますので、今日のところはお引き取り下さい。絢子さんの身内の方には、私どもの方から連絡いたします」
雪もひどくなってきたので、その日はそのまま帰った。
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あれから警察は地元の消防団十数人と一緒に、トンネル周辺の捜索を続けているらしい。
だが、絢子は見つかっていない。
俺も昼間に一人で何度かトンネルに行き、探したが、ダメだった。
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いったい、どういうことなんだろうか?
平成のこの時代に、こんなことがあるのだろうか?
これでは、まるで「神隠し」じゃないか
大学の講義のときもバイトの最中も、俺の心の奥から絢子の姿が消えることはなかった。
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そして、あれから一週間が経った日曜日のことだ。
その日は予定もなかったので、夜までコンビニのバイトをしていた。
仕事を終えアパートに帰ったときは、夜の十一時を過ぎていた。
翌日、朝一から講義だった俺は、早めに床についた。
和室の暗い天井を眺めながら、ウトウトし出した時だ。
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shake
ピピピピピピ!ピピピピピピ!ピピピピピ……
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突然、枕元の携帯が鳴りだした。
誰だ、こんな時間に?
眠い目を擦りながら携帯を取り、目の前に持ってきたとき、
心臓の心拍数が一気に上がりだした。
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絢子からだ!
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慌てて応答ボタンを押すと、耳元に携帯を持ってくる。
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「もしもし!もしもし!絢子か!?」
上ずった声で問いかける。
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「もしもし!もしもし!」
「…………」
返事がない。
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俺は暗闇の中、携帯を当て全神経を耳に集中した。
すると、微かだが、何か音が聞こえてくる。
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ん?何だ?
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それは、まるでテレビの「砂嵐」の音のようだった。
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ザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー…………
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渓流が流れる音のようにも聞こえる。
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ザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー…………
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音は延々と続いていた。
その間、何度か問いかけたが、やはり返事はなく、奇妙な砂嵐の音のみが続いている。
そして、それに被さるように見知らぬ男の声が聞こえてきた。
それはまるで、ラジオの電波が混線したときのDJの声のような、聴き取りにくくて不快な声だ。
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………あ………あ……んた
…………
も……う、…………
あき……らめろよ…………
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俺は驚いて、必死に問いかけた。
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「もしもし!もしもし!あんた、誰だ!?
もしもし!もしもし!誰なんだ!?……」
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いつの間にか電話は切れていた。
暗闇の中、俺は携帯を耳にあてたまま、呆然としていた。
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翌朝、昼ごろ、大学のキャンパスを歩いていると、
携帯が鳴った。
警察からだ。
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「どうも、F警察の〇〇です。
今、大丈夫ですか?」
「はい」
緊張が走る。
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ちょっとの間の後、おもむろに警察の人はしゃべり始めた。
「実は…………
絢子さんが見つかりました」
「え!本当ですか!?
無事だったんですか?」
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「…………
残念ですが。」
「え……」
突然目の前の光景がぐにゃりと曲がり出した。
軽い吐き気がする。
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「もしもし!もしもし!大丈夫ですか?」
「……
あの……
絢子はどこで
見つかったんですか?」
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「それが、あのトンネルから一㌔ほど先にある滝つぼで。」
「え!滝つぼ?」
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「はい、消防団の方がたまたま道沿いから滝つぼを眺めていると、何か変なものが浮かんでいるのを発見したそうなんです。
それは切断された女性の右腕だったらしく、しかも、その腕は携帯を握りしめていたそうです。
それからさらに調べたら、頭部や胴体などの他の部分が水底で見つかりました。
これから詳しく調べていくつもりですが、
死因は頸部の圧迫。
つまり、首を絞められての窒息死であろうと思われます。
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死亡推定日と時刻は、二月四日もしくは遅くとも五日の辺りだと思われます。先週の日曜日、つまり失踪当日か、もしくは、その翌日ということです」
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「…………」
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「もしもし。お辛いとは思いますが、
いろいろお聞きしたいことがありますから、
近々、署に来ていただけないでしょうか?
もしもし、もしもし!聞いてますか?
もしもし!…………」
作者ねこじろう