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『椿譚』〜「落ちてく」〜

短編2
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『椿譚』〜「落ちてく」〜

僕は深海にいる。

深海に行ったことはない。

でも僕には分かる。ここは深海である。

あぁ暗い。

とても暗い。

目が覚める。

まだ暗い。

昔は目が覚めると世界は明るかった。

しかし暗い。

僕が望んだんだ。

世界なんて無くなってしまえって。

今の僕には世界を感じられない。

起きたはずのに身体はまだ水中にある。

ああ暗い。

何も聞こえない。

水中にある僕の体は、水を感じることもできない。

水圧のせいか、身体が動かない。

世界は消えて真っ暗な世界に僕はいる。

でもね、僕には分かるんだ。

誰かが僕の手を握っていることを。

誰かが僕に語りかけていることを。

誰かが僕を見つめ泣いていることを。

ふわっとし、体が地上へと登っていく。

少しずつ日が見えた。

日が見えるとともに今度は宙へと登る。

だんだんお日様へと僕は近づいていく。

紫色の雲が見えた。

もう何年も前に見た君の顔が見えた。

あの時と変わらないまま美しい。

あぁ君に触れたい。

僕は手を伸ばそうとする。

しかし僕の身体は動かない。

君が僕を抱きしめる。

そして暫くすると、君は僕を突き飛ばした。

僕は落ちていく。

あぁ落ちていく。

しかし僕は水の中までは落ちなかった。

それに気がつくと同時に、太陽が見えた。

ひどく眩しいが、美しくない。

白い太陽が見えた。

白い太陽は丸くはなかった。

紫色の雲の形をした玄関から、僕は送り出された。

僕は声を振り絞り言った「行ってきます」と。

ふと声が聞こえた。「行ってらっしゃい。」と。

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