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長編11
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深紅の花嫁

「バタンッ」

と、何かが閉まるような音で意識を取り戻すと、古びた扉が視界に入った。

寝起きのように、頭はぼんやりしており、考える気力さえ浮かんでこない。

取り敢えず、辺りを見回してみると、扉の他に、蜘蛛の巣だらけのシャンデリア風の灯り、所々が朽ちている箪笥に本棚、そして私が座っている、元が何色かも分からない絨毯が目に入った。

一目瞭然で、今は人は住めたものじゃない事は分かった。

しかし、何故、私はこんな所にいるのか。

どうやって、来たのか。

肝心な事が、全く分からない。

ぼんやりとしている頭を、どうにかすべく、微かな灯りが漏れる窓へと近づくと、綺麗な満月が漆黒の空に浮かんでいた。

月明かりに照らされた地面は遠く、ここが1階ではない事を教えてくれた。

窓を開けようにも、窓枠などは錆びなどの劣化が激しく、いくら力を入れても開くことはなかった。

窓を開けることは諦めて、部屋の中に視線を戻すと、扉の側に何かが落ちている事に気がついた。

近づいてみると、所々がボロボロになった、赤いショルダーバッグが落ちていた。

手にとって、中を見た瞬間、

「あっ!」

と言う、驚きとも歓声とも取れる声が口から漏れた。

鞄の中に入っていたのは、お清めの塩と水、そして私の名前が彫られたお守りが入っていた。

生まれつき霊感があった私を心配して、母が持たせてくれた鞄だった。

「懐かしい」

と思う反面、鞄が何故ここにあるのかの方が気になった。

記憶が正しければ、この鞄は別の怪異で、私の身代わりに無くなってしまったものであった。

そこで、ふと思う。

今、昔の記憶は思い出すことが出来たのに、ここ最近の記憶のみが思い出せないのは何故か。

考えてみたけれど、その答えすらも分からなかった。

「じっとしてても駄目か」

そう考え、私は思わぬ再開を果たした鞄を持ち、唯一開きそうな扉を開けてみた。

古びたドアノブに手をかけ押すと、

「ギイィ…」

と、軋んだ音と共に、扉は開いた。

何処まで続いているのか、分からない程長い廊下に、部屋の中と同様の、色褪せた絨毯が敷かれていた。

等間隔に設えられた窓からは、月の光が入り、全くの暗闇でないだけ救いであった。

左右に広がる廊下を前に、

「どちらに進めば良いのか」

と、暫く考えた末に、勘で、左側から進む事に決めた。

色褪せてはいても、ふかふかの絨毯の為か、自分の歩く音すらも殆ど聞こえない。

たまに自分の衣服が絨毯に擦れ、

「ヒュッ」

とか、

「スルッ」

みたいな音が聞こえるだけで、殆ど無音に近い。

そうなると、意識が音に集中してしまう。

足を動かす。

「ヒュッ」

と、鳴る。

足を動かす。

「ヒュッ」

「スルスルッ」

と、鳴る。

足を動かす。

「ヒュッ」

「スルスルスルッ」

と、鳴る。

ここで違和感に気づく。

自分の服装を見る限り、足以外、絨毯と接点がないにも関わらず、布を擦り合わせたような音が、重なるように聞こえることに。

足を動かす。

「ヒュッ」

と、擦れる音が鳴る。

続けて後方から、

「スルスルスルスルッ」

と、布を擦り合わせたような音が鳴る。

足を止める。

後方から、

「スルスルスルッ」

と、音が鳴り続ける。

思いきって振り返ると、長い廊下の奥、暗闇の中に、白い人のようなものがいた。

それは、絵本の中に出てくるお姫様が着ているような、綺麗な真っ白のドレスに身を包み、頭から細かな刺繍が施されたヴェールを被っていた。

おしとやかに前に重ねられた両手にも、刺繍入りの手袋を着けており、肘辺りまでが隠れるようになっていた。

昔、母が見せてくれた、結婚式の時に花嫁が着るウエディングドレスに、とても似ている事を思い出す。

ここまでなら、綺麗な純白のドレスに身を包んだ、花嫁らしき人と考えられるが、一目見た瞬間、人ではない事は明白であった。

何故かと言うと、手袋で隠していない腕が、純白のドレスよりも、さらに白く発光するように、輝いていたから。

如何に、色白の人だろうと、あそこまで輝くのは異常だった。

それに、こんな古びた所に、花嫁がいる事もあり得ない。

そんな事を考えている間に、数十メートルあったお互いの距離が、数メートルになった頃。

「スルスルッ」

と、近づいてきていた、花嫁が止まった。

相手の表情ぐらい見える距離のはずなのに、ヴェールの為か、または顔が無いのか、まったく見えなかった。

逃げることも出来ず、近づくこと出来ず、無音の空間で硬直状態が続いていた時。

花嫁に異変が起きた。

花嫁の純白のドレスに、紅い点みたいなものが現れた瞬間、そこを中心に紅がじわじわと、広がり始めた。

ヴェールにも、手袋にも、そして腕にも紅は広がっていった。

純白のドレスに広がる紅を見ていると、先程思い出したくても、思い出せなかった最近の記憶が、じわじわと戻ってきた。

「セラちゃん、幽霊見に行かない?」

その言葉が頭の中に響いた瞬間、1週間程前の記憶が甦った。

それは小学2年生の頃、同じクラスの莉桜(りお)ちゃんに言われた言葉だった。

莉桜ちゃんとは、特別仲が良いという訳でもなく、たまに遊ぶぐらいの間柄だった。

そんな莉桜ちゃんから、地域で少し有名だった、お化け屋敷に行かないかと誘われた。

お化け屋敷と言っても、実際に行った人から幽霊を見たと聞いたことはなかったし、草が鬱蒼と茂る薮の中に、今にも壊れそうな洋館が建っていたのを、誰かが発見し、お化け屋敷と命名しただけであった。

だが、それでも私は断った。

わざわざ、そんな所に行かなくても、幽霊なんてあちこちに居るし、お化け屋敷に幽霊がいるとしても、私が訪ねていく事になんの利益もない。

それに、お化け屋敷や肝試しの類いを、私は嫌っていた。

私が断ると、

「じゃあ、他の子と行く」

と、莉桜ちゃんは直ぐに諦めてくれたから助かった。

「もうこの件に関わることはないだろう」

と思い、私は仲の良かった友達と一緒に帰った。

次の日、学校に着くと、莉桜ちゃんの姿が見当たらない。

やがて、朝礼が始まり、先生が出席を取り始めた。

先生曰く、莉桜ちゃんは体調を崩したらしいとの事だった。

「元気な莉桜ちゃんにしては珍しいな。でも、何日かすれば治るだろう」

と、その時の私は考えていた。

莉桜ちゃんの家は、私の通学路のさらに先に行った所にあり、私の家から10分もしない程度の近さにあった。

なので、先生から莉桜ちゃん宛ての連絡帳を預かることは、ほぼ予感していた。

いつもの通学路を通り、一旦自分の荷物を置いてから、莉桜ちゃんの家に向かう。

たまに遊んでいたので、何処に莉桜ちゃんの家があるのかは、分かっていた。

難なく莉桜ちゃんの家に着き、チャイムを鳴らす。

「はい」

と言う声と共に、扉が開くと、青白い顔をした女性が姿を現した。

一瞬驚き、後ずさってしまったが、面影から莉桜ちゃんのお母さんである事がわかった。

莉桜ちゃんのお母さんは、いつも元気という言葉が当てはまるほど、活発な人で、常に笑顔だった為、この豹変ぶりには大変驚いた。

「大丈夫ですか?」

と、声をかけつつ、連絡帳を渡すと、

「大丈夫…ありがとね」

と、言いながら連絡帳を受け取り、弱々しい感じで扉の奥に消えていった。

「莉桜ちゃんの看病に疲れてるのかな」

と思うことにして、その日私は帰った。

それから3日間、莉桜ちゃんは休み続け、私は連絡帳を届け続けた。

莉桜ちゃんのお母さんも、日に日にやつれていき、3日目には玄関先にも来れないらしく、インターホン越しに声を聞いたぐらいだった。

莉桜ちゃんの具合の様子などを聞いてみたが、詳しい事は教えてくれなかった。

「お大事に」

と、言って帰ろうとした時、

「セラちゃん、莉桜は具合悪くなる前の日に、何処か行くって言ってた?」

と、聞かれた。

私は何も悪いことはしていないのだが、一瞬ドキリとしてしまった。

「えっと…たしかお化け屋敷に行くって言ってました。薮の中にある洋館の。」

「でも、実際に行ったかどうかまでは分からないけど」

と、言うと、少しの間を置いて、

「そう…ありがとね」

と、弱々しい返事が帰って来た。

元気にならない莉桜ちゃんを心配していたせいか、その日、不思議な夢を視た。

燦々と照りつける太陽のもと、広い草原を莉桜ちゃんと二人で走っている。

すると次第に、前方に建物が見えてくる。

今にも壊れそうな洋館が現れ、扉を開けて、莉桜ちゃんが中に入っていく。

「こっちだよ」

と、莉桜ちゃんが扉に半分隠れるように、笑顔で手招きをしている。

勇気を出して、足を踏み出した時、莉桜ちゃんの背後の闇から、紅い手が伸びてきて…

という所で目が覚めた。

その日は、夢の内容ばかりを考えていた。

未だに、元気にならない莉桜ちゃんの事、お化け屋敷と呼ばれる洋館、そして、暗闇から伸びてきた紅い手について。

あの紅い手は何だったのだろうか。

あれが莉桜ちゃんが元気にならない原因なのか。

現実で、お化け屋敷と呼ばれる洋館に行けば、解決出来るのか。

でも、私が行った所で何が出来るのか。

あの紅い手が怪異だとしても、私には解決する術がない。

私に出来ることは、視る事と話す事ぐらいである。

そんな私が行った所で、莉桜ちゃんの二の舞になるだけではないか。

そこまでの考えに至り、私は洋館に関わることは止めた。

「私はまだ巻き込まれていない。今ならまだ引き返せる」

と、思っていた。

でも実際には、この時にはもう私は完全に巻き込まれていた。

その夜ベッドに入った記憶を最後に、私はここにいる。

そして、今に至る。

記憶が全て戻り、再び花嫁に視線を向けると、純白だった花嫁は血のような赤黒い色に変わり、深紅の花嫁となっていた。

ドレスやヴェールの端から、赤黒い雫が落ち、色褪せた絨毯を紅へと染めていく。

前に重ねられた手を解き、花嫁が両腕を広げる。

紅い雫が花嫁の腕を伝い、手の先からポタポタと落ちていく。

「おいで」

地の底を這うような、低い声が響く。

「おいで」

もう一度聞こえた時、私は震える身体を勇気づけて、花嫁に背を向けて走り出した。

暫く走り、後ろを振り返ると、花嫁は動いておらず、両腕を広げたまま立っていた。

それでも油断はできないと、前に向き直り、走り続ける。

長い廊下に私の走る音と、息づかいだけが響いている。

先の見えない廊下の先が、出口だと信じて走り続けた。

しかし、何時からだろう、私の走る音と息づかい以外に、

「ヒュッヒュッ」

という音が紛れ込むようになったのは。

背後から嫌な気配がする。

振り向かなくても、花嫁が追ってきているのは分かった。

だから、前だけを見て無我夢中で走り続ける。

振り返ってしまったら、恐怖で足が止まってしまうだろうから。

しかし、必死に走ってはいるが、花嫁との距離は離れることはなく、寧ろ、先程よりも禍々しい気配が近くなっている。

足の速さには自信があった。

学年内ではトップ3を争うほどであったし、少し先の話をすると、県大会にだって出たことがある。

小学2年生の脚力では、大人に負けてしまう事もあるかもしれないが、花嫁には勝てるだろうと思っていた。

だが、相手が人間ではないという考えを忘れてしまっていた。

「ヒュッヒュッ」

という音が、すぐ側まで近づいてきている。

「捕まる!」

と思った時、脇に抱えていた鞄から何かが転がり落ちた。

「ガチャンッ」

という音で、お清めの水を入れていた瓶が割れたことが分かった。

音に驚き、振り返ると、もう1つ落ち、宙を舞っていたお清めの塩が花嫁に当たるところだった。

猛然と走ってきた花嫁に、お清めの塩が当たると、

「ぎぃっ!」

という悲鳴をあげて、花嫁が苦しみだした。

片方の手で、ヴェールの上から顔を押さえ、もう片方の手は、まだ私を捕まえようとしているのか、虚空を掴みながら、乱暴に振り回していた。

「逃げ切るなら、今しかない」

と思い、前方に視線を戻すと、今まで似たような扉ばかりが続いていたのに、他とは違う少し大きめな扉が1枚ある事に気がついた。

その扉まで走り、ドアノブに手をかけ押し開く。

扉は難なく開き、部屋に入る事が出来た。

そして目に飛び込んできたのは、1階へと続く広い階段と、その先にある出口と思われる、大きな扉。

素早く階段をかけ降りて、持っていた鞄を側に置き、扉を押し開きにかかる。

「ギイィ…」

という軋みをたてながら、扉がゆっくりと開く。

扉が大きすぎるせいなのか、いくら力を入れても開く速度は早くはならなかった。

力を緩めることなく、後ろを振り返ると、階段を花嫁がかけ降りてくるところだった。

乱暴に腕が回される度に、辺りに紅い雫が飛び、深紅色へと染めていく。

「早く!早く開いて!」

焦りばかりが募るが、扉はゆっくりと開き、まだ子供の私でも通ることは出来ない。

周りがスローモーションのようにゆっくりと見えた。

ゆっくりと開く扉。

階段を降りた花嫁が、私に向かって走ってくる。

辺りを深紅色に染めながら。

血のように紅い手が、私を捕らえようと眼前まで迫った時。

扉を押し開けていた手を、誰かに捕まれた。

「グイッ」

と、強い力で、開いた扉の隙間に身体ごと引っ張られる。

花嫁の手が、私を捕らえられずに、空をきる。

扉の隙間を潜り抜けた瞬間、眩い光が辺りを包み込んだ。

あまりの眩しさに目を瞑る。

瞼の裏に感じる光が、徐々に弱くなってきた頃、目を開けると、見慣れた自分の部屋の天井が見えた。

跳ね起きると、自分のベッドが目に入り、寝ていた事が分かった。

時刻を確認すると、朝の7時過ぎであった。

漂ってくる朝食の香りに、現実に戻ってきたのだと安心し、

「はぁ…」

と、ため息が漏れた。

起こした身体を再びベッドに沈ませる。

早鐘のように打つ心臓が、落ち着くのを待ちながら、

「最悪な夢だった」

と、結論付けて、洋館についても、深紅の花嫁についても、考え関わることを止めた。

翌日、学校に着くと、教室に元気な声が響いていた。

声の主を見なくても、莉桜ちゃんの声である事は明確だった。

私を見つけると、莉桜ちゃんが駆け寄ってきて、心配してくれた事と、連絡帳を届けてくれた事に対してお礼を言われた。

「具合はもう大丈夫なの?」

と聞くと、

「今はもう元気!具合悪くて寝込んでたのは覚えてるんだけど、寝込んでた間の記憶が思い出せないの。なんか、不思議な夢をずっと見ていたような気がするんだけど」

「そっか」

とだけ答え、深くは聞かないようにした。

それから朝礼が始まるまで、他愛のない話をしながら、お互い笑いあっていた。

数年後、詳しい理由は知らないが、洋館は取り壊された。

更地になった土地に、スーパーマーケットが建つと噂が流れ、看板が立てられたりもしたが、延期や中止が相次ぎ、未だに更地のままだという。

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