彼女の言葉に私は一瞬戸惑いを覚えた。
「一緒に逃げましょう。誰も知らない、どこか遠くへ。」
戸惑いと共に、えも言われぬ喜びを感じたことも確かだ。
身分違いの恋だった。私は、彼女の家族に長年仕えて来た使用人であり、彼女のことは幼少の頃よりお世話をしてきた。そんな彼女に私が特別な感情を抱くなど、許されるものではないと私はこの恋を胸に秘めてきたのだ。ところが、彼女も同じ気持ちであることを告白され、私の長年の思いは奇しくも報われることになった。
だが、周りは決してそれを許さなかった。特に彼女の父親であり、私の雇い主である主人は激怒した。彼女は私と結婚したいと父親に願い出たが、勿論猛反対された。
「お前は、何を言っているのかわかっているのか?」
「お父様、私は本気です。どうか彼と結婚させてください。」
彼女の家は代々偉人を輩出してきた名家である。有名な政治家、著名な作家など、名前を聞けば誰でもが知っている名家である。大事な一人娘が、使用人風情と結婚したいと言うのだから、反対されて当然である。
「結婚など、絶対に許さん。お前の結婚相手は私が認めた者でなければならない。しかも、何故よりによってお前は・・・こんな。」
主人は言葉を失った。主人の信頼を得ていたと思っていた私にとって、その言葉は辛いものだった。私は主人を尊敬していたし、今までも主人とは良好な関係を保っていたのだ。
主人は忌々しそうに私を見つめると、こう吐き捨てた。
「お前が、うちの娘に対して、そんな感情を抱いていたなんて。汚らわしい!」
それはそうだろう。使用人として雇い入れて、自分の娘を世話させていた男が、幼少の頃から面倒を見ていた娘にそんな感情を抱き続けていたと思うと、汚らわしいと思うことは当然だ。たとえ彼女が幼少の頃は恋愛感情を持たなかったと訴えたところで、通るはずがない。彼女の成長を見守るにあたって、次第に自分でも説明のつかない感情に悩まされ続けて来た。それが、恋だと知ったのはつい最近のことである。主人は私に対して、暇を出すと宣言した。解雇である。私は仕方のないことだと思った。
彼女は泣いて父親に私を解雇しないように懇願したが、主人は頑として受け付けなかった。夜中、私が屋敷を出ていくために荷物をまとめていると、彼女がそっと私の部屋を訪れた。
「一緒に逃げましょう。誰も知らない、どこか遠くへ。」
勿論私は断った。彼女の幸せのためである。彼女はこの屋敷に残り、他の誰かと結婚した方が幸せになれると思ったのだ。職を失った使用人と暮らすなど、絵にかいたような貧乏暮らしが待っているしかないのだ。その思いを告げると、彼女は言った。
「あなたの傍に居る以外の、どこに私の幸せがあると言うの?」
涙ながらに彼女は訴えた。朝まで迷った挙句、私は彼女の手を取っていた。
「着いてきてくれるかい?」
「ええ、喜んで。」
それからの人生は、私にとって宝物となった。
彼女と一緒に逃げてたどり着いたのは、とある田舎の廃村である。不便が故に捨てられた村。私たちはその村の打ち捨てられた家に住み、田畑を耕し、自給自足の暮らしをした。彼女は辛い野良仕事にも文句ひとつ言わずに働いた。
「私、あなたの傍に居られて幸せよ。」
それが彼女の口癖だった。それは私も同じ気持ちだ。これほどに満たされた未来が自分に訪れるとは夢にも思わなかった。
ところが幸せというのは、永久に続くものではないことを知ることになる。彼女が病気で死んでしまった。私は、自分を責めた。何故、彼女の異変に気付くことができなかったのか。何故、彼女の病気を治してやることができなかったのか。私は、何日も何日も彼女の遺体のそばで泣き続けた。ちょうど彼女と駆け落ちして50年後のことだった。
50年経とうと100年経とうとも、私の愛は変わらない。彼女は死ぬ間際に言った。
「生まれ変わっても、また一緒になろうね。」
もしも、あの世があるとしたら、彼女は私を待っているのかもしれない。だが、私は死ぬことができない。私が死ぬことができないのであれば、彼女に生き返ってもらうしかない。
「約束だ。待っててくれ。私はきっとまた君と巡り合う。」
それからの私は、彼女を生き返らせるためだけに時間を費やした。
いろんな所にアクセスして、人の体を復元する研究を繰り返した。廃村に暮らすことは、いろんな意味で隠れ蓑になった。こんな研究が倫理的に許されるものではないことは十分承知だ。
彼女の細胞を培養して、いろいろ実験してみたが、思うような成果は出なかった。
「ああ、今日も失敗か。」
何体目かの彼女のクローンは、おおよそ生前の彼女とはかけ離れた姿で、長く生きながらえることはできなかった。彼女の一部であるそれらを私は打ち捨てることはできなかった。彼女の一部は、フォルマリンに漬けられまた保存される。
朝を迎えるのが辛かった。夢で彼女に会えたとしても、目覚めればそこには彼女はもう居ない。
「何故、私を置いて先に逝ってしまったんだ。」
その問いに答えるものは居ない。何年も何年も彼女を蘇らせようと試みたが、私の力ではどうにもならなかった。
ある日、いつものように夢に彼女が出て来た。
「もう苦しまなくていいのよ。ずっと一緒にいましょう?」
「でも、目覚めれば、君は居ないよ。私だって、ずっと君と一緒に居たかった。」
「目覚めなければいいのよ。」
その言葉は、私にとって青天の霹靂ともいう言葉だった。
「そうか。目覚めなければいいんだ。」
「そうよ。そうすれば、夢でずっと一緒に居られるでしょう?」
私は、その日、自分を閉ざした。ずっと自分の中に閉じこもっていればいいのだ。私は、外部とのコンタクトの一切を遮断した。
百年後の世界は、山という山を全て切り崩して平地にする時代が訪れていた。自動降雨システムのおかげで治水する必要がなくなり、天候も自在にコントロールできる時代がおとずれ、廃村になった山間の村にも開発の手が伸びて来た。
「うわっ、なんだこれ!」
ある廃村の廃屋を解体しようと着工した業者の間に、悲鳴に似た叫び声がとどろいた。
「げっ、なんかフォルマリン漬けにされてる。人間の形してねえか?これ。」
「ああ、確かに。奇形だけど、人間だよな、これ。うえ~気持ち悪い。」
「なあなあ、このカプセル、何かな。」
「開けてみるべ?」
古びた金属製のカプセルはところどころ錆ていたが、形はしっかりと残っており、ちょうど人が一人入れる程度の大きさであった。
「おわっ!は、白骨死体?」
カプセルの蓋を開けた若者は腰を抜かした。
「おい、白骨死体の下に何かあるぜ?」
「なんだ、これ。すげー古いタイプのアンドロイドじゃん。今時、こんなの無いよな。」
「なんかさ、このアンドロイド、笑ってね?」
「まさか、アンドロイドだぜ?」
「昔の機種は、ごくまれに感情を持つタイプがあったらしいぜ?」
「そういえば、昔、感情を持ったアンドロイドによる犯罪が増えて、製造中止になったって学校の授業で習ったな。」
「だから、今じゃ人間型のアンドロイドに人工知能を与えるのは禁止になったんだよな?」
「ああ。何百年も前は、そういうアンドロイドを使用人として使ってたらしいぜ。」
「あまり、人に近づくのも考え物だよな。」
「で、これ、どうすっぺ?」
「廃棄だろ、廃棄。あと、フォルマリン漬けと白骨死体は俺らの管轄外だから、通報するしかねえな。」
作者よもつひらさか