小学二年生のある時期、私は同級生のFと毎日のように一緒にいました。
その日は、学校帰りに公園へ寄り道をして、特に何をするでもなくふたり隅っこの木陰に座り込んで、とりとめのないことを話していました。
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そうしていると、やがて周りで駆け回っていた子たち、学年がひとつふたつ上と見える、知らない顔たちが屈託ない様子で私たちを遊びに誘いました。
Fは、少し驚いたというか怯んだような顔を見せていましたが、やがて相好を崩すと、腰を上げるなりその輪の中へ飛び込んでいきました。
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私はあまり体力のある方ではなかったので、その背中を見送って、それからひとりぼんやりと公園の様子を眺めていました。
鬼ごっこ、すべり台、ジャングルジム。
Fがあんなにはしゃいでいるのを見るのは久しぶりで、ほんの少しの疎外感を覚えながら、それでも嬉しい方が勝っていたので、私はのんびりと待っていられました。
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一歩駆けるたび、ひとつ喚声を上げるたび、子どもたちの影は少しずつ伸びていって、やがてそれが嘘みたいに長くなった頃、空は、さみしい色に燃えはじめていました。
親御さんが迎えに来たり、塾があると言ったり、公園は、だんだんとがらんどうになっていきます。
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そして、最後のひとりがFに手を振って、夕闇に沈みかけた公園には、私とFだけが残っていました。
梢然と戻ってきたFに、そろそろ帰ろう、と私は声を掛けましたが、Fは、もう少しだけ遊ぼう、と呟きました。
その目は、大げさに言えば命懸け、というぐらいに必死な眼差しで、私は、いわれのない申し訳なさから頷き返しました。
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と言っても、私たちがそれからした遊びというのは、ただそこに居残るだけ、居座るだけ、でした。
自分たち以外誰もいない公園で、こんな贅沢なこともありません。
Fはぶらんこに腰を下ろして、私はその向かいに立って、やっぱりどうでもいいようなことをだらだら話しました。
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薄闇は粘度を増していき、やがてFの目鼻もそれに溶けて、ただ印象だけがその輪郭の中に渦巻いていました。
そして不意に、誰も座っていないはずの、Fのとなりのぶらんこが、ぎい、と揺れはじめました。
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心地よい初秋の風が吹いてはいましたが、そういうことではない、ということは、鎖の軋む音から明らかでした。
なにかが、そこにいました。
私とFは、多分互いに影法師にしか見えない顔を見合わせると、公園の出口へ一斉に駆け出しました。
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数歩先を行くFは、振り返らない方がいい、見ちゃだめだ、と切実な声を上げて私に言い聞かせています。
しかし公園を出る直前、好奇心に負けたというか、もう大丈夫だろうという気の緩みから、私は、もう遠くなったぶらんこへ肩越しに目をやりました。
その瞬間、私は思わず足を止めて、あぜんとしながらそれを見つめ直すしかありませんでした。
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そのぶらんこに座っているのは、Fでした。
薄闇の中シルエットがぼんやり見えるだけですが、間違いありません。
立ち尽くしていると、私の背後、さっきまで前を走っていたFのいるはずの場所から、恐ろしく意地が悪くて、けれどひどく淫靡な響きを持った、女の舌打ちがひとつ、沸いて、消えました。
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振り返ると、そこにはもう誰もいませんでした。
よほどそのまま逃げて帰ろうかと思いましたが、動く気配のないFを放っておくわけにもいかず、私はまたぶらんこまで駆けていきました。
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Fはぶらんこに座ったまま、ただ呆然と、公園の出口を見つめています。
Fの正気すら疑って、私が肩を揺すろうかと手を伸ばしかけると、
「おかあさん」
震えた声で、Fはただそれだけ呟きました。
作者てんぷら
毎度ばかばかしいお笑いを一席。
子を無化しようとする母、という類型は、それこそ神話の時代からあるものなんでございましょうね。
実際、多くのおとぎ話がこういう口上で幕を開けます。
「むかし無化し、あるところに・・・」
おあとがよろしいようで。