「ねえ、クロカミサマって知ってる?」
真雪は白い息を吐きながら振り向いた。
「え?何それ」
美空(みそら)と真雪(まゆき)は、小中高大一貫教育のエスカレーター式の大学二年生である。
ずっと同じ学校で、幼馴染、そして群を抜いて優秀なことで、二人は大学でも一目置かれ、さらに二人そろって美形ということでも注目を浴びていた。
「美空と真雪って、いいよね。頭良くて美人なのに、まったくそれを鼻にかけていないし、ライバル心とかまったくなくて、本当に仲いいよね。」
周りからも人気は高かったが、他の綺麗なだけの女子とは一線を画して、聖女的な憧れにも似た存在であった。
美空に彼氏ができたという噂が立った。美空を射止めるなど、どんな男なんだと騒然となり、美空自身はうまく誤魔化すばかりで、決してその男性が誰なのかということを明かさなかった。
しかし、親友の真雪だけは知っていた。美空の彼が誰なのかということを。
「クロカミサマ。知らないの?」
美空は、真雪に微笑んだ。
「うん、知らない。」
「あのね、ちょっとした都市伝説みたいなものなんだけど。」
彼女は女子高生のようにはしゃぎながら彼女にクロカミサマの話を始める。
1、自分の髪の毛を1本用意する。
2、髪の毛に向かって、復讐したい相手の名前と、自分がされた仕打ちを唱える。
そして、「自分の恨みを晴らしてくれますように」と唱える。
3、ビルなどの高所に行き、「クロカミサマ、どうか私の無念をお晴らしください」と唱えて髪の毛を飛ばす。
「えー、それって呪いの儀式じゃん。」
「うん、でも、これ本当に効くらしいの。呪いをかけられた人は不幸になるらしい。」
「でも、そういう儀式にありがちなのだけど、不幸になるらしい、ってのが漠然としているよね。どう不幸になるかって実例ってほとんど挙げられてないじゃん?」
「うん、内容ははっきりとはわからないけどね。でも、これはホンモノらしいよ?」
正直、真雪はどうして美空がこんな話を始めたのかがよくわからなかった。どちらかと言えば美空のほうが、こういうおまじないや占いなどに関しては懐疑的で、彼女は合理的な人間だと思っていたのだ。
家に帰ってからも、真雪はクロカミサマのことを考えていた。
あの美空にホンモノだと言わしめた「クロカミサマ」の噂。
否定する自分と同時に試してみたいと思う自分が存在していた。
もし本当なら。真雪は、意を決したように風呂からあがり、厚着をするとこっそりと家を出た。
向かうは自宅マンションの最上階の11階のエレベーターホール。そこから上の屋上には入ることはできないが、ここからでも十分だろう。エレベーターで11階に着くと、自分の髪の毛を引き抜いた。エレベータホールの手摺に寄りかかる。
「相手は、清水美空。彼女は私の彼を奪った憎い女。クロカミサマ。どうか私の無念をお晴らしください。」
真雪はそう唱えると、髪の毛を飛ばした。空しい行為だと思った。だが、プライドの高い真雪は、美空に彼を盗られても取り乱すことはできなかった。平気な振りをして、美空には余裕のある態度をとっていたのだ。少しだが、胸の内のつかえが取れたような気がした。こんなおまじないは叶うはずない。でも、もしこれが本当に効くのであれば。私の苦しみを少しでも彼女に味わってほしい。真雪は二人の裏切りを許せなかった。
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「ねえ、今日も真雪、来ないね?どうしちゃったんだろう。」
「うん、私も心配で何度も彼女に連絡したんだけど、返事こなくて。」
美空はそうため息をついた。もうこれで、真雪が連絡を絶って一週間になる。
「家とか行ってみた?」
「うん、彼女の家に行ったんだけど、お母さんが出てきて真雪は今、会うことができないって言うばかりで。病気かって聞いても教えてくれないの。」
「そうなの?」
「うん、なんかお母さん、隠してるみたいで。たぶん、真雪が会いたくないって言ってるんじゃないかな。」
「なんで?」
「わかんない。ただ、お母さんが真雪の部屋に行って話してるのが聞えたの。会いたくないって言って、って言ってるの、聞いちゃった。」
美空は寂しそうに俯いた。
「なんでだろうね。喧嘩した?」
「ううん、全然。そんなことないんだけど。もしかしたら、私、彼女に何か気に障ること、言ったのかな?」
「心当たりはある?」
ため息をつきながら、美空は首を横に振った。
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これは全て嘘である。
美空は知っていた。何故、真雪が大学に来なくなったのかを。
きっとあれを実践したからだ。友人と別れて背を向けると、美空は一人笑いだしそうなのを堪えた。
きっと今、真雪はあれに髪の毛を食べられているのだ。日に日に抜け落ちていく髪の毛。
夜になればあれが夢の中に出てきて、髪の毛を貪り食う。その悪夢から覚めれば、彼女の髪の毛は本当に抜け落ちて行くのだ。
真雪は完璧主義である。それがゆえ、彼はずっと彼女にコントロールされることに嫌気がさしていたのだ。嫉妬深い彼女は、彼のスケジュール全てを把握しなければ気が済まず、何かと束縛した。その相談を美空が受けていたのだ。流れは自然と相談相手となった美空と良い仲になるのは必然。それが真雪の知れるところとなったが、プライドの高い彼女は、それを受け入れたような振りをし、今まで通り美空との友人関係も続けてきたのだ。
仲が良かった二人が、突然不仲になれば、注目されている二人のことを勘繰り、真雪の失恋も人の知るところとなるのが嫌だったのだろう。ところが、それでは終わらなかった。真雪は美空との友人関係を解消するどころか、今まで以上に美空に着いて回った。理由は簡単だ。美空に着いて回れば、彼との関係も切れることはないからだ。真雪は美空と彼のデートにも平気でついてきたし、真雪を騙して彼とデートしようとしても、どこからリークしてきたのか、偶然を装って街で声をかけてくることは度々。彼女はまだ彼に未練があるのだ。美空はウンザリしていた。
「本当に残念な女ね。振られてるのに、もうヨリなんて戻るわけじゃないじゃない。みっともない。」
本当ならこの言葉を真雪にぶつけたかった。だが、美空もそんなドロドロの醜態を世間に晒したくはなかったのだ。
そんな折、このクロカミサマの噂を聞きつけた。
美空はこの噂に関して、一つだけ真雪に伝えなかったことがある。
それは、髪の毛は、抜いたものではなく、切り取ったものでなければならない。
さもなくば・・・。
呪いは己に返ってくる。夜ごと髪の毛を貪り食う妖怪に襲われる夢を見て、その朝には髪の毛がごっそり抜け落ちるという呪いだ。
「ウフフ、いい気味。今頃まだらに禿げた頭を見て泣いてるんだろうな、あの子。彼と私に付きまとうから悪いのよ。」
美空は晴れ晴れとした気分で床に就いた。眠りについてしばらくすると、耳元で何か音がして目が覚めた。
何、この音。
ピチャ・・・クチャ・・・ピチャピチャ・・・・何かを咀嚼するような音。
美空は奇妙な音に身を固くして周りに目をこらした。暗さに目が慣れてくるとすぐそばにある何かの気配と輪郭を確認した。声が出なかった。そこには、全身毛だるまの何かがうごめいていて、口だけがその毛の中に浮かんでいて、美空の長い髪の毛を咀嚼していたのだ。
い、いや、やめて・・・。声にならない。髪の毛を咀嚼していたそれは、徐々にスピードを速めて、髪の毛をズルズルと飲み込み始めた。その厭らしい唇がどんどん美空の耳に近づいてくる。
イヤイヤイヤ!来ないでええええ!
その唇が耳に到達した時に、低い声がした。
「人を呪わば、穴二つって言うだろう?」
舌が美空の耳に侵入してきた。
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「ねえ、美空が大学来なくなって、一か月くらい経つよね?どうしちゃったんだろう。」
「それが全然連絡取れないらしいのよ。自宅にもいないらしいの。」
「携帯は?つながらないの?」
「うん、電源切れてるらしい。」
「真雪もまだ来ないし。いったい二人に何があったんだろうね。」
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ねえ、知ってる?クロカミサマの噂。
髪の毛に向かって自分の復讐したい相手の名前と仕打ちを告げて高所から髪の毛を飛ばすと無念を晴らしてくれるらしいの。
でもね、方法を間違えると、大変なことが起こるらしいよ?
大変なことって何かって?
それはあくまで噂だから。
知らないよ。
間違っても、自分の髪の毛で呪いをかけたりしたら、それはもう・・・。
作者よもつひらさか