「おい、この学校で一番怖い先生って誰だと思う?」
野球部の部室で着替え中に、ちょっとヤンキーっぽい田口先輩に不意に声をかけられた。
「えっ、怖い先生っすか?うーん、やっぱりうちの野球部の顧問の脇田先生じゃないっすかね?」
「ああ、みんなそう思っているみたいだけど、ちげーよ。一番ヤバイのは竹中だ。」
「ええ?まさか。あのいつも何言われてもニコニコしている先生がですか?まさか。」
「いいか、竹中だけは気を付けたほうがいい。」
何かの冗談かと笑って先輩を見たが、顔は青ざめていたって真剣だった。
まさかね。先輩は俺をからかっているのだ。
ところが、それを本当に裏付ける事件が起こってしまうとは夢にも思わなかった。
「つまんねーなあ。」
五時限目ということもあり、皆夢うつつの中、古典の授業を受けていた。
そんな中、目立ちたがりの北村が突然そう言ったのだ。北村は、最近ちょっと悪いグループと仲良くなったせいか、急にいきがるようになった。教室が一気に緊張した空気に包まれる。
「どうしたのかな?北村君。」
竹中先生はいつものように、微笑みをたたえながら北村に返した。
「おめーの授業、つまんねーんだよ!」
そう叫ぶと突然自分の机を蹴った。
心底面倒くさいやつだ。そういうのは他所でやってほしい。虎の威を借りるなんとやらというのは、こういうやつのことを言うのだろう。
「そうかあ。先生の授業はつまんないかあ。でも、他の人に迷惑をかけるのは感心しないなあ。」
相変わらず、竹中先生は微笑みをたやさずに、北村に近づいて行った。その余裕に満ちた態度が気に食わなかったのか、北村は立ち上がった。
「やんのか、ごる」
最後まで言葉が終わるか終わらないかの時に、それは起こった。
竹中先生が微笑みながらこぶしを作ると、そのこぶしが北村の左頬を打ち、北村は吹き飛ばされて自分の机と共に転がった。
なおも、竹中先生は、微笑みながらぶざまに転がった北村に近づいて行く。北村は完全に牙を抜かれた虎のように震えて怯えながらもまだ去勢を張った。
「て、てめえ。よくもやりやがったな。」
そう言いながら立ち上がろうとする北村の顎を容赦なく竹中先生は蹴り上げた。
北村は白目を剥いて倒れた。
教室は一気に凍り付き、誰一人声すら出せない。
倒れたにもかかわらず、竹中先生は微笑みながら北村を蹴り続けた。
やばい、このままでは北村が殺されてしまう。バカなやつだけど、これはやりすぎだ。
俺は、一番後ろの窓際の席に居たので、こっそり抜け出して職員室に走った。
「先生、大変です!竹中先生が!」
職員室のドアを開けるや否や、俺はその場に居た教師に経緯を説明して教師と共に自分のクラスに引き返した。
「おや?山崎先生、どうされました?」
竹中先生は何事もなかったかのように授業を再開していた。
北村が居ない。
「いえ、あの水野が・・・竹中先生が北村を殴っていると言うものですから。」
「まさか。僕がそんなことをするわけないじゃないですか。」
嘘だ。皆見ていただろう。圧倒的な竹中先生の暴力を。
俺はクラスメイトの皆の顔を見渡すも、皆目を反らして固く口を閉ざしている。
「だめじゃないか。水野。授業中に抜け出して他の先生に迷惑をかけちゃ。」
そう窘められて、俺は席につかされた。
その後、俺が呼びつけた教師に職員室でこってり絞られたのは言うまでもない。
「なあ、北村が竹中に殴られたよな?なんで皆黙ってるんだよ。」
クラスメイトに聞いてまわっても、皆目を伏せて口を閉ざしている。
いったい何があったんだ。北村はどこに行ったのだ。
俺は不思議に思いながらも、竹中先生が恐ろしくてそれ以降授業を受ける気になれなかったので早退した。
あくる日、迷いながらも学校に登校した。職員室をこっそり覗くも竹中先生の姿が見えなかったので、心底ほっとした。教室につくと皆、いつもと変わらずガヤガヤと騒いでいた。
北村の姿はそこには無い。
「なあ、北村、やっぱり来ていないのか?」
俺がクラスメイトの田中に尋ねるとキョトンとした顔をされた。
「はあ?誰って言った?」
「だから、北村だよ。昨日、竹中にめちゃくちゃ殴られただろ。やっぱり来れないくらい酷いのかな。」
「北村?誰だよ、それ。」
田中は不思議そうに俺の顔を見た。
「いや、北村だよ。最近不良グループに入っていきがってた北村。」
「何言ってんの?お前。北村なんてやつ、うちのクラスに居ないし。それに、竹中って誰?」
「はぁ?北村、居ただろう。北村だよ!竹中は古典の先生!」
「お前、大丈夫?竹中なんて先生はいねーし!古典は宮本先生だろ。」
嘘だろう?何かがおかしい。
昨日の暴力事件から何かが変だ。
昨日までは、竹中先生も北村も存在していた。
なのに、クラスの誰に聞いても、そんな者は存在していないという。
俺は奇異の目で見られ始めたので、もうその話題に触れるのをやめた。
だが、モヤモヤとした気持ちは晴れずにその一日を過ごした。
消えた竹中先生と北村の存在。彼らはどこに行ったのか。
放課後、部活を終え、部室の片づけと戸締りは下級生の仕事なので、俺は全てを終わらせて部室を後にしようとしたその時だった。入口に誰かが立っている。夕日を背にしているので誰かはわからないが、大人には間違いない。
「水野、ダメじゃないか。他の先生を呼んできたりしちゃ・・・。」
その声に聞き覚えがあった。竹中先生だ。
夕日を背に、唇の端が三日月のように吊り上がっていて、笑っているのがわかる。
「先生は、ここに居られなくなったんだぞ?お前のせいだ。水野。」
竹中先生は、そう言いながら、後ろ手に戸を閉めて鍵をかけた。
「ねえ、水野、行方不明らしいよ?昨夜、家に帰ってないらしくて。」
「ああ、俺の所にも水野の親が訪ねてきて探してた。あいつ、真面目だったから、家出とかあんまり考えられないし。どうしたのかな?」
気が付くと俺は、逢魔が時をさまよっていた。
どこまで歩いても、何時間経っても、ずっと夕暮れの世界。
ここは、どこなんだ。
俺は確か、部室を片付けて。それから?
「だから竹中はヤバいって言ったろ?」
俺に声を掛ける者が居た。ああ、田口先輩。
そうか。田口先輩は一年前に行方不明になったんだっけ?
なんでこんな所に、田口先輩が?
「先輩、ここはどこなんですか?」
田口先輩は言いにくそうに顔を歪めた。
「信じられないだろうけど、お前、もう死んでるんだよ。俺もな。」
そう項垂れた。
そんなの、嘘だ。
夕日を背に、誰かがユラユラとこちらに近づいてくるのが見えた。
「き、北村?」
顔は二倍くらいに腫れあがっていたが、制服の裏地の竜の刺繍で北村だとわかった。
「竹中があんなにヤバイのなら早く教えて欲しかったわ。」
俺達が立ちすくむ川の向こう岸で、見たことのある微笑みをたたえ俺たちを見ているやつがいる。
間違いない。あいつだ。
「では、授業をはじめます。」
とある中学校で、古典のその教師は微笑みをたたえながら生徒に向かう。
「ねえ、竹中先生の噂、知ってる?」
作者よもつひらさか