神社という神社は人の波で溢れていた。日本人と言うのは節操がないなと達也は思った。ハロウィンにクリスマスときて正月には神社参りだ。いずれにしても、ウンザリするほどの人で溢れかえるには変わりない。わかってはいても、出かけて行って疲弊するのは日本人の性である。
かくいう達也も彼女と初詣に参拝しているのだから、どうこう言う資格はない。達也は緊張していた。初詣の帰り道、彼女にプロポーズしようと思っていたからだ。すでに付き合って一年になる。そろそろ切り出しても良いだろう。付き合いというものは長ければ良いというものでもない。
現に今の彼女の前の彼女は、付き合いが長すぎてお互いの嫌な所ばかりが目につき始めて、喧嘩ばかりするようになり結局破局してしまったのだ。元カノはやたら節目にこだわった。何々記念という言葉を多用し、少しでも達也が記憶が曖昧だとすぐに拗ねた。今の彼女は、そういうのには一切こだわらない。逆に彼女のほうが記念日を忘れているくらいなので、達也としては気楽で良かった。
元カノのことも好きだったが、気障な言葉で言えば、愛に疲弊してしまうと言うのがふさわしい。火というものは、いつまでも燃え上がるものではないように、愛もそうなのだ。最初は小さな火が大きくなり、やがて静かに燃えて消えて行く。完全に消えてしまうのは困るが、炭火のように静かに奥底では燃えていたい。
その理想の相手が今の彼女だ。今夜、絶対に決める。達也は密かに拳を握りしめた。彼女のほうを見ると、何故か彼女は青ざめて、あらぬ方向を見ていた。
「どうしたの?佳奈。」
「な、何かあっちの方向から誰かに見られてる気がする。ゾクゾクするの。」
佳奈は怯えていた。佳奈はいわゆる、見える女だった。霊感が強く、こういうことはよくあったのだ。
「大丈夫?加奈。」
「うん、大丈夫だよ。霊とかじゃないみたい。」
「え?そうなの?じゃあ何だろう?」
「霊っていうより、何か、念のような・・・。」
「じゃあ、とっととお参りして、どこか出かけようか。」
「うん、そうだね。あ、でも絵馬書きたい。」
「じゃあ参拝終わったら買いに行こう。ところで、願い事は何を書くの?」
「それは、内緒!あとでね。」
達也はひょっとして自分とのことではないかと、少し期待した。
佳奈、結婚OKしてくれるかな。
参拝を終え、二人で絵馬を買いに行き、それぞれ願いを書いた。
「佳奈、何を書いたの?見せてよ。」
「やだ、恥ずかしい。」
「そんなこと言われると気になるじゃん。」
「でも・・・。」
おずおずと差し出した絵馬には、達也と結婚できますようにと書いてあった。
これは参った。先にやられてしまった。
「ずるいな、佳奈。それは先に俺が言う予定だったのに。」
そう言いながらポケットから指輪の箱を取り出した。
「俺と結婚してください。」
佳奈は涙ぐみながら首を縦に振り、指輪を受け取った。
佳奈が絵馬を木に賭けようとして、ぎょっとした顔をした。
「どうしたの?」
「達也、これ・・・。」
佳奈が絵馬をかけようとしたその隣には目を疑う言葉が書かれた絵馬がかかっていた。
【■■が早く死にますように】
黒く塗りつぶされて名前は見えなかったが、恐ろしく悪意を感じる絵馬だった。
その様子を遠くから女が見ていた。とても陰鬱な雰囲気で、黒髪で顔はほとんど隠れていて見えず、口には大きなマスクをかけていた。そして、低く何かをブツブツとつぶやいていたのだ。
「きっとあの人だよ、これ書いたの。私にはわかるの。」
佳奈は青ざめて気分がすぐれないようだった。
「薄気味悪いな。人を呪わば穴二つって言葉を知らないのかな。とにかく早くここを出よう。」
達也と佳奈はそそくさとその神社を出た。
半年後,達也と佳奈は結婚した。結婚生活は順風満帆で結婚してすぐに佳奈の妊娠が発覚した。
「こんなに早く子供を授かることができるなんて。佳奈、ありがとう。頑張って丈夫な子を産んでくれよ。」
達也は幸せの絶頂だった。そのはずだった。だが、そんな彼の生活に小さな影を落とす出来事が起きた。達也の会社に新入社員が入社してきた。若い女性だが、とりわけ美人というわけでもなく、達也は彼女を部下としてしか見ていなかった。ところが、彼女の方から、とある飲み会の帰りにお酒の所為にしていいから抱いて欲しいと言われ、佳奈の妊娠とともに押さえて来た欲望が抑えられなくなってしまって、一度だけそういう関係になってしまったのだ。
達也は後悔した。会社で彼女と顔を合わせづらくなった。しかも、勘のいい佳奈はそれとなく達也の異変に気付いて、達也を責めるようになった。
「なんか最近、達也変だよ?」
「何が?」
「浮気とかしてないよね?」
「するわけないだろう?」
「ってかさ、達也の周りに凄く黒い影が見えるんだよね。」
「俺に何かとりついてるとでも言うのか?」
「念、だよ。念。なんだか恐ろしい念。」
「またそんな。気のせいだよ。佳奈は疲れてるんだよ。休んだ方がいい」
「だといいけどね。」
意味深な言葉を残して彼女は隣の部屋に行き、扉を閉めてしまった。
念という言葉を聞き、達也は会社の部下の女のことを思い浮かべていた。
彼女は一度だけでいいと言ったのだ。酒の所為にしていいと。
あれから彼女から何も言ってきたり誘ってきたりしてはいない。本当に一度きりの関係だ。
彼女も割り切っているはず。達也はそう信じたかった。
そんなある日、ついに待望の赤ちゃんが産まれた。
女の子だった。二人は喜んで名前を考えた。
「結衣ってどう?」
「結衣、結衣ちゃんかあ。可愛いな。それにしよう。」
達也は子供も授かり、夢のような幸せな結婚生活を送っていた。
一時の気の迷いは嘘のように消えた。
ところが、結衣が一歳の誕生日を迎えた日に突然死してしまった。
佳奈は狂ったように泣き叫び、達也も悲しみに打ちひしがれた。
結衣の死因は不明だった。朝になって突然冷たくなっていた。
結衣の死因を巡って、達也と佳奈の間に言い争いが激しくなった。
「何故異変に気付かなかった!」
「前日までは元気だったんだもの。」
「嘘をつけ!元気な子供が突然死ぬわけないだろう!」
「じゃあ、結衣が死んだのは私の所為だって言うの?」
日々言い争ううちに、夫婦の溝は深くなり、とうとう離婚してしまった。
そんな傷心の達也を日々励ましてくれたのは、意外にも一度だけ関係を持った部下の彼女だった。
彼女は、達也を心配し、いろいろ気を使ってくれるし、達也の悲しみに寄り添ってくれた。
「俺には彼女しかいない。」
達也は再婚を決意した。
達也が一人で暮らしていたアパートは手狭だったので、彼女のマンションを新居として新しい生活がスタートした。彼女は器量はそんなに良くないが、料理の腕は抜群だった。よく気が利くし、家事もテキパキとこなして完璧だった。
そんな日々が平々凡々と流れて行く中、達也はやはり死んだ結衣のことを思い出さずにはいられなかった。結衣の遺骨を分骨してもらっていたので、小さな仏壇にいつも手を合わせていた。お線香を探そうと、達也が仏壇を探ていると手に何かが当たったので、それを引き出してみた。それは絵馬だった。達也はその絵馬に書かれている言葉を見て、愕然とした。
【結衣が早く死にますように】
茫然と立ち尽くす達也の後ろから、彼女が近づいてきた。気配を感じて、達也は後ろを振り返る。
「美和子?」
妻の美和子は、恐ろしく無表情な顔で立っていた。
「見ちゃったんですね。」
「どういうことだ?美和子。」
「私ね、ミエルオンナなんですよ。」
「えっ?」
「見えるって言っても、霊とかそういう存在が見えるんじゃなくて。」
「そんなことは聞いていない。この絵馬は?」
「私ね、未来が見える女なんです。私、あなたと出会う前からあなたに恋することを知ってたんです。」
「意味がわからない。」
「達也さん、前の奥さんと結婚前に初詣に行ったでしょう?」
「何でそんなことを・・・。」
「そして、奥さんは絵馬を書いたよね?その横にあった絵馬に何が書いてあったか、覚えてる?」
そこで美和子がいやらしく笑った。
早く死にますように、とは書いてあったが名前は伏せてあった。
「願いがかなった時に、この塗りつぶされたところに名前が出て来たんですよ。」
「お前・・・・」
「つまり、私が願ったのは、あなたの妻の死ではなくて、あなたの子供の死。」
「な、なんでだ・・・」
「だって、奥さんを殺したらあなたの心の中にずっと奥さんは生き続けるでしょう?そんなのは嫌なんですよ。私は、あなたに奥さんを嫌いになってほしかった。だから、あなたの子供を呪い殺して、二人の仲を引き裂きたかったんです。」
「ふざけんなよ、お前!」
「ふざけてなんかいません。私は本気です。でもね、そんな私の幸せも長く続かないって未来もとっくに見えていたんですよ。こうして、私があなたの子供を呪い殺したことがバレてしまうことも。もう私には未来はありません。だからね、一緒に死んで?」
美和子の手には、大きな包丁が握られていた。
作者よもつひらさか