私は最近になって、実は母のことがあまり好きではないことに気付いた。
父親のことが嫌いだということは自覚していた。怠け者で仕事をせずに女ばかりにうつつを抜かし、身の丈も考えずに常に女を囲っていた父は軽蔑していたけど、それに耐え生活のほとんどを支えていた母を、本来であれば尊敬しなければならないはずだが、振り返ってみれば母は常に人のことを悪く言い、常にネガティブな思考を持った女だった。
子供の頃の記憶というものは曖昧である。たとえば時系列と記憶していた出来事がバラバラであったり、時に脳内で勝手にその記憶が何かと置き換えられていると気付くことはないだろうか。
そんな幼少期の記憶で、どうしても符号が合わない記憶の一つを思い出したのでここに書き記してみることにする。
前述したように、母は人のことをよく悪く言ったが自分のことは正直で誠実な人間だと信じてやまなかった。近所にNちゃんという女の子が住んでいて、私はよくその子と遊んだ。だが、母はそれをよく思っていなかったようだ。
「Nちゃんは手癖が悪いからあまり付き合わないほうがいい。」
まだ幼い私にそんなことを良く言って聞かせたのだ。手癖が悪いというのが、その当時、どういうことかよくわからなかったので母に聞いたところ、Nちゃんが万引きをするところを見てしまったというのだ。
「やっぱりお母さんが居ない所の子はちゃんと躾が出来てないのかねえ。」
母親は自分で言うのもなんだが、綺麗な部類に入ると思うが、そんなことを言う時の母親の顔は好きではなかった。子供同士なので、近所であれば母親が何と言おうと、遊ぶのは変わりないし、子供心にも親が居ないからそうなったと決めつける大人にも疑問を感じていた。
Nちゃんは悪戯が好きで、私に悲鳴ごっこをしようと言い、Nちゃんが突然「いやあああ!やめて!」と団地に向かって叫んで、驚いてベランダに出てキョロキョロあたりを見回している人を見て陰で笑ったりしていた。私はそんな勇気がなかったのでNちゃんが悪戯をするのを一緒に笑って見ていたような気がする。
Nちゃんに教えてもらったことは食べられる草や、花の蜜の吸い方など。少々変わった子だったのは間違いない。母は相変わらずNちゃんと遊ぶことを良く思ってなかった所為か、私にいろんなことを吹き込んだ。
「Nちゃんのお母さんは、男を作って逃げた。おばあちゃんが代わりに面倒を見ているけど、すぐに折檻をする。」
当時の私には理解できなかったが、物心ついたときにそれを理解した時には母親を嫌悪したものだ。
子供に男を作って逃げただとか言う必要もないし、おばあちゃんが孫にそんな酷いことをするわけない。
そう思っていた。
ある日Nちゃんと遊んでいると、Nちゃんがある家を指してこう言ったのだ。
「あそこの家ね、犬を飼ってるんだけどね。時々おばあちゃんが出てきて、犬を棒で叩くんだよ。」
「嘘だぁ。そんな酷いこと、するわけないでしょ?」
「本当だってば。」
Nちゃんは時々私をからかうことがあるので、本気にはしていなかった。
だが、ある日、私は見てしまった。
あの家からお婆さんが出てきて、犬をこん棒で叩いている所を見てしまったのだ。
犬はキャンキャンと哀れな声で鳴いて、私は心臓がドキドキしたのを覚えている。
見てはいけないものを見てしまった。
ところが、その記憶はもしかしたら違うのかもしれないと思うようになった。
泣いていたのはNちゃんではないのだろうかと。
母がNちゃんはおばあちゃんにホウキで叩かれて折檻されていたと言っていた。
こころなしか、Nちゃんが遠くで叩かれていたのを見たような記憶もあるし、本当に犬だったのかもしれない。私の記憶と母に聞いた話のどちらかが補完しているのかわからない。
そんなことを考えていると、もしかしたら記憶ってねつ造することも可能なのではないだろうか。
人は知らず知らずのうちに、何かに補完され誤った記憶を植え付けられているとしたら?
これほど怖い話は無いと思った。
作者よもつひらさか