中編5
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カナ

あれは私が10歳の夏だった。

今も時折思い出す。

当時、親の転勤により東京から地方都市へ引っ越した私にとって、目に入るもの、触れるもの全てが新鮮だった。

採れたての瑞々しいキュウリを齧ったり、カブトムシをとったり、東京ではできないであろう貴重な体験をした事を今でも覚えている。

転校した小学校は、生徒数が30人ほどしかいない規模であったが、小さな町だったからこそ、友人ができるのも早かった。

「東京から来た」というだけで、有名人のような扱いを受け、物珍らしがられるより尊敬の念を抱かれることの方が多かったのかもしれない。

周りとだいぶ打ち解けたであろう夏休みに入った頃、リーダー格のガキ大将から、

「秘密基地を教えてやる。仲間にしてやるよ」

そう告げられると、小学校の裏にある雑木林の中の、小さな祠のような場所へ案内された。

前に何かあったのだろうか、ずいぶん古びた雰囲気だった。

「お前ら、まだこんな所で遊んでるのか」

かすれた声の方へ目をやると、おじいさんが険しい顔をして私達を睨みつけている。

ガキ大将が、おじいさんに向かって舌を出す。

「いいんだ、放っとけ。あいつ偏屈ジジイでさ、近所でも有名なんだよ。」

そう言うと、ガキ大将は慣れた様子でおじいさんをやり過ごし、秘密基地へ私を案内した。

そこには、そのガキ大将を取り巻いている3人の悪友がおり、瓶ジュースをラッパ飲みしながらカードゲームに興じている。

どこから拾ってきたのか、ジュースのポスターや「工事中」の看板など、色々な物が雑然と並んでいた。

そんな中、端の方に女の子がちょこんと座っているのが目に留まった。

小学校では見たことのない子で、夏なのに透き通るような白い肌が妙に印象的だった。

キリッとした眼が美しい。

その女の子は目があった途端、嬉しそうにニコリと微笑み、

「カナ、っていうの。お友達になろう」

私は戸惑いながら、うん、と返事をし、照れながら頭をかくだけだった。

これが、私にとって初恋だったのである。

それからというもの、夏休みの間は毎日秘密基地に入り浸った。

そこにはいつもカナもいて、日が暮れるまでたくさん語り合った。

好きなアニメや芸能人、将来の夢、本当に色々だ。

話は尽きず夕暮れになるのが残念に思うほど、それだけカナといつまでも一緒にいたかったのだ。

カナも恐らく同じ気持ちだったようで、夜が来るのが嫌だな、と呟いていた事もある。

幼かった私は、いつかカナと結婚したいという想いに駆られ、完全に夢中になっていた。

時折、猫の様に眠たそうな顔をしたり、顔を撫でる様子が愛おしかった。

そんな矢先のことだった。

いつものように秘密基地で過ごしているとガキ大将が、瓶ジュースを数本抱えながら奇妙なことを言い出したのである。

「あれ?お前ら何人いるっけ?」

みんなきょとんとしながら互いの顔を見渡すと、足し算もできないのか、とガキ大将に指を指して笑った。

そうだよな、と言いながら全員に瓶ジュースを配る。

カナも、変なの、と言い瓶ジュースを飲みながら笑っていた。

その時、基地の入り口の方からヘルメットを被った男が顔を覗かせた。

「おーい、遊んでるところ悪いんだけど、もうここは取り壊すんだ。出てくれないか」

全員ぽかんとしている中、カナだけは物悲しそうな表情で僕を見つめた。

「大人が決めたのなら仕方ないな。出ようか」

ガキ大将の言葉に促され、皆うなだれながら片付けをし始めた。

するとカナが、後ろから私に囁いた。

「ねぇ、秘密の場所があるんだ。まだ誰にも教えた事ないんだけれど、特別に見せてあげるからおいでよ」

私達は秘密基地からそっと出ると、カナの、こっち、と指差す方へ歩き出した。

私はこの時とてもドキドキしていて、その秘密の場所とやらは、正直どうでもよかった。

カナから告白されるんじゃないか、等と淡い期待を抱いていたのだ。

しかし、いつまでも歩けど一向にその場所へ着かない。

というより、この雑木林はこんなにも広くはないはずだった。

見たことのないような景色が広がり、カナは黙々と前を歩き続ける。

辺りは段々と薄暗くなり始め、日も沈みそうである。

行き先をカナへ尋ねても、こっちだから、と、相変わらずの言葉を繰り返している。

その様子に不安を覚えた私は、もう帰ろうよ、と告げるとカナは首だけをグリン、と回し、「もうすぐ着くから」と、真っ直ぐ私の目を見つめる。

その目には不思議な光が宿っていて、いつものカナではないように感じた。

すると、雑木林が開けた先に、小さな祠が見えた。

「あそこが秘密の場所だよ。おもちゃとかお菓子とか、欲しいものがたくさんあるんだよ。一緒に、遊ぼうね」

カナは指差しながらそう言うと、私の手を力強く引っ張る。

私達が再び歩み出そうとすると、後ろからかすれた声が聞こえた。

「それ以上行ってはいけないよ」

振り返ると、あのおじいさんが立っていた。

おじいさんは私の目を真っ直ぐ見ながらこう続けた。

「魅入られてしまったね。あの中へ入ると、二度と帰ってこれなくなってしまうから、戻ろう。絶対振り返るんじゃないぞ。さぁ、そのまま」

私は訳もわからず、言われるがまま、おじいさんと共に元来た道へ歩を進めた。

カナはどうするの?と訊ねると、いいから、とおじいさんは言う。

ふと振り返ると、カナが鋭い眼差しで私を恨めしそうに見つめていた。

あの顔は、生涯忘れる事はないだろう。

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不思議なことに、カナの言う“秘密の場所”から、どうやって帰ったのか記憶がすっぽりと抜けていて、家の前までおじいさんに送ってもらっていたところまでは確かであった。

しかし、その後は頭の整理に時間を費やす必要があった。

翌日、ガキ大将達にカナの話をしても、カナなんて子は知らない、の一点張りであるし、あの出来事の後、私は秘密基地入り口のすぐ手前で寝ていた、と言うのだ。

そんな馬鹿な話がある訳ない

納得のいかなかった私は、夏休み明けに秘密基地のあった場所へ向かった。

そこには、鳥居と立派な御堂が建てられており、「稲荷」と刻印されている。

後から聞いた話では、この土地では昔から稲荷信仰といって、狐を奉る風習があるという。

カナと稲荷信仰がどのような関係であったのか未だにわからないが、もし、あの時おじいさんがいなかったら、どうなっていただろうか。

その先を想像すると、薄ら寒ささえ感じるのである。

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