中編7
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誰が轢かれた

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叔母に聞いた話です。

長距離バスツアーに出される弁当を詰める職場、

叔母のその、年配の女性ばかりの職場に春から入った男性社員。

その方が語った話だそうです。

と言っても、きっとおしゃべりな叔母に根掘り葉掘り聞かれて、仕方なく話したのでしょうが…

男性は40代の半ば。にも関わらず白髪混じりの、ちょっと疲れた感じの方だそうです。

入社当時はほんとうに落ち込んでいたそうで、叔母は放って置けなかったのでしょう。最近はようやく、笑えるようになったそうです。叔母達の、しょうもない話が面白ければ良いのです。

男性は、今の職に就く前はバスの運転手をしていたそうです。

大人達がバブルに熱を上げていた頃、子供だった男性は高校から大学に上がる春休みに、運転免許を取りました。

高校生活はほんとうにパッとしないものだったそうです。

写真同好会という、特に活動のない部活に入り、教室では目立たないもの同士ボソボソと会話し、特に外出先もない。

青春は自分に最も縁のない世界だと感じて、安心することがほとんどでした。

しかし、運転免許を手にした。

それからの大学生活はドライブの面白さに取り憑かれたかのようだったそうです。

中古の高級車で日本中を乗り回し、とりわけ誰かを乗せて走ることに快感を見出しました。

取り柄のなかった自分に、誰かをどこかへ連れて行けるという特技ができた気がしたのでしょう。

大学生にして青春を味わう男性の、最も良い友が車なのでした。

社会全体の明るい雰囲気はやがて、彼が就職を始める頃に崩れました。バブル崩壊と就職氷河期…

幸い、大型二種免許を持っていた男性は埼玉県東部のバス会社の採用に叶いました。

しかし、今でこそブラック企業や労働問題が表面化しとりだたされていますが、20年ほど前でしたから報道状況は過酷でした。

市バスより民間のバス会社ははるかに給料が安く、日に10時間、バスから降りない日もほとんど。睡眠時間は4、5時間で周りも体調を崩します。すると代役としてさらにダイヤを詰め込まれるのです。空腹や睡魔に襲われながら乗客を乗せ、交通ルールにのっとって決まった道を毎日ひたすら走る。

運転が何よりも好きで、人を乗せて走ることに喜びを得ていた男性は初めこそはりきっていましたが、次第に運転を楽しむ余裕もなくなり、疲弊していきました。

過酷すぎると自分が置かれた状況を把握できなくなることはよくあります。

男性も、快楽だった運転が苦痛に、趣味が労働に変わってしまったことを無意識にも認められなかったのでしょう。

心身ともに限界に達していながらも

楽しい運転じゃないか、俺はこれが好きなんじゃないか。

俺の青春はまだ終わっていないはずだ。

と言い聞かせ、仕事を続けていたそうです。

誰の目に見ても精神を病んでいた男性でしたが、運転が辛いなんて甘えだと思い込み、出社し、勤務していましたが、集中力も体力も衰えそれによりまたストレスを感じる…

運転も満足にできなくなり、死が男性の思考を支配し始めました。乗客を乗せたバスを暴走させ死にたい、人を轢いたら死刑になるだろうか、そんなことを逡巡した結果、バスに轢かれて死んでみたいと思いつきました。

その思いつきに一週間程夢中になった結果、ある雪の日、誰よりも早く出社した男性は自分のバスのタイヤの下に体を横たえました。

結果、同僚に抱え起こされ、程なくして男性は鬱の診断を受け休職することになりました。

完全に判断力を失っていた男性は、自分が運転しない限り、自分が運転するバスに轢いてもらうことなどできるはずがないことに不思議と気づかなかったのです。

3ヶ月の休養で男性の心身は回復しましたが、仕事の運転と趣味の運転の違いに気付くことはありませんでした。

復帰後、彼は多少ダイヤに余裕がある区画に、午後からの出社でつきました。

鬱というものは不思議で、治れば鬱の時のあの心の風景をすっかり忘れてしまうのです。時折また、あの景色が見えてしまいますが…

体力の戻りを感じた男性はまた、精力的に仕事に励みました。

運転の楽しさも蘇り、青春の再来に安心し、順調でした。

そんな頃、男性の職場で一人の葬儀が執り行われました。

男性の同僚ではありましたが顔もわからない、そんな人でした。

彼も鬱で、やはりバスに自ら轢かれて命を絶ったそうなのです。

職場の同僚の軽自動車で葬儀場に着き、焼香をつまみ、読経を聞きながらも特に感慨は起こりませんでした。

それから半月ほど。すっかり鬱も落ち着き、処方される向精神薬の数も減った頃でした。

信号が変わるのを待ち、発車した時です。

向かいの車線で信号待ちをしていたのも市バスでした。

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shake

その市バスのタイヤの下、

紺の制服を着た男性が横たわっているように見えたのです。

思わず 「アッ」 と出た声が車内マイクに拾われ、

車内を騒然とさせてしまいました。

恥ずかしさに顔を赤くしながら、

錯覚だったのか…?と不思議に思い目をこする。

しかし、対向車線の市バスのフロントが

真っ赤に染まっているのは見間違いではない。

ガラスまで飛び散っている肉塊は

ついさっきまであの男性だった。

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私のまぶたの裏に、そんな鮮烈な映像を残し、市バスはもうバックミラーの外へ消えていく。

居眠り運転だったのか?

まったく、乗客を乗せて事故でも起こしたら大変だ。

バスを運転しながらちょっと眠り込み、バスを運転する夢を見るなんて。

あぁ、眠るとあんな、事故を起こすって警告だったのか?

まったく、嫌なことまで思い出した。

そして、半月前の葬儀の、死んだ同僚のことまで思い出した。

私の思考は支配されやすい。

何かに熱中すると四六時中それに染まる。

運転にのめり込んだのもそのせいだ。

幼い頃に母を自殺で亡くし、仕事で父はいつも遅かった。

父の帰りを待つのは、なにかに没頭していなければ辛かった。

辛さを感じないほど、夢中になるものが必要だった。

私の思考を支配し始めたのは、あの映像と死んだ同僚だった。

私と同じ境遇になりながら、私は生きて彼は死んだ。

彼は私を恨んでいるに違いない。

顔は知らねど、あの轢かれた人は彼なのだ。

shake

バスと、通り過ぎる、行き交うバス全てが彼を轢いて、彼の肉片をフロントに引っ付けて走っている。

目に入るバスで真っ赤でないものはなかった。

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また運転が恐ろしくなるのか、それだけが、恐ろしかった。

私の好きな運転。

憧れの職業。

車。

ドライブ。

私はこれに夢中。

これが私の青春。

わたしの終わらない青春。

終わらせるものか。

見えている凄惨な世界を誰にも打ち明けることなく、鬱の治りかけのように気丈に振る舞いました。

絶対に仕事を辞めたくない。また、休職したら今度は辞表を書くことになる。

起き上がるのも辛く、思考はオブラートに包まれたように不明瞭で、四肢の先まで思うように動かせない。

幸い午後からの出社だからなんとかそれまでに精神を持ち直す。

アルコールテストがあるため酒が飲めたらどれだけ楽かと思うが飲めない。部屋で大の大人の男性が泣くのも、自分で情けなかった。ただ、自分は運転している、青春の真っ只中なのだから悩みはつきものじゃないか。そう思い込んだ。

何度も何度も、目をつぶればバスに、

何度も何度も、轢かれる彼。

顔はわからないが私の代わりに、轢かれる彼。

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私の最後の勤務の日の話をしましょう。

私はその日も眠れず、深夜の3時ごろから泣いたり、唸ったりしていました。8時間、何もすることができず目を見開きながらさまざまな事を悶々と考えます。

11時ごろ、やっと着替え、家を出て出社。

住宅街から市立病院へ走る間、不思議とバスに轢かれる彼は現れませんでした。

私は久々の安堵に包まれ、落ち着いて、穏やかな運転を楽しみました。

それまでいつ彼がバスに轢かれるかに緊張しながら運転していた為、目に入らなかった街のディテールに感動し、眩しい光に目を細めました。

閑静な通りの直線を走らせている。

私の

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shake

バスが何かに、乗り上げた

嫌な振動が

次に、フロントに飛び散る何か、

そして、

ガラスに張り付くように男性の頭部がぶつかりました。

私は

叫び声を、金切り声をあげ、頭をハンドルに叩きつけるなどしていたらしいのですが、程なくして失神しました。

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大変申し訳ないことに乗客の方もパニックになってしまったそうですが、誰かが社に連絡してくれたようで、駆けつけた所長は私のこの騒動を、 "てんかんの発作"として説明されたようです。

数日間の入院で、食事もままならなかった私は点滴を打たれ、意味があるのかないのかわからないカウンセリングを受け、そして始めて、翌日の仕事に怖がらずぐっすりと眠れました。

私はあの日にフロントガラスに見えた顔を思い出しました。

そしてまた、アッと声を上げてしまいます。

というのも、その顔は彼の遺影などではなく、私の顔だったからなのです。

毎日毎日、バスに轢かれていたのは私でした。

轢かれて死ななければならない私だったのです。

いつまでも青春にこだわって、現状をどうにかすることができない、高校生の時においてきてしまった幼い部分。

私は、社長が紹介してくれた、長距離バスツアーに出される弁当を詰める、新しい仕事を甘んじて始めました。

今までゆうに20年以上もこだわってしまった運転とまったく関係のない仕事の方が良いでしょう、と言ったのはあの若いカウンセラーだったそうです。

何にもとらわれない、無理のない生活ができているのは職場の皆さんのおかげです。

あなたにこんな事まで詳しく話してしまうつもりはなかったのですが…酷い話をしてしまい申し訳ない。

では、姪っ子さんに、よろしく。

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