こんにちは。こんばんは。
呪いでも恐怖でもなく不思議な感覚を
YouTubuネーム「吉野貴博」です。
私が体験した不思議な話、よく分からない話を時系列で話していこうと思っているのですが、
第一回は私が生まれる前からの、母の話を語ることにしました。
私の母は昭和10年、1935年生まれで、地方都市の郊外に生まれ育ちました。。
私が幼かった頃「なんか怖い話ない?」と聞いたら、
「十歳の時、突然高熱が出て、お医者さんに診てもらっても原因が分からず、拝屋さんに診てもらったら
「家の人が庭で草刈りをやったとき、鎌が土地神様にあたって、神様が怒って十歳に一番近いこの子に罰がきた」
と言われ、謝って許してもらった」
という話をしましてね。
そのとき私は八歳で、兄がいるんですけどそのとき兄が11歳で、十歳に一番近い者に罰が当たるんなら今だといいなぁと思ったものでした。
それからしばらく経って、これは怖い話じゃないんですけど、
お父さんが、私のお祖父さんが当時学校の校長先生をやってまして、
その関係で軍から「兵隊を何人か住まわせてくれないか」と依頼があって、引き受けたのですね。
その日に夕方兵隊さんが何人か来たんですけどみんな手ぶらで、荷物は駅に置いてきたと。
でその夜空襲がありまして、駅が燃えて、夜が明けたら兵隊さんたちみんな駅に荷物を見に行って、その後戻ってくることはなかったそうです。荷物が全部焼けちゃって、引き返したのでしょう。
この空襲はちゃんと記録が残ってまして調べてみましたら、昭和20年(1945年)7月10日、仙台空襲なんです。
それを聞きまして、土地神様に罰を当てられたのって空襲の前か後か聞いたら、前だっていうんです。
母には土地神様と空襲は同じくらいの出来事だったようです。
その後日常生活的にいろいろあって、高校を卒業し、都会に出ていた兄弟を頼って就職したり父に会って結婚したりと人生を歩んでいたんですが、私がお腹にいるとき、電車を降りて駅を出たら、そこにいた易者さん、占い師ですね、その人に呼び止められて、
「奥さん!お目出度だね!」って、それは見れば解るんですけど、「男の子だよ!」「えー!男はもう二人いるからいらないよー!」「だったら俺にくれ!その子はいい子だ!」とやりとりがありまして別れたんですけど、さて私はいい子に育っているんだかどうだかよく解りません。
それ以外は、昭和10年生まれですから戦争のこと以外にもいろいろ厳しい時代で、あんまりよく覚えていないというのですね。忘れた方がいいこともあったでしょうし、深く考えたらやっていけない時代だったでしょうしで、日常生活のことは覚えていても現実に怖い話とかは記憶の外に出す方がいいみたいで、生活苦ばかりの思い出になります。
それでも小さい出来事として、ベランダに鉢植えをいくつも置いて、花がわんさかわんさか咲いていたんですが、夫、私の父ですね、が亡くなって落ち込んだときに、自分もいつかは死んでしまうんだし、そうなったら子供達がこの花の世話なんかするわけないんだからと、全部ハサミで切っちゃったんですよ、そしてしばらくして立ち直って、またベランダで花を育てようとしたんですが、こんどは全く育つ気配が無い。これは切られちゃった花の恐怖が残っていて、今の花を咲かせなくしてるんじゃないか~とか思っているようです。
最後に、割と最近、私も一緒になって体験した訳の解らない話で今日は終わろうと思うのですが、
これは以前、あまりの理不尽さに、2ちゃんねるのオカルト板、不思議な体験、謎な話enigmaで書き込んだことがあるんです。個人サイト、ブログはあっても、ちゃんとレスポンスを書いてくれる人はここが一番だなとと思いまして、ここしか書くところがなかったんですよ。
でもそれを書いたのが私だと証明することはできないので、「パクるな!」と怒る人も出るかもしれませんが、そこはまぁまぁ、ということで聞いてください。
でも書き込みますと年月日の記録も残るわけで、それはそれでよかったなぁとも思うのですが。
納得できない話。
十年以上前、母が真鶴に住んでいる級友に会いに行くと言いだし、付いていった。
待ち合わせの時間は昼で、朝一番に出発したため午前中まるまる観光にあてようと、
真鶴サボテンランドというところに行った。
サボテンランドを見終わって周囲を歩いていたら、細い道が見え、なんとなく下っていったら、廃墟があった。
(その道みちも、違法だか不法だか止められている車が結構あって、どっから乗り入れているんだか不思議に思った)
後で知ったのだが、真鶴水族館というのがあって、その廃墟だったわけだが、
知らないからおっかなくて写真も撮らず、二人して「なんだろね」と話しあっていた。
そこから海岸線を歩こうと海に進んでいったんだけど、
崖一面に観音様の顔が掘られていて、二人して「すごいねー」と話していた。
で海水浴場に出て、バスに乗って真鶴駅に行き、
母が友人宅を訪問し、俺はコンビニで立ち読みとかして帰った。
家に帰ってから(あの廃屋はなんだろ?)と調べて「真鶴水族館」のことを知り、
グーグルマップで「薬袋観音」という表記があったから(なるほど)と満足した。
しかし昨日、真鶴水族館を訪れた廃墟マニアのサイトを見たら、
薬袋観音って、洞窟があってその中に安置された観音像だってことを知って、
あの崖の顔は?と不思議でならない。
観音像の写真を撮る廃墟マニアが、あの崖の顔を撮さないはずがないだろうに、
どの廃墟マニアも崖に掘られた顔なんてアップしてない。
水族館は今はもう解体されて存在しないらしく、廃屋をアップしている人は何年も前に訪れて写真を撮っているんだよ、
崖の顔が風化して崩れて気づかなかったってこともないだろうに、
俺と母親が見たのはなんだったのか、気になる。
104
>>103
少なくとも貴方だけが見たわけじゃないみたいだ
:あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/02/29 23:20神奈川県の真鶴岬に、廃墟マニアが喜びそうな元食堂らしき廃墟があった。
そのすぐそばに、でかい崖一面に観音様の顔が掘ってある。ひび割れつき。
帰ってから地図を見たら、きちんと○○観音と表記されていた。
知らないで見た時は、けっこう怖かった
>>104
ありがとう。
106: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/02/15(月) 12:49:45.19 ID:xzNI0h8G0.net
…って、まさか俺が書いていた?
なんか文体が自分のっぽい。
というやりとりがありまして、実際に真鶴に行ったのが2004年02月29日で、あれ?と書いたのが2016年02月15日(月曜日)、そしてこの放送が2019年05月01日(水曜日)と記録になるわけですが、この後、どこの個人ブログだかのコメント欄に、「薬袋観音てのは間違いだろ?内袋観音だろ?」という指摘があったんですよ、あれ?と思って確認したら、確かに内袋観音になっていて、今現在薬袋観音で検索すると、私の書き込みしかヒットしないのですね。日本中に薬師如来は数あれど、薬袋観音は私の書いた中にしか存在しないようです。
で、2004年のときに見間違えたのかなぁと思うのですが、ひょっとして、もしかして、2004年にグーグルマップを見たときには本当に薬袋観音と表記されていて、洞穴に置かれているのが内袋観音だけど、オカルト的には崖に掘られた観音様が薬袋観音として私の前に現れたてことはないかなぁとも思うのですが、今となっては確認のしようがありません。
あとコメント欄に、「崖一面に観音様の顔って、大きいのがぼんとあるのか、小さい観音様が無数に掘られていたのか、どっちだろ?」という指摘もありまして、でっかい顔がぼん、です。
記録と記憶の関係って怪談以外でもSFでもよくテーマになりますが、ここで見間違いとか勘違いなどの要素も加わりますと、さらにややこしくなりますよね…。
(2020/03/30後記、真鶴サボテンランドのことを検索していましたら、閉園したのは2004年1月5日とあって混乱しました。母にいつ行ったっけと確認しましたところ、月日までは覚えていないけどお土産にブドウを持っていったので、秋だと言われました。行ったのが2003年の10月末だとして、2ちゃんねるオカルト板エニグマスレに書いたのが四ヶ月後って、なんでそんなに日にちが開いているのか、まったく覚えていません)
さて次回は自作品「日本の人魚は歌を歌うのか」の朗読録音をアップします。1996年に書いた話で、何度も何度も録音しているうちに、ここがダメだこの描写が書かれてないとかアラが見えてきたのですが、もうテキストで発表しているのでこれはこれでこのままでいいかと録音しました。改訂版はそのうちにということで。
それではお聞き頂いてありがとうございました。
呪いでも恐怖でもなく不思議な感覚をの「吉野貴博」でした。
作者吉野貴博
YouTubeに体験談と自作朗読を交互にアップしようと初めまして、創作話は「なろう」に投稿したのを読んでおります。体験談は文字をアップするつもりはありませんでしたが、ここに出してみようかなと。
別に怖い話ではないです。
微妙に細部が違うかもしれません。
YouTubeでの音声版です。http://bit.ly/2DGXHN1