長編8
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第一発見者

 山で初心者向きハイキングコースを歩いていたはずなのに、ちょっと霧に囲まれたと思ったら、道に迷ってしまった。足下だけしか見えなくなったが道の状態で判断していた。霧が晴れてそのまま歩いていたら、どんどん道が悪くなり、そういえば周囲に誰もいないな、と引き返したら、その引き返し道が二叉に次ぐ二叉で、やばいと思っていたらやはりどこかで選択を間違えたようで、自分がどこを歩いているのか全く解らなくなった。また引き返そうと振り返ると、さらに二叉である。

 スマホは圏外で地図ソフトが使えない。

 本格登山で道に迷ったら「とりあえず上を目指せ」と言われているが、今いる所はエリアとしては初心者向けの高度で、穏やかな上り下りでどっちがどっちか解らない。

 立ち止まる訳にはいかない。絶望に襲われつつとにかく足を動かしていたら、家が見えた。

 一軒家である。怪しい。

 近づいてみると、廃墟のようだ。怪しいだけじゃない、怖い。

 入りたくないので家の前を通り過ぎようとしたら、表札があった。ちゃんと読める。え?まさか人が住んでいるの?

 まさかね、とは思うのだが、一縷の望みをかけてドアをノックする。何の返事もない。しばらくノックし続け声もかけ続けるのだが、何の返事もない。

 やはり廃墟か、と離れようとしたが、ドアのちょうつがいが壊れていることに気がついた。

 あれ?とドアノブを引いてみるのだが、こっちは鍵が掛かっている、しかしちょうつがいは外れるので、鍵が用を為していない。

 開くのか?とちょうつがいの方に両手を添えて引いてみると、体一つ分の隙間が開いた。

 半身を入れてみる。

 家の中は窓からの明かりでよく見えた。暗くなければ怖さは半減する。中に入ってみようか、このまま通り過ぎるべきか。

 歩き続けても道が解らないのだから、中には地図があるかもしれないという思いが浮かび、入ってみることにした。

 ドアは本当に用を為していないのだが、そのぶんこれ以上壊したくないので、大きな力をかけず、現状維持に止めるようにした。

 日の光がかなり入っているので、単に引っ越しをして無人だという感じだ、靴を脱ぐ気になれず土足で申し訳ないのだが、何か情報はないか探してみる。

 古いテレビだの食器だのが目につき、古い雑誌なんか見つかる。生活感はあるのだが、地図なんかは見つからない。

 家の中を探検していると、電話があった。黒電話である。

 少し考えて、受話器をとったら「ツー」という音が聞こえる。

 え?電気来てるの?と驚いたが、いや、黒電話は電話線で電気を採っているんだっけ、電力会社が停電しても電話は繋がるんだっけ、コンセントが必要なのはファックスや留守番電話とか、そっちのほうだっけ。

 いや、だったら電話の基本料金、この家の人が払っているのか?今現在は誰も住んでいるとは思えないのだが、これでも住んでる人がいるのか、支払い続けているのだろうか。

 百十番にかけてみる。家族や友達に電話しても、ここまで来てもらうのは大変だし、この家の人に電話代を押しつけるのは申し訳ない。

「はい百十番です。事件ですか?事故ですか?」

「すいません、山で道に迷ってしまいまして電話したんですけど、百十番でよかったんでしたっけ?」

「はいかまいませんよ、今どちらにいますか?」

「○山の×さんのお宅です。誰もいませんが…」表札の名前を思い浮かべながら言う。

「あー、はいはい、そこですか。すぐに警官を向かわせますが、ちょっと時間がかかります、それまでどこにも動かずそこにいてくださいね」

「はい、よろしくお願いします」

 電話を切る。

 …ちゃんと警察に繋がっているよな?実はおっかないところに繋がってはいないよな?不安になるが、もう一度かけたって意味がなさそうだ、この場所を知っているふうなのが“よくあること”なんだと思うようにしよう。というか、この家は道に迷った人向けに維持されているのか?解らんな。

 どこにも行かないでと言われたが、確かに周辺を歩いているうちに警官が来て「誰もいない」と思われたらたまったもんじゃないな、家の中で待とう。

 お日様の力は偉大だ、廃墟だかなんだかわからないが、清浄なところだという気がしてくる。椅子に座って古い雑誌をながめ、時計を見て、まだ三十分も経っていない。

 なんかないかなーと家の中をまた探っていたら、台所の床にハッチがあった。

 床下収納か?と開けてみると、梯子があって、地下室への入り口になっていた。

 何があるんだ?気になるが、怖いから降りる気にはなれない。ハッチを閉めようとしたら、なんだか下から音が聞こえた。

 ゴンっという音と振動が伝わってきた。

 なんか倒れたのかと思ったけど、少し間があって、またゴンっと音と振動が来た。そんなに大きい音と振動ではない。

 何かいるのか?

 どうしよう。

1.下に降りる

2.声をかける

3.ハッチを閉めて警察が来るのを待つ

 …1.にした。

 玄関の見える所に「台所の地下にいます」と書いた紙を貼り、ハッチが何かの刺激で閉まらないようにちょうつがいの所に物を咬まし、デジタルカメラを胸ポケットに入れて梯子を下りる。懐中電灯もライターも持ってなくて、明かりはこれしか持ってないのだ。

 体感としてアパート一階ぶん降りると、地面に足が着いた。

 なんとか上からの光が届くぶんで、左手に短い通路があって、右に曲がるのが解る。梯子の脇に電気のスイッチがあるが、押しても電気は点かない。

 降りているときも音はしていたし、曲がり角で顔を出すタイミングを計っているときにも、等間隔でゴン……ゴン……という音がしている。

 ゆっくりと顔を出して曲がり角の向こうを覗いてみるが、やはり光は届いていない、真っ暗だ。

 何かいるんだろうか?それともどこからか風があって、何かが定期的にぶつかっているのだろうか?

 思い切って全身で曲がり角を曲がってみる。

 おそるおそる進んでみると、大きな格子があって行き止まりになっている。触ってみると鉄格子だ。音はその向こうから聞こえてくる。

 おそるおそるさっきの角に戻り、デジカメのスイッチを入れてフラッシュのチャージをする。電池が満タンなのは非常に心強い。

 チャージが完了し、また鉄格子まで音を立てないように近づき、鉄格子の向こうにシャッターを押した。

 一瞬だけ向こうの状態が解った。

 一瞬でじゅうぶんだった。

 座敷牢だ。

 中に人がいるのだが、私にはゾンビにしか見えなかった。

 中の人は壁に頭をぶつけていたのだ。

 そして私に気がついたのだろう、間があって、鉄格子の向こうから手が伸びてきた。

 もちろんもう鉄格子と距離を取っている。伸びてきた腕が無茶苦茶に酷い色で、私に縋り付こうと懸命に伸ばしてくる。

「あ、あ、あ、あの、どうしたんですか」

 間が抜けたことしか言えない。見た感触がゾンビであっても、実は重病人かもしれない。ここに閉じ込められて絶望していたのかもしれない、しかし返事はなかった。

 必死になって腕を伸ばしているだけだ、何も言ってこない。

 曲がり角の壁に背をつけ、またデジカメのフラッシュにチャージをし、この距離でシャッターを押した。

 また一瞬だけ状況が解る。

 目に黒目がないのは光を反射したからか、着ているものがぼろぼろになっているのは腕だけか、伸ばしている手は助けを求めているのか、とてもそうには思えないが、怖いからそう見えているだけなのかもしれない。

 とにかく向こうは何も言ってこない。三枚目を撮る気にはなれず、廊下を戻って梯子を上った。

 台所に上がってハッチを閉め、テーブルとか重くて広いもので蓋をし、デジカメを再生する。

 液晶画面が小さくて明確には解らないのだが、鉄格子の左下が出入りの扉になっているように見える。確認をしに戻る気にはなれないし、あの人がそこに気がつかないように祈るしかない。

 玄関から私を呼ぶ声がする。警察の到着だ。

 すっとんで行くと、若い警官と年配の警官の二人だ。

 私を確認すると若い方が

「あんたねぇ、勝手に人の家に入っちゃ駄目だろう!器物破損とか盗難とか訴えられても仕方がないんだよ!」

 いかにも(面倒な手間かけさせやがって!)であるが、年配の方が

「まぁまぁ、仕方がないよ、道に迷ってパニックになって、迷いに迷ったうえで入ったんだろうからさ、そんなに言ってやるなよ」と取りなしてくれた。

 あ、これは“言外の意を汲め”だ。この家の人から文句を言われたり訴えられたら、ただひたすらに頭を下げながら、緊急避難で仕方がなかったで押し切れという、この二人なりの忠告だ。

 すいませんすいませんと頭を下げ続け、若い方の怒声をひたすらやり過ごし、ようやく「じゃ行きましょうか」となる。

「あの、この地下に、人がいます!」

 二人は一瞬固まるが、若い方が

「あんた、家の中うろうろしてたのかよ!」とまた始めようとするが、年配の方が制する。

「人がいるって、確かですか?」

「ええ、監禁されているようです」

 二人を台所まで連れて行って、重しをどかし、

「このハッチの下です」

 二人は顔を見合わせ、年配の方がハッチを開けた。そしてすぐ若い方に

「おい、懐中電灯持って来い」と命じた。

 若い方はすぐ外に向かった。

 その間私は年配の方にデジカメの映像を見せ、

「病人かもしれませんが、ゾンビかもしれません」と注意を促す。

 年配の方も怪訝な顔をするが、デジカメの画像を見せられるとまともな事件ではないことを感じたのだろう、歯を食いしばって何かを考え込んだ。そこで私は一応、物語のゾンビだったら咬まれてはいけないこと、病気を移されるようにゾンビの菌を移されて恐ろしいことになると説明する。今の時代は年配者はゾンビの知識をどれだけ持っているだろう?

 私の言葉を笑ったり怒ったりすることもなく、真剣な目で聞いてくれる。

 若い方が持って来た大きな懐中電灯を受け取る。下に降り、すぐ戻ってきて

「おい、応援を呼ぶぞ」と若い方と私を促して外に出た。

 歩きながら「咬まれたり引っかかれたりしてませんよね?」と聞くと、一言「大丈夫」と返してきた。

 外に出てパトカーの無線で応援と救急車を呼び、

「応援が来るまであなたにはここにいてもらわないといけません、第一発見者ですから状況を聞かないといけないんです。お時間は大丈夫ですよね?」

 大丈夫ですよね?と言いつつ有無を言わさぬ力強さだ、もちろん頷く。

 思ったより早くパトカー二台と救急車が到着した。

 年配の方が来た警官に状況を説明し、救急の人に真剣な顔で普通の相手ではないことを強く言い、私の調書を取るべく若い方と私に、パトカーに乗るよう促した。

 調書は簡単だった。

 道に迷ってあの家に着いた、疲れて帰り道が解らないからあの家に入った、百十番にかけた後で音と振動を感じた、下に降りたら人がいた、文字にしたら、これだけだ。

 他人の家に勝手に入ったことは事実なので、「これから注意して下さいね」という“厳重注意”で終わった。

 あの人がなんだったのか、どうなったのかは教えられることもないのだが、行楽シーズンであの山が変わらず話題になっているので、なんとか解決したんだろうと思っている。

Concrete
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