以前一年間だけ住んでいた家が、結構なお化け屋敷でした。
その家には両親と私、離婚して出戻ってきた姉とその五歳の息子の、五人で暮らしていました。古い家だったのでもう取り壊してしまい、今はもうただの空き地になっています。
ありきたりな話ばかりなのですが、その家の話を少しさせてください。
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《廊下》
その古い家は、玄関を開けるとまっすぐ廊下が伸び、廊下の両脇に部屋が並んでいる造りでした。
玄関から見て左側に居間と台所。右側にそれぞれ十畳と八畳の和室。廊下の突き当たりが洗面所で、洗面所の左側に脱衣室と浴室、右側に二階へ続く階段がありました。
私の部屋は二階でしたが、よく一階の十畳の和室で、甥を寝かしつけることがありました。
和室と廊下は障子で仕切られていました。甥と布団に入ると障子越しに廊下の明かりが差し込み、向かいの居間で父が観ているテレビの音声がぼんやりと聞こえてきて、なんとなく幻想的な雰囲気でした。
そんな時に誰かが廊下を通ると、座敷からは影絵のように見えて面白かったのですが、時々、奇妙なものも障子に映ることがありました。
ある時、二十センチほどの人型の影が、こちらを覗き込むようにして障子に張り付いているのに気がつきました。
私は最初、甥がお気に入りのウルトラマンの人形で悪戯をしているのだと思いました。ちょうどそんな感じの影だったのです。
「上手上手」と受け流そうとして、背中に悪寒が走りました。
甥は私の隣で眠っていたのです。
影は本物の人形のように手足をカクカクとぎこちなく動かしながら、障子の桟を伝って左右を行ったり来たりしていましたが、やがて消えてしまいました。
その他にも、子供が毛布を被ったようなシルエットのなにかが、ゆっくり玄関から家の奥へ向かっていったこともありました。
障子を開けて影の正体を確かめることなどとてもできず、いつも見つからないように布団にくるまってやり過ごしていました。
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《台所》
台所を仕切っていたのは母でした。料理上手で、毎日手を替え品を替え私たちを楽しませてくれていましたが、やはり時には用事があり、「食事は各自調達ね」という夜もありました。
姉は忙しさを、私は料理下手を理由に台所に立つことはほとんどなく、いわんや父をや。「各自調達」の日は、台所はお湯を沸かす程度の調理(?)しかなされませんでした。
そんな私たちを見かねたのでしょうか。
いつの頃からかそんな日は、台所中にカレーの匂いが漂うようになりました。
「いい匂ーい」
「ママ、ぼくカレー食べたい!」
「よし、明日おばあちゃんに作ってもらおうね」
あのカレーの香りは「お前ら自分で作れよ」という何者かのメッセージである、という気は当時からしていたのですが、結局私がその家で、なにかを料理することはありませんでした。
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《寝室》
その家の二階には、八畳ほどの洋室が二部屋ありました。ちょうど、一階の二つの和室の真上にそれぞれ位置するような造りです。
奥の部屋を物置として、手前の階段側の部屋は私が寝室として使っていました。
この部屋では、時折おかしな夢を見ていました。
眠っている私の真上に、甥と同じくらいの年齢に見える女の子が浮かんでいます。
その子が私に言うのです。
「ねぇ、にらめっこ、しよう」
なんだかよくわからないまま、女の子は「にーらめっこしましょ、笑うと負けよ」と歌い始めます。
「あっぷっぷ!」
そこでいつも目が覚めていました。
大して怖い夢ではないはずなのに、いつもびっしょりと汗をかいていました。
何度かその夢を見ましたが、結局「あっぷっぷ!」の先を目にすることはできませんでした。
きっと、それでよかったのだと思っています。
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《浴室》
姉は看護師で帰りが遅くなることも多かったため、甥と一緒にお風呂に入ることがよくありました。
浴槽の脇の壁には、呼び出しボタンが付いていました。入浴中に気分が悪くなった時などに押すアレです。甥がまだ小さい時などは、お風呂から上がる際にそれを押すと母か父が甥を迎えにきてくれて、体の拭き上げや着替えを手伝ってくれていました。
五歳ともなれば見守り声かけだけで十分上手に着替えができるのですが、悪戯盛りの甥はよくふざけて呼び出しボタンを押して遊んでいました。
私は、家に誰もいないとわかっている時にその呼び出しボタンを押されるのが、とても嫌でした。
誰もいないはずなのに、浴室に迎えに来る足音がするからです。
スリッパで廊下を歩くパタパタという音、カラリと脱衣室の引き戸が開かれる音。
一度、うっかり脱衣室を見てしまったことがあります。
誰かはわからない、でも家族の誰でもない誰かが、まるで待ち構えるようにタオルを両手で持って佇んでいる姿が、浴室のすりガラスに映っていました。
なのでそんな音がするときはいつも、私は甥と顔を見合わせ、一言も喋らずに浴槽に身を隠して、脱衣室の気配が去るのを待つしかありませんでした。
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さて、なぜこんな家に住んでいたかというと、実家をリフォームする際の仮住まいとして、親しくしていた近所のおばあさんにご好意で貸していただいていたのでした。
「もうあの家も最後だろうから、使ってやってよ」
当初は半年ほどの予定だったのですが、なぜか工期が延びに延び、結局一年間も怪現象に悩まされながら暮らしていたのでした。
もちろんおばあさんに何度も相談しましたが、その度に「悪さはしないから、大目に見てやってよ」とはぐらかされるばかりでした。
実際怖い思いは何度もしましたが、体調が悪くなるなどの実害はありませんでした。また、幼い甥はほとんど怖がることがなく、どこか怪現象を友達のように見ている節もありました。
私たちが離れると、すぐにその家は取り壊されました。
新しい家ではおかしなことは起きることはなく、穏やかに過ごしています。
ただ、甥がなにもない空間に向かって楽しそうにおしゃべりをしていることがあるのが、時々気になるのですが。
作者カイト
「カラス」のシリーズが不気味なほど筆が進まず、気分転換に書いてみました。