長編10
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押された理由③

それからの事は、目まぐるしいのと慣れない事の連続だった。

救急車と警察がけたたましいサイレンと共に到着すると、キャンパス内は騒然とした。

規制線が張られ、野次馬が大勢集まっている中、雪沢の体を乗せたストレッチャーが運ばれていった。警察に付き添われる私の前を通り過ぎる時、救命士の1人が「なんだよこれ…」と言うのを聞いた。

発見した時、雪沢は意識が無く、白目を剥いて身体を痙攣させていた。痙攣の衝撃で、ピキッ、パキッ…と関節か何かから音がして、その度に「むーっ」「んーっ!」と呻き声を上げていた。

私達は警察の案内で3号館の空き教室に連れて行かれ、聴取をされた。中でも私と長屋と松田の3人は、1か月前の出来事から全て、1から話さなければならなかった。

悪い夢でも見てるんだけなんじゃないか…と思いたくなる。およそ1ヶ月の間に、2回も警察のお世話になるなんて思っても見なかった。そして何より、父や神田さん、学生課の田中さん、友人の麻衣と梨花…皆を巻き込んでしまった事が苦しかった。

私があの時、走ってくる雪沢に気づいていたら、ちゃんと避けていたら、興味本位で裏道を覗かなければ、こんな大事にならないで済んだかもしれない。私のせいだ。

聴取が終わって解放されても、重苦しいものが渦を巻いて、心臓をキリキリとを締め付ける感覚が抜けなかった。

「…帰ろう」父に肩をそっと叩かれて、裏門から出た。すると、見覚えのある色の車が視界に入った。

「紗也!」「お姉ちゃん!お父さん!」

母と妹が、車の前で待っていた。

後部座席で俯いたままの私を気遣ってか、母も妹も父も、帰りの車中何も話さなかった。

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携帯のアラームが耳元で鳴り、目が覚めた。

体を起こすと、目線の高さにあるカレンダーが視界に映り、ここが自室のベッドの上だと気づいた。

いつの間に寝たんだろう…昨日の車中から、今までの記憶が殆んど無い。

時計を見ると既に午前10時を過ぎていた。部屋から出てリビングに行ったが、皆出掛けたのか家には私以外誰も居ない。ふとダイニングテーブルに目を向けると、紙切れが1枚置いてあった。

「おはよう、冷蔵庫にご飯があるから食べてね」

そう一言だけ書かれた、母からのメモ書きだった。

それを見てやっと、昨日の昼からロクに食べていなかったと気づいた。着替え、冷蔵庫にあったご飯を食べる。口に頬張りながら、私はいつの間にか泣いていた。

もういい歳なのに、自分の事で周りを巻き込んでいる─────しかも父まで当事者にしてしまった。さすがに黙っている訳にはいかない。帰ったら、洗いざらい話そう…そう思っている時、梨花から電話が来た。

梨花は、サークルの子達から噂の出所を聞いてくれていた。そしてその中の1人の女子が、事件の時向かいのホームに居て、事件を目撃していた事が分かった。

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その子は1個下の後輩で、学部もキャンパスも違うのだが、バイト先の居酒屋によく大勢を引き連れて、座敷で騒いでる男(雪沢)が偶然居るのに気付いたそうだ。

彼女は最初、「閉店まで騒いでた奴だ…」と遠目に見ていたのだが、ふと次の瞬間、男がいきなり走って行ったと思ったら女性を押し倒して、他の乗客や駅員に取り押さえられる所を目の当たりにしたのだという。

彼女はそれを「ちょっとヤバイの見ちゃった…」と、親しい同級生にだけメールで言ったのだが、気が付くとSNSを経由して知らず知らずのうちに広まっていた…と梨花に話してくれたそうだ。

その子は、軽い気持ちで言ってしまった事をかなり後悔していて、私に謝りたいとまで言っていたという。だが梨花の話を聞いて、彼女にはそもそも悪意も、拡散する気も無かったと分かったから、「大丈夫だと伝えて」と答えたのだが、受話器の向こうの梨花は、どこか納得がいっていない口ぶりだった。そして、

「ねえ、紗也。事件の時…ホームで待ってた時、背後には誰もいなかったんだよね?」そう言ってきた。

突然そんな事を聞かれて一瞬戸惑ったけど、あの時あの乗車口で待っていたのは私1人だけだったし、だからこそ雪沢に押し倒されたのだ。私は、警察にも言った通り、1人だったと梨花に伝えた。

すると梨花は、ちょっと安心した様に、

「そうだよね…!いや、あのね、その後輩が言ってた、雪沢に押された人の恰好が何か…違うなって言うか。紗也スカート履かないじゃん?だから、それは見間違いじゃない?って言ったんだけどさ…」

後輩が見た「雪沢に押された女性」は、セミロングの黒髪で、白のカーディガンと緑色の膝丈のワンピースかスカートを着ていて、白いヒールを履いていたそうだ。

私がその時着ていたのは、ジーンズにパーカーだ。そもそもスカートなんて高校卒業してから1度も履いていないし、ヒールなんて履いたことも無い。

「私それ聞いてさ、信じられなくて…そしたら、写真撮ってないから確かめようが無いけど…間違いないって───」

「後輩…もしかして何か見える子?」と試しに聞いてみたが、「まさかー!」と返され、最後は「後輩の見間違いかも?」という未消化の結論のまま電話は終わった。

結局この日は、昨日の事もあって大学には行けなかった。家族が帰宅し、私は父とこれまでの事を全て打ち明けた。事件の事も、約1か月登校拒否していた事も。

妹はショックを隠せない様子だったけど、母は父からあらかた聞いたのか、「無理に行かなくていい」と言ってくれた。

父は…雪沢の無残な姿を見たからだろう、

「もう、あいつの事は忘れた方が良い。もう終わったんだ。もう怖がらなくていいんだ…でもな、今度また何かあったら、すぐ俺に言ってくれ」

そう私に向かって言った。そうだ、もういいんだ。あいつが手を出してくることは無い。

このまま皆、忘れてくれれば…また普段の、日常に戻れる。そう信じる他無かった。

そして、休日を挟んだ翌週から、私は大学に復帰した。

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ネカフェで自習していたとは言え、ほぼ1ヶ月分の勉強の遅れは思いの外あって、私は講義の後、麻衣からノートのコピーを貰って、溜まっていたレポートや課題を片付ける必要があった。

しかし、教室から図書館まで移動していた時の事だ。途中喫煙所で男女数人がたむろしているのが見えて、そのまま通り過ぎようとしていたら、女子の1人が私に気づくなり、「あっ!」という顔をしたと思うと、急いで煙草を消して私の方に向かってきた。そして、

「ねぇ、あんたって雪沢に押されたって子だよね?」

と、詰め寄ってきた。

突然寄って来られて、思わず後退りしてしまった。そして私のキョドる様子が見えていたのだろう…喫煙所にいた男子の1人が、「ちょ、マジ声デカいって!(笑)」と言いながら、残りの数人を連れてこっちにやって来る────

思い出した。雪沢といつもつるんでた人達だ。

「ごめんね~こいつ圧が半端ないっしょ(笑)悪気は無いんだわ!」

「ね、この子なの?雪沢と何かトラブったって子」

「ちょ、言い方~(笑)」

次から次へと、私と彼女を囲んで言葉が飛んでくる。何で?もしや逆恨み…?雪沢の次は、私はこいつらの餌食になるのか…?恐怖で逃げたくなった。

そう思っていたら、

「ちょっと!お前ら周りでギャーギャー言うからビビってんじゃん!黙っとけよ!」

目の前にいた、私に詰め寄った女子が、周りの仲間に向かってそう声を張った。

「急に来たからびっくりしたかもだけどさ、雪沢の事、何か知ってんでしょ?私らもさ、学校来たらあいつ来てないし、病院送りになったって聞いてさ。色々調べて、あんただったら何か知ってんじゃないかって。ちょっとさ、時間ある?付き合ってよ」

ユミカ(仮名)と名乗った、雪沢の仲間の1人からそう立て続けに言われ、私は図書館とは逆方向に連れられてしまった。

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食堂の一角の、6人掛けテーブルの椅子に座ると、私の両側に男女2人、向かいにユミカと男子2人が座った。

ただでさえ見た目がチャラい。それに加え、雪沢の仲間だ。こういう雰囲気の人達に対する耐性は殆んど無いし、お互いに関わることも、仲良くなる事も全く無いだろうと思っていた。

全員の香水の臭いが混ざって、何とも言えない気分になる。

チャラ男「原田ちゃんだっけ?あいつと…雪沢とは面識無かったんでしょ?酔っていきなり押すとかあいつもな~」

ギャル「雪っち酒癖悪いの前からなんだけど…まさかって感じで。あたしらと旅行行けなくて拗ねて、ずっと酒浸ってたとばっかり思ってたんだけど(笑)」

チャラ男2「あ、俺達ね、2泊3日位で旅行してたの。で、雪沢も来るはずだったんだけど、なんか『やることある』つって来なくて。俺ら気になって、旅行先からリア充アピールも含めて(笑)連絡したんだけど、返事来ないし電話出なくて。帰ってきてから、あいつの家も行ったけどいないし」

チャラ男2「なんでドタキャンしたんだろな?それに最近になって機嫌悪かったよな、急に」

ギャル「その『やること』ってのが、原田ちゃんに対する事だったのかなって。あたしら雪っちに会って確かめたかったんだけど、病院だって聞いて、どうにもなんなくてさ」

ユミカ「…あいつ、見ての通り超目立ってたじゃん?でもさ、1年の頃はあそこまでチャラくなかったの。てかむしろボッチだった。でも、サークル入って、うちらとも付き合うようになったら、結構明るくて面白い奴で、だから一緒にいたんだよね」

ギャル「あたしらはサークルとか入ってないから、どんな活動してたとか、全部は分かんないけど、雪っちのサークル、ほぼ飲みサーで先輩達もだいぶチャラいよね。だから、良くも悪くも色んな先輩達に感化され過ぎたみたいでさ…」

チャラ男「最初はさ~、遊ぶとか飲みとか、一緒にしてたんだけど、2年になって幹部的なポジションなってから、サークル寄りになって調子乗り始めてさ…もう勧誘て言うか、ナンパだよねナンパ!(笑)まあ先輩に可愛がられてたし、しゃーねーなって思ったけど」

チャラ男2「な!キャバクラでも作るんですかって勢いだったよな(笑)」

私「…でも、仲良さそうでしたよね?いっつも広場とか、ここ(食堂)とかで騒いでたし…」

ギャル「まあね、学科一緒だし?てか雪っちがあたしらを見つけて声かけてくんの。一応友達だし同期だし、あたしらの事、忘れてないんだなって。でも、さすがにあのノリには正直引いたよ…」

チャラ男「俺らもクスリやってんじゃね?って、噂信じてたのよ。ありゃ痛いレベルだわ」

ユミカ「ちょっとうちらでも止めらんない位でさ…『最低限』のルールとか、モラルなんかも、分かんなくなってた。とにかくテンションアゲて、その場しのいでる感じ。長屋も松田も、早めに離れてれば良かったのにね」

私「あの…長屋君と松田君連れて、あの、奥の芝居小屋行ってたってのは…知ってたんですか?」

ユミカ「それはね、こないだ2人から聞いた!てか聞き出した。あの2人を召使いみたいに扱い始めたあたりから、うちらも雪沢とは距離置いてたの。もちろん2人にも言ったよ。でも真面目でさ…同期のよしみだから、放っておけないって」

私「そうですか…」

ユミカ「あ、さっきから気になってたけど、うちら同期なんだしタメ語でいいから!」

雪沢の言っていた『やること』って何だったんだろう…?私を探すこと?押し倒すこと?

全く分からない。私が押された本当の理由は。雪沢は一体何を考えていたんだろう。あんな姿になるまでに、一体何があったんだろうか。考えれば考える程、頭が混乱しそうになる。

ギャル男「ねえ、ほんとにこの子にあの事言っちゃうの?見るからに耐性無さそうだけど…」

ギャル男2「てか俺らでも見るの勇気要るよ…?ワンチャン逃して、『お気に入り』も無い時の最終手段的な…」

ユミカ「ちょっと黙っとけ、粗チ〇コが!」

ギャル男「…サーセン。でもひどいお(´;ω;`)」

私「……何ですか?」

ユミカ「原田ちゃんさ、『裏ビデオ』って分かる?」

そう言って、ユミカは某ブランド物のショルダーバッグから、DVDのケースをコピーした紙を取り出して、目の前のテーブルに置いた。

ギャル「うわあ…マジか」

ユミカ「雪沢達が観てたDVD、特にAVはさ、雪沢がサークル伝いにどっかから借りてきたやつだったんだって。しかも無修正とか、マジの盗撮系のやつ。俗に言う裏ビデオってやつだよ。これ、松田が持っててさ。雪沢これ見た後、何か様子が少し変だったって言ってたよ」

私「え…私、つい先週2人から色々聞いたけど、そんな事までは話してなかったよ!?」

ギャル「そりゃそうでしょ、裏ビデオって確か違法だよね?パクられると思って、さすがに言えなかったんじゃない?」

ユミカ「様子が変ってことは、何か手掛かりあるんじゃないかなって思って。ね!よく見て」

裏ビデオのジャケットが印刷された紙を、ユミカは私の方に近づけた。

それは複数本立てになっているビデオらしく、無修正の卑猥な格好をした女性たちや、更衣室を盗撮したであろう写真が載っていた。

「見た感じ、普通のAVのジャケットと変わらない気が…」

と言いかけた時、私の視界にふと、ある女性が目に入った。

どこかの部屋で、これから行為に及ぶであろう女性の姿も何人か写っている。その中の1人に、ベッドに腰かけて、窓の方を見ている人物がいた。

それは、セミロングの黒髪で、白いカーディガンを羽織り、緑色のワンピースを着た、女性の姿だった。

梨花の後輩が見たという────雪沢が押し倒したという女性の特徴そのものだった。

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