『天皇家誕生』
~イワレヒコの東伐日記~
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山幸彦の息子と育ての乳母が何戦か交えて生まれた子たちの中の四男坊にワカミケヌがいました。
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ワカミケヌが15歳で皇太子になったのを機に、ワカミケヌからカムヤマトイワレヒコ(以下、イワレヒコ)に名前を改めます。
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そして、イワレヒコが45歳の苦み走ったオジサマになった頃、
「ここ、だいぶ端じゃね?」
と、ようやく気がつき、東へと遠征を始めます。
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なんでも、東の地はとてもキレイな所で、立派な山もたくさんあるという話を聞いたのもキッカケになったようです。
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そこで、東伐軍を率いたイワレヒコは出雲へと渡り、東へ東へと進軍します。
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途中で兄が溺死したり、血で血を洗う数々の熱い死闘を繰り広げたりしながらも、領土を徐々に拡大していきました。
なかなかのやり手です。
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まずまず順調だった中、イワレヒコが畿内の辺りまで進んだところで、
戦いに明け暮れる毎日に嫌気が差したのか、はたまた連戦に継ぐ連戦で疲れたのか、進軍が上手くいかなくなりました。
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それを見ていたアマテラスが、子孫が困っていることを腹心の部下タケミカヅチに相談すると、
「お任せください」
と、頼もしいタケミカヅチは熊野在住のタカクラジの夢枕に立ち、
「お前に剣を預けるから、それをイワレヒコに献上せよ」
と、布都御霊(ふつのみたま)という霊剣を押しつけました。
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イワレヒコに直接あげた方が早いのに、何故か間にワンクッション入れちゃうあたりがお茶目さんです。
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とにかく、他者を介して布都御霊を手に入れたイワレヒコの軍は、
「ファイト一発!」
とでも叫ばんばかりにバイブスがブチ上がりました。
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さらに、アマテラスが何故か足が三本生えているミュータントクロウの八咫烏(やたがらす)を道案内役として送り込み、
八咫烏の的確な案内もあって、東国平定は大成功に終わります。
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そして、イワレヒコは倭国(やまとのくに=今の奈良県の辺り)に宮(みや=天皇の住居)を建て、
名前をハツクニシラススメラミコトと改めて、日本国の初代天皇になりました。
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あれ?神武天皇じゃないの?
と、思われたかもしれませんが、神武天皇というのは、だいぶ後になってから付けられた諡(おくりな)なんです。
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このハツクニシラススメラミコトが初代天皇として即位したのが神武天皇元年の1月1日。
それを現在使われている暦に直すと、2月11日になり、これが今の建国記念日というわけです。
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ちなみに、『スメラミコト』は『天皇(皇尊)』と書き、スメラミコトの呼称は
『特定の天皇や今上天皇(きんじょうてんのう)を指す言葉として使うのが適切である』
と、明治天皇の玄孫(やしゃご)で、ラーメン屋さんもプロデュースされている竹田恒泰さんが言ってました。
続く?
作者ろっこめ
たくさんの皆様のありがたいコメントをいただき、古事記の中巻(なかつまき)編を開始します!!
ここに来て、ようやく天皇家が誕生するわけですが、真ん中まで来るのが遅すぎワロチッチでしたね。
中巻からは系譜がかなり出てくるので、大したことをしなかった天皇は、容赦なくナレ死扱いされます。
ここでも飛ばしに飛ばして興味深いエピソードのみを取り上げ、わかりやすく解説していきたいと思います。