熊本県。
皆川さんが小学生のころ、自宅の一階にいると。
二階から
《ドスン、バタン、ガタン》
と尋常ではない音が響いてきた。
巨大なハンマーで、壁を殴り付けているような音である。
しかし、そのとき家にいるのは自分と母だけのはずだった。
台所で家事をしていた母に
『二階でへんな音がする』
と言うと
『ああ、仏壇を壊すことにしたから。のむらさんに頼んだの』
と、事もなげに返してきた。
確かに、音が鳴っているのは二階、仏間のあたりである。
あれは、仏壇を破壊している音らしい。
しかし皆川さんの祖父母から受け継いだ家と仏壇であり、父母ともにそれなりには信心もある。そんな話は初耳だった。
なにより、《のむらさん》という名前にまったく聞き覚えがない。
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『のむらさんって、だれ?』
と訊くと
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『のむらさんに頼んでるの。仏壇はもう壊すから』
とまた同じ調子で繰り返した。
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二階の音はだんだんと大きくなり、家自体が揺れはじめるほどになった。
母にもう一度声をかけようとしたが、台所に立つ後ろ姿がいつもとは違う禍々しいものに見える。
皆川さんは家から出て助けを求めようと、玄関へ向かった。
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『ただいま』
そのときちょうど扉が開き、父が帰宅した。
泣きながら父にすがりつき事情を説明、一緒に台所へ向かうと、いつも通りの母が
『なんで泣いてるの』
と呆れて訊いてきた。
母は
《のむらさんなど知らないし、二階から音などしていない》
と主張した。
そもそも、母は何度か皆川さんに話しかけたものの、返事がないので寝ているのだと思っていたーーと、互いの意見が食い違った。
ともかく、例の音はうそのように静まっている。
三人で恐る恐る二階へ上がり様子を確かめたが、部屋はいつも通り。
ただ、仏壇には一ヶ所、強く殴り付けたようにへこんだ箇所があった。
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なぜその日、何者かが仏壇を破壊しにきたのかは判らない。
可能なかぎり調べたが、皆川さんの祖先に《のむら》という姓名は存在していなかったという。
たった一度きりのことである。
作者退会会員