大学三年生の春の話だ。
その日は、僕の所属する福祉学科の新歓コンパだった。
駅近くの学生向けの居酒屋で、一人三千円の飲み放題。水っぽいチューハイで出来上がった新一年生を肴に盛り上がったコンパは、二時間ほどでお開きになった。
二次会に行くメンバーを集める声を背に、僕と友人のオイちゃんは帰路につく。
僕は酒に強い方ではなく、こうした飲み会はいつも一次会で帰っているのだけれど、飲み会好きで底なしのオイちゃんが早々に帰るのは珍しかった。
「もう帰ってよかったんだ?」
線路沿いの暗い道を歩きながら隣にそう訊くと、「めんどくせーんだよ」と溜息混じりの返事があった。
オイちゃんがなにをめんどくさがっているのか、それがすぐにわかって僕は白けた気分になる。
コンパの席でオイちゃんの隣に座っていると、一年生女子たちの熱い視線の余波が、嫌が応にも伝わってくるのだ。トイレに立った時は隣の女子トイレから「あのアッシュグレイに染めてる先輩、かっこよくない? 隣の人はオタクっぽいけど」と二重に凹ませてくれる声も聞こえてきたりもする。
オイちゃんは、別に女嫌いなわけでも硬派を気取っているわけでもない。ただ、他の女に目移りしようものなら額に角を生やさんばかりの恐ろしい彼女が、常に隣でとぐろを巻いているのだ。
「モテる男はつらいねぇ」
半ば嫌味、半ば本気でそう言うと
「キタだって、そのウザい前髪切ればモテるのに」
とお返しされた。
前髪で左目を覆い隠すという僕の髪型は、ウザいとかオタクと呼ばれることも多い。僕自身もその通りだと思う。
それでも、そうせざるを得ない理由があった。
僕の左目は、普通は見えない不可思議なものたちを、僕の意思に関わらず映してしまうのだ。
それは、幽霊とか妖怪とか思念とか呼ばれる類のもので、僕を怖がらせ驚かせるものがほとんどだった。左目の視界を塞げばそれらが見えなくなるのなら、喜んでオタク呼ばわりされようと思えるほどに。
「しょうがないだろ」
と唇を尖らせると、「お互い苦労するよな」とオイちゃんは訳知り顔で言った。
その時だった。
ザッザッ
ふと、耳に届く音の中に違和感を覚えた。
ザッザッザッザッ
靴音が聞こえる。僕たちと同じくらいのスピードで、少しずれたタイミング。
僕らの前を歩く人はいない。
チラリと後ろを振り向く。時間は二十二時を回っており、さほど遅い時間ではないものの、街灯もまばらな田舎の線路沿いの小道を歩く人影はなかった。それでも、足音は一定のペースで続いている。
僕とオイちゃんは目配せをしあい、息を合わせて道の端に避けた。
ザッザッザッザッ
本体の見えない靴音が、僕らの前を通り過ぎていく。
それと一緒にボソボソとした会話も聞こえた。
「………よかったんだ?」
「めんどくせー……」
「モテ………ねぇ」
「…だって………のに」
覚えのある会話に、僕は息を呑む。そっと左目を覆う前髪をかき上げようとして、オイちゃんに止められた。
「やめとけ」
いつになく緊張したようなその横顔に、僕の手は止まる。
少しだけ隙間が空いた前髪の間から、見慣れたスニーカーがチラリと見えた。
やがて靴音は遠ざかり、なにも聞こえなくなった。
「今のなんだったんだろ」
「…知らねーけど、知らねーままでいいと思う」
不可思議なものを映す左目で異界を覗いたつもりになっていても、それは実は何万分の一にしか満たないのだと思い知った気分だった。僕の知り得ない、知る必要のないものが、異界をはみ出てこの世に溢れている。
僕らはその後もしばらく、その場に佇むばかりだった。
作者カイト
お久しぶりです。
あまり怖くはない話ですが、よかったらご覧ください。
ちょっとしたスランプに陥っており、全く筆が進まない状態です。いつも読んでくださる方には申し訳ないのですが、しばらく勉強も兼ねてお休みしようと思います。
みなさんが忘れた頃に復帰するかもしれません。その時はよろしくお願いします。
カイト