子供の頃から金縛りによくあっていた。
小学六年生の時に父が家を新築し、自室で一人で寝るようになった。その頃から金縛りが始まったのではないかと記憶している。
金縛りは、医学的にも説明がつく状態で、全てが怪異によるものではないという。
だが、家族全員が寝静まった深夜、薄暗い自室で全身が硬直し、目だけがなんとか動くという状況はかなり恐ろしいものである。
あまりの怖さに母に助を求めようと、
「お母さ~ん、お母さ~ん!!」
と叫んでみるが、ふっと金縛りがとけてみると、それまで開いていたと思っていた目は閉じられており、声もあげてはいないのだった。
結婚し実家を離れ、子供達が生まれ、子供達と一緒に寝るようになってからは、育児疲れもあってか、ぱったりと金縛りにあうことはなくなった。
再び私が金縛りにあうようになったのは、子供達がそれぞれ自室で寝るようになり、また私ひとりで寝るようになってからである。
テレビがついていないと眠れないという夫はリヴィングの隣の部屋で、テレビの音に包まれて一人で寝ている。
久しぶりにあう金縛りは、子供の頃とは微妙に違っていた。
音が、聞こえるのである。
両耳の奥、頭の中に音が響くのである。
最初は小さく、そして少しずつ大きくなっていく。最後は私の頭の中いっぱいに音が鳴り響く。
その音は、たとえれば、銅鑼やゴング、シンバルなどのあらゆる打楽器を、いっせいにでたらめに叩いたような音、といえば一番、近いだろうか。
それらの音が頭の中で
「ぐわーーーー・・・・ん・・・」
と響きわたるのである。
最大限に大きくなった音はまた、最初の小さな音に戻り、少しずつ大きくなり、最後はまた、頭内に響く。それを、体が硬直している間延々と繰り返す。
目はあいているつもりでいるが、もしかしたら閉じているのかもしれない。
私はこの状況から逃れようと、まずは足先から少しずつ動かしていく。うまくいく時もあればそうでない時もあるが、体が硬直からとけたらベッドから起きだしリヴィングへ行き、お茶を飲みたばこを一本吸う。
そうしてから寝ると、今度はすんなりと眠りにつけるということを、何度か繰り返すうちにわかった。
それ以来、両耳の奥で音が始まる合図の「ドクン!」という最初の音を聞くと、体が硬直する前にベッドから置きだしお茶を飲みたばこを吸うようにしていた。
ある夜だった。
「ドクン!」と両耳の奥で音がしたかと思うと、急激に体が硬直していった。あらゆる打楽器の混ざった音が私の頭内に響きわたる。
音は渦となって頭の中に充満していく。
そして、その後。
得体のしれない怖気が「ぞわっ」と私の背中を撫でたのである。
寝室の入り口を背に、横向きに体を九の字にして寝ていた私の背中にトリハダがたつ。
銅鑼やシンバルが叩きならされる音の洪水は最大限に音量をあげたまま頭内にとどまっている。
体は九の字になったまま動かない。
だが、背中が感じるぞくぞくとした怖気はべったりと私に張り付いてくる。
なにかが、いる。
私の後ろに。
なにかが私の背中のすぐぞばにいる。
そして、きつく目を閉じている私の脳裏に、音に紛れて恐ろしい映像が流れ込んでくる。
夢だったのかもしれない。夢だったのかもしれないが、それは、口を裂けんばかりに大きくあけた女性の顔だった。その顔は1メートルはあろうかと思うほどに大きい。
恐ろしい顔だった。
目を見開き、あごが抜けるのではないかと思うほどに口を大きく開け、まさに私を飲み込もうとしているようにして宙に浮いている。
目は私をにらみつけている。
その女の発する声が聞こえる。
「あーーーーーーーーーー……」
かすれたような声を大きく開けた口から発し、女は私をにらみ続ける。
「ぐわーーーーーーん・・・・」
と響く音と
「あーーーーーーーーー」
という声に、私はただ、そのままじっと耐えているしかなかった。
「たたん!」
私のベッドの足元に何かが降りた音がした。
軽いなにか。
その瞬間。
音がやみ、硬直がとけた。
後ろを振り返った私の目には何も見えなかった。
寝室はし~んと静まり返り、何も変わりはなかった。
猫達の誰かがベッドへ来たのかと思ったが猫もいなかった。
かなりの寒気を感じていたのに、起きてみると冷や汗を全身にかいていた。
ベッドを抜け出しリヴィングへ行きお茶を飲みたばこを吸った。
その後、金縛りにはあうものの、あの夜のようなことも一度もない。
そして、あの女を払ってくれた
「たたん!」
の足音の主。
天に召されていった猫達の顔を一匹一匹、思い出してみる。
作者anemone