AさんとBさんは、Aさんの地元にある、とある寺に来ていた。
Aさんの地元はH県の郊外で、自然に囲まれた、といえば聞こえはいいが、要は街からだいぶ離れた田舎だった。
その寺は、その田舎の中でもさらに人通りが少ない他の畦道から小高い山に登る途中にあるうらさびれたものだった。山道は木立にかこまれ、昼間でも若干暗い。
Aさんはその寺の境内にある賽銭箱に10円玉を放り込み、何やら熱心にぶつぶつと言っている。
何を言っているのだろうとBさんがそっと耳を澄ませてみると、
「えんきろえんきろ、えんきろえんきろ・・・」
と言っているように聞こえる。
ひとしきりおがみ、寺を後にしたのだが、あまりの熱心さにBさんはAさんに
「何をそんなに熱心に拝んだんだ?」と尋ねた。
Aさんは、「最近しつこい女に関わっちゃってさ」とだけ言った。
もっさりしたオタクっぽさを自認しているBさんと違い、Aさんは着方によってはださくもなる紺のダッフルコートを薄手のセーターと合わせて着こなすことができるような、オシャレな男で、昔から女性にはモテるタイプだった。そんなAさんは、街の大学に通っているのだが、そのサークルで知り合った女性から、ストーカー紛いにつきまとわれているのだという。
同級生ながら、全く女性に縁がないBさんには羨ましい限りであった。
「それと、さっきの寺となんの関係が?」
なおもBさんは聞く。ここからはAさんが語った不思議な話だ。
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高校生だったAさんは、陸上部に入っていた。ある冬も押し迫った日、部活で帰りが遅くなり、日も暮れかけた時、この寺の近くの通りを一人でとぼとぼと歩いていた。家もまばらな田舎道、そのT字路になっているところを左折した。あと、家まで1キロ半ほどある。いつもなら自転車を使うところだが、運悪く朝、パンクをしている事に気づき、今日は無理やり歩いて登校した。この暗い道をまだ歩くのかとうんざりしている時、ふと、後ろを振り返った。
100メートル以上あるだろうか、電柱にある電灯に照らされて、この季節には不似合いなほど薄着に見える白いワンピースを着た女性が立っているのが見えた。
なんの気はなしに見ると、ふと顔を上げたその女性と目があった気がした。もちろん遠いので、気のせいかとは思うのだが、どうにも目があった気がしてならなかったのだ。
なぜかゾッとしたAさんは、前に向き直り、ズンズンと前に進み出した。人気がない田舎道に、じっと立っている女性というだけでなんだか怖いのだが、それだけではない何かの予感みたいなのがあった。
とにかくあの女性から離れようと自然と足が早くなった。
しばらく歩き、また、見るとはなしに後ろを振り向いた。すると、先ほどの女性が立ったままの姿勢だが、さっきの距離より近いところに立っているように見えた。歩きとはいえ、Aさんは全力で進んだにも関わらず、ただ立っているように見える女性が近づいているのだ。
気味が悪くなったAさんは、さらに歩調を早め歩き出した。そしてしばらく歩くとまた振り返った。果たして、その女性はさらに近づいている。日がすっかり暮れて、一定距離にポツンポツンと灯る街灯にぼんやりと照らされるワンピースの女性。変わらず、ただ立ち尽くしているにも関わらず、近づいてくる。
Aさんはとうとう走り出した。音もなくあの速さで近づくものは人外のものに違いない。そう直感していた。
陸上部のAさんが本気で走った。夜道にAさんの走る激しい足音がだけが響く。そして、振り返ると、その女性はさらに近づいている。しかも止まったままで・・・。その距離はもう、20メートルほどに迫っていた。白いワンピースはよく見ると所々ドロで汚れ、腰まである髪の毛が顔の前にもかかっており、顔を見ることはできない。そんな女性がただ立っていた。
「ヤバイ」
逃げられない、とAさんは咄嗟に思った。そして、とうとう荷物も全て放りなげ、全力で走りだした。
どこに逃げればいいか分からなかったのだが、この時脳裏によぎったことがあった。それは、かつて死んだ祖父から聞いていた、あの寺の話だった。
『あの寺はな、縁切り寺いうて、悪い縁を切ってくださるんじゃ』
縁切り寺
そこに行けば、アレからも逃げられるかもしれない。
そう思ったAさんは力の限り走った。そして、走りながら後ろを見ると、10メートルほど後ろを、例の女が今度は走っている。それも、死物狂いの表情で走ってくる。
しかし、不思議なことに全く足音がしない。息遣いも聞こえない。ただ、歯を剥き出し、目を見開いた状態でものすごい勢いで走ってくる。
「ひい!」
声にならない叫びを上げ、Aさんは走った。この時ほど、自分がふだん陸上部で鍛えていてよかったと思ったことはなかった。
『いいか、縁を切りたいものがあったら、寺ではこう唱えるんだ・・・』
寺に続く山道を駆け上がり、寺の山門をくぐる。背後からは足音は聞こえないが、ガサガサと木々の枝を揺らす音が聞こえ、それがアレが迫ってることをAさんに知らせた。
境内に入り、賽銭箱にしがみ付く。息が切れているが、祖父が教えてくれた文句を唱える。
「えんきろえんきろ、えんきろえんきろ」
「縁切ろ縁切ろ、縁切ろ縁切ろ」
賽銭箱にしがみ付くAさんの首筋に、さーっと風が当たったように感じた。そして、あの嫌な気配が消えた。
Aさんが恐る恐る後ろを振り返ると寺の山門の外、あの女が立っていた。
息を飲んでいると、見る間にその女性は消えていった。
「あと、もう少しだったのに・・・」
という言葉だけが聞こえた気がした。首筋に生暖かいものを感じて、ふと手を当てると、手にはべったり血がついていた。
首筋が横一文字に浅く切られていたのだった。まるでかまいたちの様に・・・。
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「まあ、信じないと思うけど、それがあの寺だったんだ。だから、あの寺の力は本物だと思うんだ」
Aさんはそう言って笑った。
作者かがり いずみ
Aさんをかつて追いかけた化け物じみた女が怖いのか
Aさんがもう一度縁切り寺に頼らざるを得ないほどのストーカー紛いの女が怖いのか
妖しいモノに縁ができてしまうと
祓うのも大変な様です。