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中編7
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イヌカガミ

これからするのは、昔々の呪いの話

あるところに好き合っている若い男と娘がいました。

ところが、男は心変わりをし、別の女のもとに行くようになりました。娘は夜も眠れないほど悔しく思い、悶え苦しむ日々を送りました。

その娘の家は、その昔陰陽道を扱う血筋であり、娘も数は少ないながらも幾つかの術を祖母の代から受け継いでいました。

その中に、スソ、もあったのです。

スソとは「呪詛」すなわち呪いです。

いつの世も呪詛とは弱い女性のものです。

女性は、その昔祖母から語り聞いたことと、土蔵に眠っている書物を紐解き、ついに一つのスソを完成させました。

それが「イヌカガミ」でした。

イヌカガミとはこのようなものでした。

まず、娘は白い大きな犬を一頭手に入れ、七日七晩餌を与え飼いならしました。

七日目の夜、その犬を頭だけ出して地中に埋ずめ、決して届かないところに炊きたての飯を置くのです。

犬は餌を欲しがり、泣き叫びます。これを犬が餓死する寸前まで続けます。しまいには犬は半狂乱になり、目だけが異様に赤く燃え立つようになります。

その段階で、犬の首を切り落とします。強力なイヌガミが誕生した場合、その飯めがけて犬の首が空をとぶこともあるそうです。

その犬の首を人が往来する四つ辻にこっそりと埋め、多くの人に踏みつけてもらうのです。

これがイヌガミの作り方。

ここからが娘の家に伝わる独特の儀式です。

このイヌガミの両の眼と鼻を切り落とし、特別な方法で小さな鏡にイヌガミを移す(この家では『籠める(こめる)』と言いますが)のです。

鏡は女性がいかにも好みそうな飾りの付いた品の良い物が良いのです。

こうして、スソのこもった鏡ーイヌカガミーができました。

娘はその鏡を男が通う女のもとに送りました。

女はその鏡が気に入り、いつも持ち歩くようになったのです。

そして、女が鏡を受け取って10日ほどしたある日のことでした。月のない晩、男との逢瀬を終えて家に帰ろうとした時、女は野良犬に襲われ、帰らぬ人となりました。

一緒にいた、かの男も目の前で何匹もの犬に喰い散らかされる想い人を見て、気が触れてしまいました。

ここまではなんということのない、呪いの話です。

本当に恐ろしいのはこのあとです。

鏡は用をなしたあとも、その呪いを手放しませんでした。

喰い散らかされた女の死体から、唯一形のあるものとしてその鏡は女の家族に引き渡されました。

家族は女を失ったことから大いに悲しみました。鏡を見ると娘を思い出すということで、鏡をもとの娘のところに返すことにしたのです。

こうして、鏡は娘のところに戻りました。

娘はスソを知っていたので、その鏡をすぐさま河に流しました。

しかし、二ヶ月ほどした時、一匹の犬がその鏡をくわえて娘の家の前に座っているのを見つけました。

犬は娘を見ると鏡をおいて歩き去ったのです。

鏡は、また返ってきました。

次に娘はその鏡を人手に渡そうとしました。

質に入れ、質流れとしようとしました。

しかし、一ヶ月後、その鏡を買ってきたのは他でもない娘の母親だったのです。

次に娘は、その鏡を壊してしまおうとしました。

しかし、どんなに槌や石で叩こうと、決して割ることができなかったのです。

娘は途方に暮れました。

そう、スソをかけることはできても、スソを返すことースソ返しーについて、娘はほとんど何も知らなかったのです。

このままでは自分もイヌガミに殺されてしまう可能性があります。

捨てることも、売ることも、壊すこともできぬのなら、と、

娘はこの鏡を人にあげることにしました。

すると、貰った娘達は決まって犬に食い殺されたり、犬に追いかけられて橋から落ちたり、と死んでしまうのです。

そして、必ず、鏡は娘のもとに返りました。

娘は次第に気が狂わんばかりになりました。

土蔵にこもり、祖母が残した文書を読み漁りました。

なんとしてもスソ返しの方法を見つけねばなりません。

そんな様子をみて、親族は娘の気が触れたと思い始めました。

確かに、その頃の娘は風呂にも入らず、飯も殆ど食べず、やせ細った中で眼だけが爛々としていたのです。

豊かな黒髪は手入れされないためにバサバサになっていきました。

ある時、娘のこもっていた土蔵から火の手が上がりました。娘もその火事に巻き込まれて死んでしまいました。

土蔵の様子を検分した結果、わかったのは、娘が土蔵のいたるところにろうそくの火を灯していたことでした。

たしかに土蔵は暗かったので明かりは必要です。しかし、それにしても数が多い。当時、火事場を見聞した役人も不思議に思うほどでした。

結局、火事の原因は大量に建てられたろうそくのうちの一本が倒れた事によるだろうということでした。

娘の死を目の当たりにして、やっと娘の父親は事の重大さを認識しました。

この父親は陰陽師の血筋ではありましたが、その知識をほとんど受け継いではいませんでした。

そこで、本家筋を辿り、いまだにその知識と技を受け継ぐ人を紹介してもらい、その人のところにあの鏡を持ち込みました。

その老人は父親から話を聞き、その鏡を見ると、しばらく考え、こう言いました。

「これは『イヌカガミ』と言うものじゃ。正確には『イヌカネガミ』、犬に金の神と書く。」

「通常のイヌガミは役目を果たすなり、時間が経てばそのスソの力は薄れ、消えていく。消えないまでも少なくとも弱くはなる」

「しかし、これはイヌガミの力を恒久的な器物に移し替えておる。なので、決して薄れることがない。」

「しかも、犬は「居ぬ」つまり、ここにいる、戻る、ということを意味しておる。スソを果たせば必ず作り主に帰り、作り主を殺せば周囲の者も殺し尽くす」

「恐ろしいスソゆえ、とうの昔に行うことはなくなったのじゃ」

「どうすれば・・・」

父親は老人に尋ねました。老人は鏡を置き、その表に和紙を貼り付け、

「火剋金」と書き連ねました。

「一時しのぎじゃが、火事に飲まれたことと、この札で少なくとも周囲に死人はでないであろう。お前さんの娘が起こした不始末じゃ。そなたの家で火の神とともに祀るが良い」

父親は途方に暮れながらも帰り、家に神棚を作り、火之迦具土之神とともに祀ることとしたのです。

「・・・と、いうわけで、この古い鏡がうちに伝わっているわけ」

AはB子やC子に古い鼈甲のようなものでできた鏡を見せた。

夏のある日、Aが肝試しドライブにB子、C子、それからB子の彼氏のDを誘った帰りでした。腹ごしらえに立ち寄ったファミレスで、Aがおもむろに語りだした話がこの話だった。

近所の心霊スポットを回りながらAが怖い話をする、という肝試しドライブ自体は特に何もなかった。元来怖がりのC子も特に怖がることもないくらいだった。

もともと、C子以外は怖い話などが好きで、何かと気が合う友達同士、よく怪談話などで盛り上がっていた。Aは怪談を語るのが好きだった。

「それ、持ち出して大丈夫なの?」B子が言う。

「大丈夫、大丈夫。イヌカガミなんて迷信だろ。現に今まで、うちでも押し入れの奥に入っていただけで、別に祀ってなんかいなかったし。」

「え?そうなの?」とC子。

「そうそう、実は、代々、この話とともに鏡が受け継がれていてさ、兄弟が多いときは押し付け合いも起こったんだって。昔の人って本当に迷信深いよな」

「でも、そんなことがあっても捨てなかったのなら、やっぱりそれって、呪われてるんじゃない?」

オカルト好きなB子は、そんなことを言いながら話を盛り上げようとする。

「ちょっと、気持ち悪い、やめてよ」

C子は本気で怖がっていた。Aは笑って、

「呪いは迷信だって。まあ、そういういわくつきの鏡ってことで、ほしければあげようかと思って持ってきたんだ。

 俺、夏休み明けには引っ越しするからさ。」

C子は思いっきり引いていた。

でも、B子は違った。興味津々という顔をして鏡を見ている。

「私いらない」

C子は言った。

「B子は?おっかない話好きだろ?」

しばらく考えてB子は「いい」と言った。

「何だ、せっかく話ししたのによ」

Aは鏡をしまい、若干機嫌悪そうにした。

Aは自分の車で帰り、B子、C子、Dは家がそこから近いのでそのまま別れた。

帰り道、DがB子に尋ねた。

「なんであの鏡貰わなかったんだ?てっきり貰うのかと思った」

C子もB子の顔を見る。B子は笑って言った。

「C子がいてよかったよ。

 あの話、多分本当。Aはあの鏡を私達に押し付けようとしたんだと思う。C子は本物しか怖がらないからね。」

B子に言わせれば、C子には霊感があり、危険なときにはちゃんと教えてくれるのだという。怖がりのC子と全く性格が違うB子がなぜいつも一緒にいるのか分かった。

C子はB子にとっての「安全弁」だったのだ。そういえば、肝試しドライブ中にAが話した話に対してC子は全く怖がっていなかった。

あの話だけが本当だったのだ。

それからしばらくあと、Aの引越し先の家で火事が起こり、Aの家がだいぶ経済的に苦しくなったと聞いた。

その話を聞いて、オカルト好きのB子は

「多分、金神だから、「火」を近くに置かないと呪いが抑えられないんじゃないかな。陰陽道の思想で、「金」に勝つのは「火」だからね。

話に出てきた娘が土蔵で焼け死んだのも「火」を使って抑えるところまでは分かったからだと思う。

そういえば、話の中で出てきた「火剋金」の札、ついてなかったよね。多分Aが剥がしたんじゃないのかな。それで怖くなって私達に押し付けようとしたってところじゃない?」

「一度火に晒されたことで呪力が弱まって、人が死ぬことはなくなったのだろうけど、十分呪いの力は残っていたんだね。Aの奴ざまあみろだね。私たちに変なもの押し付けようとしたバツだ!」

と。

それをC子は苦笑いして聞いていたという、話。

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