俺がまだ都内のアパレル会社で働いていた頃の話。
後輩の民生くんが香港に出向する事になった。
今回出向となったメンバーは、
ゲイリーオールドマン似の男前だが、仕事はほとんどしない無能課長のオールドマン課長。
モデルの様な長身とスタイルだが、顔は安齋肇にそっくりのマニア受けスーパーモデル、ハジメさん。
俺の課の将来有望後輩であり、落ち武者の霊が憑いている少し頭の怪しいスタンド使い、民生くん。
nextpage
の3人が一応、一年の期限付きで香港の子会社に出向する事に決まった。
出向の理由は詳しく書くと色々マズイので多少濁すが、ほぼ税金対策のペーパーカンパニーであった子会社に実働の実績を付ける為の生贄の様なものである。
逆に言えば、ある程度の実務さえこなしていれば特にお咎めもなく一年で帰って来られるし、それなりの海外勤務実績と報酬が貰えるという、考えようによってはお気楽な出向でもあった。
nextpage
まあ、案の定そう簡単にはいかなかったのだが……
取り敢えず3人は簡単な壮行会の後、香港へ飛び立った。
人選の理由だが、
オールドマン課長は言わずもがなの厄介払いである。
正直、二度と日本の土を踏んでほしくない。
ハジメさんは界隈では「洋服の青山」と揶揄される程、アパレル関係に就くことの多い大学出身でありそれなりに英語も話せる。
実務の要といったところか。
民生くんに至ってはほぼ部長の独断で決まったようなものだった。
ちなみに民生くんは英語はほとんど話せない。中学生レベルもあるかどうかという位のアホである。
まあ業務に関してはよくやっていたので俺達の課から抜けられるのは正直痛かった。
nextpage
折角なので民生くんが選ばれた理由も書いておく。
本題とは全く関係ないのだが……
separator
ある日、俺達は急遽香港の子会社及び、卸先にあたる某大手香港百貨店のチーフバイヤー陣と食事会をすることになった。
本来であればうちの会社の海外担当部署が席に着くのだが、その日は何故か皆出席出来ない理由があった。
そこで部長の鶴の一声によって俺達が接待をする破目になってしまった。
nextpage
メンバーは
件のハジメさんと、ハジメさんの大学の先輩でもありフィリピンのクォーターでもある、お祭男大吾さん。
ちなみに英語はペラペラである。
それと俺と民生くんの4人だった。
俺はハジメさんには及ばないが、少しくらいは話せる程度の英語力である。
民生くんは前述した通り、壊滅的だ。
というか日本語もあやしい。
nextpage
うちの香港スタッフはさておき、相手は香港大手の百貨店のバイヤーの皆さんだ。
日本で言えば「伊勢丹の海外ブランド総括本部長」のような方々だ。
その接待にこの面子。
正気を疑う人選である。
nextpage
兎にも角にも失礼の無いように、無事終わらせる事に専念……
するはずだったのだが勝手が解らない。
そこで俺達は民生くんをスケープゴートにする事に決めた。
英語を話せない民生くんに出鱈目イングリッシュを吹き込み、会話の間をもたせるにしたのだ。
頑張れ民生、骨は拾ってやる。
そして失敗したら責任を押し付けて逃げてやる。
nextpage
「乾杯って英語でなんて言うんですか?」
と聞く民生に
「Put your hands up.(手を挙げろ) だよ。」
とのっけからぶっ込む大吾さん。
そして素直に
「ぷっちゃへんざっ!」
と何故かネイティブ並の発音で乾杯の音頭をとるアホ。
素直に手を挙げる香港人。そして大いにウケる。
これはイケると確信した俺達はその後も、
nextpage
「I'm Tamio Hara and this is logest day your life.」
(俺はハラタミオ、今日は君達の人生で最も長い一日になるだろう。)
と自己紹介で名乗らせ、ことある毎に
「Who is traitor.」(裏切り者は誰だ。)
だとか
「It's he who killed my dog.」
(俺の犬を殺したのはあいつだ。)
等と発言させる事で間をもたせた。
その後も唐突な言葉を民生に喋らせ、大いに盛り上がった。
結果、食事会が終わる頃には
「何度も日本に来ているがこんなに楽しい食事会は初めてだ。」
と香港バイヤーさんから最上級の賛辞を頂いた。
nextpage
大成功である。
最後も
「How dare you get domped me!」
(よくも私をフッたわね!)
と締めくくり俺達は解散した。
民生はベロベロに酔っ払っていた。
この話を聞いて部長は民生の香港送りを決めたらしい。
ちなみに半年程経ってまた同じメンバーが来日して食事会を開いたが、その時は正規の海外担当部署が接待した。
バイヤーさん達は「あいつらは来ないのか」としきりに聞いて残念そうにしていたらしい。
nextpage
そうして民生くんが日本を離れてしばらくすると、あいつらが再び姿を見せ始めた。
separator
うちの会社には幽霊が出る。
一人は女の幽霊でもう一人は男の子である。
どういうわけだか女の幽霊は男性社員にしか見えず、男の子の方は女性社員にしか見えないという変わった特徴があった。
その存在は男女間の溝を深める為のアイコンの様に様々な場で議論の対象になった。
nextpage
当時のこの辺りのアパレル界隈では割と有名な話題であり、嘘くさくもなってしまうので書こうかどうかかなり迷ったが、この二人には名前がある。
nextpage
女性の方は、恐らく日本で一番有名なあの人に風貌が酷似していたので敬意を持って
「ダサ子さん」と。
男の子の方は、顔色の悪いところが似ているという理由から愛着を込めて
「オンジュくん」
と呼ばれていた。
nextpage
民生くんが香港に飛んでから一月程経った位か。
プレゼンの準備の為、サンプル室に籠もっていた俺がフッと顔を上げると、
白いワンピースの女が音もなくサンプル室から出て行った。
ダサ子さんだ。
帰って来たんだ。
nextpage
怖さよりも懐かしさが込み上げて来た俺は、早速部長に報告に言った。
「さっきサンプル室でダサ子さん見ましたよ。」
「おう。俺も一昨日見たぞ。民生が居なくなって戻って来たんだな。」
まるで
「水質が改善された為、また見られるようになった蛍」
の話題のように報告し合う俺と部長。
nextpage
ああ、また現れたんだ。
そしてまた、男女間の溝が深まるんだ。
これからまた繰り返されるであろう議論に少し頭が痛む。
ちなみに部長もダサ子さんしか見えないそうである。
nextpage
この幽霊達だが、別に実害があるわけではない。
前述のようにチラッと見掛けたりするだけなのでマスコットキャラクターのようなものであったのだが、
何処に行っていたのかは知らないが民生くんの居る間は出て来られずにフラストレーションが溜まっていたのだろう。
かつて無い程アグレッシブな行動を見せた。
そしてその矛先は何故か俺に向けられた。
nextpage
その日もいつも通りの残業でいつも通り24時を回った。
そう言えば深夜1時の事を25時、2時は26時と言っていたけど、よくある表現なんだろうか?
それともアパレル業界だけの表現なんだろうか?
兎に角、あの当時一日は24時間ではなかったのは確かだ。
nextpage
そろそろ帰ろうかと周りを見回す。
いつもならまだ何人かは残っているのだが、この日はどういうわけか俺一人だった。
珍しく4階の営業部も今日は帰りが早く、一時間くらい前に
「俺で最後だから。」
と三沢光晴似の営業課長が帰っていったのを覚えている。
nextpage
念の為、誰かいないか確認する。
と、企画部の電気がまだ点いていた。
見ると女子社員が一人残っていた。
入社してもうすぐ一年のケイちゃんだった。
「ケイちゃん一人?俺帰るけど。」
「ああ、先生。私ももう帰ります。」
何故か後輩の女子社員は俺の事を揃って先生と呼ぶ。
歳の割に老けているからか?
それとも偉そうなんだろうか?
nextpage
「じゃあ、一緒に出よう。
セキュリティロックの仕方知らないでしょ?
いい機会だから教えとく。」
うちの会社のセキュリティロックは面倒くさい。
本来であれば最終退勤者がカードキーでロックするのだが、
カードキーは役職者数名しか持っておらず、俺達のような平社員は会社を出てセキュリティ会社に電話をし、遠隔操作でロックをして貰わなければいけない。
nextpage
「はい、やった事ないです。今帰る準備するからちょっと待ってて下さい。」
ケイちゃんを待っていると企画部の電話が鳴った。
「はい、〇〇です。もしもし?
〇〇です。………もしもーし?……」
怪訝な顔で電話を置くケイちゃん。
「どっから?」
「解かんないです。電波が悪いのかな?
声が遠くて、よく聞き取れないうちに切れちゃいました。」
nextpage
まずいパターンだ。
この時間に掛かってくる電話は非常に良くない。
よくあるのは部長をはじめ役員連中から
「△△で飲んでるから残ってるやつ集めて連れて来い。」
だとか、
「明日、急に社長にプレゼンすることになったからサンプルの準備しといて。」
等という禄でもない電話が殆どだ。
nextpage
聞こえなかったならこれ幸いと支度を急ぐケイちゃん。
すると今度は俺の部署の電話が鳴った。
nextpage
ああ、絶対そのパターンだ。
無視すればいいのに社畜の悲しい性か、つい電話を取ってしまう。
「はい、〇〇です。」
「………^*?$#……*#%^&……」
聞き取れない。
ケイちゃんの言うように電波が悪いのだろうか、何か喋っているようだが内容はさっぱり聞き取れない。
2度ほど同じようなやり取りをした後、俺は諦めて電話を切った。
nextpage
「どうでした?解りました?」
「いや解かんなかった。」
電気を消してフロアのドアまで二人で歩く。
今度は別の課の電話がなる。
しつこい。
なんだよ全部署に掛ける気か?
nextpage
無視して出ようとするが、思い直す。
そうだナンバーディスプレイだ。
せめて相手の番号を控えておこう。
部長からだったら後で掛け直そう。
無視したとかなんとかで後々面倒くさい。
俺は電話が切れないうちに急いでメモを走らせる。
やっぱり携帯からの着信だ。
nextpage
控えたメモをケイちゃんにも見せる。
と
「嘘……なんで?」
ケイちゃんの様子がおかしい。
「これ私の携帯番号です……」
え?
意味が解らない。
nextpage
「え?ケイちゃんの携帯は?」
「ここです……バッグの中……」
震える手で携帯を取り出す。
nextpage
ああ、このパターンは想定外だ。
「電源切って!早く!」
急いで電源を落とすケイちゃん。
「先生の携帯も!切って!」
ああ、そのパターンもあるか。
同じくらい震えて電源を落とす俺。
nextpage
急いでドアを閉めて階段に出る。
OK、大丈夫。まだ慌てる時間じゃない。
「落ち着く。ゆっくり。歩く。」
いつぞやの先輩のように片言で指示を出す。
二人で階段を降りる。
電話の音が鳴る。4階からだ。
走り出したくなるのをぐっと堪える。
ケイちゃんはヒールだ。
転んだら危ない。
二人で転んだらお互いの体が入れ替わっちゃったり、
思いもよらずタイムリープしちゃったりしかねない。
気を付けないと。
nextpage
避難訓練を思い出す。
「押さない」「駆けない」「喋らない」
「おかし」の三原則だ。
三階から二階に差し掛かる。
二階はプレス(広報)だ。
プレスはいつも定時上がりだ。誰もいない。
そして会社の顔だからか綺麗どころが揃っている。
まあ例外もいるが。
nextpage
二階の電気が消えているのを横目て確認し、通り過ぎる。
真っ暗なフロアから電話の音が鳴る。
「ひっ……」
ケイちゃんが悲鳴を押し殺す。
俺は「置いてけ」「構うな」「仕方ない」
の新三原則が頭をよぎるが押し殺す。
nextpage
一階に辿り着く。
一階は倉庫兼物置だ。そもそも電話がない。
ここまで来れば大丈夫だ。
ケイちゃんを押しのけて外に出る。
後はSE○OMに電話してロックして貰えばおしまい。
「怖かったー。私初めてですよー。」
安心したのかちょっと元気になったケイちゃんの声を後に聞きながら電話をかける。
nextpage
「〇〇の▲ですが、遠隔ロックお願いします。」
担当のおじさんにお願いする。
社員番号と連絡先を伝えロック開始。
「それではロックします。社内に残ってる方はいらっしゃいませんか?」
「大丈夫でーす。お願いします。」
nextpage
「ロックヲカイシシマス」
電子音声が流れロック開始。
ああ、疲れた。
と、その瞬間
nextpage
バァン!
目の前のドアが内側から思いっきり叩かれた。
「イジョウヲカンチシマシタ」
異常を告げる音声と警報音。
SECO○のおじさんの慌てた声が聞こえる。
nextpage
「どうしたんですか!?
全フロアで異常発報してますよ!?」
俺達はただ見ていた。
目の前のドアが繰り返し叩かれるのを。
狂ったように叩かれるドアの向こうには白い服のシルエットが視えた。
nextpage
「ダサ子さんだ……」
警報が鳴り響くなか、ダサ子さんは消えていった。
繫がったままの携帯から声が聞こえる。
「もしもし?聞こえますか?
何かあったんですか?」
我に返り、おじさんに伝える。
「ああ、えーと…もう大丈夫です。
兎に角、中に人はいません。」
人じゃないのはいるけど。
「そうですか。取り敢えずシステムエラーという形で報告挙げます。
念の為こちらから警備員を向かわせますので暫くそこでお待ち下さい。」
nextpage
ここで待つのか。やだなあ。
電話を切り、後ろを振り返る。
ケイちゃんは腰が抜けたように座り込んでいた。
「お疲れさん。警備の人が来るまで待ってろってさ。
ケイちゃんはもういいから先に帰りな。」
ヨタヨタと立ち上がり頷くケイちゃん。
「ああ、怖かったー。なんですかあれ?
こんなことあるんですか?」
「いや、俺も初めて。凄かったなあ。
ケイちゃん視えた?」
「視えましたよ。すっごい叩いてましたね。」
nextpage
視えたんだ。そりゃそうだよな。
あれ?
ケイちゃんも視えたってことは、
初めてダサ子さんが女子社員に視えたって事?
よーし、明日みんなに報告しよう。
遂にダサ子さん対オンジュくん論争に終止符が打たれるぞ。
nextpage
「ねえ、ケイちゃん。明日皆にちゃんと言ってね。
ダサ子さんが視えたってこと。」
するとケイちゃんは不思議そうな顔でこう言い放った。
nextpage
「え?ダサ子さん?
ドア叩いてたのオンジュくんでしたよ!?」
ええー?嘘でしょ?
結局こうなんのか。
納得のいかないケイちゃんを帰した後で、残された俺は途方に暮れた。
nextpage
15分程経ってやって来た警備員二人と俺は、確認の為再び社内に足を踏み入れた。
俺の話を聞いてめちゃくちゃビビる若いお兄ちゃんと、頼んでもないのに別の現場で起こった怖い話をするベテランの三人は心ゆくまで深夜の幽霊会社を堪能した。
なんの罰ゲームだよ、これ。
nextpage
次の日、案の定ケイちゃんはオンジュくんの話をして女子社員たちを恐怖のどん底に叩き落とした。
俺の話は何故か面白可笑しく伝わった。
なんでだ?不公平だ。
separator
決着の着かない論争に業を煮やした男社員は、
「男はダサ子さん、女はオンジュくん。
ならあいつは?」
という事でプレスのオカマに聞きに行った。
nextpage
プレスのオカマ、通称ベッキーは
「えー?どっちもみたことなーい。
そもそも幽霊見たことなーい。」
と言って俺達を非常に苛つかせた。
nextpage
「なんの為にオカマやってんだ。」
「オカマなんだから性を超越した意見を言えよ。」
「大体オカマのくせに話がつまんねえ。」
「オカマやめろ。」
「親に謝れ。」
散々こき下ろした挙げ句、しまいには泣かせてしまった。
nextpage
後日現場にいた男社員は揃って人事部長にこっぴどく叱られたのだった。
ついでに俺は人事部長はどっちが見えるか聞いたところ、ダサ子さんを見たことがあるそうだ。
ちなみに人事部長はゲイだ。
nextpage
俺を脅かして気が済んだのか、ダサ子さん(オンジュくんも)はいつものようにチラッと見かけるだけになり今回のように荒ぶることは二度となかった。
だが俺は今度民生くんが戻ったら絶対に落ち武者に斬らせようと心に決めたのだった。
作者Kか H