「ねえ千花、メリーさんって知ってる?」
梅雨に入り、雨は降らないもののどんよりとした曇り空が広がっている六月十四日。
前の席の私の親友〝東沙羅〟が国語の授業中にも関わらず振り返って堂々と話しかけてきた。
案の定、担当の先生に怒られてうつむき黙り込む。
彼女は思いつくとすぐに行動を起こしてしまう節がある。
私は少しかわいそうな気持ちになりノートを一ページちぎって
『知ってるわ、怪談でしょ?』
と書き今度は先生にバレないようこっそりと沙羅に渡した。
しばらくして、彼女は先生に見つからないよう体は前を向いた状態で器用に手渡してきた。
ノートには
『正解! この話長くなるから授業終わったら話すね』
とだけ書かれていた。
消しゴムで消された文字がうっすらとあり、目を凝らして見ると
『そう、そのメリーさんなんだけど』
と一度話を続けようとした痕跡が残っていた。
普段はホラー好きしか知らないような怪談話をよくする彼女
だというのに、誰でも知っているレベルの怪談〝メリーさん〟の話をしようとするものだから、無性に気になって授業に集中できなくなってしまった。
ホラーが苦手なはずの私も、どうしてか沙羅の話にはつい聞き入ってしまう。
彼女の怪談はとても魅力的だった。
ふと冷静になると、机の上に無残に置かれたノートの断片が目についた。
長話になると思いちぎったノートは一往復のキャッチボールで役目を終えてしまった。
前に座っている沙羅は授業に集中して先生の話に耳を傾けているようだ。
自分が授業に集中することができない今の現状とノート一ページ分の損失
ついでは私を差し置いて授業に集中している沙羅に腹が立ち、その断片に
『私のノートと集中力を乱した代償は大きいぞ。後で購買のクリームパンおごってもらうからな』
と書き、小さく折ってできたカドで目の前のツインテ頭をちょっと強めにつついた。
後頭部をさすりながら渡してきた沙羅からの返事は『わかったから授業に集中しなさい』だった。
読み終えると同時に目の前にある頭を握った拳で小突いた。
その現場を先生に見られて怒られる。
「おい、須藤。授業中だぞ」
周りの席のクラスメイトがくすくすと静かに笑う。
――何で私なのよ。
元はと言えば沙羅が話しかけてきたんでしょう。
と先生に反論はできず、黙ってうつむいた。
沙羅はくすくすと小さく笑っている。
今度は先生に気づかれないようシャーペンの先で沙羅の小さな背中をチクチクとつついた。
結局私はその後の授業の残り時間を何一つ集中できずに終えた。
「千花! さっきの話の続きなんだけど!」
授業が終わった途端、沙羅が体を横に向けて座り直し、何事もなかったように私に話しかけて来た。
「その前に、よくもまた私の集中を乱してくれたわね。購買のクリームパンと、追加でコーヒー牛乳おごってもらうからね」
「ごめんごめん、ノートは私の一ページあげるから許して」
「いらないわよ! クリームパンよ!」
今日のお昼休みにクリームパンとコーヒー牛乳をおごるという確約をさせると話が本題に戻った。
「それで、メリーさんの話なんだけど知ってる?」
「知ってるって書いたでしょ! まさかここまで私のノートが無駄だったとはね」
「まあまあ、それはいいじゃん。それでね」
「いいことないわよ! 明日もおごってもらうわよ?」
「たんまたんま! 休み時間終わっちゃうから!」
確かにこのまま休み時間が終わるとまた授業に集中できないかもしれない。
仕方なく私は沙羅の話を聞くことにした。
「よし。
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でね、メリーさんは夜、一人の時に現れるの。
現れるって言っても何もしてないのに突然目の前に出てきたり、振り向くと後ろにいたりとかじゃなくって少しずつ少しずつ私たちに近づいてくるのね。
そんで近づいてくる度に非通知から電話がかかってくる。
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「私メリーさん、今どこどこにいるの」
「私メリーさん、今どこどこにいるの」
電話に出ると、いまメリーさんがいる場所を教えてくれる。
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『こん』
『こん』
気がつくとメリーさんは家の近くまで来ていて、怖くなって電話に出ないでいると、玄関のドアの方から軽いノックのような音が聞こえてくる。
こうなってしまったら布団にくるまって戸締りをちゃんとしていたことを祈るしかない。
そうこうしている間にも、また電話がかかってくる。
着信は相変わらず非通知で相手が誰かわからないけど、ノックの音も相まってメリーさんが電話の主だって分かってしまうの。
恐怖のあまり、電話に出ないものだから着信音とノックだけが部屋の中にこだまする。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
目をつぶって耳を塞いで、ひたすらに謝罪の言葉を呟いているとスマホを触ってもいないのにスマホから女の子の声が聞こえてくる。
「私メリーさん、今あなたの家の前にいるの」
スマホを確認すると勝手に応答して、スピーカーになっている。
赤いマークをタップしてもスワイプしても電話は切れてくれないし、電源も切れない。スマホからは、さーっという軽い砂嵐のような音がずっと聞こえている。
「早く切れて、早く、ごめんなさい」
何度電話を切ろうとしても一向に切れない。布団の中で彼女はスマホを耳を当ててひたすらに謝った。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
するとね、その気持ちに応えるようにメリーさんが返事をするの。
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『私メリーさん。今あなたの目の前にいるの』
ってね……」
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「…………」
背筋がぞくっとする。
五分もしない短い話なのに、ここが教室であることすら忘れていた。
可愛い見た目からは想像できないほど、沙羅には怪談話の才能があると思う。
現に、休み時間で賑わっているはずの教室の音は一切耳に入ってこず、沙羅の声だけが私の聴覚を支配していた。
完全に怪談の世界に引きずり込まれている。
「あんた、噺家にでもなればいいわ」
「噺家? だめだめ誰も聞いてくれないよ。どうせみんな体ばっかり見るんだから」
確かにロリ巨乳の噺家ともなると、もはや噺家ではなく一種のグラビアアイドルになってしまうかもしれない。
怪談が上手なグラビアアイドル
――絶対に売れない。
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「そんなことよりさ、メリーさんって何者か知ってる?」
「え?」
そんなことは今の今まで考えたことも気にしたこともなかった。
そもそも怪談が好きではない私にはどうでもいいことで、メリーさんの怪談を最後に聞いたのもいつか思い出せないほどだ。
興味がないどころか聞きたくない話を深く考えることがあるはずもなく、メリーさんが何者かなど知る由もなかった。
とにかく沙羅の話はどうにも現代版で、小さい頃に聞いたメリーさんとはだいぶ違っていた気がした。
「うーん、メリーさんか」
おそらく昔聞いた時に答えを聞いているはずだろう。
しかし、首を傾げて考えて見るもわからず、思い出そうにもメリーさんの話をいつ聞いたのかすら思い出せない。
というよりも、子供の頃の私が熱心にメリーさんを聞いていたはずもなく、むしろ怖い話や心霊現象からは全力で逃げていたため思い出せたとしてもそれは話の内容ではなく『怖かった』という感情だけだろう。
過去の怖かった経験を思い出すのも嫌なので、考えるのをやめてそれっぽい回答をした。
「アレでしょ、昔いじめてた子がメリーさんだった。とか? ごめんなさいって謝ってたし」
「いや、メリーさんって。なに人なのさ」
「…………」
確かに、つい最近のことで考えれば、ハーフや移り住んでくる外国人が多くなっていて、キラキラネームというものもあるため『メリー』という名の人物の存在は確認できるかもしれない。
しかし、この怪談はつい最近のものではなく、古くからあるものだった。
そんな大昔にメリーという人が学校にいるだろうか。
多分、いないと思う。
いたとしてもそうとう珍しい。
その珍しいメリーさんが滅多になることのない怪談になるなんてことはまずないだろう。
「じゃあ、あだ名かなにかなのよ」
「メリーがあだ名の女の子? メリ原さんとか?」
この線も無しだった。
沙羅のいうメリ原さんは置いておいて、そもそも自分に付けられたあだ名で自分を呼称するものだろうか。
私なら
「私、須藤」
と苗字で名乗るはずだ。
名乗っても、最悪下の名前だろう。
ならメリーさんとは何者なのだろう……。
考えれば考えるだけドツボにはまってしまう。
私は降参して両手を上げた。
「わかんない、メリーさんって何者?」
「人形よ、諸説あるけど、メリーさんってのは外国製の人形。被害者っていうのかな、彼女は自分でメリーさんと名付けた人形を捨ててしまうの。そこからメリーさんの復讐劇が始まるのよ」
――なるほど。
人形ならばどんな名前でもつけられるし、外国製の人形ならば特に、メリーさんといった西洋風の名前をつけるのも納得できる。
「なんかそう聞くと人形に名前をつけづらいわね……。捨てるなんてもってのほかだわ。人形なんて持ってなくてよかったわ」
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「ところがどっこい」
沙羅が机の横に掛けていた大きな紙袋を机の上において、その中からかなり古びた外国製と思われる人形を取り出した。
「持ってきましたメリーさん」
「え」
沙羅が取り出したメリーさんと呼ばれた人形は、まさに絵に描いたような外国人をモチーフにした三〇センチほどの人形で、金色のウェーブがかかった髪が劣化の所為でかなり乱れて汚れていた。
私の机の上に座らされた人形が着用している小さなエプロンドレスには多くのほつれがあり、ドレスや肌にも茶色いシミがいくつも出来ていて本当に一度捨てられたんじゃないかと思わせるには十分だった。
「これね、必死で探し回ってたら見つけたの、本当の本当にメリーさんなんだって。だから本物かどうか今日捨てて帰ろうかなーと思ってるんだけど。
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――どうかな?」
――探し回るってどこを?
こいつは一体何を言っているんだろう。私の頭では到底理解できなかった。
それに、本物のメリーさんかどうか調べるために捨てるって言わなかったか?
本物だった場合きっとメリーさんが家に来るだろう。
来たら襲われるのではないのだろうか。
もしも、襲われたとして、その場合に助かる方法がまだ話していないだけであるのだろうか。
いや、あったとしても危険すぎる。
別に私が心霊現象を信じているわけではないし、怖がっているわけでもないのだが、絶対にやめたほうがいい。
もしかすると命に関わるかもしれないし、霊に関わるかもしれない。
この後の人生、何かに取り憑かれたまま過ごすのは嫌だ。
私は心霊なんてこれっぽっちも信じていないけれども。
「沙羅、あんたね」
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「うっそでーす」
彼女の言葉に頭がついていけない。
――今なんて言った?
「この人形は私が小さい時に買ってもらったもので、昨日屋根裏部屋から見つけたの。千花を怖がらせてやろうと思って持ってきただけでメリーさんとか関係ないでーす」
私に見せつけるように、座っていた人形を両手で持ち上げた。
私を騙したことにも、その行動にも腹が立ち思いっきり沙羅の頭を小突いてやった。
――当たり前だ。霊なんてそうそういるわけがない。
「いてえっ」
私が突然頭を小突いたものだから、驚いた沙羅は両手で掴んでいた古びた人形を落としてしまった。
机の端にゴトリと落ちた人形は、そのまま私の足元にまで転がり落ちてきた。
ちょうど顔が上に向いて私を睨みつけているような体勢になる。
汚れた顔が不気味さを過剰に演出して私の背筋を冷やす。
「あーん。もう、落ちちゃったじゃんか」
私の目を見たまま動かない人形を、椅子から立ち上がった沙羅はちょこんとしゃがみこんで両手でそっと抱き上げた。
今にも動き出しそうな金髪の彼女はだらんと力なく簡単に持ち上がる。
首が倒れこむように人形の背後に折れてまた私と目が合う。
「さ、みっちゃんは袋の中に帰ろうねー」
沙羅が紙袋を音を立てながら広げ、そっと〝みっちゃん〟と呼ばれた人形を入れる。
取り憑かれたように目が離せなかった私はここでやっと人形から目線をそらすことが出来た。
「みっちゃんってないっ」
噛んだ。
たかだか古い人形相手に怖がっていたことを悟られないよう、いつも通りの口調で言う筈だったのに、最後の最後で舌を噛んでしまった。
「ん?」
「みっちゃんって何かなって。名前?」
今度は落ち着いて、ゆっくりと言った。
どうやら私の動揺は隠しきれたみたいで彼女はいつも通りの振り切った明るさで答える。
「名前だよ! 『満島百恵(みつしまももえ)』略してみっちゃん」
聞かなければよかった。
外国の人形に対してちゃんとした日本人のフルネームをつける彼女や、略した結果苗字から『みっちゃん』と呼ぶ彼女にも恐れをなした。
しかしそれ以上に、あの人形にちゃんとした名前がついていることの方が恐ろしくてたまらなかった。
見た目と名前のギャップが畏れを加速させる。
なぜこいつは満島百恵なんていかにも怖そうな名前をあの人形につけたんだろうか。
だんだん怖さを通り越して怒りに変わってきた。
「なんでそんな名前つけたのよ」
純粋な疑問に怒りが混じる。
「んーとねえ。確か、みっちゃんをもらった時にニュースでよくその名前が呼ばれてたの。
それで、かわいい名前だなーと思ってつけたの。そういえば最近もニュースで聞いた気がするなあ。
私ニュースとか興味ないから全然わかんないんだけどね。あ、怪談なら新しいの入荷したよ!」
「いらないわよ」
一蹴する私に「ちぇ」と沙羅が小さく舌打ちをする。
それにしても、私もつい最近『満島百恵』という名前を聞いた気がする。
沙羅の言う通り多分ニュースだろう。考えても出てきそうになく、スマホを取り出して検索ボックスに『満島百恵』と入力し検索してみた。
「なにしてんのー? 千花? 千花―?」
沙羅の声が耳の中を抜けていく。
何度呼ばれても私の体は反応できなかった。スマホに表示された検索結果の最上段にはこう記されていた。
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◇◇◇
『少年連続誘拐殺人犯 満島百恵。死刑執行へ』
満島百恵死刑囚の誘拐及び殺人は、二十二年間にもおよびその被害者の数は分かっているだけで二十四人に上っている。
被害者は五歳~十二歳の少年。
法務省は五月一〇日、満島百恵死刑囚の死刑を執行した。
◇◇◇
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体が震えた。
全身の力が抜けて手に持ったスマホを落としそうになる。
およそ一ヶ月前の記事だった。
思考が止まり、沙羅に何を言えばいいのか、どういった行動をとればいいのかわからない。
小さく表示された、逮捕当時の満島百恵の写真が恐怖を逆なでする。
目の下には濃い隈ができていて、肩まである髪は乱れている。
口角が上がっていて、口元は笑っているように見えるが、目の奥は笑っていなかった。
「大丈夫? なんか汗かいてるけど、体調悪い?」
彼女はきっと知らない。
だが何も知らない彼女が私をここまで追い込んでいることに腹が立ち大きな声になった。
「あんたのせいよ!」
「おっ、元気元気」
クラス中に響く私の声。
驚くクラスメイトたちの視線を気にもとめず、沙羅はあっけらかんとした態度で私の頭をガシガシと撫でた。
頭を揺らされて冷静になった私は「その人形ちゃんとしまっておいてよ」とだけ言って死刑囚の方の満島百恵については何も言わなかった。
小さい頃から可愛がっている人形の名前の由来が死刑囚の名前だと知ったらきっと今までの思い出が崩れてしまう。
私だけ怖い思いをするのは癪だが、いつも通り怪談を聞いたと思っていればどうってことない。
だから彼女がもう一度満島百恵を取り出そうとした時、私は全力で止めた。
「そんでね、話の続きがあるんだけど」
一体何の話の続きだろうか。
教室の時計を確認すると、意外にも休み時間はまだ十分に残っていた。
沙羅のせいで時間の感覚が狂っている。
とにかく満島百恵の話はもうやめてもらいたい。
メリーさんの怪談はもう終ったものだと勝手に思っていたが、どうやらそれは私の見当違いのようだった。
「ここら辺の近所に交通事故が多い交差点があるの知ってるよね? あの交差点で死んだ、男の子の霊が出るっていう噂があるの」
もちろんその交差点は知っているし、年に何度か死傷者が出ることがあるのも知っている。
通りかかるとそこにはいつも多くの花が手向けられていて、あまり通りたくない道の一つだった。
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「その男の子……ケイタくんっていうらしいんだけど」
沙羅は話を進める。
先ほどまでの明るい雰囲気は一切無くなり、暗く重い雰囲気を纏って。
またクラスの音が聞こえなくなっていった。
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「年齢は三歳くらい。
そのケイタくんはね、どうしてもおばあちゃんの家に行きたかったんだけど、お母さんがまた今度と言ってその日は連れて行ってくれなかったの。
その日、ケイタくんのお母さんはものすごい眠気に襲われて、お昼寝の時間にケイタくんを残して一人だけ寝てしまったらしいの。
そんなお母さんが寝ている隙にケイタくんは一人で家を出ておばあちゃんの家に向かってしまう。
道はお母さんと一緒に何度も通っていたから覚えていたみたいで、迷わずスムーズにおばあちゃんの家に近づいていく。
その途中にある例の交差点、いつもはお母さんが細心の注意をはらって安全の確認をしてから渡っていたんだけどケイタくんは左右の確認をしないで渡ってしまった。
その結果、猛スピードで通過した自転車に跳ねられて死んでしまった。
その自転車はその場から逃走しちゃって、いわゆる轢き逃げ事故になるのかな。
その犯人は未だに見つかっていないらしくって今もどこかでのうのうと暮らしているんだって」
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今の所ただの事故の話。
しかしこの話にはまだ続きがあるようで、沙羅の口は止まらなかった。
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「それでね、ケイタくんは一つおもちゃを持っていたの。
家の形をした箱に丸とか四角とか、いろんな記号の形の穴が空いていて同じ形をしたブロックっていうのかな
それを入れるおもちゃがあるんだけど、その時ケイタくんはそのおもちゃを新しく買ってもらってすごく気に入っていたのか
おばあちゃんに見せるために家の形をした箱の中にバツとかマルのブロックを全部入れて抱えて持っていたらしいの。
それで事故に遭っちゃった。
もちろん持っていたおもちゃごとケイタくんは跳ね飛ばされたんだけど、見つからなかったの」
そう言うと沙羅は急に黙り込み私の顔をじっとみる。
そんな彼女の目に吸い込まれるように、私はつい質問してしまう。
聞きたくないのに質問をしてしまうのは彼女の話し方が上手いからだろう。
「何が?」
恐る恐る質問する私の姿を見た沙羅の雰囲気が変わった気がした。
「おもちゃよ」
おもちゃとはさっき沙羅が言った記号の穴に同じ形の記号を入れて遊ぶ、いわゆる知育玩具のことだろう。
「全部? 壊れてたんじゃなくて?」
また質問をしている。もはやこれは沙羅の呪いかもしれない。
「壊れてたんじゃなくて、見つからなかったの。
その後の調べでわかったんだけど、家の中にも道中にも落ちてなかった。
だから消えたのよ。見つかったのは家の形をした箱と、その中に残っていたシカクのブロックだけ。
それ以外のバツとマルとサンカクとホシのブロックはどこにも見当たらなかった。
正真正銘、消えちゃったの。
それで、ケイタくんはおばあちゃんに見せるために未だそのブロックを探しているらしいよ
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轢き殺した相手に恨みを持ちながら……」
『パンッ』
沙羅が手を叩き私の緊張した体が楽になる。沙羅のいつもの怪談話の終了の合図だった。
「だからね、あの交差点を通るときは気をつけたほうがいいよ。
猛スピードで通ると呪われるんだって。
どのくらいのスピードで通ったらダメなのかはよくわかんないけど、全速力で駆け抜けるだけじゃダメだった」
あたかも自分で試したような口調で語る沙羅に恐怖心を抱く。
「あんた試したんじゃないでしょうね」
「昨日ねー。朝来るときに走ってみたんだけど昨日の夜何も起こらなかったからダメだったみたい」
やはりこいつは試していた。
もし自分の身に何か起こったらどうするつもりなのだろう。
いろんな意味で東沙羅という人間が怖い。
「もうそうやって危ないことするのやめな」
「そうそう、危なかったのよ!」
注意する私になぜかテンションを上げる沙羅。
「あれはやめたほうがいいね。うん、一人でするのはもうやめよう」
「何したのあんた」
「今日はね、自転車で通ってみたの。全速力で」
「バカじゃないの! 呪われる以前に轢かれたらどうするのよ!」
「そうなの! 轢かれかけちゃってさー。結局全速力で通れなかったのよ。いやー、しくじったわ。もうちょっとで呪われるかもしれなかったのに」
もう私の中から彼女にかける言葉を見つけることが出来なかった。
多分もう沙羅は何かに呪われているんだろう。
そして、私は沙羅に呪われている。
除霊をしてもらいたいと思ったのはこれがはじめてだ。
できれば沙羅も一緒に格安で確実に祓っていただきたい。
そうすればもう怪談を聞かなくて済むかもしれない。
「で、メリーさんとケイタ君の関連性はなんなの」
また質問をしてしまう。
しかし、ちゃんと知らないとお腹の奥がムズムズする。
これもきっと呪いだ。お金さえあれば今すぐにでも除霊してもらうのに。
「知りたい? ほんと千花は怪談が好きだねえ」
気になったら気になってしまうだけで、怪談なんて好きなわけがない。
――そもそも心霊なんて絶対あり得ない話の何が面白いんだか。
そうは思いつつ沙羅の話には吸い込まれてしまう。
「ケイタくんに呪われたら電話がかかってくるんだって。
メリーさんみたいだったって言う噂を聞いたから本当かなあと思って試してみたんだけど、失敗したし轢かれそうで危ないしもうやめた。残念だなー」
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***
本当にあの瞬間の彼女は悔しそうにしていた。
今思い出しても腹が立つ。
帰宅した私の部屋のベッドの脇には人形の入った紙袋が置かれていた。
帰り道、学校に忘れ物したから少し持っておいてと言われ、渡された紙袋を安易に持ってしまったのが私のミスだった。
沙羅を待って十五分ほど経った時、沙羅から先に帰ったというメッセージがスマホに届いた。
人のものを捨てるわけにも、ましてや人形を捨てるわけにもいかず、仕方なく家に持ち帰ってきた。
紙袋の中にいるものに見られている気がして勉強にも身が入らないし眠れるはずもない。
文句を言ってやろうと夜中の三時に沙羅に電話をかけたが通話中で出なかった。
満島百恵がここにあるおかげで嫌でもメリーさんやケイタくんのことを考えてしまう。
繋がりはあるのだろうか、たまたま似たような方法で呪い殺しているのだろうか。
考えれば考えるほどドツボにハマる。
そもそもメリーさんもケイタくんも実在するわけがない。
そう必死に言い聞かせて今日は無理やりに眠りにつくことにした。
――でも、満島百恵は両方とも実在するんだよなあ。
紙袋を持ち上げて視界に入らないように机の下に置いた。
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朝、結局寝付けなかった私はあくびをしながら席に着いた。
待ってましたとばかりに沙羅が話を始める。眠いのでやめてほしい。
とりあえず話を紙袋で遮り満島百恵を返却する。
出来ることならもう二度と見たくない。心霊以前に普通に怖い。
「あ、どうもー」
にやけながら受けとる沙羅の頭を小突く。
「あんたのせいで眠れなかったわよ」
「みっちゃん怖かった?」
まさかの直球の質問に、少し返事が詰まってしまう。
「怖くないわよ! メリーさんとケイタくんの関連性が気になっただけよ! あんたのせいで眠れなかったんだから今日もおごってもらうからね!」
必死に紡ぎ出した言葉はいつもより五割り増しの声量になってしまった。
二日連続で周りのクラスメイトに笑われる。
穴があったら入りたいところだが、ここで引いてしまったら沙羅の思う壺だ。
「何言ってんのさ。千花が自分で私に嫌がらせするために起きてたくせに」
沙羅の言葉の意味が理解できない。
「何よ嫌がらせって。あんな不気味な人形持って帰らせておいてどっちが嫌がらせよ」
「嫌がらせしたのは千花でしょ。
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夜中の三時に電話かけてきてケイタくんを装ってさ。
一丁前に非通知でかけてきちゃってさ。
最初電話かかってきたときには『きた!』って思ってずっと起きてたのに、四角の後は今の今まで何にもないし。ひどいなー」
「ちょっと待って。私本当にそんな事してない。三時に電話はかけたけど、通話中だったのよ。
本当に電話かかってきたの? ケイタくんから? ていうか四角ってなに?」
「本当かなー。最初は『僕ケイタ、今バツを探しているの』って」
「知らない知らない、本当に知らない。私そんな電話かけてない」
私が電話をかけたあの時、沙羅はケイタくんと通話をしていたというのだろうか。
背筋が凍り手の力が抜ける。
寝ていないせいか目眩のような感覚も襲ってくる。
「次はね『僕ケイタ、今マルを探しているの』でその次は三角、その次は星だったかなー。
嬉しくなって外に出てみたけど何にもなかったの。
マルとかバツとかもどこにあるのかわかんないしさ。
眠いのと残念感でベッドに倒れこんで何か起こるのを待ってたの。そ
したら最後の電話がかかってきてね『僕ケイタ、今シカクにいるよ』って言って切れたの。
三角とか四角って言われても何のことだかわかんなくて待ってたら何かあるかなーと思って待ってたら寝ちゃった。
結局今まで何もなかったから千花の仕業だって思ったんだけど、本当に千花じゃないの?」
ケイタくんの言葉に何か違和感を感じた。
何とも形容し難い恐怖が体を包む。
ずっと探し物をしていたケイタくんが、最後にかけた電話。私はその電話がなぜか引っかかった。
「あんたベッドの上に居たんだっけ」
「そうだよ、眠くってさ。ノックも聞こえないしずっと寝転んでた」
沙羅のその言葉で私の頭の中で何かが一つに繋がった。
「ベッドの下、覗いた?」
「ううん。覗いてないけど、もしかしてケイタくんそこにいたの?」
「いや、心霊現象なんて存在しないから。ただ、覗いてたら本当にどうしようもないなあと思って」
もしかしたら、昨日の夜。ケイタくんは沙羅の部屋に居たのかもしれない。
ベッドの下かクローゼットの中か沙羅からは見えないどこかにいた可能性はあった。
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もしも――電話をかけた相手の死角にいたのだとすれば。
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結局沙羅が助かった理由はわからなかったが、私はこう思うことにした。
ケイタくんは沙羅が危険な運転をしたことで沙羅に電話を掛け、注意をしたかったんじゃないか。
自分と同じように交通事故に遭う子供を増やさないように、おばあちゃんと会えるまで、ブロックを探しながら注意をしているんじゃないか……と。
そう思った方が怖くなく、感動的でいい。
きっと、轢かれかけて急ブレーキで止まった沙羅を、ケイタくんはもう許してくれているだろう。
そうでなければ、今頃私は沙羅と会えていないはずだ。
だから私はこの日の体育の着替えの時間
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まるで自転車事故で出来たような大きな痣が沙羅の背中にあったのを見なかったことした。
作者溝端翔
『ロリ巨乳の同級生が、ホラーにしか興味がない件について』シリーズ
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