俺がまだ都内のアパレル会社で働いていた頃の話。
部長直属の課に異動した俺は山川女史の下に着くことになった。
この山川さんとは以前、ひと悶着起こしたことがある。
彼女が担当したパンツを会議の席で散々に批判したのである。
「こんなクオリティの商品を俺達のものと同じ値段で並べて欲しくない。
パンツの企画は全部こっちに回せ。」
とボロクソに言った結果、泣かせてしまった。
若気の至りとはいえ完全に言い過ぎである。
以来彼女とは挨拶をする程度の関係であった。
今回の異動が決まった際も部長に、
「なんであいつが来るんだ。」
と食って掛かったらしい。
無理もない。
山川さんから見れば俺は「結果は出してるか知らんが生意気でいけ好かない奴」だっただろうし、そんな俺が色々やらかした挙げ句、自分の下に来るなんて気に入らないに決まっている。
俺の異動初日は山川さんへの謝罪からスタートした。
「今日付けで異動になりました▲です。宜しくお願いします。」
「聞いてる。」
「あの時はすみませんでした。」
「別にいいよ。クオリティの高い商品を期待してますから。」
うーん。めちゃくちゃ不機嫌そうだ。
初日から心を折りにきやがる。
これは手強そうだ。
部長は助け舟を出そうともせずに、新聞を読んでいる。
おい、お前が呼んだんだろ。
もっと気を回してフォローしろよ。
「で?何するの?言っとくけどデニム課とは全然やり方違うから。」
怖えよ。
笑えとは言わないから、せめて眉間のシワだけはとって下さい。
「はい。聞いています。
新人だと思って使って下さい。」
「え?新人扱いでいいの?ほんとに?」
急に山川さんの顔が緩む。
え?
なんか言質取られたか?
「なーんだ。なら良かった。
部長がバリバリに仕事出来るやつだから色々教えて貰えって言うからこっちも構えちゃってた。」
あいつか。あいつが言ったのか。
なんでそんなハードル上げるような事を。
ほんとに気が効かねえな。
「いやいや新人扱いで構いませんから色々教えて下さい。宜しくお願いします。」
「はーい。こちらこそ宜しく▲ちゃん。」
早速ちゃん付けだ。
なんとかなりそうだ。
急に優しくなった山川さんの後に着いて、取り敢えず初日は各部署に挨拶に回った。
俺も長く務めているのでほぼ全員知っている。
が、業務で関わった人は少ない。
そう思うとほんとに特殊な課にいたんだな。
俺は改めて実感する。
大体の業務の流れを把握する。
自分で企画からやっていた以前とは違い、デザイナーやCG、パタンナー等関わる部署が多い。
色んな先で決済を貰わないと進行が滞る。
うわあ、結構大変そうだぞ。
まあ慣れるしかないんだけど。
さて、仕様書や納期進行表なんか見てみようか。
あれ?
やけに使い辛い仕様書だな。使わない項目が沢山ある。こういうもんか?
納期表は?
うわ、見辛い。
こんなんで管理してんの?
ここ数式飛んでんだけど。
俺は今迄使って来たフォーマットとの違いに衝撃を受ける。
部長、話が違うんですけど。
何が「お前の課は特殊、こっちのやり方が普通」だよ。
どんぶりじゃねえかよ。
俺の先行きに暗雲が立ち込める。
いや、これも込みで異動して来たんだ。
やってやろうじゃないの。
なんだかんだであっという間に定時になり、俺は山川さんを夕食に誘った。
まだ色々聞きたいこともあったし、上司と仲良くなっておいて損はない。
それに俺は人間関係を友好にする為に気を使うのは嫌いではないのだ。
山川さんはやけに嬉しそうに承諾してくれた。
会社の近所のお店で夕食を食べながら軽く飲む。
山川さんが色々と聞きたがったので、今回の異動の経緯を話す。
話し終わると山川さんは
「大変だったんだね。明日からまた頑張ろうね。」
と言ってくれた。
なんだ、いい人じゃないか。
俺はいい機会だからと使っている仕様書等のフォーマットの不備を指摘する。
「なにそれ。じゃあどうしろって言うの?」
途端に不機嫌になる。
ありゃ?なんか地雷踏んだか?
「いや、だから使い易いように改善していきたいって話ですよ。フォーマットを。」
俺は慌てて続ける。
「誰がやるのよ。皆忙しいんだけど。」
「俺がやりますよ。」
「え?▲ちゃんやってくれるの?
良かったー。私も使い辛いと思ってたんだよね。」
思ってたのかよ。
いや、段々解って来たぞ。
この人細かい管理苦手な人だ。多分PCも苦手だ。
仕事回すのは上手いけど、処理するのが苦手なタイプだ。
逆にやり易い。
後ろでしっかりバックアップすれば勝手にガンガン仕事する人だ、この人。
上手くいけば劇的に効率良くなるな。
展望が開けた俺は今後の業務体制について山川さんと熱く語り合った。
「あー良かった。なんか凄くやり易くなりそうだね。」
そうですね。
「あ、今のフォーマット、他の課も一緒だよ。
由美ちゃんも使い辛いって言ってたし。」
嘘でしょ?
「明日皆に聞いてみてさ、使い辛い点とかまとめてみようよ。それでフォーマット作り替えてさ。
あ、あと他の課ともリンク出来ればいいよね。
使ってる業者被ってるとこもあるし。
ああ、なんか盛り上がって来た。
明日朝イチで打ち合わせしよう。」
ちょっと待って。
それも俺がやるの?他の課のも?
おい!部長!
全然管理出来てねえじゃねえかよ!
俺は余程ここに部長を呼び付けてやろうという衝撃に駆られたがグッと堪えた。
どうせ来たところで、
「フォーマット変えるの?いやあ助かるわ。
やっぱお前引き止めて良かったわ。俺の判断正解だったな。」
とか言うに決まっている。
上等じゃないか。
見とけよ、めちゃくちゃやり易くしてやるからな。
ああ、やっぱりいいように使われてるな俺。
ともあれ、こうして俺は再スタートをきった。
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異動して半年程経った頃。
「ねえ、▲ちゃん。怖い話好きだったよね?
これ行く気ない?」
山川さんから渡されたパンフレットを見ると、
「稲川淳二怪談Night in 逗子 」
とあった。
聞くと山川さんの友達が逗子で海の家を企画していて、人数分のチケットを取ってくれるらしい。
やばい。
超行きたい。
俺は稲川淳二先生の大ファンである。
高校の頃は片っ端から先生のビデオを借り、暗記する程見た。
ちなみに上京して初めて見た芸能人も稲川淳二先生である。
その時は固まってしまって握手もお願い出来なかった。
それにしても何であの時、先生はオカダヤ(新宿の生地屋)に居たのだろう?
機会があったら聞いてみよう。
「行きます。」
俺は即答した。
「オッケー。誰か連れてく?奥さん?」
俺の嫁さんは超怖がりだ。
多分連れて行ったら途中で泣きながら帰ってしまう。
それに2月に娘も産まれたばかりだ。
ああ、即答しちゃったけど大丈夫かな。
ただでさえ帰りの遅い俺は申し訳ない気持ちになる。
いや、稲川淳二先生の怪談を生で聞ける機会だ。
嫁さんも解ってくれるだろう。
「俺ひとり分でお願いします。」
「解った。あ、あと勿論私も行くから。
有給取って海で遊ぶけど、▲ちゃんも有給取る?」
いや、それは駄目でしょ。
流石に有給取って二人で海はまずい。
やましいところが無いとは言え、何言われるか解らない。
こういうとこあんだよな、この人。
無頓着というか、無神経というか。
「定時で上がって向かいます。ギリギリ間に合いますよね?」
「あ、そう?結構かかると思うから遅れないように。」
了解。
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当日、急ぎの仕事だけ片付けて帰り支度をしていると部長が声を掛けてきた。
「お、今から出発ですか?いいなあ海。
あ、不倫とか御法度だからな、バレたら覚悟しとけよ。」
「しませんよ。っていうか何で知ってんですか?」
変な噂が立っても困るから誰にも言ってないのに。
「山川が有給申請の時に言ってたぞ。『▲ちゃんと逗子行くんですー』って。」
アホかあの人。
無頓着にも程がある。
「稲川淳二見に行くだけですよ!あんまり大きい声で言わないで下さい。」
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「いや、皆知ってるから。」
嘘?
周りを見ると皆で目を逸らす。
勘弁してくれよ。
ああ、もう早く出よう。このままだと何言われるか解らない。
「じゃあ行ってきます!なんかお土産いりますか?!」
「サイン貰って来て。」
絶対嫌だ。
お土産は逗子の砂にしよう。
デスクにばらまいてやる。
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逗子はめちゃくちゃ遠かった。
なんだよ、この世の果てにあんのか?
移動だけでくたびれてしまったが、目の前に海が見えるとテンションがあがる。
思えばこんなちゃんとした海水浴場に来るのは初めてだ。
俺の地元も目の前は海だが、遊泳禁止のとこばかりだ。
そもそも俺は日に焼けると赤くなってしまうほど色白で身体も貧弱なので海にはとんと縁がない。
もう大分暗くなった砂浜を歩いて、目的地の海の家に向かう。
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あれか?
松明の灯った入口には「稲川淳二怪談Night in 逗子」の看板が立っている。
山川さんは何処だろう。
キョロキョロと辺りを見回すと、こちらに手を振る水着女性。
山川さんだ。
まだ水着なのか。
着換えないでそのまま観るの?
社内とは違う水着姿に動揺してしまう。
なんか見ちゃいけないような気がして、目のやり場に困る。
「着換えないんですか?ていうか一人ですか?
一人で遊んでたの?」
「そんなわけないじゃん。友達と。
もう中に入ってるって。」
ああ、そりゃそうか。
もう入っていいんだ。
「▲ちゃん水着は?
もう暗くなってきたけどフリスビーでもやる?」
やりませんよ。
後で「▲ちゃんと海でフリスビーした」とか言いふらされても困る。
ああ、でも短パンくらい持って来れば良かったな。
ちょっと後悔する。
「じゃあ、入ろっか。これチケット。」
チケットを受け取り入口へ向かう。
会場の横にはテーブルやイスが置いてあり、まだ入っていない人達が座って談笑している。
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ふと目をやると、
居た。
稲川淳二先生だ。
座ってスタッフらしき人達と談笑している。
控室とかないの?
突然の邂逅に驚く俺。
先生の衣装は浴衣だ。
夏らしく、よく似合っていらっしゃる。
山川さんの水着姿より、よほど興奮してしまう。
今日は例のスタンドカラーじゃないんだ。
少し残念。
あれ格好いいのに。
今度企画して作ろうかな。
ボツになったらサンプル貰おう。
俺の矢継ぎ早の独り言に若干引き気味の山川さん。
「もう、いいから入ろう。すぐまた見れるって。」
あ、サイン貰いたいな。
失敗した。なんも書くもの持って来てないや。
後ろ髪を引かれながらも、山川さんに引っ張られ会場へ。
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受付を済ませる、と横には物販ブースが。
やばい。
超テンション上がる。
稲川淳二Tシャツがある。
あ、CDも売ってる。新譜とかあるかな。
まるでミュージシャンのライブに来たかのようにはしゃぐ俺。
ドン引きの山川さん。
「いいから入ろうよ。」
「何言ってるんですか!?普通テンション上がるでしょ!
あ、このTシャツのM下さーい!」
「え?買うの?ってか着るの?」
何言ってんだ、こいつ。
ファンなら着て観るのが礼儀でしょ。
っていうか何で買わないのか理解出来ない。
アホなのかな。
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ああ、しまった。先に買ってTシャツにサインして貰えば良かった。
痛恨のミスに気付き動揺する。
アホはおれか。
戻ってサイン貰おうか真剣に悩む。
先生まだ居るかな。
二の足を踏んでいると場内から拍手の音が聞こえた。
ああ、始まっちゃう。
サインを諦めた俺は場内へ急いだ。
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中に入ると既に客席は一杯だった。
いや椅子なんかなく砂浜そのものだ。
スタンディング?
ではなく、皆で砂の上に体育座りしている。
ああ、こんな感じなのね。
取り敢えず空いている席、ではなくスペースに腰を下ろす。
山川さんが隣に座る。
「お友達のとこじゃなくていいんですか?」
「いいの、いいの。あの子らカップルだし邪魔しちゃ悪いから。」
「あんまりひっつかないで下さいね。」
「えー?どうしようかな。『祟りじゃー!』とかなったら怖いじゃん。」
おいおい、歳バレるぞ。
それに先生の話そんなんじゃないし。
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さて、いよいよ稲川淳二先生のご登壇である。
前の椅子に座るだけだが。
大きな拍手で迎える。
ああ、なんか緊張して来た。
なんの話するかな、新作あるかな。
最早、落語を聴きに寄席に来た感じである。
簡単な枕から始まり、一曲目。
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あ、これ知ってる。
好きな話だ。
いいなあ、稲川淳二。
眠くなる表現を「うとうと」や「うつらうつら」ではなく、「す~いすい」と言うところが素晴らしい。
『ユキちゃん…ユキちゃん…ねえ、今日なんにする?』
いいねえ、ゾクゾクしますなあ。
さあそろそろオチだぞ。
『そんな事しても帰らないよお!』
イエーイ。
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拍手をして隣を見ると、山川さんが蒼い顔をしている。
あれ?この話知らないの?
「やばい、結構怖いね。」
そりゃそうだ。怪談だもの。
でももっと、こう、なんと言うか稲川淳二節を楽しんで欲しい。
まあ、初めてならしようがないか。
怖がるがいい。
でもTシャツ掴まないで欲しいな、折角買ったのに砂が付いちゃう。
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2曲目、3曲目と話は続いていく。
あれ?
どうしよう、全部知ってるやつだ。
新作ないのかなあ。
大好きな話ばかりだが、知ってる話だけだとちょっと残念だ。
一緒に合唱出来るわけでもないしね。
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知ってる話が続く。
『この子、仮にAちゃんとしましょう…そのAちゃんの友達BちゃんとCちゃん……』
ああ、この話あんまり好きじゃないやつだ。
先生の怪談って登場人物が多いとイマイチなんだよなあ。
なんか描写が雑になる気がする。
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やばい。
眠くなってきた。
そういえば今日早く帰るからって、昨日は遅くまで会社に居たんだっけ。
ああ、駄目だ…瞼が重い…
先生の声はヒーリングミュージックの様に俺を眠りの世界へいざなう。
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す~いすい…
『Aちゃんが赤い上着…Bちゃんは青い長靴…Cちゃんは緑の傘をさして…▲ちゃんの周りをぐーるぐる……』
ああ、駄目だよ…
そんなに回ったら…
バターになっちゃう……
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拍手の音で目が覚める。
やばいやばい。ほんとに寝ちゃってた。
『それではこれで最後の話になりますが…』
もう最後の曲か。
ちゃんと聴かなきゃ勿体無い。
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『えー…これはAさんが小学5年生だったころ…』
ああ、またAさんか…
この話も聴いた事ある気がするな…
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『宿泊研修で学校に………』
うん?
なんだこの話……
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『嘘をついて驚かそうと……』
知ってる……
これは…
これは俺の話だ……
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『友達と架空の幽霊を……』
やめろ…
やめてくれ……
その話は……
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『おさげに黒いワンピースを着た……』
やめろ!
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一際大きな拍手に目を覚ます。
どうやらまた寝てしまっていたようだ。
心臓が早鐘のように鳴っている。
夢だったのか…
「ねえ、▲ちゃん…大丈夫?」
山川さんが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「大丈夫です。ちょっと寝ちゃってました。」
俺は笑顔を作り答える。
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「そんなに怖かった?酷い顔してるよ?」
「いや、ほんとに大丈夫です。
最後の話ってどんなのでした?
聴いてなくて、俺。」
「え?なんか、死んだ友達の足にお婆さんがくっついてたってやつ。」
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ああ、長い死体だ。
夏らしいチョイスで素晴らしい。
じゃあ、さっきのは夢か。
それにしても何で今頃あの話を。
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俺は胸の辺りに黒いモヤモヤを抱えたまま、勢いよく立ち上がる。
「さて、帰りますか。」
「そうだね。あ、私友達となんか食べて帰るけど▲ちゃんも来る?」
「いや、このまま帰ります。
今日はありがとうございました。」
これから食事してたら遅くなっちゃう。
それになんだか嫌な気分だ。
あの事を思い出したからだろうか。
「そっか、じゃあまた会社で。
お疲れ様。」
挨拶もそこそこに山川さんを残し、俺は家路についた。
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後日、出社した俺は逗子の砂を部長が置きっぱなしにしている革靴の中に入れておいた。
もうちょっと持って来ればよかったかな。
山川さんには、ある事ない事言い回らないように念を押しておいた。
何言うか解かんないからな、この人。
が、「稲川淳二の話に怖がって食事もせずに蒼い顔で帰った」と言い触らされ、
俺は部内で「肝の小さい男」のイメージを付けられてしまったのだった。
まあ、いいけどね別に。
作者Kか H