この村にはとても奇妙な風習がある。
夜十一時以降は村長からの特別な許可がなければ外出できない、この村から出られるのは村長が認めた者だけである――また期間は最長でも四年である、山ビトたちの命令は絶対である、とこの村にはほかにも様々なルールがあるわけだが、その中でも一つだけよく分からないものがあるのだ。
小学校、中学校、高等学校の各学年の各クラスの生徒をくじ引きで一人だけ選び、その者を一年間『触れてはいけないもの』として扱うこと――というものである。つまり、僕らの村にはどれも一つずつしかなく、しかもすべてクラスが三組しかないので、十二年間で総勢三十六人が触れてはいけないものに選定されることになる。なんでもこれはその一年村に起こる厄災や災害を食い止める生贄の儀式なのだという。通常、そういう災いを食い止めるのには数人の村人の命を生贄として捧げなければいけないのだが、この村を守る山ビトたちは優しい神なので誰も犠牲にすることなく我々に恵みを与えてくれるのだ、と大人たちは言う。
しかし、実際に山ビトの姿を見た者はいない。
両親に訊くとあれは村長と三十人で構成されている村の重要役員のみしか御姿を拝めないのだとか。
だから僕は納得がいかないのである。もしかしたら山ビトなどいないと思ったりもする。
僕は世界史の授業が退屈なのでそんなことをずっと考えていた。
今年は――。
僕は窓の外を見た。
窓の外には暗い顔をした女生徒がぽつりと座っている。異様な光景である。あまり見てると先生に殴られるので、急いで目をそらす。
今年の触れてはいけないものは青井さんだ。
青井さんはとても美人だ。小学校、中学校、そして現在高校二年になってもいまだ人気は衰えない。性格もよく、誰に対しても優しい。青井さんに好意を抱く男子はたくさんいる。
実は僕もそのうちの一人だったりする。
しかし今年の触れてはいけないものは何とその青井さんなのだ。
触れてはいけないものになった者に触れることは勿論、名前を呼んでもいけないし、食事だって給食以外はこの村の中心にある山の頂上の『山ビトの住処』で提供されたものを食べなければならない。なんでも食事は朝は六時に、夜は十二時にあるのだという。授業だってみんなと一緒に受けさせてもらえない。窓の外の小さなベランダに席を置き、そこから板書を取ったり、先生の話を聞いたりしなければならない。はっきり言って地獄である。
今までは綺麗だった青井さんの髪の毛はぼさぼさに乱れ、顔も別人のようにやつれている。それもそうだろう。今まで普通に話していたクラスの人や家族にまで無視されるのだ。想像しただけも身震いする。
「あはははははははっ」
窓の外から笑い声がする。しかし誰も反応しない。僕だって反応しない。
今ちらりと一瞬見えた青井さんの挙動は明らかにおかしかった。
先生は今黒板に何も書いておらず、ただ喋ってるだけなのだ。しかし、青井さんは一生懸命ノートに何か書いていた。
どしゃり。
厭な音がした。僕は思わず振り向いてしまった。クラスの何人かも振り向いていた。
窓の外の青井さんがいない。
「おい! 授業中だろうが!」
先生の怒号にドキっとしてすぐに前を見る。
どうしたんだろう。でも大体の予想はついていた。
放課後、誰もいなくなったのを確認すると僕はゆっくりと顔を上げ、音をたてぬようベランダのほうに近づいた。
青井さんの席の上にはかわいらしいシャープペンシルと普通の消しゴムとノートが閉じた状態で置かれていた。ノートの上にはかなりの数の髪の毛が落ちている。
僕はベランダの柵に手をかけ、恐る恐る下を覗いてみた。
青井さんが居た。正確には青井さんだったものだ。
首はあらぬ方向を向いており、口とそれと頭から真っ赤な血が流れ出ている。
僕は青井さんに向かって手を合わせ、それからノートに目を移した。
こんな場面誰かに見られたら僕はどうなってしまうのだろう。底知れぬ恐怖心がわきあがったが、好奇心がそれを塗りつぶした。幸い周りに人の気配はない。
僕は髪の毛をどかしてゆっくりとページをめくった。
――なんだろう。
ノートは三ページ目までは世界史の授業の板書であったが、四ページ目は違った。
人型の何かが書かれている。しかし人型ではあれど、普通の人のようには見えない。なんとも形容しがたい醜い見た目をしている。目と口は真っ黒に塗りつぶされており、目も口もどちらもだらんと下の方に伸びている。近所の駄菓子屋に置いてあった『スクリーム』という映画のお化けの面に似ていた。腹は毛むくじゃらで太っており、横にたるんだ線が三本引かれていた。腹の肉を表しているのだろうか? しかし一番気になるのはその下にあるものである。人間でいうと性器のある場所だ。
形状は棒状であるが、そこにびっしりと毛のようなものがそれを覆うように描かれていた。それがなんだか途轍もなくリアルで、今にも蠢きだしそうであった。まるで足が何本もある虫のようである。
僕は思わず吐きそうになった。
なんだこれ。
僕はノートを閉じ、逃げるようにしてその場を去った。
青井さんの死体は今もあのままである。触れてはいけないものは一年が終了するまでたとえ死んでもまったく触れられないらしい。その異常な村の空気感には恐ろしささえ感じる。もしかしたら山ビトというのは存在するのかもしれない。
あのノートの絵が頭を過ぎる。
来年は僕じゃありませんように。
僕は切実にそう願った。
作者なりそこない