これより先、私の独白とする。もし私に何かあった場合、遺書としてこれを残す。
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私は19××年。△△県の○○市に生を受けた。
この時点で両親の仲は冷えきっていた。何でも私が生まれる前から喧嘩ばかりしていたらしい。そのせいか解らないが、私は父親と母親が顔を合わせれば大喧嘩をしていた事しか記憶に残っていない。というか父親はそもそも家にいなかった。これは、私が××歳になった今でもさほど変わらない。まぁ両親に関する記述はこれからの話にあまり関係がないだろうからこの辺で止めておく。
小学生になった私は、ひたすら習い事をしていた。バイオリン、塾、水泳、書道、サッカークラブ。よくこんなことをしていたものだと今なら笑うことができる。しかも毎週だ。これらすべては私が中学校に入るまでの6年間欠かさず、そして一回もサボる事なく続けていた。
少し考えれば、子供にとって「サボる」というのは至極当たり前の事では無いだろうか。それを思いつきもしなかったのは、少なくとも全ての習い事が「嫌ではなかった」からだろうか。これは私の母親に強制させられていた事もあるのだが、私自身がそもそもあまり自分の状況を深く考えず、ただ自分に出来ることを全てこなしていただけなのかもしれない。
これに加えて、私は運動部にも所属していた。
だが、私は運動神経が壊滅的に悪かった。ではなぜ運動部に入ったのか?それは、母親に強制させれたからに他ならない。小学生は4年生から6年生の間、部活動にはいるものらしい。今考えるとふざけた話だと思う。
少し話がそれるが、何も私は世間の小学生が部活に入ることを否定しているのではない。「適性のない人間がその集団に属そうとする事」が愚かだと考えているだけだ。自分の居場所は他にもあるとさっさと見切りをつけて辞めれば良かったのだ。部活程度なら、辞めることはいくらでもできる。学校を辞める訳では無いのだから。
当時の私はそんな事を思い付くわけもなく、ひたすら部活の練習に耐えていた。運動部の活動は並大抵のものではないし、日々の習い事もある。そのため、私は習い事を優先し部活には最低限参加する日々を送っていた。本当に、なぜ部活を辞めなかったのだろうか不思議でしょうがない。最低限しか参加しない私を当然部活の皆が快く思うはずもないのだが、当時の私はそんなこと気付きもしなかった。
私が考えていたのは、如何に「部活に参加しながら楽をするか」だった。練習をサボってしまえば、親に怒られてしまう。だから、練習に参加はする。でも真面目に練習はしない。これだけを考えていた。私の生涯に渡る考え方の基盤は、この3年間で形成されたのだろう。当然だがちっとも技術は上達しなかったが、その部活には3年間所属しつづけた。良い思い出は一つもない。
これに反して、普通の学校生活は楽しかった。何故なら私は部活が嫌いだったからだ。あと勉強も出来る方だった。学校というのは勉強さえできれば、あとは先生と仲が良くなれば楽しくないわけがない。部活に比べたら勉強は楽しかったし、関わった全ての先生に私は気に入られた。真面目に勉強し、授業中積極的に発言もし、授業の他にも先生とよく話していた私が気に入られない訳がない。
他人の顔を伺い、機嫌をとり、取り入る精神もこの時形成されたのだろう。勉強も、私は勉強以外の時間の潰しかたを知らないのだ。漫画もアニメも知らない。ネットも知らない。勉強するしかないではないか。本当に愚かだと思うが、この時の勉強がなかったら現在の生活が無かったと思うと感謝するし、同時に憎くも思う。
友達は少なからずいた。母親同士の繋がりで、その子供と仲良くなったのだ。だがこれは今思うと忌々しいとしか思えない。母親同士が仲が良いとはいえ、その息子同士も仲が良くなるわけがない。少なくとも私は勉強もできて、運動神経も良いそいつらのことが嫌いだった。
何故なら遊ぶときは必ず運動しなければならなかったからだ。私の母親はそんなこと気付きもしなかっただろうが。そもそもそいつらの性格も大嫌いだった。むこうがどう思っていたか知らないが、私はそいつらが大嫌いだと内心思いつつ、そいつらと遊ぶしかなかったのだ。今さら新しい関係を作ることもできず(積極的に発言する私は生徒受けが良くなかった)、友達のいない学校生活というのが体裁が悪い。
先生へのイメージが悪くなる。「健全な生徒」を演じるためには、そいつらは隠れ蓑になったのだ。勉強のできて運動のできない生徒は得てしていじめの標的になるものだが、言わばそいつらはスクールカーストの頂点だったのだ。そこに属していた私はいじめられなどしなかった。沢山絡みはしたのだろうが、そいつらに関しての思い出も一切ない。当たり前だ。
私は中学生になって、習い事を減らした。塾とバイオリンだけになった。ところが、中学生になっても運動部に入ることになってしまった。これも母親に強制されたのだが、習い事が減った今部活に参加する時間は増えるだろうと思っていた。
先に学校生活の事を書くならば小学校となにも変わらない。そこそこ楽しかった。相変わらず勉強は出来たし、先生からも気に入られた。それだけだ。普通に楽しかったさ。
小学校時代と違って、趣味の会う友人もできた。一方で、上の奴等との付き合いも続けていたが内心うんざりもしていた。
一方で部活は最悪だった。練習に参加する時間は増えたが、そもそも適性がないため練習しても上達しない。そもそも上達させる気がないのだ。何で早く辞めないのか今でも不思議に思う。だが辞められなかったのだ。親からの重圧や、私自身に決断力が無かったのだろう。ひたすら私は耐える道を選び、徐々に私は歪んでいった。もとから歪んでいたのかもしれないが。同時に入部した私の友達がみんな辞めてしまったが、私は続けていた。
皮肉なことに、先輩や後輩とはかなり仲良くなっていた。レギュラーの地位を脅かす事もなく、基礎技術の手解き位はできる私はよく後輩たちに基礎を教えていた。また、先輩との雑談や雑用はすすんでこなしていたからだ。これも一重に練習したくないだけなのだが、むこうはそれに気が付くはずもなかった。
この時考えていたのも「練習に参加しながら如何にサボるか」これだけだった。そんな事をしながら3年間は過ぎていった。受験に関しては特に語ることもない。普通に勉強してなんなく第一志望の高校に受かった。
高校時代、この時代は本当に楽しかった。低俗な奴等もおらず、私は中学からそこそこ頭の良いその高校に進学したただ一人の生徒になった。友達は頭が悪かったし、親の友達は違う高校に進学した。つまり、人間関係がリセットされたのだ。案外、素の自分を受け入れてくれる人はいるみたいで、私は少ないが本当に仲の良い友達を数人作ることができた。好きな事も見つけ、運動部からは手を引き、それに没頭した。
この時代にアニメや漫画の楽しさを知ってしまい、勉強癖が抜けたものの、堕落はしたが没落はせず成績は上位だった。だが、後悔はしていない。この時代の楽しさに比べたら過去はゴミでしかない。相変わらず先生にも気に入られたし、クラスの人気者ではなかったが独自のポジションを築きあげて本当に楽しかった。良い思い出は沢山ある。
大学受験はそこそこの勉強の結果、今の成績を基準としてすんなり入れそうな大学をきめた。幸いなことにその大学は偏差値が高かったのだ。この時から、いや正確には高校時代から、あるいはもっと昔から、私は努力が大嫌いだった。苦手な事を努力して成長する幅なんてたかが知れている。適正のあるものをすさまじく伸ばし、下手なものは下手なままにする。という考えに支配されていた。そのため、受験も挑戦はしなかった。現在の力でなんとなく掴めそうな大学を第一希望にした。その結果、第一希望の大学にすんなり入ることができた。このことについて全く後悔はしていない。
私は浪人はしなかった。
大学時代、この時代も本当に楽しかった。文化系の部活に所属し、これまでその場しのぎの友達しか出来なかった私に生涯の友としたい存在ができた。上下の人間関係を教えてくれた先輩や心から信頼できる後輩もできた。活動は楽ではなかったが、昔に比べたらやる気も熱意も全然ちがう。仲間もいた。私は部活にのめりこんだ。本当に充実していた。成績はよくなかったが、留年はしなかった。なんとか毎日を過ごしつつ、本当に輝かしい日々だった。
3年生になると、研究室というものに入る。私はしたい研究というものがなかったから、自分の成績と釣り合いそうな、つまりあまり頭の良くない研究室に入った。勿論入念に下調べをして、リサーチをかけた上である。
勘違いしないで欲しいのだが、私は熱意とやる気は人一倍ある方だ。何故か。紛いなりにも第一志望であり、そこに所属した以上ちゃんと勉強もしたいと思ったからだ。このねじまがった熱意については、昔嫌な部活を6年間やり続けた事からお分かりだろう。改めて勉強しなおし、教授に何回も質問に行き、解らない文献を調べ、熱意をアピールした。その結果、教授に気に入られた。当たり前である。
その結果、そのまま大学院に進学した。これは私がしっかり就活の準備をしていなかったこと、私の学部では大半が大学院に進学すること、研究室の居心地は良かった事があげられる。だがここで気が付くべきだったのだ。私は研究に向いていない人間であると。気付いたところで遅すぎたのだが。
先月、一年半にもわたる私の研究成果が否定された。誰が悪いわけでもない。理系の世界は結果が全てだ。私があの手この手をつくして頑張った結果と、正解が違っていた。それだけのこどだ。それを否定した教授は私に違うテーマを与えられた。だが私は今の猛烈に悩んでいる。私は来年には大学院を卒業しなければならない。就職活動も終えた。これまでの一年半の成果が否定され、次の一年で結果を出せるのだろうか。わからないわからない。怖い。今私は猛烈に怖い。
そもそも私はものすごく心配性なのだ。自分にリスクがあることは極力避けてきたし、不確実なことはことごとく潰してはっきりさせてきた。挑戦も失敗するかもと少しでも思ったら全くしなかった。それが今否定され、結果を出せないかもしれないという恐怖に支配されている。
ただこんなこと、教授には相談できない。結果を出せるかどうかは教授にもわからないのだ。研究とはそういうものだから。怖い。物凄く怖い。そもそも前の研究だって、誰よりも長く装置を動かし、誰よりも早く出勤し誰よりも遅く帰り、週1の休みを返上してまで毎日やってきた事だ。誰よりも真面目に真剣に取り組んできた。だがそれは否定されてしまった。また0からだ。死ぬ気で勉強したのに、全部無駄だったのだ。
死にたい。辛い。将来がわからない。頼むからせめて卒業はさせてくれ。もういやだ。考えたくないんだ。不安はいやなんだ。最近は夜睡眠薬をのみ、さらに酒を飲むことで強引に眠っている。そうでもしないと眠れない。精神科にも行った。だが、医者はなんの慰めにもならずしばらく休みましょうとか抜かしやがった。休んで卒業出来なかったらどうするんだ?誰が責任とってくれんだよ。
辛いんだ本当に辛い。怖い。こんな悩み抱えるくらいなら消えた方がいいのかもしれないと大量の薬を目の前にして考える。そんな毎日。どうしたらいいんだ。もうわからない。わからないことがこわい。
作者嘘猫
ごめんなさい。今回の話は現在の私の話です。どうしたらよいのでしょう。もう毎日が辛いんです。お話として良いのかわかりませんが思いを綴らせていただきました。実話です。誰か助けてください