長編12
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本当の娘

友人の母は、いつもどこかイラついていたという。

彼女は神経質な程に理想や完璧主義を抱え、些細な事でも娘を責め立てたそうだ。

そんな環境だから、美央が早々に家を出たくなるのも無理はない。

だが、母は忌み嫌いながらも、何故か娘が離れるとなると激しく拒み…家を出る時もなかなかの修羅場で、「愛してるのに!!!」と叫びながら、包丁を振り回されたと聞いた。

寂しいからでなはく、ずっと側に置いて死ぬまで離さない…とでも言う様なその執着に恐怖を感じ、美央は夜逃げ同然で実家を離れたのだ。

私の地元であるこの地方都市に引っ越した今、もう母からは音沙汰が無いという。

だがそれでも、「いつ接触して来るか…」と、時折不安な様子を見せる美央の姿に、私は家庭不和がもたらす様々な苦悩を思い知らされた。

彼女自身は何の問題も無く、この新天地で頑張って自立をしているし、過去を話さなければ、どこにでもいる「普通の女の子」と変わりはない。

私も彼女の過去云々よりも、単純に彼女の人格が好きになったのであって…だからこそ母親との修羅場を聞いた時は恐ろしくてゾッとしたのだけれど、親友として付き合う上では、そんな過去は大した問題では無かった。

そして、あんな出来事が起きるというのも、全く想像もしなかった────

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私はよく美央の住むアパートで宅飲みをしていて、その日は高校時代からの友人の1人、愛奈を連れていた。

愛奈は、表情豊かで可愛らしい、人懐っこく天真爛漫な子だ。

だから、初対面の美央に対してもかなりフレンドリーで、趣味や仕事や、好きなドラマとかの話をする内に打ち解け、暫くは取り留めのない話で盛り上がった。

そうして時間が過ぎ、話題が幾つか変わる内に…次第に互いの悩みや愚痴を打ち明ける様になって、その流れで美央の身の上話に発展したのだ。

当時の美央は、普通に会話をしてる中でも、時折実家での軋轢をふと口にすることがあった。

本人は決してネガティブアピールをしている訳では無いのだが、不安や我慢を重ねてきた反動からか自然と口に出てしまうそうで…気を悪くしていないかと、よく私を気にする様子を見せていた。

しかし私からしてみれば、美央の話し方は同情を求める様な重苦しい感じは全く無く…さらっと笑い話の延長みたいに話すので、そういう意味では悩みに感じる程ではない。

むしろ聞き入り易いというか…「マジかよ(笑)」と突っ込みを入れたくなるような感じ。

だからこの時も、かなり酒が回っていたせいもあってか、いつもより笑いを交えながら「黒歴史」って感じに実家での様々な修羅場を話していて、私も隣で「あり得ないよなそれwww」とか、相槌を入れて話に混ざっていた。

だが…愛奈は違った。話を聞いている内に段々と朗らかな表情が消え…ついにはその場で立ち上がるなり、

「親を捨てるなんて酷い!」

と、事もあろうか美央を叱責した始めたのだ。

親と離れて暮らしている事を、そうせざるを得ない事情があるにも関わらず…どういう訳か理解しようとしない人間が一定数存在している事は知っていた。

だが、まさか愛奈がその1人だったなんて…と、私は突然の事で呆然として、愛奈がどうしてそういう事を言うのか信じられなかった。しかし実際…目の前では、

「家族は仲良くて当然」

「怒るのは愛情の裏返しだし、親の気持ちを考えないあなたに原因がある」

「ただのわがまま、被害妄想し過ぎじゃない?」

と…頑なに不幸な家庭の存在を信じようしない愛奈と、彼女から叱咤されている美央の姿があった。

普段ふわふわした雰囲気の愛奈からは、想像も出来ない位に険しい態度に私は驚きつつ、沈んだ表情の美央を見て、どうにか愛奈をなだめなければと、声を掛けようとしたその時────

「だったら、母と一緒に暮らしてみる?」

黙って叱責を聞いていた美央が…顔を上げ、愛奈に向かってそう言ったのだ。

聞けば美央の母、娘が出ていった事に若干ショックを受けていて、

「昔は私を愛してくれる良い子だったのに」

と嘆いていると…唯一連絡の繋がる、母方の遠縁の親戚から聞かされたそうだ。

私からすれば母親の自業自得としか思えないのだが、親戚達は

「放ったままには出来ない。でもこちらも介護で手一杯で、だからと言って娘を無理やり呼び戻す訳にもいかないし…」

と、少々頭を悩ませているのだとか。

というのも、母親は常に美央と周りの子を必要以上に比較しては、周りの子に対しては…それがたとえかなりの悪童でも、「元気で良いわね~!」という感じで褒め、逆に自分の娘の一切は全否定して、とにかく「娘以外は全員良い子!」という思考なのだという。

だから美央は、「母から言わせれば、私は『価値の無い出来損ない』だから無理だけど、あなたなら母も気に入るんじゃない?」と…

そして美央はおもむろに実家の住所を書くと、愛奈の前に差し出したのだ。

愛奈の言い分は納得出来ない。でも、流石にそれはやり過ぎだと、私はどうにか場を収めようとしたのだが…

「私ならあなたのお母さんと仲良く出来る!」

と言い放つと、愛奈は美央の実家の住所を書いたメモを受け取るなり、帰ってしまった。

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結局どうする事も出来ないまま、後味悪く飲み会は強制終了した。

美央からは、「私のせいでごめん」と何度も謝罪をされたが…元々は美央と2人で、お互いの相談を聞きながら飲む約束だったのを、当日になり愛奈から「混ぜて!」と言われ、安易に引き受けて連れて来てしまった、私にも落ち度があったのだ。

だから、「私も悪いんだし、そんなに気にする事無いよ」と伝えたのだが…やはり、愛奈の強烈な言葉がかなり突き刺さったのだろう。次の日もその次の日も美央は体調を崩して、仕事を休んでしまっていた。

心配になり彼女のアパートを尋ねると、美央は私の想像以上に疲れ果て…まともに食事すら摂っていないのか、顔はやつれていた。

そしてうわ言の様に、

「やっぱり自分勝手だったのか」

「私が間違っていたのか」

「私が良い子じゃなかったから…」

と、自分を責める言葉を繰り返し…袖の合間からは、手首をカッターで薄く切った跡まで見えていた。

聞けば美央の勤める部署に、どこでどう知ったのか母親が電話を掛けてきて、美央の上司が取り合った所、「あの女は娘のフリをしている詐欺師」だとか、「嘘つきは辞めさせろ」等と、滅茶苦茶な事を言ってきたそうだ。

上司はまともに取り合わずにそのまま電話を切ったと言うが…そんな事があって、美央は母親の言動や…それ以上に部署内の人間に怪訝な目で見られてしまった事を恐怖に感じ、足を向けられなくなっていた。

つまり、美央にとって恐れていた事態が起きてしまったのだ。

「親を困らせる酷い娘」「親不孝で可哀そうな人間」、そして、「そんな事する奴は最低最悪な、存在価値の無い人間」…

という、美央の心に呪縛の様に貼り付いていた認識やレッテル…それがとうとう、牙を剥いた────

どこからどう見ても、美央のメンタルはボロボロだった。

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私は彼女の家に泊まり、朝一で病院に連れて行った。

幸い手首の傷の方は浅かったが、精神的なストレスにより療養が必要と診断され、「1人にさせてはいけない」と、医師から指示された。次は多分、命の保証は出来かねないと。

しかしあいにく、精神科の病床は空いていない事が分かり…私は実家で、暫く美央を預かる事になった。

私の両親と美央は既に何度か交流があるし、私からも美央の家庭環境についてはそれとなく話していて、事情は理解されていた。

医者からも許可を貰い、家族に連絡をして手筈を整えると、私は美央を連れて実家に戻った。

しかし何故急に、美央の母親は電話を掛けてきたのか…しかも何故か「嘘吐き」呼ばわり。どことなく嫌な予感がしてはいたが、まだ信じられなかった。

だが…美央の部署に問い合わせ、上司という人に話を聞かせて貰うと…やはりその通りというか、私の予感以上の事が起きていた。

なんと愛奈が、美央の実家で暮らしていたのだ。

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まだ大学生だった愛奈は、学部の課題で「夏休みの期間を利用して、何か1つでもボランティアをするように」と言われていた事もあり、「独居女性の生活介助」と銘打って、美央から渡された住所を辿り、美央の母の住む実家を訪ねていた。

そして美央の言う通り、愛奈はいたく母に気に入られたようで…なんと美央の実家に「長期滞在」するまでになっていたのだ。

「私の事、凄く可愛がってくれるの!良いお母さんなのに…やっぱりあの子、酷い事するね!」

そう話す愛奈の口調に私はどことなく違和感を覚えたのだが、まだこの時はその本当の理由が分かっていなかった。

ただ、受話器の向こうで、愛奈の背後から聞こえてくる美央の母親の、異様な程に明るくてご機嫌な声…

「愛奈ちゃん、愛奈ちゃん」という猫撫で声が、まるで「ようやくお気に入りの人形を手に入れた」とでも言う様に聞こえ…私は言いようのない不気味さに、気分が悪くなった。

しかし、その一方で美央は、幸いにも私の実家で過ごす内に少しずつ回復に向かっていた。

処方薬が効いている以外にも、私の実家の、のんびりとした雰囲気も相まったのだろう。

とは言っても何も私の家族だって、言い方は悪くなるが「良く出来た人間」ではない。

人が好過ぎて悪賢い輩に騙されそうになった事もある位、のんびりし過ぎているのが長所でもあり短所なのだ。

だが美央からすれば、これ以上にない程に「幸せで穏やかな家庭環境」だった。

両親も祖母も美央を快く受け入れていたし…特に祖母に至っては、祖父が亡くなった喪失を埋めるかの様に美央を大層可愛がり、美央もそのせいか、日に日にいつもの笑顔を取り戻しつつあった。

そうして、美央が実家で過ごし始めて、1か月程経った頃だろうか…再び愛奈から連絡が来たのだが、その内容に思わず耳を疑った。

愛奈が、美央の母と養子縁組をしたというのだ。

余程相性が良かったのか…2人の仲は一緒に過ごす毎に、本当の親子の様に深まっていったらしい。だとしても、養子縁組までするなんて、常軌を逸しているとしか思えなかった。

だが、愛奈の実の両親も了承したそうで…既に手続きを終え、愛奈は正式に美央の母親の養女として、そして同時に、実の家族とも親子関係を続けるのだという。

愛奈が…美央の義理の妹って事になる…

それだけじゃない。私は美央から、「母親は仕事をしておらず、実家では親戚からの僅かな仕送りと自分の稼ぎのみで、カツカツの生活だった」と聞いていたのだが…

実は、美央の父親から離婚の際に「かなりの額」の慰謝料を貰っていたらしく、美央には一切使わなかった代わりに、愛奈と住む為の家の立て直し費用にするのだとか…

もはや全く理解が追い付かなかった。

ただ、その反面…美央はようやく、母親からの執着から逃れる事が出来たのでは?とも言える。複雑な心境ではあったが、私にこれ以上はどうする事も出来ないのも事実だった。

愛奈からはそれ以降連絡が来る事は無く、それと同時に美央にも対する母親からの接触行動もピタリと止んだ。

決して後味が良い結末とは言えないが…それでも美央の心には、再び平穏が訪れようとしていた。

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それから、数か月が経とうとしていたある時だった。

私は男友達から、気になる映画があるから一緒に見に行かないかと誘われ、何の気無しに誘いを受けて足を運んだ。

それはある無名の監督が撮影した、ミニシアター系のモノクロ映画で、かなり前の作品ではあるものの、一部の映画ファンから支持されていた事もあって、再上映されたものだった。

でも結局、誘った本人は本編の途中で寝てしまうし、終わったら終わったで「それ程凄い作品でも無かったな~」とまで言う始末だったのだが…

私はしばらく、鳥肌が収まらなかった。

ある洋館に住む、裕福でとても美しい母と娘…

一見、慎ましく華やかな暮らしをしている思いきや…退廃的で狂気とも言える異質な愛情で結ばれており、血の繋がりを無視した、欲望と情事のシーンが大半を占めていた。

ただの変わった百合系映画と言ってしまえばそれで終わりだが…私には偶然とは思えないシーンばかりが余りにも多く、思わず目を疑った。

特にあのセリフ…

「男共を排除したこの純潔な世界で、母と一緒に死にたい」────

この映画を見る数日前、私の働く部署にある人達が訪ねて来た。愛奈の実の両親だ。

「娘の行方が分からない、何か聞いてはいないか」と…

連絡を取ろうにも全く繋がらず、彼らはここ1か月程、幼馴染や友人をしらみつぶしにあたっては、何か事情を知らないかと尋ねていた。

そして私が、あの夜の飲み会の事や養子縁組の事を伝えると…彼らの顔色が一気に青褪めていった。

両親は、愛奈が養子縁組をしたという事実を全く聞かされていなかったのだ。

勿論その相手が知り合いの母だという事も知らず…当の愛奈は、私に養子縁組をしたと連絡をしてきた頃と同時期に、書置きを残して突然家から出て行ってしまったそうだ。

「愛する人が出来た」と…

帰り際、両親は

「やっぱり病院に連れて行くべきだった」

「あれはただの架空の物語なの、子供の時からそうだったでしょう」

「のめり込んだで済む話では無い」

と…遠くからでも聞こえる様な大声で、口論しながら去って行った。

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本来の愛奈は、これと言ってキャラクターに特徴の無い、云わばどこにでもいる「普通の女子で」…家族愛に溢れている訳でも、天真爛漫な性格でも無いのだ。

愛奈はいつ頃からか、ドラマや映画の中の登場人物に過剰なまでに感情移入し、その性質が実生活にまで影響を与えてしまう程になっていた。

飲み会の時の豹変ぶりは、恐らく同時期に放映されていた、朗らかな家族愛を描いたドラマの主人公に影響されたのだろうと思う。その前は刑事ドラマのキーパーソン的な影のある女性。そしてその前は、恋に一直線な、清純な女子高生。そして今は…

実の娘を「亡くした」未亡人と、その女性を「母の様に」慕う旧家の娘────あの映画に出ていた親子の正体だ。

映画の中盤で、娘に恋をする青年がその不思議な関係に疑念を持ち…結果2人は「血が繋がっていない」と判明する。

既に自らを「本当の娘」だと思い込み、実の家族から離れようとする娘に説得を試みるも、青年は、「仲を引き裂こうとする悪魔だ」「酷い人間だ」と罵られ、最後は2人に毒を盛られて絶命する。

そして母娘は、

「男共を排除したこの純潔な世界で、母と一緒に死にたい」────

そう誓い合う様に言うと、再び閉ざされた世界の中で情事に耽り…映画は終わる。

「母はさ…ずっと気性が荒かったけど、良く言えば感受性が高い人だったのかなって、たまに思うんだよね」

美央は私の実家を出た後、暫く療養を続ける為に会社を辞めた。

カウンセリングに通っている内に、母親が本当はどんな人だったのか…色々と考えさえられたそうだ。

美央の母は昔、女優志望だったと…子供の頃に聞かされた事も思い出したという。映画を見ては、その登場人物を真似ては演技らしきものをしていたそうだ。

中でも特にお気に入りの映画があって…成人映画だった為に、当時子供の美央はその内容を知らされずにいたが、恐らく父と離婚したのはその影響が強いのでは?と、気づいたそうだ。

そして、母が自分に対する態度が変わり始めたのも、その頃からだと…

「母は…本当は、夢を叶えたかったのかもね。それで自分の中に、色んな感情や色んな人格を住まわせてしまったのかな…自分を、コントロール出来なくなる位に…」

美央はそう言うが…果たしてそうだろうか。

「彼女達」は、夢を叶えたのだと思う。

親戚から送られてきたという、建て替えた実家の写真は、片田舎にはやや違和感のある洋館だった。そこには仲睦まじい親子の姿こそ写ってはいないが、恐らく契りを交わし合った2人がこの中にはいる筈だ。

美央はまだ何も知らない。…いや、知らない方が良い。いつかは分かってしまうかも知れないけど、そうならない様に私は出来る限りの事はしようと思う。

何故なら美央はこれから、今度は私達の家族と共に生きるのだから。

兄もやるよな…結婚だなんて。ずっと独身貴族だったのに、一体何のドラマに影響されたのかな。

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@カイト 様
読んでいただきありがとうございます♪
今後どんな「役」にハマってしまうのか…積み木崩しや、凶悪犯モノに行ってしまったら…
キャラに自制が効かない性質の恐怖を描いてみました。

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@さかまる 様
読んでいただきありがとうございます!
真実が分からない…これが一番怖い事の1つだと思っています(^◇^)

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