「島崎!?どこにいるんだよ!今、俺達向かってるからさ…いいか?そこ動くんじゃないぞ?」
僕の隣で、川上の必死な声が聞こえる。
深夜を過ぎたタクシーの中…僕達は島崎の行方を探していた。1度は見放したものの、結局心配になって後を追ったが、彼はもう、僕等の手の届かない場所にいた。
微かに聞こえていた声は徐々にノイズにかき消され、やがて完全に聞き取れなくなった後…完全に途切れてしまった。
「…どうしよう…どうしよう…」
青ざめた顔の川上が、震える声で呟く。…僕は何も言えなかった。いや、言える筈が無い。
彼は、酒に酔ってなどいないと。
悪酔いのふりをして、わざと川上から見放されるように演じたのだと…今更弁明した所で、信じて貰える訳が無いのだ。
島崎からすれば願ったりだろう。だがやはり、川上の動揺振りを間近で見てしまうと、罪悪感で胸が締め付けられた。
でも、もう島崎を止めることは出来ない。
彼はあの場所で、約束通り儀式を行ったのだ。
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「村本?久しぶり…」
久々に耳にする彼の声…卒業して以来、実に2年振りだ。
あの出来事の後、僕等は更に交流を深め…ついに1歩踏み入った関係にまで至っていた。
表向きには親友と言う関係を見せつつ、裏では人の目の届かない場所や、僕の部屋で逢瀬を繰り返した。
想いが受け入れられた喜びと、身体を重ね合う悦び。
まるで熱病に冒された様に、僕は島崎を求めた。その想いが、少しずつ自制が利かなくなっている事にも気付かず、
このまま溶けてしまいたい、いっそこのまま消えてしまいたい…言葉にこそしないが、心の奥底ではそんな風に、本気で思うようになっていた。
だが、島崎は察していたのだろう…
僕が恋愛感情よりも、段々と欲情のままに体を重ねてしまっている事に。
それがきっかけだったかは結局分からず終いだが、お互いの気持ちが食い違い、結果別れに至る迄は…余りにもあっという間だった。
それからの僕は自棄になり、彼の連絡先を捨て馬車馬の様に働き、そして彼との一切の思い出を忘れて生きようと努めた。
だが…酷なものだ。前を向く気力は、既に自分の中に残ってなどいなかった。
それに加え、想像していた以上にシビアな社会に溶け込む為に、精神を擦り減らし…それがいつの間にか、ジワジワと心を蝕み始めていた。
これから先もこの世界で…喪失感を抱えたまま、この穴凹だらけの心で生き続けるのか?
村上でさえ、何のコンタクトも取って来ない。もしかしたら見捨てられたのかも知れない…いや、最初からそのつもりだったとしたら…
何故僕は苦しまなきゃならない…何で「向こうの世界」に呼んでくれないんだ!
そんな考えが、そんなどうしようもない不安が積み重なり――――
遂に僕は発狂し、意識を失った。
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気が付くと僕は、病室のベッドに寝かされていた。
実に3日もの間、僕は意識を喪失していた為に状況が全く読めず混乱したが、両手首に分厚く巻かれた包帯を見て…僕は自殺を図ったのだという事をようやく理解した。
診断の結果、重度のストレス負荷による精神耗弱…言うまでも無く、僕は長期療養を余儀なくされた。呆気無い、社会からのドロップアウトだ。
貯えも十分過ぎるくらいに有り、精神を落ち着かせる時間の余裕が出来たのは幸いだったが、絶望と孤独が、常に自分の真後ろで、紙一重の距離に待ち伏せているという事実は簡単には拭えなかった。
終わりの見えない、まるで世の中から取り残された焦燥…
だが、そんな精神状態の中だったからこそだろう。突如として受話器の向こうから聞こえてきた島崎の声は…正に微かな、一縷の希望だった。
「島崎!?…君なのか?」
「そうだよ。玲汰、大丈夫か?元気にしてるか?」
昔と変わらない、ハツラツとした声…例え以前の様な関係に戻れなくても、再び彼と繋がれたという事に、僕はどれ程僕は安堵しただろうか。
島崎は、大学時代の友人の1人だった川崎からSNSに招待され、その流れで僕に連絡をくれたそうだ。
それぞれが住む地域も何もバラバラだったから、実際会う事は無かったけれど…あくまでも「親友」として、僕と島崎は付き合いを再開する事が出来たし、お互いの投稿を見せ合うという着かず離れずの方が丁度良く…結果、良い関係に落ち着くことが出来ていた。
島崎も川崎も恋愛や仕事をそれなりに経験し、若く無鉄砲だった時代を懐かしむ程に歳を重ね…僕もその後、何とか社会に復帰し、どうにか前を向いて生きていた。
そして…ようやく村上からも、「約束のハガキ」が届いた。
差出人の部分に、馴染みのある名前が書いてあったのはかなり驚いたが…それ以上に、島崎と僕とで彼を「成就」させる事が出来たという事実に、何より喜びを感じた。
それに、村上は僕等を見捨ててなどいなかった…と。
このまま、平凡でも退屈でもいい…穏やかな友情と、ささやかな期待を以って時が過ぎてくれればと…僕は「この世界」にようやく、未来を望み始めていた―――――
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玲汰…お前は今、望んでいた人生を歩んでいるか?
お前と別れた時、俺はこれでいいんだと思ってた。お前の狂いっぷりがどんどんエスカレートしていくのに辟易していたし…何より俺自身が、それを受け止められるほどデカい器じゃないって、情けない程知ったんだ。
あのまま関係を続けていたら、俺はお前をもっと傷つけていたかも知れない。このまま幸せにはなれないって…怖くなったんだ。
でも、嫌いになった訳では決して無い…これだけは本当だ。俺は、お前からの好意が凄く嬉しかったし、何よりここまで深い関係になれた人間も…玲汰1人だけだ。
だからかな…あの後も幾つか恋愛をしたけど、何か味気無いんだ。楽しい思い出もそれなりにあったけど、玲汰に向ける程の感情を持つ事は全然無かったよ。
日常だってそう。ただ与えられた仕事をこなして…そして金を貰って、ひたすら「生活」を、「普通」を維持し続けるために必死に生きる…有難い事なのにさ…何だろう?
背中越しに、真っ黒でドロドロとした途方の無い闇が口を開けてるんだ。まるで、「こっちに来い」とでも言う様に…
俺にはもう、「この世界」のあらゆる事が…どうしようもない程に憔悴して、前に進むのも億劫で退屈で…前を向いている様で、諦めにまみれているようにしか見えない。
…希望を抱く気力も期待も、そして未来も大して望まない…目の前の、自分達にとって邪魔で卑しいと思う存在を蹴落として、見下す事に注力する…そんな、傲慢と惰性と無気力が支配する世界で、果たして生き永らえたいと思うか?
玲汰、お前はどんな気分になる?
俺はもう、「あっち」に行こうと思ってるんだ。俺にとっての、今の唯一の希望…それがようやく、俺の所にも届いたんだ。
許してくれなんて…難しいよな。でも、その前に1度、もう1度お前に会いたい。
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同窓会の最中、僕が「結婚のハガキが来た」と言った瞬間、島崎は目を丸くして僕を見た。
彼はどうやら知らなかったらしい。僕が村上に「合図」を送るように頼んだ事…そして僕も、島崎の元にハガキが送られた事を、知らされていなかった。
「君の所にも来たのか…やったな。僕等成功したんだ…!」
トイレの個室でひっそりと落ち合い、僕等はその事実を確かめ合い喜んだ。だが…
「ああ…そうだな…俺も嬉しいよ、なあ?お前、この『捧げもの』…いつ使う?」
その言葉を聞いた瞬間、僕は悟った。
「島崎…もしかして『鞍替え』するのか…?いつだ?」
「今晩…この飲み会が終わったら…俺は『あっちの世界』に行こうと思う…」
「なんでそんな…!…どうする事も出来ないのか?…俺は微力でも、支えて―――」
「無理だ!!…もう、そうするしかない…ごめんな玲汰…分かってくれ…俺にはもうこの世界に希望が持てない…騙されて裏切られて…裏切って人の人生をボロボロにしかけて…そんな状況なのに誰一人同情もしない、無感情に傍観して…そんな世界俺にはもう耐えられないんだ…済まない…行かせてくれ…」
島崎は、何一つ遜色のない順風満帆な人生を歩んでいると、そう思っていた。
実際、卒業後は普通に就職して、結婚を約束した相手も出来て、公私共に満足していると…そうSNSにも投稿していた。
だが、それは「表向き」でしか無かった。企業内の権力争いに巻き込まれ、派閥同士の競争の為に精神を削り…その為に自らの家族と離れ、婚約者とも別れてしまった。
そんな過酷な状況下でも、島崎が自らの手を罪に染めずに耐えて来たのは、いつか素晴らしい未来がその先に待っていると信じていたからなのに、それすらも…そんな希望すら踏みにじられてしまった。周囲の、無関心で無協力で、それでいて生きる力を奪い去り、叩き落して哂う事が楽しみな人間達に。
それからはもう、ひたすらに村上からの「合図」が来ることだけを待っていたと…それだけが、唯一の希望だと。
もう僕が、彼を留めておく理由を与える事は出来なかった。
ならば…僕の答えは、1つだった。
「…行けよ…それが君にとっての希望なら止めない、だけど…お願いがあるんだ―――――」
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視界が、熱を帯びた様にぐにゃりと歪んでいく。
やがて台風の時の様な強烈な風に包まれて…次第に「引き剥がされていく」感覚が僕の身体中を支配し始めると…轟音と共に、僕の「身体だったもの」は地面に倒れた。
そして…その様子を微かに見送った次の瞬間、目の前が靄がかかったように白け、ピタリと静寂が訪れた。
意識だけの中で…まるで翼が生えた様な感覚で浮かんでいると、不意に誰かが僕の声を呼んだ。
「…ぃた…!れ…た…玲汰!」
「…しま…ざき…君なのか?」
僕の知る、かつて僕が求めていた頃の姿で…島崎が僕の手を握った。
「…待ってたよ。こんなに早いなんて…」
「…約束したろ?…僕もそっちに行くって…ここはもう…こっちの世界なのか…?」
「そうだ…村上もまだ、こっちにいる…そろそろ『生まれ変わる』って言ってるけど…」
「…新田先輩に『鞍替え』するんだろ…?夢が叶うんだな…」
「フフッ…そうだよ、俺も…今度はもっとちゃんと…いや、今はまだいいや…」
「なあ、この世界はどんな感じなんだ…?」
「まあ…楽しいよ!どんな怪しいものかと思ってたけど…なかなか面白くてさ。しばらくはこの世界で過ごす予定だよ…お前は?」
「僕も…僕も居たい…島崎と…」
「玲汰…ごめんな、あの時…お前を突き放してしまった…でも本当は一緒に居たかったんだ…」
「…分かってる…僕…やっぱり…君の側に居たいんだ」
「うん…玲汰、『生まれ変わる』まで…その時が来るまで、一緒に居ような…―――――」
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次に現実世界に戻った時、そこに広がる世界は果たして楽園になりうるだろうか?
以前より素晴らしいものに、理想郷に見えるだろうか?
肉体なんて所詮は器だ。何が起きるかわからない…事故や天災や病気で…簡単に失われてしまう、未熟で曖昧な存在だ。
意識のみで創られた世界は、今の所その心配はない。けれど、いつかまた、僕は元の世界に戻らなければならない。そう…残された友人のいる現実に。
「なあ、島崎…あいつにも何か連絡してみようか?」
「…そうだなぁ、心配かけたし…俺、あいつの事怒らせたしな…なんて書く?」
「うーん…こんなのは?『待ってるから、君もいつかこっちに来いよ』って…」
「おお!いいんじゃないか?ん、でも待てよ…川上の奴怖がりだからな…まあ、いいか!」
たとえ生まれ変わっても、僕等は一緒だ。離れ離れになったとしても探してみせる。
君と一緒に生きたい。今度は誰にも、希望を奪わせない―――――――
僕は意識の中で、強く願った。
作者rano
結婚のハガキから連載していた「虚構の世界」シリーズの最終話&エピローグです。
恋愛の要素が入ってしまったのは自分でも意外です。人間ドラマ的なものになってしまいましたが、読んでいただけると嬉しいです。