子供の時からずっと、家族から「絶対に守るように」と言われていたことがある。
高校から寮生活で家を離れるまで、ハッキリとした理由も教わらぬまま…ただひたすら「守らないと危ない目に遭う」と言う両親の言いつけの通り、私はその約束を守ってきた。
私だけじゃない。兄も、幼馴染も、あの村に住んでいる子供たちのほぼ全員が言われてきた事だ。もっと言えば、私の親も祖父母も…とにかく先祖代々、守らなければならない事らしい。
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それは、子供達が冬休みに入り、私の地元で過ごす初めての冬の事だ。都会育ちの息子と娘は、その積雪量に驚くと共に、夏休みにいつも父がかき氷を作って与えていたせいか、
「これで何人前出来るかな!?」
「この雪ぜーんぶに、シロップかけたいなー!」
なんて言いながら、大いにはしゃいで終始笑みを浮かべていた。
彼らの祖父母である私の両親も、孫が雪と戯れる姿に目を細めてそれはそれは喜んでいた。
が…大変なのはここからで、ひとしきり外での遊びが終わると、今度は家の探検が始まるのだ。
「そっちはダメ!」「走らないの!」と私がキツく言っても聞かない年頃。
母の料理の手伝いの傍ら、危なっかしい足取りでじゃれ合う子供達にハラハラする私をよそに、兄はテレビの野球中継を見ながら「あいつら元気だなぁ(笑)」なんて呑気なもんで…夫も父とゴルフの話に夢中になっている始末だ。
はぁ、どうしてこうも男は当てにならないのだろう…と、ため息をついたその時、
「ギャッ!」
悪い予感が的中した。廊下の奥の方から、息子の叫び声が聞こえてきたのだ。
「ほおら言わんこっちゃない…」
私は台所を離れ、仕方なく息子の声がした方に向かった。
老朽化を見越して、リビングや寝室、お風呂場などの主な居住域は数年前にリフォームを行い、実家は以前よりも明るく綺麗になった。
だが、廊下の先にある古い木造の奥の間や離れは、昔と変わらない姿を留めている。私は昔から、この奥の間や離れが苦手だった。
日陰に位置していて昼間でも薄暗く、夜になるとより一層…闇に溶け込んで鬱蒼とした姿を見せる。子供の頃夜中にトイレに行こうにも、それを見るのがとても嫌で、我慢した結果おねしょをして母を困らせた事も何度かあった。
大人になった今でも、私はその雰囲気に足がすくむのだが…子供達は良くも悪くも怖いもの知らずなのだ。更に、自宅の狭いマンションとは違い、木造の大きな家とあって…来る度にはしゃいで走り回っていた。が…幾ら楽しいとはいえ、怪我でもしたら大事だ。
「大樹ー!玲奈ー?大丈夫ー!?どこにいるのー?ちょっといい加減にしなさいよー」
そう呼びかけながら、息子の声のした方に向かって廊下を進んでいく。夏休みの時の様に、勢い余って足を滑らせて転んだのだろう…そう思っていたが、声はおろか、一向に子供達は姿を現さない。
「ああ、もしや…隠れて私を驚かそうとしてるな…」
私はふと、以前子供達にされた悪戯を思い出した。びっくりして尻餅をつく様を見て、ギャアギャア笑い転げる2人…所かまわず駆け回り、言う事なんて全く聞かない。どんなに可愛くても苛立ちは募る。私は半分自棄になって、廊下の奥に向かって大声を出した。
「大樹!玲奈!黙ってないで出て来なさい!!!」
すると私の声が効いたのか…廊下の角の柱から、ようやく玲奈が小さな体を半分覗かせた。お仕置きで尻を叩かれると思っているのだろう。俯いたまま、じっと柱の側で動かない。
力任せに怒鳴ってしまった事に凹みつつ…私は、どうにか気を落ち着かせて娘の元に向かい、体に怪我が無い事を確認しながら「お兄ちゃんは?」と聞くと、娘は今にも泣きそうな声で、
「…こけた…」
と、一言小さく呟いた。
やっぱりそうか…と思いため息をついた。だが、肝心の息子が近くに見当たらない。
「どこに隠れてるの?」
再度娘に尋ねると、娘は私の方を向いたまま廊下の奥を指さした。すると、突き当りを曲がった廊下の奥に、うずくまる影があるのが分かると同時に…
「さむい…さむい」
という、大樹の声が聞こえてきた。
廊下と外は防寒の為に2重の窓ガラスで仕切っているとはいえ、古くなった板木の隙間から入ってくる外気のせいで、足元はかなり冷える。
「大樹!大丈夫!?」
と声を掛けるも、息子は「さむい、さむい」とそればかりで、一向にこちらに来る気配が無い。もしや転び方が悪く怪我をして、寒さで動けずにいる…?そう思った途端に一気に不安が募り、私はその暗がりに足を踏み入れた。
しかし次の瞬間だった。
「そっちに行ったらいかん!!!!!」
突如、耳をつんざく大声が背後から響き…振り返ると、背後にはいつの間に来たのか…母が立っていた。
「あれは大ちゃんじゃない!!あんた約束を忘れたんか!?」
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後にも先にも、あんな恐ろしい剣幕をした母の顔は見たことが無い。
普段穏やかな母からは想像のつかないその形相は…私や子供達ではなく、背後の暗がりの奥に向かって言っている様に聞こえた。
「うわぁーん!!」
母の剣幕に怯え泣き出した娘に気付き抱きかかえると、母は「早うこっちに!」と、今度は私の腕をぐいぐいと引いた。私は何が何だか訳が分からず…
「大樹が!大樹があっちにいるのよ!」
と訴えた。だが…母の口からは、信じがたい事を聞かされた。
「大ちゃんはこっちに…さっきからずっと兄ちゃんと一緒にいるんよ…!あんた一体何を聞いたの!?」
その途端、背後からずっと聞こえていた大樹の声に、急に違和感を覚えた。
声は確かに息子に変わりはない。だが…「寒い寒い」と言う割には、声が震えていないのだ。それに、いつもなら転んだ後ギャン泣きな筈なのに…背後にいる大樹は、泣いていないどころか、
「さむい、さむい」
と…機械の様に声を繰り返し続けていた。
大樹じゃないとしたら、後ろにいるのは…?あれは一体…?
来た道を戻ると、母の怒号に驚いた夫と兄がリビング近くの廊下で待っていて、グズグズに無く娘と顔色の悪い私を見た夫は「え!?え…?どうしたの?」と、私と同様に状況が全く読めておらず、兄は廊下の奥をまじまじと見ながら、「…冗談でしょ…?」と、言葉を震わせた。
奥では父が電話で話しているのか、「うん、うん…そうみたいだ、早よう来てくれ!」と誰かを呼んでいる様子で…母と同じく、何か事情を知っているようだった。
そして母の言う通り…大樹は兄の背中に隠れ、不思議そうにこちらの様子をキョロキョロと伺っていた。
「おかあさん、僕ずっとここにいたのに、なんでー?」と…
大樹だけじゃない。私が確かに聞いた「ギャッ!」という悲鳴を、リビングにいた家族は、誰一人として聞いていなかったのだ。
皆、私が突然台所から廊下に出て行く事を不思議に思っていたようで…母が気になって後を付けると、廊下の奥に向かって、しきりに息子の名を呼ぶ私の姿があったという。
そして、廊下の奥で確かに聞こえていた「寒い」という大樹の声も、母には一切聞こえていなかったのだ。
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玲奈は暫く泣き通しだったが、次第に疲れてぱったりと眠ってしまい…何を見たのかを聞く事は出来なかった。だが…あの声と、私達がずっと守り続けてきた「約束」には深い関りがあり、守らなければならないその理由を、私はようやく知る事となった。
父が電話で呼び寄せた1人の初老の女性…彼女はこの村の名士で、行事を行う際の主催や、役場とのパイプ役を担う、村の人間から信頼されてきた人だ。そして何より…彼女の生まれ育った一族、先祖こそが、この村で代々守られてきた「約束」を作った人間だった。
村の奥に佇む山の中腹…その森の中には、この村の先祖が代々大切にしてきたものがあり、それはかつて神聖なものとして信仰の対象となっていたが、時が経つにつれて穢れ…災厄を与えるものになってしまったという。
先祖曰く「小さな石の欠片」だそうで…自然信仰の一種だというが、ハッキリと見た者はもうこの村にはいないそうで、本当の所はよく分からないらしい。
だが…さっき私が見たあの影は「災厄」の前触れで…影に触れると、災いに見舞われてしまうのだという。
その一つが、今からおよそ150年前に起きた「大水害」だそうだ。
災害の前日、当時の当主が家の中に人影がいることに気付き、泥棒だと思った当主は、住人を集めて木刀で滅多打ちにしたらしい。しかしそれは靄の様な「黒い影」で…しかも当主が若い頃に、手籠めにして捨てた女の姿をしていたという。そして影は苦しむように姿を歪ませると、ふっと消えてしまったそうだ。
彼らは目の前の不思議な現象に驚くも、何事も無く済んだと安堵したのだが…その日の夜の事だ。何の前触れもなく急に大雨が降り山が崩れ、翌日の朝には村の殆どが浸水し、半数以上の村人が土砂と雨水に飲まれて亡くなったのだ。
そして、この水害を皮切りに…村人の間で「影を見た」という話が増え、それに触れたが為に家族が突然亡くなったり、離散したり行方不明になるという事が頻繫に起き…影を見た者は一様に、「自分達の家族や友人の声が聞こえ、声の方角に向かうと黒い影が居た」と…先程の私と、同じ経験をしていた。そして、影は決まって冬に現れるという事も…
水害の話は、私も兄も良く知っていたが…まさかそんな理由だったとは知らず、私は言葉を失った。
今はもう殆ど見かけなくなったが、昔は村八分や強制婚なんてものが当たり前の様に行われていたという。それに加えて、先祖達はその石に欲深いお願い事(気に食わない相手の死や不幸を望むなど)をしていたそうだ。そのせいで石は穢れたのだと…女性は言った。そして、一度悪いものになってしまうと、元に戻すのは到底無理な事なのだという。
だから、災厄が最小限で済むように…身を守る手立てとして、彼女の先祖達はあの『約束事』を作ったのだ。
「冬の夜に、知り合いや家族に声を掛けられても、絶対触れてはいけない」
と…。
けれど、一方的に「守れ」なんて言われて、大人でもすぐに納得する訳が無い。子供なら尚更で…どんなに気を付けていても、その理由を聞き出そうと、影の正体を掴もうと目論む者は未だ後を絶たず…
子供の頃に神隠しに遭ったとされる兄の同級生も…実は好奇心に勝てず、影に触れてしまった為に行方不明なったのだと聞かされた。
「消えた者は戻って来ない、この子が触れてしまっていた場合、一応こちらで最大限の対処はするが…絶対の保証は出来ない」
ソファで眠る娘を見ながら、女性にそう言われ、私は堪らず、その場で泣き崩れてしまった。恐怖と不安とで身体も思う様に動かせず、過呼吸を起こし…夫と兄に抱えられ、2階の寝室まで移された。
娘は一体何を見てしまったのだろう。息子の姿をしたあれは、一体娘をどうするつもりだったのだろう…?娘は…この先も生きていられるのだろうか…
そんな不安が頭の中でぐるぐると繰り返し…涙でぐちゃぐちゃになった視界と意識の中、階下では女性のお経か何かが読まれているのが微かに聞こえ、私は「どうか娘の代わりに私を!」と何度も何度も願った。
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…ぁさん…ぉか…さん…おかあさん!
その声にハッと目が覚め、いつの間にか眠っていたと気づいた。
見ると、傍らには息子と…夫に抱きかかえられた、娘の姿があった。
「玲奈…何も見てないんだって。大樹の声がしたから、ついて行っただけだそうだよ」
目を赤くした夫が「ね?」と聞くと…寝ぼけ眼の娘は「…うん…」と小さく頷いた。
女性は、娘が何も見ていないと分かると早々に帰ったそうで…去り際に「よく子供らに言い聞かせるように、もうここには来るべきではない」と言い残していったそうだ。
何事も無かった…良かった生きていた…と、私はまたしても号泣し、何のことやら?という顔の息子そっちのけで、後から来た母と一緒に「良かった、良かった」と泣き崩れた。
そして、その日の夕方前に私達は実家から自宅へと帰ることになり、この時を最後に…実家に帰省する事は無くなってしまった。
あれから7年以上が経つ今、子供達は中学へと進学し、災いらしい何かは今の所起きてはいない。離れと奥の間は、土地を売る為に2年程前に取り壊したと聞いた。
そして…あの名士の女性が、あの出来事から1年後に急病で亡くなった事も…
彼女が最後の後継者だったそうで、彼女の死と共に行事も無くなり、住人の高齢化も進む中、影を見る話も未だに聞くそうで…だが役場や建設会社が色々と介入し、田舎暮らしに憧れて移住してくる人達にさりげなく話をしても、「現代社会でそんなのあり得ない」と一蹴されてしまうという。
「若者達の言う通り…科学の進んだ今は、そんなん受け入れられないわよね…ただ…」
「ただ?」
「……」
「お母さん?」
「ぃまにゎかるわょ…ゎざわぃのいみ…ザザッ…ザ――――」
両親との連絡は、これ以降全く繋がらなくなってしまった。
娘は、本当に何も見なかったのだろうか…影に触れなかったのだろうか?夫も兄も、あれから家族の話をする事を妙に避けたがる。
思い切って役場に問い合わせてみようとも思ったけれど…何故だろう、受話器を取る前に…酷く寒気がして結局止めてしまうのだ。
もしかして父と母は…いや、もう考えたくない。
「ただいまー」
玄関の外で娘の声がする。鍵を持っているのだから、開ければいいのに…
「ただいまー」
「ただいまー」
「ただいまー」
「ただいまー」
「ただいまー」
作者rano
田舎の怖い話を書いてみました。久々過ぎて筆の鈍りをひしひしと感じます(;´Д`A ```
読んで頂けたら嬉しいです。