そのカップルが店に訪れたのは先週の日曜日のことだった
あ、申し遅れたがわたしは地方の駅前で小さな喫茶店を営む、しがない中年男性だ。
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カラカラカラーンと小気味良い木製の扉が開くと、男女が入ってくる。
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何かの祝い事の帰りだろうか。
二人とも紺のフォーマルなスーツを着ている。
そして女はなぜか、大きな人形を抱いていた。
二人はわたしの立っている正面のカウンターに座った。
女は膝上に大きな人形を座らせる
二人はコーヒーとアイスクリームを頼んだ。
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わたしは、この二人の間の独特な空気感から単なる友人関係ではないことを感じた。
と同時にある種の違和感も、、
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─それは、あまりに歳が離れているということ。
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男は肌艶や体格から、20代後半くらいだろうか。
スリムな身体に紺のフォーマルなスーツが似合っている。
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女も紺のワンピース姿なのだが少々下腹がだらしなくて、そしてショートのパサついた茶髪、濃い化粧、口元のほうれいせん、首筋の皺などから、どう鯖を読んでも60歳は超えているようだ。
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膝に座る人形は腹話術で使用するような大きなもので、きちんと背広を着ており、青のストライプのネクタイまで絞めている。
ドングリのような大きな目で、きょとんと前を見ていた。
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この二人、、、
いわゆる「逆歳の差カップル」というやつだろうか。
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女は目尻の皺にさらに皺を寄せて意味深な笑みを浮かべながら、わたしに尋ねる。
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「ねぇ、マスター、マスターは独身なの?」
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あまりに明け透けな質問に少々面食らいながら、
「ええ、まあ、、、」と、曖昧に答える。
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「じゃあ、彼女とか、いるんでしょ」
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「ええ、まあ、、、」
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「わたしとタカシは明日で、交際6年目になるの」
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「ほう、それはおめでとうございます」
型通りの賛辞を添えた。
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「そして今日は、このタロウの三歳の祈願のために、この近くの神社に行ってきて帰るところなのね。
タロウ、おめでとう!
ママもパパもあなたのことずっとずっと愛してるからね」
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そう言って女はいとおしげに膝上に座る人形の耳元に囁き、頭の後ろにキスをした。
そしたら驚いたことに、タロウがドングリ目をぱちくりして『うん!ボクもママとパパのこと、大好きだよ』としゃべったのだ。
ただこれは女の仕業のようだった
腹話術を使いタロウにしゃべらせているようだ。
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一体この女の心理構造はどうなっているんだろうか?
ふざけているのか、大真面目なのか?
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対して隣に座るタカシの方は、色白の顔を俯け両手を膝に乗せて、先ほどからただじっとしている。
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「マスター、わたしこう見えても身持ちは固いほうで、タカシと付き合うまで、ちゃんと男の人とお付き合いしたこととかなかったのよ。
本当よ、こんな良い女が、、、
フフフ信じられないでしょ。
でも、この人があまりに熱心にアプローチしてきたものだから、まあ嫌いなタイプでもなかったし、付き合うようにしたの。
ただ始めに約束してもらったことがあった」
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「ほう、それはどんな?」
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わたしは挽きたてのコーヒーを二人の前に、アイスクリームは人形の前に置きながら聞いた。
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「お互い、隠し事はしないようにしようねって」
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女はそう言ってまた、タカシの横顔を見る。
彼は、母親と授業参観の帰りに食事をしている中学生のように居心地悪そうに下を向いていた。
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「だからお互いの携帯はいつも見せ合っていたし、夕食のときは、その日にあったことを報告し合っていたの。
もちろん誕生日や記念日には旅行に行ったり、プレゼントし合ったりもしていた。
飲み会があった時には迎えにも行った。
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そんな感じで、あっという間に幸せな3年間が過ぎていった。
それで、わたしたちもそろそろ籍を入れようか、とお互いの両親に挨拶に行ったの。
まずタカシの両親のところに行ったんだけど、この人のお父さんの第一声が面白くてね。
真面目な顔して『失礼ですが、お歳は?』って聞くから、わたしが正直に言ったら、
『まさか、わたしの息子のタカシが、わたしより歳上の女性を連れてくるとは、、、』って言って、眉間に皺を寄せて下を向くものだから、わたし可笑しくて可笑しくて一生懸命笑いをこらえていた。
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ただその後しばらくしてこの人のお母さんが言った言葉が、わたしの心を深く傷つけた。
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─老後はタカシの子供と、公園に行くのが楽しみだったのに、、、
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わたし家に帰った後、ベッドに寝込んでしまった。
そして、タカシをひどい言葉で何度も罵倒した。
『あんたなんか、わたしのような女なんかと別れて、もっと若い女と付き合ったら』って心にもないことを言ってね。
そしたらタカシがわたしの誕生日の日に、この天使を連れてきてくれたの」
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女はそう言って、タロウをぎゅっと抱きしめる。
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「その日から家族の一員が一人増えて、わたしたちの新しい生活がスタートした。
それまではタカシ中心に回っていたんだけど、今度はタロウに変わった。
当時この子も小さかったから、わたしの献身と愛情が必要だったからね。
そしたらしばらくしてタカシの様子がおかしくなってきた。
毎日7時には帰ってきていたのに、遅くなるようになった。
たまに深夜になることも、、、
おかげで喧嘩も増えた。
また携帯の中身を見せてとお願いしても、見せてくれなくなった。
以前は簡単に見せてくれていたのにパスワードどころか、指紋認証の設定をしていた。
その時、わたしはピンときた」
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「タカシは浮気している!」
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そう言って女はじろりと、タカシの横顔を見る。
彼は真っ青な顔をしながら、蛇に睨まれた蛙のように小さくなっていた。
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「そして、とうとう二人にとって決定的な出来事があった
それはタロウの二度めの誕生日の日のこと。
わたしはタロウと二人、バースデーケーキを挟んでテーブルに座り、タカシの帰りを待っていた。
だけど9時になっても帰ってこない
その時わたしは思った。
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『タカシはまた女と合っている』
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わたしはタロウを寝せつけて電気を消し、護身用に持っていたスタンガンをテーブルの上に置くと、暗がりの中でじっと帰りを待った。
結局タカシが帰ってきたのは深夜2時過ぎだった。
それからはいつもの醜い言い争いだ。
ただその日のタカシはいつも以上に泥酔していて、何を思ったのかベッドで寝ているタロウを抱き上げると床に投げつけた。
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わたしはこれだけは許せなかった。
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咄嗟にテーブルのスタンガンを持つと、真っ直ぐにタカシの首筋に当てる。
すると彼は声も出さずに、その場にへたりこんだ。
すぐにわたしはスーツのポケットから彼の携帯を出して床に置く。
そして台所からまな板と刺身包丁を出してくると、彼の傍らに正座し、膝の上にまな板を置いた。
それからその上に彼の手を乗せ、その細い右手の人差し指の第一関節に力任せに刃を入れた。
そしたらね、パキリって、、、」
◆◆◆◆◆
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店内は静かだった。
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というのは、この二人以外に客はいなかったから。
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時刻は午後4時を過ぎており、店のカーテンからは朱色の西日が差し込んできていて、ずっとしゃべり続けている女の目はどこか虚ろで泳いでいて、ある種の薬物中毒者を思わせた。
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女はさらに続ける。
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「渇いた音をたてて、タカシの人差し指は第一関節からあっさり離れた。
わたしは携帯を左手に持ち、その画面に芋虫のようになった指先をぎゅっと押し付けたの。
でも画面は開かない。
しょうがないから今度は親指を切断して画面に押し付けてみた。
でも開かない。
そうしながら最後に小指を押し付けると、ようやく画面は開いた。
その時には、まな板やわたしの顔のあちこち、そして白いカーペットには、タカシの穢れた血が飛び散っていた。
そしたらいつの間にかタロウがわたしの横から覗きこんで『ねぇ、ねぇ、これ、パパの指でしょ
何かちっちゃな芋虫みたいで面白いね』って言うもんだから、、、フフフ、、わたしタロウと一緒に大笑いしたの。
案の定スマホには、私以外の女性との遣り取りが残っていた。
だから私すぐ金槌を持ってきて、それを叩き壊した」
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ここまで聞いて、わたしは思わずこう尋ねずにはいられなかった。
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「すみません。
その話、本当なんですか?」
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女はひきつったように一回微笑むと、憎々しげに隣のタカシを睨み付けこう言った。
その声は野太くて、まるで荒くれた男のようだった。
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「ほら、マスターが、あたしのこと嘘つきって言ってるみたいよ。 あんた、見せてやりな!」
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タカシはしばらく固まっていたが、やがて観念するかのように、おずおずとその右手をわたしの目の前に掲げる。
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わたしは息を飲んだ。
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目の前の手には中指と薬指しか無く、カニの手のようだった。
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女は勝ち誇ったような顔でわたしの方に向き直ると、最後にこう言った。
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「あの日以来、タカシはしゃべることを忘れてしまった。
そう、口を利けなくなったみたいね。
でもわたし、それで良かったと思ってる。
おかげで、この人が他の女性としゃべることも触ることも出来なくなったから。
さあ、明日の記念日は三人で仲良く過ごせそうね」
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とヒステリックに高笑いする女の前に置かれたアイスクリームは、いつの間にかきれいに無くなっていた。
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Fin
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう
すみません
間違えて、前に投稿していたものを削除してしまいました
記憶を手繰りながらの再アップですので、前の作品の雰囲気が落ちていないか、心配です
怖いポチ、コメントいただいた方々、本当にごめんなさい