僕が住んでいるアパートから徒歩3分の所に、小さなスーパーがある。
僕はその店を、いつも仕事からの帰宅時や休日の買い出しに利用していた。
引っ越して間もない頃からほぼ毎日来ているだけあって、1か月も経たない内に店員と顔見知りになり…2ヵ月も経つと、店内やレジでお互い挨拶したり、他愛無い立ち話なんかもするようになった。
駅前にも大型スーパーのチェーン店が幾つかあるのだが、僕はこの小さな店が好きで、家から近いってのもあるけど、店員や店長のどこか暖かみのある雰囲気が好きだった。
最初は他人行儀っぽかったパートのおばちゃんも、「そろそろ結婚したらええんちゃう?うちの娘もねぇ~」なんて世話焼きな話を振ってきたり、新人バイトの男子高校生と推しのアニメの話したり…
バイト歴3年の女子大生なんかは、僕がレジに並ぶと、いつも吸うタバコを、言わなくても棚から取ってくれたりなんかして、
「そんなキャバ嬢みたいな事(笑)」
なんて言ったら、逆に「失礼な!」とちょっと怒られたりもしたっけ(笑)
とまあ…僕の社会人1人暮らしは、なかなか楽しく過ごせていたのだが…
店に通い始めておよそ5ヶ月…そう、ちょうど今ぐらいの時期だったかな。
ある不可解な出来事が、この店で起こった。
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それは、仕事が立て込んで、久々に遅く帰った時の事だった。
夜10時の閉店迄に間に合うようにと帰路を急ぎ、何とか30分前に入店出来たのだが、入った瞬間に、いつもとどこか雰囲気が違う…そんな風に感じた。
何て言うか…店内の明かりがどことなく薄暗いって言うか…なんか淀んでいる感じ。
でも、他の買い物客は気付いていない様子だったから、「今週雨ばっかりで、湿気も多いからそう感じるのだろう」と思い、買い物をしていたんだが…今度は、ある音が気になり始めた。
プルルルル…プルルルル…プルルルル…
レジの方で、電話が鳴る音だ。
気になってレジの方を見てみると、閉店前の駆け込み客の列が出来ていて、電話が取れない状況。確かこの時間って、バイト2人で回してたよな…と思い出す。現に、レジには例の女子大生広田ちゃんと、高校生バイトの万代(ましろ)君が接客をしていた。
その内切れるだろうと、列の最後尾に並んで会計を待っていたのだが、
プルルルル…プルルルル…プルルルル…
…電話は、一向に切れる様子が無かった。
延々と鳴り続ける着信音に、仕事で疲れた僕の神経も、少しピリピリし始める。
だが、電話は疲れを刺激するかの如く、執拗に鳴り響いている…
いち客とは言えど、ここはちょっと手伝う位の感覚で、出てあげようかとも思った。いやでも、それもお節介かな…と悩んでいると、
「大里さん、お疲れ様です!」
と、広田ちゃんが声を掛けてきた。
ふと背後を見ると、自分の前の客は全て掃けていて、更に後ろには誰も並んでいない。僕が最後の客だったのだ。
ならばと思い、僕は意を決して、
「電話…俺が出ようか?」
と言ってみた。もうずーーーっと鳴り続けているこの音に、限界だったのだ。だが…
「あ…いや…やめといた方が良いです…」
広田ちゃんはそう言って、何か気まずそうな顔をした。レジを離れ、閉店作業をする万代君も同様で、どこか訳有りげに見えた。
というのも…
「この電話、朝から鳴りっぱなしなんですよ…」
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彼女達がシフトに入った時、既に電話は鳴っていたそうだ。
昼間は主婦達が買い物に訪れるから、当然店は混雑する。だからさっきと同じ様に、接客で手が空かず電話には出られない。しかし、一向に切れる様子は無く…電話は延々と鳴り続けていた。
だから広田ちゃんは、着替えもそこそこに、急いで電話を取ったそうだ。
だが…受話器を持った次の瞬間、電話は切れてしまったという。
「もしかしたら、バイトの面接とか、そういうのかな?」と思って、その時はなんら気にせず仕事に入ったというが…
それから数秒も経たずに、再び電話は鳴り始めたそうだ。
それも、1~3分程延々と鳴り続け、やっと切れたかと思うと、また数秒後に…という具合に。
そして彼女は、その着信を聞いている内に…ちょっとした「法則」めいたものがある、と気付いた。
「ほら…今、店内って、大里さんしかいないじゃないですか…つまり混んでない時は、電話が切れるんです」
そう言われて…いつの間にか店内が静かになっている事に気が付いた。
相手は、まるで狙い定めたかの様に、店の混雑時に限って電話を掛けてくる…広田ちゃんの考えの通りなら、そういう事になる。だが…
もしそうだとしても、おかしい点がある…と、今度は万代君が言った。
「僕も、広田さんの言っている事、間違ってはいないと思うんです…でも、どうやって店の混雑を知ったんだろうって…不思議で」
店には防犯カメラが数か所に設置してあり、某大手セキュリティ会社の監視の元で24時間作動している。
だから、実質客の出入りや店内の様子を詳しく知る者は、そのセキュリティ担当と店員、そして客という事になる。
だが…だとしても、そんな不躾な事を会社がやる訳無いし、そもそも、広田ちゃんや万代君が電話を取るタイミングまで計れる様な、そんな高度な事、簡単に出来る筈が無い。
今まで、それも昨日の昨日まで起きなかった事態に、2人も僕も戸惑った。
早番のおばちゃん達は「暇な人がいるのね~!」と軽くあしらっていたそうだが、広田ちゃんは、その法則に気付いた瞬間背筋がゾッとしたそうで…
「早く帰りたい…!」
と…袋詰めをしながら、時折肩が震えていた。
一体何なんだろう、と3人で考えていたその時…バックヤードのドアが開いて、
「いや~さっきのは今日イチでしつこかったね~(笑)」
と、店長が顔を出した。
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この状況にも関わらず、呑気な声で「お疲れ~」と言う店長の姿に、僕はいささか脱力した。
バックヤードにいるんなら電話出ろよ…とも思ったが、店長はずっと「確認作業」をしていたそうで…今さっきまで掛かっていた電話も、敢えて受話器を取らなかったのだと言う。
「いやね、今日シフトに入ってた人にさ、連絡取ってたのよ。怪しい人が居なかったか、とか…あと、従業員の皆にも、何か問題が無いかとか…ね」
「別に皆を凄く疑ってるとかじゃないよ!ただ物騒だからねぇ…小売店同士の足の引っ張り合いとかもあるしさぁ、参っちゃうよねぇ~(笑)」
店長は、あくまで「悪質な人間のしつこい悪戯」だと考えていた。クレーマーだとか、はたまた別のスーパーからの営業妨害だとか…でも、もしそうだとしたら、対処は簡単だ。
「留守電にしてみるのが一番手っ取り早いですよ、イタズラなら、『ご用件のある方は…』の時点で切るだろうし、やってみません?」
と、提案してみたのだが、店長曰く、
「以前それで、変質者からのイタズラ電話が来ちゃって…卑猥な放送禁止用語を大声で連発してきてさぁ…店内にまで響き渡って、すんごい気まずくなっちゃったのよ(笑)」
だそうで…それ以来留守電は躊躇していると。
「頻繁に起きている訳じゃ無いからさ。まあ、だとしても明日また同じ事やられたら嫌だし?とりあえずこっちで対処は考えるから、もう皆上がっていいよ~」
店長はそう言って、再びバックヤードに戻って行った。
僕は広田ちゃんと万代君がバイトから上がるのを待って、少しだけ帰路を共にした。
「一時の気の迷いとか…魔が差したとか…そういうのだといいよね」
そう話し合ってその日は別れたものの…僕の心の中には何か…何とも言えない「不穏な予感」が募っていた。
そして、陽が明けた次の日の午後。
万代君から連絡が来て、「もしかして昨晩の電話の事か?」と思って出るとその通りで…今さっきまさに、店に電話が掛かってきた所だったという。
だが、昨日と違うのは…なんと早番のおばちゃん達がそれを「撃退」したとか何とかで、万代君はテンパりながらも、おばちゃんから聞いた事を詳しく話してくれた。
昨日、早番のおばちゃん達は、パート終わりに常連客の主婦友達と「そういえばさっき…」と、あの電話の話題になったらしい。
で、主婦友達の1人が、
「ちょっと私らが出て、ガツンと言ってみようか?」
と言った事に皆が乗っかり、そして先程…再び掛かってきたしつこい着信に、頃合いを見計らって受話器を取るなり、
「あんた誰~?」
「どこの誰だか知らないけど、暇なの?あんたあれか?ニートか!」
「暇ならうちらとデートしてぇ~(笑)」
「これ以上電話してきたら、私らがお仕置きするわよ~(笑)」
と、数人でまくし立てたのだという。
どっちが迷惑電話だ(笑)とツッコみたくなる状況だが…おばちゃん達曰く、自分達の勢いに押されたのか何なのか、電話の主は終始無言で…話し始めてから、さほど時間の経たない内に電話は切れてしまったそうだ。
そして、このやり方が功を奏したのか…その後しつこい電話が来る事は無くなったという。
「今日は店長が、朝から警察とかに相談に行ってるらしいんですけど…その間にもう解決したって感じですね(笑)おばちゃんのパワーは凄いっすよ」
万代君のどこか安心した声に、僕も胸を撫で下ろした。
僕はその後、夕方に店に寄る事を伝えて電話を終えた。呆気無く終わったが…でもこれで、また普段通りに戻る。
何より、昨夜の広田ちゃんの怖がり様を見ていたのもあって、タチの悪いイタズラが止んだことに、心底安心した。
…その筈だった。
「え…?」
目の前の光景が信じられず、僕は言葉を失った。
それもその筈だ。スーパーの…店の入り口のシャッターが閉じられ、その上に
「暫くの間休業致します。」
…なんて書かれた紙が、貼ってあったのだから。
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昼間、万代君との会話の向こうから聞こえていた店の賑わいが嘘の様に…夜という事も相まって、店先は暗く、静寂に包まれている。
と同時に…電話で話した事が、頭の中で繰り返し再生された。
…俺…万代君にちゃんと言ったよな?夕方店に寄るって…それに、イタズラ電話の件も解決したって…え…?どういう事…
ただひたすら、立ち尽くすしかなかった。通りすがりの人に聞ける程の度胸は、僕は持っていない。
それに、彼らが手に下げていた袋は…あの、駅前の某大型スーパーのものだった。
頭の中で嫌な予感がよぎる。もしかして、店長が言ってた…圧力…?
と…その時。
「大里さん…!」
店の側面から声がして目をやると、そこには広田ちゃんが、いつものユニフォームを着て立っていた。
そして、その背後から万代君と…店長が顔を覗かせた。
「え…えっと…これはどういう…」
何が何だか分からず、言葉が上手く出ない僕に、店長は「こっちこっち」と手招きをして、従業員用の通用口に来るよう促した。
「心配かけてすまないね。でも、これには事情があるんだ…」
店長は僕の前に椅子を出すと…少しずつ、こうなった経緯を話し始めた。
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昨晩、店長はバックヤードにある親機の画面に記されていた番号を控え、そして今朝早く、昔なじみの警官の元を訪ね、番号を調べて犯人を特定して貰うよう、お願いしたそうだ。
しかし…そこで、思いもよらぬ事実が発覚した。
「この番号ね……信じられないかも知れないけど…本来なら、というか…もう使われてない番号だったんだよ」
お客様がお掛けになった番号は、現在使われておりません────
お客様がお掛けになった番号は、現在使われておりません────
お客様がお掛けになった番号は────
何度番号を確認しても、番号を間違えてなどいなかった。
だが、何度掛け直しても…返ってくる言葉は一緒だったそうだ。
店長は念の為と、通信会社にも問い合わせたというが…何故か、その番号だけがすっぽりと抜けていて…昨日今日の通話記録は、0件になっていたという。
あんなに、何度も何度も鳴り響いていた筈なのに。
ガタン!バタバタバタ!
万代君が、バックヤードから外に出て行った。多分恐怖に耐えられなかったのだろう。
広田ちゃんの方を見ると、青褪めた顔をして、ただただ震えている。
そして僕もいつの間にか、自分の意思に反して足がガタガタと震え始めていた。
店長は尚も、話を続ける。
「昨日…『敢えて電話を取らなかった』って言ったじゃない?あれね…ちょっと嫌な予感もあって…ていうのはさ、この電話…確かに受話器から聞こえていたんだけど…」
「ほら、よく至近距離で電話を掛けるとさ、相手の受話器から自分の声が聞こえる時があるだろ?よくよく聞くと…そんな感じだったんだよ…君らはレジにいて、分からなかったかも知れない、だがね…僕には…」
「ここから、この床の真下から…音が聞こえる気がしたんだ」
スーパーが建てられる少し前。
この辺りで、忽然と人が消えた事件があったそうだ。
今となっては、古き善き昔ながらの家と、小綺麗なマンションやアパートが入り雑じる、何の変哲も無い住宅街だが…昔は所謂スラム街ってやつで…ボロい長屋が所狭しと建ち並び、戦後は闇市もあったそうだ。
そんな闇の深さを感じられる史実から…「曰くの残る場所」として、一時心霊スポット的な扱いでネットに取り上げられ、そして、その話を知った都内に住む若者グループが、肝試しと称して頻繁にこの町に訪れていたという。
しかしある時…一晩町中を物色して帰る頃、仲間が1人足りない事に彼らは気付いた。
「その頃ね、土地の再開発が始まってて…ボーリング検査とか水道管の工事だとかで…地面の所々に穴開けてたのよ」
「でね~噂によれば…足元に穴が空いてるのに気が付かなくて、落ちちゃったんじゃないか…って言われたりもしてね」
この町に割と古くから住んでいるパートのおばちゃん曰く、事件当時はかなり大騒ぎになったそうだ。
地元住民や警察が何度も聞き込みや捜索をしたというが…結局、はっきりとした証拠も無く、
「途中で帰ってしまい、連絡が途絶えただけ」
と扱われ、一緒にいた若者達も、それに同意した事もあって事件は幕を閉じたそうだ。
だが…
「そういえば思い出したわ~!うちの娘が前にね、夜中に床から変な、声みたいな音がするって言ってたのよ…うちの真下に大きい水道管通ってるから、そこをネズミか何かが通ってるんじゃないの?って言ったんだけど…まさか、ねぇ?」
その後スーパーは移転し、無事営業を再開した。
今まで通り…僕はそのスーパーを利用しているし、店長や、広田ちゃんや万代君や…パートのおばちゃんと仲良くやっている。
そして以前の場所は、昨今の影響もあって…取り壊しの目処は未だ立っていない。
もし…店長の言う通りだったとしたら、その「消えた若者」が、この真下に…どこかにまだ「いる」って事になるのか?
事件から10年以上経った今でも…誰かに、電話を掛けているのか…?
「大里さん、これ入れときますね!いつもの(笑)」
広田ちゃんがいつものように、タバコを1箱を入れてくれた。笑顔が戻り、ここからまた普段通りの日常が始まる…今はそれでいい。
「ただいまーって…誰もいねーけど…」
2階建てアパートの1階。
狭いリビングに腰を下ろし、テレビの電源をつける。
「…ん?」
何かが鳴っている。テレビの音…じゃなさそうだ。
………!
何だよ…気になるな。どこからだ?
………!
上の階じゃない。だとすると…
僕は、胡座をかいた自分の床を、じっと見つめた。
プルルルル…!
プルルルル…!
プルルルル…!
作者rano