長編17
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合宿

俺がまだ都内のアパレル会社で働いていた頃の話。

俺達は千葉だか茨城だか忘れたが、とある民宿の別館で合宿をする事になった。

大勢の新入社員達に社畜のなんたるかを叩き込む為の合宿である。

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我々は社長の犬だ。

言いつけを守り、絶対服従する事でのみご褒美を貰える存在である。

アパレルに希望を持って入社した奴らに現実を突きつけてやらねばならぬ。

鬼軍曹と化した我々は、曇りなき眼の新入社員を背の順に並べ端から平手打ちを見舞った。

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当然ながら嘘だ。

合宿の目的はあろう事か野球の練習である。

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いつものように前置きから子細に書いていくと大長編になってしまうのでだいぶ端折らせて頂くが、事の発端は「草野球の大会で負けたから」である。

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俺が入社してからしばらくして我社には草野球チームが出来、たまに試合したり、しようとしても集まらなかったり、休日に呼び出さないでくれと怒り出す奴がいたりで実にゆるく活動していた。

が、この度、都内のアパレル保険組合が主催するトーナメント戦に参加する事になってしまったのだ。

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ちなみにこのトーナメント戦であるが、三部制になっていて一部には「山○商会」「サン○ーインターナショナル」「ファイ○フォックス」等々、東証一部上場企業が名を連ねる。

二部では名前を聞いたことのある有名メーカーが鎬を削っている。

そして三部には初参加の我社を始め、有象無象の新鋭企業、かつて名を馳せたが最近はとんと聞かないメーカー等、群雄割拠であり地獄のようなトーナメントだった。

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三部で優勝すると来年は二部に昇格、二部で優勝すると一部に。

と昇格降格ありのシステムであった為、五年以内での東証一部上場を本気で狙っていた我社にとってはこのトーナメント戦は言わば前哨戦であり

「二年で一部に上がってやる」

と阿呆にも程がある意気込みで参戦することとなった。

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流石に初年度から優勝は無理だろうと内心では皆思っていたのだが、1回戦、2回戦と順調に勝ち進み、続く準々決勝、準決勝とあれよあれよと言う間にとうとう決勝の舞台にまで勝ち進んでしまった。

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決勝の相手は「ゴルファーズハイ(仮)」という聞いたことも無いメーカーであり、アパレル企業であるのかも疑わしい会社であった。

「そんな会社に負けるわけにはいかぬ。」

「野球大会なのにゴルファーとは何事か。」

とここまで来たなら優勝してやろうと我々は試合に挑んだ。

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結果は惨敗であった。

初年度からの二部昇格の夢はあっけなく潰えた。

特に最近ゴルフを始めた部長は

「俺は金輪際ゴルフはやらない。」 

と決意を固め、

「ゴルフなんてスポーツじゃない。」

「ゴルフをやっているやつ等は全てクソだ。」

「今後ゴルフを始める奴を俺は許さない。」

とゴルファーズハイ(仮)どころか全てのゴルファーに敵意を剥き出しにした部長はリベンジに燃えた。

言うまでもなく阿呆である。

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そんなわけでその年の冬は部長のポケットマネーで神宮球場の室内練習場で練習をし(思ったより高かったらしく一度だけ)、

飲み会の後はバッティングセンターに立寄り(当時恵比寿にバッティングセンターがあった)、

プロ野球が開幕すると巨人戦を観戦した(部長は熱狂的な巨人ファン)。

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いよいよ今年も地獄のトーナメントが始まるといったところで我々は気付いてしまった。

「ほとんど練習してねえ」

と。

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このままでは去年の二の舞だ。

こんな時に余計な提案をするのはいつだって部長である。

「よろしい、ならば合宿だ。」

この無茶な提案に後輩の民生くんが無駄に張り切り、なんだかんだで冒頭の合宿所で一泊二日の練習をすることになった。

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まあ当たり前であるがチームメンバーは皆一様に、

「面倒くせえ…行きたくねえ…」

と顔を曇らせ。

当日会社に集合しても、

「面倒くせえ…本当に行くのか…」

とダラダラとマイクロバスに乗り込み。

いざ合宿所に着いてもなお、

「面倒くせえ…本当にやんのか…」

ブツクサ言いながら着換え、グラウンドに集合した。

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とは言っても基本的にはお祭り好き、イベント好きの連中である。

いざグラウンドに降り立ってピッチングマシンやら整備されたグラウンドやらを見るとテンションが上がってきた。

さて、何からやりましょうか。

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「どうせならやりたい事から」

となり、我々はいそいそとピッチングマシンの準備に取り掛かった。

この機械の呼び名で「ピッチングマシン派」と「バッティングマシン派」に分かれ大論争が巻き起こったが割愛。

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最初は部長からである。

我々が球速の調整やらボールやネットの準備をしているのにも関わらず、部長はすでにバッターボックスでやる気まんまんであった。

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「なんかムカつくな…」

先輩の「お祭り男 大吾さん」がかなり際どいインコースにマシンの位置を調整する。

「こんくらいかね。」

「もうちょいいけるでしょ。ギリ当たるくらいで。」

便乗する俺。

「あ、ギリ当てちゃうんだ?ギリ当てないじゃなくて。」

「せっかくだから当てにいきましょう。まあ、避けるでしょ。」

何がせっかくなのかは解らないが、普通に当てにいく俺と大吾さん。

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「行きますよー。明らかにボールだったら調整するんで言って下さーい。」

「うーい。いいから早く球出せよ。」

そんな事も知らず打つ気まんまんの部長。

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記念すべき合宿練習第一球。

部長用に球速120kmまで上げ、絶妙なインコースに調整したピッチングマシンから飛び出した白球は綺麗な球筋を残しながら、

吸い込まれるように部長の手首に直撃した。

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「ぐわぁっ!」

大袈裟にゴロゴロと転がる部長。

「すいませーん。ちょっとインコース過ぎましたー。」

ニヤニヤ謝る大吾さんと俺。

まあ、これもお約束のやり取り…

と思っていたのだが、結構痛かったのだろう。

部長はガバッと起き上がると、バットを持ったまま鬼の形相でダッシュして来た。

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やばい。

全力ダッシュで逃げる俺。

大吾さんは二球目をお見舞いしてやろうとボールをセットしていたのだが、部長に捕まってケツバットを食らっていた。

そんなんで怒んなよな。

本当に器が小さい。

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「お前らどけ!俺がボール出してやる!」

部長がピッチングマシンに陣取った。

「△!お前からバッターボックス入れ。」

指名された俺はしぶしぶバッターボックスに入った。

嫌な予感しかしない。

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バッターボックスに入って構えると、ピッチングマシンの射出口は明らかに俺の方を向いていた。

ギリ当てるとかのレベルではない。

最早ただの大砲である。

「いやいやいや!それは流石に駄目でしょ!」

俺の抗議も虚しく部長は次々とボールを入れる。

最早バッティング練習ではなく風雲たけし城と化したグラウンド。

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結局メンバー全員がこの速射砲の洗礼を浴び、打者一巡する頃には皆ヘトヘトに疲れ果てていた。

こんな所まで来て俺達は一体なにをやっているのだろうか。

高い空を見上げ、俺達は果てしない虚無感に身を震わせた。

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皆が散々ぶつけられたボールの跡を見せ合っている中、

「いい加減練習しないとな。」

茶番の元凶がしれっと言う。

突っ込む元気もなく俺達はピッチングマシンを片付け、練習はシートノックへ移っていった。

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「報復がねちっこいから部長をイジるのは辞めよう。」

大吾さんの提案に皆で頷く。

ノックは「野球枠で入社した」と明言されている元ガチの高校球児、民生くんがやる事となった。

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それぞれの守備についてノック開始。

流石というか意外というか、民生くんの打つ球は絶妙なコースをつく。

ここに来て始めて野球らしい練習が出来、皆もようやく集中し出した。

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民生くんは現役を思い出したのか、少しずつ打球や声掛けに熱が入る。

「今のは捕れるだろ!」

「捕ってから投げるまで遅いよ!」

「こら!諦めんな!」

激しいゲキが飛ぶ。

考えてみればメンバー中最年少の民生くんにボロクソに言われ、いいように土まみれにされているのだが皆文句も言わず無心で白球を追いかけた。

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だが、俺は気づいていた。

民生くんの口元が明らかにニヤついているのを。

こいつ、楽しんでやがる。

日頃の鬱憤を晴らすかのように、嬉々として快音を響かせる民生。

歳も役職も関係なく、グラウンドを転がり回る俺達。

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野球経験者には解って頂けると思うのだが、このノック練習というものは主従関係に似ている。

ノックをする側は捕れるか捕れないかギリギリの所にボールを出し、さらに激しく言葉攻めをする事で悦に入る。

ノックを受ける側はいいように転がされ、それでも尚ひたむきにボールを追いかける自分に酔い、自虐的な悦に入る。

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練習に熱が入れば出し手の打球や言葉は一層激しくなり、受け手はそれに応えようとより従順になる。

これは正に封建社会の構図と同じである

一部のサディストと大多数のマゾヒストによって構成された社会。

ああ、なんて残酷で歪んだ世界だろうか。

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今やグラウンドは当主である民生に牛耳られ、我々はパブロフの犬よろしく汗とよだれを垂らしながら疑念を挟む余地もなく白球に食らいつく。

今ここに現代の封建社会が産声をあげたのだ。

おぎゃあ。

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やがてノックも終焉を迎え、

「ラスト!捕ったらバックホーム!」

民生様のお言葉に一人ずつ上がっていく。

「ありがとうございました!」

沢山の厳しいボールを打ってくれたお礼も忘れない。

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すっかり犬となった部長も、

「ありがとうございました!」

と上がろうとするのだが、

「誰が上がれって言った!ショート居残り!」

当主の言葉に従順に従う部長。

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こいつ、まだやる気だ…

我々の衆人環視の中、

「捕ってからが遅い!やる気あんのか!」

「……」

「返事!」

「はい!」

大吾さんからの訓示を忘れ、執拗に部長をいたぶる暴君民生。

それに諾々と従う部長。

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「よし!上がれ!」

「ありがとうございました!」

ようやく開放された部長は息も絶え絶えにグラウンドに転がった。

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厳しくも充実した練習に、心なしか晴れやかな顔の我々がそこには居た。

ただ一人を除いて。

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ようやく息の整った部長はよろよろと立ち上がると

満面の笑みで、

「民生、守備つけ!ノックしてやる!」

下剋上。

主従関係の逆転である。

ボールを打つバットの声、諸行無常の響きあり。

奢れる人も久からず。

さらば民生よ。

南無。

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こんな調子ではあったものの我々は割と真面目に練習に取り組み、日が暮れるまで白球を追いかけた。

やがてグラウンド整備が終わる頃には皆青春を取り戻したかのような土にまみれた顔で互いに微笑みあった。

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まあ、勿論嘘である。

何かいかがわしいプレイの様なノックが終わる頃には皆足腰も立たぬ程疲れ果て、誰からともなく黙々と片付けを始めた。

余程疲れたのだろう、珍しく部長も何も言わずにグラウンド整備に加わり、合宿初日の練習はたったの二時間で幕を閉じた。

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「あれ、もう終わったの?まだ風呂も溜まってないし、食事の準備もしてないよ。」

合宿所の管理人さんに最上級の労いを受け、俺達はだらしなく部屋に転がった。

本当に何をしに来たのか。

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無理を言って早めに風呂を溜めてもらい、まるで仕出し弁当のような夕食(失礼)を食べ終わった俺達は早々に布団を敷きダラダラと時間をつぶした。

今回の合宿は「飲酒禁止」が部長から言い渡されていた為、本当にもうやる事もなかった。

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「こんな時間に寝られるか。」

と誰しもが思っていたのだが、日頃の運動不足と部長の速射砲で身体は予想以上のダメージを受けていたようで、

「足が動かない。」

「ボールが当たった尻と背中が熱い。」

「目がよく見えない。」

と、野戦病院と化した寝床で一人、また一人と兵士達は黄泉の国へ旅立って行った。

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俺も例外ではなく、多分いや絶対に捻挫しているだろう右足首の疼きに悶絶しながら意識を失った。

だが、俺は忘れていた。

ひとつ屋根の下に民生がいる事を。

民生と同じ部屋で寝る事の恐怖を。

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民生くんには落ち武者の霊が憑いている。

その落ち武者は目につく他の霊を片っ端から切り捨てる凶暴な奴で、これまで俺は散々な目に合っている。

そして今回も例外ではなかった。

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夜中にトイレに行きたくなり、俺は目覚めた。

俺は生まれつき膀胱のキャパが少ないらしく、しょっちゅうトイレに行く。

加えてカフェイン中毒かのようにがぶがぶコーヒーをむさぼるので頻尿に拍車が掛かる。

たとえ大事な会議中であっても、

「△は?何処行った?」

「トイレです。」

「ああ、そうか。」

といった会話が成り立つ程、

トイレ=俺

といった図式が出来上がっている。

死ぬ程どうでもいい情報、失礼。

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トイレに立った俺は、隣で寝ている兵士を華麗に飛び越え廊下に出た。

足首に鋭い痛みが走る。

忘れてた。

声にならないうめきを上げる。

痛みに耐えて顔を上げると廊下の暗がりに誰かが居た。

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すわ、また落ち武者か。

と身構えるとなんの事はない。

ぼんやりした顔で民生くんが立っていた。

脅かすなよ。

と声を掛けようとした俺は固まった。

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民生くんの手には刀身の短い刀が握られていた。

は?

それなんて言うんだっけ、脇差?

なんでそんなん持ってんの?

と思う間もなく、すっと民生くんが目の前に近付いた。

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どんっ。

胸に衝撃が走った。

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最初に感じたのは強烈な異物感だった。

すぐに異物感は灼けた棒をねじ込まれたような痛みに変わった。

声が出ない。

足が消えたように腰から落ちる。

が、刺さったままの身体はそのままに全体重が刀に掛かる。

激しい痛みが増す。

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ぐいっ。

民生くんが手首をひねる。

その途端、痛みが跳ね上がり俺は魚の様に痙攣した。

声は出ない。

息を吸いたいが喉の奥でゴボゴボと音がするだけで空気が入って来ない。

耐えかねて今度は息を吐く。

が、空気の代わりに驚く程大量の血が口と鼻から溢れ出た。

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どん。

胸から刀が抜かれ、俺は膝をついた。

額から床の温度が伝わる。

もうそれほど痛みは感じない。

ただ、今は息が出来ないことの方が辛い。

苦しい…

もういい…

もう死んでもいい…

もうこのまま死んでもいいから…

死ぬ前に一度だけ…

本当に一息だけでいいから呼吸がしたい…

そんな僅かな希望も虚しく、口からは血が溢れるだけ。

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がつんっ。

首に強い衝撃を受けた瞬間、俺の意識は消失した。

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「かはぁっ!」

意識が戻る。

呼吸の仕方を忘れたみたいに、俺は夢中で酸素を吸い込んだ。

激しく咳き込む。

身を捩って息を整える。

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なんて夢だ…

悪夢を見た時にありがちな大量の汗もかいてない。

ただ、手足が氷のように冷たい。

まるで死人のようだ。

いや、本当に死んだのだ。

さっき俺は夢の中とはいえ、確実に死んだ。

それ程にリアルだった。

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夢で良かった…

が、あれが「死」であるならば死とはなんて苦しく孤独なものだろうか。

俺はいつか、そして必ず訪れる自分の死の瞬間を想像して背筋を凍らせた。

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俺は卵から出た蜥蜴のように、ズルズルと布団から這い出した。

俺から少し離れた布団に民生くんは寝ていた。

お前のせいで酷い夢を見た。

と、叩き起こしてやろうかとも思ったがやめておいた。

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今が現実という保証はない。

もしかしたらさっきの続きかもしれない。

今は布団の中にある民生くんの手に、刀が握られていないかは布団を剥がしてみないと解らないのだ。

そして剥がしてまで確認する勇気は俺にはない。

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トイレに行きたいが、ここのトイレにもう一度向かう勇気もない俺は外に出る事にした。

グラウンドに向かう途中の土手で失敬する。

ふと目をやった月明かりに照らされたグラウンドのベンチに誰かの影があった。

部長だ。

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こんな時間に一人で居るとは、さては部長も民生くんに斬られる夢でも見たか。

と、近付こうとして思い留まる。

あれ?これ本当に現実だよな。

これで部長も刀を持って斬りかかって来たなんて事になったら洒落にならない。 

すっかり疑心暗鬼になった俺は、足元にあった小石と言うには少し大きすぎる石を部長に投げてみた。

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近くに落として気付かせようと投げた石は綺麗な放物線を描きながら、

吸い込まれるように部長の背中に直撃した。

その途端、ガバッと振り向いて俺を確認すると鬼の形相で向かって来た。

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やばい。

幸い手には刀もバットもなかったが、これはやばい。

言い訳を考えているうちに捕まりチョークスリーパーを掛けられる。

こんなことで怒るとは、本当に器が小さい。

現実でも呼吸が出来ないのか、と俺は絶望的な気持ちになり必死でタップした。

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「てめえ、なんのつもりだ。」

凄む部長に、咳き込みながらも不可抗力であることを説明する俺。

しぶしぶ納得した部長に命じられ、自販機で缶コーヒーを買うと俺は部長の隣に腰を下ろした。

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「寝れないんですか?意外と繊細ですね。」

からかい口調の俺の言葉に、

「馬鹿、あんなとこで寝られるか。」

意外にも真面目なトーンで答える部長。

「合宿ってこういうもんでしょ。言い出しっぺのくせに繊細ぶっちゃって。」

尚もからかう俺。

「そうじゃなくて。民生だよ。」

ああ。

俺は思い至る。

寝れない理由はそれか。

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部長は所謂「視える」人だ。

民生くんの落ち武者の件も知っているし、そもそも視えた上で採用したのも部長である。

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やっぱり部長も悪夢を見たのかと少し嬉しくなり、俺はさっきの夢の話をする。

すると部長は、

「そんな夢見たのか。やっぱ寝ないで正解だったな。」

とゲラゲラ笑いながら言った。

部長はそもそも寝てないらしい。

クソが。

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憤りを感じながらも聞いてみる。

「なんなんですかね、あの夢。」

「さあ、民生の生霊じゃね?お前に強い恨みを持った民生の潜在意識だな。」

「本当に失礼な顔して失礼な事言う人ですね。

恨むんなら俺より部長でしょうよ、確実に。」

本当に民生ともども腹立たしい男だ。

いっそ俺の生霊でも飛ばしてやろうか。

「まあ、なんにしてもただの夢だ。気にすんな。

お前はちゃんと生きてるよ。」

笑い飛ばす部長に納得のいかない俺はなおも食い下がる。

「ただの夢って。本当にリアルだったんですよ。

絶対落ち武者と関係ありますって。」

「しつこいなあ。そんな気になんだったら本人に聞いて来いよ。」

「民生くんに?だってあいつ聞いても『俺に聞いても解かんないっすよ霊感ないですもん』とか言うから埒あかないんですよ。」

最早駄々をこねているようにしか見えない俺の愚痴に、

「いや、民生じゃなくて本人に。」

部長はそう言うとグラウンドに向かって顎をしゃくった。

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部長の視線の先を見ると、月明かりのグラウンドに最早見慣れた感のある姿があった。

落ち武者だ。

部長ともかれこれ長い付き合いになるが、部長が視ているものを俺が同時に視るのはこれが始めてだった。

「いつからですか?」

「さあ、俺もさっき気付いた。ほら本人登場だ、聞いて来いよ。」

よし、それじゃあいっちょ聞いて来るか。

という気持ちには全然ならない。

当然である。

何度となく視ているとはいえ怖いのだ。

なんと言うか、殺気というか放っている「禍々しさオーラ」が半端ない。

「いや、無理ですよ。それにほら、こっちに気付いてないっていうか、眼中にないっていうか。

集中してるとこ邪魔しちゃ悪いでしょ。」

完全にびびる俺。

「大丈夫だって、気付かせてやろうか。

俺にしたみたいに石でも投げてさ。」

本当に意地が悪い。性根が汚い。

「まだ根にもってるんですか?そういうとこありますよね。本当みみっちいというか、器が小さいというか…」

うっかり飛び出した俺の本音に、無言で足元の石を拾い落ち武者に狙いを定める部長。

「ちょっ、ちょっとやめて下さい。本当に!マジで!」

全力で止める俺。

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そんな俺達のやり取りが聴こえたのか、落ち武者がおもむろに刀を抜いた。

固まる俺達。

こっち来たらどうしよう。

いざとなったら部長を落ち武者に突き飛ばして逃げようと、腰を浮かす俺。

そんな俺の心配を余所に、落ち武者は誰も居ない虚空に向かって刀を振った。

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剣術の型?

とでも言うのだろうか。

落ち武者は一連の流れるような動きで刀を振るった。

その動きに俺達は不覚にも言葉を失い見惚れた。

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美しかった。

俺は剣術には全く詳しくないがその所謂、殺陣とも剣舞とも違う所作に心を奪われてしまった。

「人を斬り殺す」

言ってしまえばそれだけの人殺しの技術がどうしてこんなにも美しく、心を捉えるのか。

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「死んでるって解ってるな。」

不意に部長が言った。

なんのことだ?

俺に言ってるのか?

さっきの夢の話か?

部長の言わんとする意味が解らず凍る俺。

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「あれは自分がもう死んでるって解ってるよ。」

落ち武者のことか。

「解っててやってる。あれは多分生きてる時も死んでからも人を斬ることしか知らないんだな。

それが自分の存在意義だって、それしか自分には価値がないって。

解ってるけどやめない、やめられないんだ。

だから存在し続ける、死んでからも人を斬る為だけに。」

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部長は独り言のようにブツブツと呟いた。

部長がこんな事を話すのは珍しい。

というか始めて聞いた。

なんと答えたらいいのか解らずにいる俺に構わず、

「悲しいなあ。」

部長は落ち武者を見ながら言った。

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落ち武者は変わらずに刀を振るう。

月明かりに照らされたグラウンドで。

その姿は

胸がつまるほど美しく。

心が震えるほど悲しかった。

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「人ってなんの為に生きるんだ?」

部長らしからぬ言葉の連続に、大いに狼狽えた俺はいつもの調子で茶化す。

「くだらないこと言い合って、腹抱えて笑う為に決まってるじゃないですか。」

俺の巫山戯た返答に、部長も笑って言う。

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「おお、お前が言うと説得力あんな。そういうところがお前がいまいち信頼されない理由だな。」

「部長にだけは言われたくないですね。鏡に向かって言ってんですか?」

俺も笑いながら皮肉を返す。

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そんな俺達の話が聞こえたのか知らないが、いつの間にか落ち武者は消えていた。

外野で阿呆二人が阿呆みたいな話をしていては集中出来ないだろう。気持ちはわかる。

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「もうお前も寝ないだろ?ビール買いに行こうぜ。」

飲酒禁止の局中法度を自ら破りにいく部長。

こんな人間のどこを信頼しろというのか。

「じゃあ運転手はじゃんけんで。」

便乗する俺。

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余りにも早い時間に寝たせいだろうか、帰って来た車の音で何人かが起き出して来た。

「これだから部長は信用出来ない。」

「部下に対する裏切りだ。」

「根性が腐ってる。」

散々文句を言われながらも、起きてきた連中で酒盛りが始まった。

もうこうなってしまってはいつも通り、俺達はくだらない事を言い合って、腹を抱えて笑い転げた。

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変な夢を見た、と起きてきた大吾さんに嬉々として詳細をせがむ俺だったが、

「皆で食べようと買って来たハンバーガーを民生が次々にピッチングマシンから射出してぶつけてきた。」

という余りにもくだらない夢の内容に、俺達はまた腹を抱えて笑った。

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やがて夜も明け、全員が起き出してきたところで

「よし、朝練はランニングからだ。」

部長があり得ない提案をする。

皆がやりたくない事を率先してやらせる。

最悪の上司である。

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「面倒くせえ…本当にやんのか…」

とメンバー一同ダラダラと走り出したはいいが昨日のダメージは予想通り大きく、

「足が動かない。」

「ボールが当たった尻と背中が熱い。」

「目がよく見えない。」

とランニングはグラウンド一周で終わった。

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部長も余程しんどかったのだろう、何も言わずに俺達と引き上げた。

「朝飯食って帰るか。」

俺達は早々に合宿所を片付け、帰る準備を始めた。

本当に一体なにをしに来たのか。

早朝の清々しい空気を吸い込み、俺達は果てしない虚無感に震えた。

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さていよいよ二年目のトーナメントが幕を上げた。

殆ど練習もしていないくせに

「合宿を経て結束は強まった。」

「秘められた力が覚醒したはずだ。」

と妙な自信で大会に挑んだ俺達だったが、

特にドラマチックな展開もなく、普通に2回戦で敗退した。

現実は非情である。

勝手にライバル視していた「ゴルファーズハイ(仮)」は二部でもあっさり優勝し、一部昇格を決めた。

はいはい、強い強い。

なんだかすっかりやる気をなくした俺達は、普段通りにゆるい草野球チームに戻っていった。

部長に至っては、

「ゴルフのスイングはバッティングにも繋がる。」

と本格的にゴルフを始めた。

本当にこの人の何を信用しろというのか。

人はなんの為に生きるのか。

取り敢えず俺は、

「俺は生涯ゴルフはしない。」

「ゴルファーは部長を含めて全てクソである。」

「部長はクソだ。」

と、全てのゴルファーと部長に敵意を剥き出しにした。

言うまでもなく阿呆である。

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@アンソニー 様
コメントありがとうございます。
返信遅くなってしまい申し訳ありません。
確かに憎めない人ではあったかと。
仕事では結構揉める事もありましたし、特別なリーダーシップもカリスマ性も無いんですが、
「ホントにしょうがねえなあ、この人は。」
と許されてしまう人でしたね。
まあ、なんにしても会社を辞めてから随分経ちますが、こうやって楽しかった事ばかり思い出すのはきっと良い事なんでしょうね。

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@むぅ 様
いつもコメントありがとうございます。
随分前に書きかけて放置していた話ですが、楽しんで頂けたのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
落ち武者の風貌…
イメージを壊したくないので詳細は書かないようにしておきます…

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