「芝峰美織」
それが彼女の本名だと、やっと知る事が出来た。
そして、本当は私より4つ年上で…私が入学した時には既に卒業していた、と言う事も。
覚えていなくて当然だ。彼女とは全く、接点が無かったのだから。
それでも…まるで手術が終わるのを待っていたタイミングで、
「こないだの事、思い出したよ!」
と、以前美織について尋ねた同級生から連絡が来たのは、ただの偶然には思えなかった。
連絡をくれた友人は、サークルの集まりを通して、1度だけ美織と顔を合わせていたのだ。
「うちらの学部でさ、同学部の男子が1人失踪した事件あったでしょ…?それで付き合ってた人が、美織って…そう!彼、確かにそう呼んでたよ…」
私達が大学3年の頃だ。同期の男子学生が突然、行方不明になった。
警察も丹念に、学校やバイト先や交遊関係やら調べ尽くしたらしいが…結局、男子が見つかる事も、手掛かりも一切得る事が出来ず、未解決のまま時が過ぎていた。
卒業アルバムには名前こそ載っているが、彼の映った写真は一切入っていない。家族側から載せないで欲しいとの連絡があった為だと、微かに聞いていたが…
「それで…美織と何か話した?」
「うん、まあ…挨拶はしたよ?社交辞令的にね…でも、それ以降は全く交流が無かったし…でもさ、忘れられないのが、彼女、目が二重でパッチリしてて、耳たぶが綺麗な形してるな~って、結構羨ましかったな(笑)」
厚ぼったい瞼にくっきりとした二重、髪を耳に掛けた時に見える、耳たぶ…
私の知っている「美織」と特徴が一致しているから、友人が見たのも「美織」に間違いは無い。だが…何故、一度も関わりの無い私と接触を持ったのかは、謎のままだ。
「あ、それでね…宮内君、行方不明になる前に、美織さんと別れたとかって…サークル内で噂になってたの、うちのサークル…文系とは言えチャラい要素あったから、それでかな…って」
彼…こと、宮内君が行方不明になった時、その事件性よりも注目されたのが、彼の知られざる交友関係だった。
宮内君は、サークル仲間が想像していた以上に、学外で「かなり際どく遊んでいた」そうで…しかも、関係を持った相手の中には、まだ10代になって間も無い女の子もいたとかで、結構なスキャンダルだった。
「びっくりしたよね…でも、宮内君、一体どこに行っちゃったのかな…?」
友人に今度お礼をすると約束し、私は休憩室から出ると、看護師と一緒に美織が運ばれた病室に向かった。
出血量が多かったものの、奇跡的に命に別状は無く…無事傷口の縫合を終えた美織は、ベッドの上で目を瞑っていた。
「…美織…?」
そう声を掛けると、美織は目を閉じたまま呟いた。
「してやられたわ…あの子に」
「やられた、って…?」
「…ふふっ…あいつ、ガキのくせに…」
「チカ…江島チカなの?…美織…なんで私に…?」
美織はもう、それ以上は何も言ってはくれなかった。
スゥッ…と深く息をすると、すぐ眠りについてしまったのを見て、看護師から「面会はまた後日に」と促され、私は病院を後にした。
自宅に戻ると、私の言いつけ通りに、スミレと作野君がリビングの椅子に座って待っていた。
「大丈夫なの…あの人誰…?」
そうスミレは聞いてきたけど、私は何も答えられず…黙って自室に戻った。
ぼんやりと壁を眺めながら、美織の言葉を繰り返し頭の中で再生する。
もしかして、私も操られていたのか…?「美織の友達」だと、そう思い込むように仕向けられていた?誰が?美織が…?
分からない事ばかりが起きる。そして皆…私を通して何かの情報を伝えてこようとしてくる。
「疲れた…」
ベッドに横たわると、途端に全身の力が抜けた。
私は一体何をしているんだろう?何故こんな事になったんだろう…もう、それすら考えるのも疲れ始めていた。
「もう大丈夫なんだよね?」
ドア越しに、再度スミレが声を掛けてきた。
流石に無視は良くないと…私はどうにか体を起こしてドアを開けた。だが…
そこに、スミレの姿は無かった。
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確かにスミレの声がした。
だが、廊下はシンと静まり返るだけだった。それだけではなく、どこか部屋の雰囲気が、いつもと違うように見えたのだ。
「スミレ…?」
と、こちらが言うも、誰も答えない。
しかし、部屋を出て廊下を進むと、階下で誰かが話している声が聞こえた。私は階段をゆっくりと降りる。
まるで一気に傷んだかのように、階段はギシ…ギシ…と軋み、埃臭いにおいが辺りに立ちこめた。
「昨日まで何とも無かった筈なのに…」
そう思いながら最後の一段を降り、その場からリビングに目を向けると…そこには、見知らぬ男女が口論している姿があった。
「待ってくれ…俺だってこんな事するつもりは…」
「誰のせいで滅茶苦茶になったと思ってるの?あなたでしょう!!しかも、年端もいかない子供相手に…」
「分かってるよ!でも…あの子、本当に困ってたんだ…例え古いまじないだとしても、精神的に救う事には────」
「あんなふざけたやり方で!?ああもう…どいつもこいつも…本当に…なんで思った通りにならないのよ!あの人の連れて来たガキも!生意気な顔して!」
「待って、妹は関係無いだろ?今話してるのは、俺の問題だろ…」
「い、も、う、と!ハハハハハ!!良い?あの人とお付き合いしているのは、貴方の為なのよ!それがあんな…まさか先妻との子供が居たなんてね!」
「俺の…俺の為?」
「そうよ!!別れたボンクラのとこに預けても良かったのに、私は拾ってあげたのよ?旦那がバカでも子は優秀にと思って…!」
「何だそれ…俺のせいだっていうのか?」
「そうよ?」
「最っ低だな、そもそも頼んでねぇし…どうりであいつ、俺を避ける訳だよ…」
「良い?これからは私の言う通りにして頂戴…それに、幾ら慈善活動だからって、身持ちの悪い人間に金をばらまくだなんて…」
「…俺がやってるのは、生活苦や家族の問題を抱えた学生の援助だ、そんな汚い言い方は止めてくれ!」
「ふふ、そうじゃないの?貴方のお友達は、みーんな私の話を信じてくれたわよ?」
「────は?…信じ…って」
「私ね…お友達皆に、『息子が女達に貢ぐのに夢中で…』って言っちゃったの…皆、すごく心配してくれたわ~」
「な…何でそんな事…!」
「あなたが愚かな子だから…あなたにもう、味方は居ないのよ!ハハハハハ!」
一体何が起きてるのか、彼らが何者なのか分からない。怖くて声も掛けられなかった。
何で?ここ、私の家なのに…私の家?
さっきから感じていた違和感…傷んだ階段に、どこか薄暗いリビング。そして、記憶の隅をつつくような、男の声────
ここが、誰か他の人間の家だと…ようやく気付いた。
え、何で?いつの間に…?
「あんた…最低だ…!俺の、俺の友人にそんな事を…!」
「はあ~、おばあちゃんも、どうして変な事教えちゃったのかしら…ただの昔のまじないだと思ってたのに…まあ良いわ、この子の母親は私…あなたは私の────」
「この野郎!!!母親ヅラすんじゃねぇ!!」
彼は、ガタン!と椅子から立ち上がり、その椅子を思い切り蹴飛ばした。その時、薄明かりに顔が照らされ、見覚えのある輪郭を写し出した。
「…宮内君?…」
次の瞬間、私の視界が突然霞んで─────
「ユリカ!」
名前を呼ぶ声に、ハッ、と意識を取り戻した。
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ベッドの上で仰向けになったまま、額から汗がダラダラと流れる。目で辺りを見渡すと…当然の如く、そこは私の部屋の中だった。
夢を見ていたのだと気付き、胸を撫で下ろす。
「ユリカー、夕飯食べるでしょ?」
母の声がしたが、さっきの事があって恐る恐るドアを開けると、
「夕飯…え、大丈夫?汗びっしょり…」
何て事なく、母が立っている事に…私は安堵した。
聞けば、作野君は母と入れ替わりに帰ったそうで、私の事を心配していたと…
「先、お風呂行ってきたら?」
母にも心配され、風呂場に向かい汗を流す。
それにしてもあの母親…夢だとしても、あんな酷い事を実の子に言う人間がいるのか…それに、もしあれが、何かを暗示する夢だったとしたら、宮内君の噂は間違っていた事になる。
そして、夢の中で言っていた「古いまじない」…それが、チカの言っていた「儀式」だとしたら…
その翌週、私は再び美織のもとに向かった。だが…病院に着くと美織は既に退院しており、看護師から、
「目撃者の通報もあって、取り調べの為に警官に連行された」
…と、聞かされた。
彼女はスミレを、私の妹を攻撃しようとしたのだ。彼女自身の意思でも…そうでなかったとしても、「儀式」云々を知っていようといなくても、法に触れた事に変わりはない。だが結局…美織に対する疑問を聞く事も、彼女の口から何かを打ち明けられる事も無かった。
───部外者に気を付けろ───
チカの言葉が美織を指しているのなら、物事は収束しつつあるのだろう…
私が見たのも所詮はただの夢だから、確証も根拠も無いけれど、そう考えた方が辻褄が合う。
美織は、恋人だった宮内君から「儀式」の事を何かしらのきっかけで知った。
そしてチカは、「まだ10代になって間も無い女の子」だった頃に、何か理由があって宮内君の元を訪れ、「儀式」を教わった。
しかし、もしあの夢が何かの暗示なら…あの母親が言っていた、「先妻の連れ子」…
考える内に、段々と背筋に寒気を感じ始めていた。
「チカに会わないと…」
真実に一番近いのは、彼女しかいない。
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格子柵の向こうに、雑草だらけで荒れた庭と、カーテンを閉め切った窓が見えた。
外壁もだいぶ煤け…家と庭を繋ぐ表玄関の扉は錆び、風が吹く度に、軋んだ音を立てる。
その古びた外観に、私は一瞬、「住所を間違えたのか?」と戸惑ったが…スマホの地図アプリに示された場所は、確かにこの家を指していた。
表札に書かれた「江島」の文字…ホテルのホームページから名前を見つけ、電話帳やら何やらを頼りにどうにか見つけ出したチカの家は、ホテル経営の役員クラスの家とは、とても思えない佇まいだった。
インターホンも壊れ、ドアをノックするも何の反応も聞こえなかった為に立ち往生したが…暫くしてカーテンと窓が開き、そこから彼女が姿を現した。
「良く見つけましたね」
チカは相変わらず、オーバーサイズの服装を纏い、ダルそうな姿勢でこちらを見ていた。
「…話があるの」
「そんな気がしてた…こっち」
チカに促され、私は庭から家に上がった。
そして、中に入った瞬間…見覚えのある景色が、私の目に飛び込んで来た。
楕円状のリビングテーブルと、その奥に有る古びた階段…あの夢の中に出て来たもの、そのままだったのだ。
バクバクと心臓が高鳴り、夢で起きていた事が頭の中でフラッシュバックする。立ち尽くし、テーブルを凝視する私の様子を見て、チカも流石に驚いていた。
「ねえ、どうしたの…ちょっと、お姉さん!?」
「ここ…知ってる…」
「は…?知ってるって…何で?」
「宮内君が…」
そう言った瞬間、チカの目が見開いた。
「ちょっと…何でそれ知ってるの…!!」
「やっぱりそうなんだ…私、変な夢を見たの…ただの夢かと思ったけど───」
予感していた通りだった。先妻の連れ子…妹…
宮内君とチカの両親は再婚同士…2人は、血の繋がらない兄妹だったのだ。
そして宮内君は、行方不明になどなっていなかった。チカ曰く、母親の度重なる過干渉が原因で家を出、義妹である自分にだけ、1年に1回程、連絡をしてくるのだ…と。
チカが以前言っていた「甘やかされた兄」は、宮内君が「儀式」を使って、母に見せている「偽物」だと…
「ほら…聞こえる?あの人、まさかお兄ちゃんに騙されてると知らずに…人形を息子だと思い込んでるの」
2階から聞こえる女性の声…まるで小さな子供をあやすような甘ったるい声の正体が、夢の中で宮内君を侮辱していた母親のものだと知り、背筋が寒くなった。
「宮内君はどこにいるの…?」
「それは絶対に教えられない…約束なの」
「だったらあなたから伝えて、美織が…彼の恋人だった女性が『儀式』に関わっているかも知れないって…彼女、スミレを刃物で襲おうとして…でも気付いたら、自分の身体に刺していたの…あなたの言っていた『部外者』って、彼女の事でしょう?」
「それは出来ない。兄は実の母親を最後に、2度と儀式には手を出さないと決めたって、そう言ったの。それに、昔の恋人がたとえ『儀式』を行っても、止める権利は無いと思うし…」
「じゃあなんで、あなたには教えたの?」
「教えた…?お兄ちゃんが、私に?」
「…違うの?」
「私は、お兄ちゃんの祖母から教わったんです。兄の母方の地方に伝わる、古い呪術の1つだと…前に兄に連れられて行った時、教えて貰ったの、母方には、そういうのに関わりがある人間が多いから…」
「10代の女の子に教えた、って…あなたの他に教えた子がいるの…?誰…?」
「……」
フフッ…イイ子ね…アハハハッ…
チカは俯いて、何か考えこんでしまった。2階から漏れる女性の無邪気な笑い声だけが、閑散とした室内に響く。辿り着いたはずの答えが違っていた…再び疑問が振出しに戻ったと…まるで嘲笑されている気分だ。
残るカードは、宮内君が所属していた「学生援助の団体」のみ…だが、星の数ほどある団体の中から、見つけ出す程の気力は無い。
「確かに言ってたんだよ…10代の女の子に、心の支えになるって…」
そう私が呟いた時だった。チカはハッ!と顔を上げた。
「…全部間違ってた」
「全部って…?美織は部外者じゃないって?」
「いや、おばあちゃんが言ってた部外者は、多分その元カノの事…けど、彼女が元凶じゃない…その10代の子…」
「知ってるの?その子の事…!」
「…知ってるも何も…お姉さんだって会ってるでしょ!彼女に…写真、何か顔の写ってるもの…」
「彼女って…私が会った事あるって───」
「私は嘘なんか付いてない…裏サイトにも書き込んでない…忠告はしたけど、スミレに喧嘩売ろうなんて考えてもいなかった…」
彼女は古びた箪笥を開けると、奥から1枚の紙を取り出した。2つ折りの紙を広げると…そこには五十音が規則正しく書かれていた。
「儀式…?」
「…あの子を止める」
紙の上に置かれた1枚の写真…そこに写っていたのは───
「…サヤカ─────?」
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亜種⑤に続く
作者rano
亜種シリーズ第4話です。
続きはこちらからどうぞ。
http://kowabana.jp/stories/33310
↑本編最終話になります!