遅くなってもよいから来いと呼び出しがかかったので、私は仕事帰りの夜道をバイクで実家に向かった。
実家がある坂の上の古い住宅地にはコンビニすらない。子どもの巣立っていった家ばかりで、寝るのも皆早いらしく、まだ十二時前だというのにほとんどの家のあかりが消えている。出歩く人もいない、しんとした夜道は少し冷えて、盛りを過ぎようとしている夏の夜空を月が明るく照らしていた。
住宅地のはずれの下り坂にさしかかった。もうすぐ着くなと思ったとき、のどが渇いていることに気がついた。
近くの酒屋に自動販売機が何台か並んでいたはずだ。
実家に向かう路地には入らず、昼間はバスの通っている大きめの――といっても一車線だが――道なりにさらに下った。小さな屋根つきのバス停を過ぎたところに酒屋がある。
本当はビールが良かったが、時間が時間なのでアルコールには販売中止の赤ランプがついていた。
仕方なくオレンジジュースのボタンを押し、意味もなく冷たい缶を振りながら止めたバイクに戻りかけたとき、バス停に誰かが立っているのに気づいた。
弟だった。
「なんであんたこんなとこにいるの」
思わず歩み寄って声をかけた。
「バスを待ってるんだよ、姉ちゃん」
バス停なんだからバスを待ってるのは当たり前じゃないかお前はバカかと言わんばかりのケンカ腰だ。昔からそりが合わなくて、ケンカばかりしていた。
「へー。どこ行くの?」
私が気にせずに尋ねると、弟はなんだかふて腐れたように黙っている。
「どこ行くのってば」
「……もうすぐバス来るから行き先見ればわかるだろ」
ほどなく重そうなディーゼルエンジンの音が聞こえてきて、バスが坂の下からのろのろとあらわれた。
プシューと音をたててドアが開く。車内は明るく光っている。
弟は黙ってバスに乗り込み、動き始めたバスの最後尾の座席に座るのが見えた。
最終バスは、坂をゆっくり登りながら大きなカーブを右に曲がり、見えなくなった。
図体ばかりでかくて、気は小さくて、頭も悪くて、女ぐせも悪い、不肖の弟だった。
だからって死んでしまえと思ったことはなかったけれど。
「あんなやつでも行けるんだねえ」
最終バスのヘッドの表示には、確かに【天国行き】と書いてあった。
八月十五日の夜のできごとである。
〈了〉
作者黒木露火
8月15日は過ぎてしまいましたが、弟が死んで五年ほど経った頃、やっと気持ちの整理がついて、魂送りのつもりで書きました。