蝋燭の話〈『話』シリーズ〉

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蝋燭の話〈『話』シリーズ〉

僕は毎週末、ハルさんの手伝いをしている。バイトではなく、今時だけれど修行だ。

ハルさんとは、僕が人生の師と仰ぐ占い師だ。毎日駅構内のあちこちに、机ひとつだけの占いの店を出している。

ただし、僕の修行は占いのものではない。怪異との付き合い方を教えてもらっている。

・・・・・

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それは、昼間のうだるような暑さが幾分落ち着いた夏の夜のことだった。

ハルさんは空調の効きすぎる構内を抜けて、駅南口の隅に店を出していた。南口はメイン通りのある北口とは異なり、閑散としている。ロータリーを回る車の排気ガスを浴びなくても済むかわりに、客足もほぼない。

額にじんわりとかいた汗を、風がヒヤリと撫でたときだった。

「おや、珍しい顔が来たね」

ふと、呟くようにハルさんがそう言った。

「なんだいあんた、まだ生きてたのかい」

気安くそう言いながら近寄って来たのは、ハルさんより二十近く年上に見えるご老人だった。

頭は禿げ上がっているけれど、真っ白な眉毛は目にかかるほど伸びている。割と攻めたデザインのサングラスに、上下緑色のジャージは近くの高校の指定体操服ではないだろうか。その袖口から覗く手足は枯れ木のように細かったけれど、それをかくしゃくと動かして近づいてくる様は、有名少年漫画のナントカ仙人を彷彿とさせた。

「それはこっちのセリフだよ、ロウさん」

ロウさん、と呼ばれた老人は、勧められる前にハルさんと向かい合って椅子に腰掛けた。

ロウさんは、背中に自分の背丈と同じくらいの巨大な蝋燭を背負っていた。

それはおそらく、普通の人には見えない蝋燭だ。燃える炎は橙色や緑色など、揺らめきとともに色を変えていた。

「相変わらずでかいねぇ、その蝋燭」

「うーん、まだあっち側には逝けないみたいだよ」

ヒャッヒャッと引き笑いをしてから、ロウさんは僕に視線を投げた。

「なんだよおハル。若いツバメにしたって、若すぎるんじゃないのかい?」

「馬鹿だねあんた。この子は私の弟子だよ」

「弟子だぁ? 今の世の中に、あんたも奇特な人だねぇ、にいちゃん」

ロウさんは僕をジロジロと眺め、歯が半分くらいしかない口を開けてまた引き笑いをした。

「なるほどにいちゃん、あんたもいろいろ難儀をしたみたいだねぇ」

「わかるんですか?」

「わかるよ。おれも同類だからね」

ロウさんは腰に下げた巾着袋からタバコを取り出して口に咥えた。けれど肝心のライターが見つからないらしく、巾着袋をひっくり返したり身体中をパタパタと叩いた後、ようやくズボンのポケットからマッチを取り出し、慣れた手つきでタバコに火をつけた。

「すぐ失くしちまうだよねぇ。後ろのコレ、使えたらいいんだけど」

煙をポカリと吐き出してから、親指で背中の巨大な蝋燭を指す。蝋燭の火は今は青々と燃え、どう見てもタバコの火をつけるには不適当だった。

「にいちゃんも見えるんでしょ? コレ」

「はい」

「よし、じゃあ暑気払いだと思って、おれの話を聞いてもらおうじゃないの」

「ちょっとあんた、営業妨害だよ」

「客なんてどうせ来やしないよ。なに、たいした時間はとらないからさ」

ロウさんはそう言って、またヒャッヒャッと笑った。

・・・・・

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こう見えてもおれは、医者を生業にしてるんだよ。

誰がヤブ医者だって? うるさいね、おハル、茶々入れんじゃないよ。

ヤブ医者なんてとんでもない。三国一の名医だと、若い頃はもてはやされたもんだよ。ほんとだよ?

あれは、おれが四十になったくらいの頃だったか。

別に言い訳のつもりじゃないけどさ、いくら名医だって、人の死は避けられないことだってあるんだ。わかるだろ? どんな重病人でも助かるときもあれば、ちょっとした怪我が元でコロッと逝っちまうこともある。

そんなの当たり前のことなのに、そのときのおれはなんだか意固地になっててね。いや、いい気になってたのかな。とにかく、名医の自分の目にかかった患者が助からずに死んじまうのが、どうにも我慢がならなかったんだよ。

傲慢? そうさね。そう言われても仕方がないかもね。まぁ、真面目だったんだよ、若かったし。

かといって、技術を磨くにも限界があるし。今となっちゃあバカバカしいが、そのときのおれは真剣に悩んでたのさ。

でさ。あるとき珍しく酔って帰る途中で、蝋燭売りにあったんだよ。

うん、珍しいもんだなとおれも思ったよ。夜中だってのに、若い女が一人で道端に立ってな。自分の周り中に大小いろんな種類の蝋燭を灯して、まるでそこだけ昼日中のような明るさだったよ。

女はおれを見るとニッと笑って、「蝋燭はいかが?」なんて言ってきやがった。そんな怪しいモンいらないよ、と答えると、「これは命の蝋燭です」ときた。

なんじゃそりゃ、と鼻で笑おうとしたが、なんだか面白そうで聞いて見ることにしたんだよ。

女が言うには、人の寿命ってのは、蝋燭で表されるんだと。にいちゃんも聞いたことあるだろ? 健康な若者には長くて元気のいい蝋燭が、老いた病人には今にも消えそうなちびた蝋燭が、ってヤツよ。女はその蝋燭を売っているんだと。

「そりゃあいい!」とおれは膝を叩いたね。この蝋燭を買って、おれんトコに来た死にそうな患者の蝋燭と取り替えてやりゃ、死なねぇってことだからよ。

ところがこの女はけちんぼでな。蝋燭は、自分の分しか買えねぇってほざくのよ。それじゃ意味ねぇって言っても聞きゃしねぇ。

挙句にゃ、おれに命の蝋燭を見えるようにしてやる、それで、今にも死にそうな病人の相手なんかしなきゃいい、そうすりゃ救えない命は無くなるぞ。なんて言いやがった。

いやいやいや、そんなこっちゃねぇんだよ。にいちゃん、おれの言ってることわかるだろ? わかるよな?

おれが食い下がると、女は面倒臭そうにため息をついた。いい加減、おれの相手にうんざりしてたんだろうよ。おれ、昔から絡み酒って言われてるしなぁ。

それで女は言ったんだよ。そんなに言うなら、お前の寿命もうんと伸ばしてやる。それで技術を磨くなり悪魔と契約するなりして、病人を一人残らず救ってみな。とまぁ、そういうわけらしい。

で、翌朝。おれは自分の家の布団の中で目が覚めた。

なんだ昨日のことは夢か、当たり前か、なんて思いながら鏡を見て、びっくり仰天よ。

この背中に、馬鹿みたいにでかい蝋燭がくっついてんだもんな。

鏡の前で呆気にとられてると、子供が起きてきた。女房も、「ご飯よ」なんて顔を出す。その二人の頭の上に、やっぱり蝋燭が見えたんだよな。手で払おうとしても触れねぇし、熱くもねぇ。ただ、おれが何かしたくらいじゃずっと消えねぇで、チロチロ燃えてるのよ。

外に出てみりゃ女房子供だけじゃねぇ、街ゆく奴らがみんな揃って頭に蝋燭乗せてんだもん、たまげたね。昨夜のあれは夢じゃなかったのか、ってね。

そっからが大変よ。

にいちゃんあんた、他人の寿命がわかるっての、考えたことあるかい? いや、道ですれ違った赤の他人ならね、まだいいんだよ。うちにやってくる、今にも消えそうな蝋燭乗っけた爺さんと、その付き添いでおれに頭下げてくる婆さんにさ、おれはなんて言っていいのかわかんなかったのよ。

情けねぇ話だが、医者としての本分、おれ自身が強く願っていた「人を救いたい」って思いなんて、すぐにどうでもよくなっちまった。だって、無理なんだもん。目の前にあんな蝋燭見せられちまったらさ。それが消えたら最後、っていうのが、イヤってほどわかっちまってよ。

そのうちな、女房子供の蝋燭も気になってしょうがなくなってな。今はまだ大きいけど、いつ急にちびて消えちまうかわかったもんじゃない。そう考えると不安で不安でなぁ。

結局、医者は廃業、女房とは離縁しちまった。

おれはあのときの女を恨んだよ。なんちゅう力を押し付けやがった、てね。しかし、あの女は以降パッタリおれの前にゃあ姿をあらわさねぇもんだから、恨んだところでしょうがねぇのよなぁ……。

おれは、外を歩きゃあ目につくあの蝋燭が、苦痛でしょうがなかったんだよ。

だからな……

・・・・・

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ロウさんは、おもむろにサングラスを取った。

そこにはあるはずの目玉はなく、二つの暗い穴がポッカリと空いているだけだった。

不意をつかれて息を飲む僕の隣で、ハルさんはうんざりしたようなため息をついた。

「いちいち驚いてやるんじゃないよ。こいつはこれが持ちネタなんだから」

「え? え?」

ロウさんはヒャッヒャッと笑いながら、またサングラスをかけ直す。

「持ちネタたぁ、失礼だな。目玉をくり抜いちまったのは、ほんとなんだからよ」

「馬鹿だよ、本当に。後先考えず」

「そうさなぁ。おれはさ、にいちゃん。目さえなくなれば変な蝋燭も見えなくなると踏んだのよ。ところがどっこい、見えるじゃないの。いやもう、くり抜き損ってやつよ」

「み、見えるんですか?」

僕が尋ねると、ロウさんはなぜだか自慢げに頷いた。

「おうよ、どういうカラクリかは知らんがな。蝋燭はもちろん、にいちゃん、あんたの顔も、あんたの左目が見てる奇怪な世界も、全部見えてるよ」

そこまで言って、ロウさんは一瞬だけ真顔をなって呟いた。

「おれは一体、どうなっちまったんだろうな。元は確かに、普通の人間だったはずなのによ」

小さくため息をついたハルさんが、タバコの箱を差し出した。ロウさんは小さく礼を言って早速その一本に火をつける。美味そうに煙をポカリと吐き出した後、何事もなかったかのように口を開けて笑った。

「そうだ、にいちゃん。おれ今、ヤミで医者やってんのよ。なんかあったときはおいで。安くしたげるからさ」

「はぁ」

「大丈夫だって! 年は取っても腕は現役。ヤブじゃなくてヤミ医者だから」

そうして、片手をヒラヒラと振りながらロウさんは席を立った。振り向かずに歩いていく後ろ姿はすっかり巨大な蝋燭に隠れてしまい、まるで蝋燭そのものに見えた。

「…あの、ハルさん。ロウさんって、おいくつなんですか?」

僕が気になっていたことを尋ねると、ハルさんは「さぁね」と首を傾げる。

「あたしがあの人と初めて会ったのは、もう三十年くらい前の話だけどね、そのときから容姿はちっとも変わっていないよ。あの背中の蝋燭だけが、ちょっとだけ減ったくらいだね」

「……」

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蝋燭、もといロウさんの姿は、もう闇に溶けてしまって見えなくなった。今は黄緑色の炎だけが、闇夜の中に蛍のようにチラチラと浮かび、やがてそれも掻き消えた。

それでも一瞬僕の鼻先を、蝋が溶けるあの独特な匂いが掠めたのだった。

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