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長編9
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◇腕◇

大学の正門前に腕が落ちている。

朝から何とも気分の悪いモノを見せられて怒り心頭である。この怒りをどこにぶつければいいのやら…、とりあえず鞄にぶら下げてあるライオンのぬいぐるみにデコピンをしておいた。

「そんなことしてないで通報しろ」とお思いの方が大半だろうけど、安心してほしい。その腕は普通の腕ではない。それは私にしか見えていないこの世ならざるモノ。要するに怪異である。

怪異だから安心してくれと言うのもよく分からないけれど、まあ、警察案件になるような事ではないので、そこは心配しないでいただきたい。

近づくのは遠慮したいので遠くから見た感じだと、腕はちょうど肘の辺りから引き千切られており、捥がれた個所からは骨が見えて、血管や筋肉組織がだらりと伸びていた。

私は幼い頃からこんな風に見たくもないのに幽霊や妖怪が見えてしまう。けれど、それが私以外には見えていないと知ってから、この事は自分だけの秘密にしている。きっと人に話したら頭のおかしい奴だと思われる。それが嫌だったから…。

例えばある日、横断歩道で信号待ちをしている幽霊が居たとする。そういうのは大抵、前日にそこで交通事故があって人が亡くなってたりする。となると、あの腕は交通事故に遭った者の成れの果てなのだろうか。けれど大学近辺でそういった類の死亡事故は起きていない。

それっぽい事件と言っても、ここから少々離れた場所で女性のバラバラ遺体が継ぎ接ぎされた人形のような状態で発見されたと、テレビやネットニュースなどで散見したけれど、遺体の一部が見つかってないなんて報道はされていないし、腕のごつごつとした感じが男性っぽいのでその可能性もないだろう。

では一体、あの腕はなぜ突如として現れたのか。

昔、日本の隅から隅まで旅をしている妖怪に会ったことがあるけど、あの腕もそういった流れの妖で、長旅に疲れてたまたまここで休んでいるだけなのだろうか。しかし腕だけで自由気ままに移動できるものなのか。

そうやって腕があそこに居る理由についての思案に耽ってみたけど、中々納得がいく解答を見つけられずにいた。けれど友人に誘われコンビニへ足を運んだとき、「季節限定」と書かれた菓子パンが目に入って一つの仮説が思い浮かぶ。

もしかして、あの腕はこの時季に現れる季節限定の怪異ではないだろうか。

時季はちょうど梅雨が明けたばかりで、まさにこれから夏が到来しようとしていた。怪談や肝試しは夏の風物詩と言うけど、まさに正門前に不気味に放置されたその腕は、この時季に相応しい夏の風物詩と言えるかもしれない。

しかし、風物詩とはその季節にあった様々な事柄をたくさんの人が感じて、初めてそれを風物詩と呼べるのではないだろうか。ならばたった一人、一個人の私だけにこれ見よがしに「ほれ風物詩だぞ」とアピールしたところで、それは風物詩とは呼べないだろう。

それ以前に私はそれらが常住坐臥見えているわけだから、幽霊や妖怪の類に季節感なんて微塵も感じる事はない。私にとってそれは風物詩でもなんでもなく、ただの日常なのだ。

結局その日は満足のいく答えは見つからず、腕も大した悪さをするわけでもなく、そこにただ不気味に放置されているだけであった。

明日には居なくなっているといいのだけど…。

残念ながら翌日も腕はそこに居た。まあ、そこまで期待はしてなかったからいいのだけれど…。

そもそもなぜ脚ではなく腕なのだろう。と、また思案に耽ってみる。

脚ならそれこそ歩けるだろうし、片脚でも唐傘みたく飛び跳ねて移動できる。まあ、腕だけでも移動できないことはないだろう。海外作品の某ファミリーに登場する「手」のように、指先を蜘蛛みたく使って移動できよう。

ではやって来たのではなく、置いていかれたと考えるべきか。

もしかして全身が腐ったゾンビみたいな奴がここで休んでいて、立ち上がった拍子に腕がぼとりと落ちて、気づかずそのまま行ってしまったのではないか。そんなアメリカンな展開がここ日本で起こるものなのか。

…ないだろうな。

しかしながら何故私は腕についてあーだこーだ考えているのだろう。今更だけど時間と労力の無駄である。目障りだったら追っ払えばいいけど、生憎私は祓う術を一つも持っていない。だからと言って摘まんで遠くへ放るなんて御免被りたい。こういう場合の対処は付かず離れて関わらず、それが一番だ。

それにうら若き乙女が千切れた腕の事を考えるなど不健全である。だから私は今、友人達と構内の休憩スペースにて他愛もない女子トークに花を咲かせている。なんと健全であろうか。

昨日のドラマに出てた主演俳優がかっこいいだ、駅前にできた新しいドーナツ屋さんが美味しかっただ、先輩の誰それがイケメンだのと話は盛り上がり、私達の周りは浜名湖花フェスタが如く花が咲き乱れていた。

すると私の向かいに座る友人が「あっ」と小さく声を上げた。私の後ろの方を見て眉をひそめ、先程までの明るい表情がみるみる険しくなっていく。

「どうしたの?」

私が訊くと友人は「あれ」と視線を送る。振り返った先には私達と同様、他愛もない会話に花を咲かせていた女の子達がいて、その彼女達に声を掛ける男性集団がいた。

「あいつ、あの金髪の奴。こないだ話した先輩だよ。性懲りもなくまた女の子に声掛けてるよ」

友人が言う金髪の奴とは三回生の先輩で、この大学では悪い意味で有名な男である。所謂女誑しで、同回生はもちろんのこと、先輩後輩分け隔てなく肉体関係を持とうとする、下劣で低俗な最低最悪極悪非道の男である。

二股三股は当たり前。女は都合の良い財布扱いで、自分の欲求を満たす為の道具としか思っていない。私が知らないだけでその悪行は掘り起こせばきりがないだろう。

泣かせた女は数知れず。その数多の所業を知っていながら、未だに彼に惹かれる女性がちらほらといるのが不思議である。整った顔立ちと金持ちの家の息子と、おおよそ絞り出して出てくる彼の良いところはそれしかない。

「あの人には絶対関わっちゃダメだよ。ほんと良い噂一つも聞かないんだから」

「昔女の子妊娠させて、しかも無理矢理下ろさせたって…。ほんと最低な奴だよ」

声を掛けられると面倒だからと私達はその場を後にした。

私にとって「面倒」は二つある。目に見える面倒と目に見えない面倒だ。見えるとは「人」で見えないとは「怪異」のことである。今まさに、見える面倒のあの先輩と、見えない面倒のあの腕が居る。

普通の人は見える面倒だけに気を遣ってればいいけど、見えないモノが見えてしまう私の場合そうはいかない。否が応でも両立していかなければならない。

幼い頃からずっと経験していることだけど、普通の人の倍はストレスを浴びてしまうこの体質はどうにかならないものか…。これは見える者の宿命なのだろうか。

控えめに言って物凄くしんどい。

その日、講義を終えた私は大学を出るため、重い腰を上げて正門へ向かった。

「その日の講義を終えて帰宅する」で済むのに、わざわざこんな書き方をしなければいけないのはあの腕のせいだ。これからはあの腕を横目にあそこを通らなければいけないのかと思うと憂鬱である。

なら遠回りして別の出口を使えばいいか…、いや、それはあの腕に負けた様で癪に障る。いっそのこと嵐でもやってきて腕をどこかへ吹き飛ばしてくれないものか。

そんな事を考えながら正門近くまでやって来た私は「おや?」と歩みを止めた。目を凝らしてよく見てみたけど、やっぱりそうだ。

腕が居ない。

居ないのは良い事だ。良い事なのだけれど、なんだか嫌な予感がする。

「ねえねえ」

不意に声を掛けられて振り向くと、下劣で低俗な最低最悪極悪非道の先輩がいた。

「今週末暇?梅雨も明けたし、みんなでバーベキューでもしようかと思ってるんだけど、君も来ない?」

なるほど、それで女の子達に声を掛けていたのか。私にまで声を掛けると言うことは、誰も誘えていないのだろう。女だったら誰でもいいのかこいつは。

「すいません、今週末は予定が…」

そう言って頭を下げたとき、目の前に居たそれに言葉を呑んでしまった。

「そんな事言わないでさ、予定なんかずらしてこっち来なよ」

「ごめんなさい、急いでいるので失礼します」

私はその場から逃げるようにして立ち去った。

「目の前に居たそれ」なんて濁す必要もなかったろうか。皆さんが思っている通り、私が見たのは彼の足首をがっしりと掴む怪異の腕だった。

立ち止まり振り返ると、彼は腕をずるずると引き摺りながら歩き回っていた。当然ながら彼は腕に気づいていないし、腕も一切彼から離れる様子はない。

…戻って忠告だけでもするべきだろうか。でも、なんて言えばいい?

「あなたの足に腕が憑いています。だから気をつけてください」

そんな訳の分からない事を言われてどう思われるだろう。

イカれた奴だと、頭のおかしい奴だと思われるに決まってる。それが嫌だから誰にも話したくない。だから、私はずっとこの事を秘密にしてきた。

そうしていつも、罪悪感に苛まれる…。

結果から言うと彼は亡くなってしまった。

大学では亡くなった彼の話題で持ち切りであった。とは言え、悪い噂の絶えない彼だったから、女性達の大多数が不謹慎と分かっていながらも、彼の死を喜んでいた。

友人から聞いた話なので詳しくは分からないけど詳細は以下の通り。

「結局バーベキューには何人か女の子ついてっちゃってさ…、一回生の中にはあの先輩の悪行知らない子もいるからね。だから大人しそうな後輩ばっかりに声掛けてさ、あんたも全然自覚ないみたいだけど可愛い顔してるんだから、ああいう輩にはほんと気をつけなさいよね。

それで先輩相当お酒飲んでかなり酔ってたみたいでね、度胸試しだって結構な高さのとこから川に飛び込んだらしいの。そしたらいつまでたっても浮かんでこなくて、何人か慌てて助けに行ったんだけど全然見つからなくて警察に連絡したんだって。でも、その日は結局先輩見つからなくて、それで次の日になって飛び込んだとこからだいぶ離れた下流で遺体が見つかったんだって。死んじゃったのは可哀想だけど、きっとこれって天罰だよね」

…だそうだ。

彼が死んだのはおそらくあの腕のせいだろう。飛び込んだときに腕に引きずり込まれ、そうして帰らぬ人となった。夏になると多発する水難事故は、悪い意味での風物詩と呼べる。ならやっぱり、あの腕は誰かをあの世へ誘う為にこの時季に現れた、夏の悪しき風物詩なのだろうか。

結局見える面倒と見えない面倒の二つは一緒になって私の前から消えたけれど、めでたしめでたしとは言えない、なんとも後味の悪い結末になってしまった。

あの腕は今はどこにいるのだろうか。

そのまま遥か遠く水平線の向こうまで流れていったのだろうか。もしくはまた誰かの足を狙って、どこかで不気味に放置されているのだろうか。

もう正門の前に腕は居ない。

———…ッ!

その時、どす黒い視線を感じて一気に体温が下がっていく感覚に襲われた。耳鳴りが鬱陶しくて体が重い。

振り返るとそこに居たのは私をぎろりと睨む黒い鳥だった。見た目は「八咫烏」のようだけれど、その鳥は足が三つではなく目が三つ。肝心の足は一本だけと言う、八咫烏とは違う得体の知れないモノだった。

そしてなぜか、鳥の足元にはあの腕が居た。

鳥は器用に趾で腕を掴むと、人のように低い呻き声で鳴き、翼を大きく羽ばたかせるとそのままどこかへ飛び去っていった。怪異が離れていくと徐々に寒気は消え、耳鳴りも小さくなり体も軽くなっていく。

霊気、もしくは妖気と言えばいいのだろうか…。時々ああやって禍々しいオーラを放つモノが居る。そういうのは総じて「悪」の字がつく類のモノばかりだ。あれがそういう類だとしたら、厄介なのに目をつけれられてしまった。

もう二度と目の前に現れないでほしい。そう願いたいのだけれど、鳥が飛び去った直後、腕が私に向かって手を振っているように見えたのは気のせいだろうか。

それが「またね」と言う意味だとしたら、笑えない冗談である。

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凄く心に響く内容でした。
怖いだけでなく、倫理や人としての在り方も考えさせられる内容でした。

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