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誘拐事件における誰かの独白

中編5
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誘拐事件における誰かの独白

9月16日(火) PM 0:26

 また例の大学生が叫んでいる。ほぼ毎日、あの声を聴いているから嫌でも覚えてしまう。何をそんなに騒ぐことがあるのだろうか。何を叫んでいるかは不明である。兎に角、五月蠅い。

 大学生にもなって恥ずかしくないのだろうか。いや、大学生――と私は勝手に思っているが定かではない。しかし、ここら辺に住んでいるということは大学生の可能性が高い。なぜなら、大学が目と鼻の先にあるからである。恐らく、ここら一帯のアパートやマンションに住んでいるほとんどの人がそこの大学の生徒であろう。かく言う私もその一人である。となると、私と同じ大学に通っているということになる。できれば、同じ大学の生徒とは思いたくないが…。

 声から判断するに、体育会系の男だと思われる。あの野太い声で女だったら、私は天地がひっくり返るくらい驚く。私の住んでいるところの近くにある野球部かなんかの寮から逃げ出した猿ではないだろうか。

 動揺を隠せない。文字を打つ手が震えてしまう。今日は一段と五月蠅いから、そいつの姿を見てやろうと思ったのがそもそもの間違いだった。

 私のいるマンションに面した道を上の方に歩いていくと坂がある。その坂に面する形で運動部の寮が建っているわけだが、そいつはその坂の手前にいた。いや、そもそも『そいつ』と形容すべきではない。

 それはラジオだった。

 町内会とかのラジオ体操で見るような小さなラジオが道端に置かれていたのである。最初、私は自分の部屋の窓からそれを見ようとした。しかし、何も見えなかった。街灯がなく、暗い道とは言え、景色がまったく見えないわけではない。だから、人の声がするのに、その人影がまったく見えないことに私は不信感を覚えた。

 出なきゃよかった。

 外に出て、確認したことを猛烈に後悔している。

 暗い道の真ん中にぽつんとラジオが置かれていた。そして、そのラジオからは大学生の叫び声が発せられていた。相変わらず、なんと叫んでいるのかは分からなかった。

 恐ろしい。誰が、何の目的であんなことをするのだろう。

 私がいつも聞いていたのはラジオの録音だったのだ。

 怖い。こうやってパソコンに向かって、文字を書いていないと精神を保てない。

 ちょっと待って。外からなんか聞こえる。あの大学生の声だ。外というか。

 私の部屋の前だ。

 たすけて。

 

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 ここで佳穂さんの文章は途切れている。その後、佳穂さんは失踪し、いまだ消息がつかめていない。警察は誘拐事件ということで、捜査を進めているが、まだ手掛かりらしい手掛かりは出てきていない。

 この事件には不可解な点がいくつかある。

 まず、ラジオは本当に存在したのか、という点である。確かに、佳穂さんの住んでいた地域には大学があり、その周辺のアパートやマンションに住んでいるほとんどがそこの大学生である。事実、夜中に外で騒いでいる大学生は度々、居たらしい。

 しかし、佳穂さんのこの日記が書かれた日に関しては、大学生が騒いでいたという事実は確認できていないのである。警察、そして私が独自に近隣住民への聞き込みを行った結果、その夜誰かが騒いでいるような声は聞こえなかったという。しかし、佳穂さんの日記には『兎に角、五月蠅い』、『今日は一段と五月蠅いから』と記されている。佳穂さんだけに聞こえて、他の住民にまったく聞こえないなどあり得るのだろうか。また0時頃にその道を通った者の証言によると、ラジオのようなもの、またそれと見間違えるようなものはなかった、とのことである。

 しかし、これは佳穂さんの日記が0時26分から書かれていることから、その間に設置されたと仮定すれば、一応辻褄はあう。だが、やはり、大学生の声が聞こえてきたという日記の記載と近隣住民の証言が食い違っている、という謎は残る。

 そして、次に、佳穂さんの日記はこの日にちのものしか残されていない、という点である。というよりかは、この日以外は書かれていない。佳穂さんはこの日記をPCのメモ帳に書いている。しかし、それ以外は大学のレポートがあるばかりで、他に日記をつけていた様子はない。あまりメカニズム的なことは分からないが、ゴミ箱からデータを消去しても、それを復元することは今の技術において、可能であるらしい。だが、復元されたものの中にもやはり日記は存在しなかった。

 ここからはすべて私の感想に過ぎないが、まず愚痴を吐き出したくて、日記を書き始めるというのはいいとして、この文章の書き出しは違和感を覚える。まるで日ごろから日記を書いているかのような書き出しではないか。また一方で、ただただ衝動的に愚痴を書きたかったのであるなら、こういう風に日記形式にする必要はないだろう。

 そして、最後に、犯人の形跡がまったくもって見られないということである。私が、この日記を書いたのはそもそも佳穂さんなのかというのをあまり考慮しない理由はここにある。キーボードやマウスからは佳穂さんの指紋が検出されているが、犯人らしきものの指紋はない。それどころか、部屋からは佳穂さん以外の指紋は検出されていない。もっと言えば、誘拐に対して佳穂さんが抵抗した様子などが一切見られない。

 まずもって、誤解を恐れずに言えば、私はこれが誘拐事件なのかどうかさえ怪しいと感じている。現在の状況から考えるに、この妄想じみた文章を書いた後に、佳穂さんがふらっとどこかに自分の足で、出て行ってしまったと言われた方が納得できる。

 ただ一つ、私も警察もこれをただの失踪事件と断じることのできない理由が存在する。それが、佳穂さんの部屋に置かれたラジオである。そのラジオは佳穂さんの書いた日記の中にでてきたものだと思われる。そして、それには佳穂さんの笑った顔写真が貼り付けられおり、セットされたテープの中に、佳穂さんと思われる女性の叫び声が記録されている。まるで何かに助けを求めるような悲痛な叫び声である。だがしかし、このラジオからも犯人に繋がるようなものは発見できていない。

 こんなことを言うのもなんだが、この事件の真相が見える気がしない。事実、現在、調査は暗礁に乗り上げている。

 そして、私は物理的な行き詰まりと同時に恐怖のようなものを感じている。あのテープに記録された彼女の声。それが耳から離れないのである。

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