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中編6
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泰國奇譚

大きな天井扇がゆっくり静かに回っている。

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僕は白いガウンを羽織り、リクライニングに横たわっていた。

ガムランの優しい調べがどこからか聞こえ、上品なお香の香りが漂っている。

十分に伸ばした足の先の辺りでは紺色の作務衣を着た若い女がひざまずき、その浅黒い指で僕の足裏をグイグイ押している。

ときおり足先から強烈な突き刺す痛みが走り、堪らず痛い!と声をあげると、若い女は申し訳なさそうにSorry . . . と呟く。

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20帖ほどだろうか、だだっ広い殺風景な部屋に、リクライニングが同じ向きで、10台ほど並んでいる。

そのいくつかに様々な国の人が横たわっており、それぞれの足元で作務衣の女性たちが黙々と足裏を押していた。

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「兄ちゃん、日本からか?」

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右隣の男が声をかけてきた。

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「ええ……1時間前にスワンナプーム国際空港に着いて、さっき、このホテルにチェックインしました」

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男は脂ぎった赤ら顔に野卑な笑みを浮かべている。

50歳くらいだろうか。

薄い髪を茶色に染め、お腹周りにはかなりの贅肉がある。

ただガウンから覗く肌は浅黒く照かっていて、胸元で光る金の鎖を見ると、かなり遊んできたような感じだ。

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「タイはええとこや わしもこうして、たまに来てリフレッシュしてるんや」

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男はそう言うと、さも楽しそうに微笑む。

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「そうですか…… 実は僕は今回初めてなんですが、

どこか面白いところ、ご存知ないですか?」

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すると男は少し思い出すように天井を眺めてから、おもむろにしゃべりだした

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「実はな、昨日の夜なんやけどな。

こっちの知り合いに誘われて、変わったところに行ってきたんや……

い、痛!痛たた!おい、もうちょい、優しくせえよ!」

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男の足元にいる浅黒い女が慌てて頭を下げる。

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「まあ、兄ちゃんのような真面目そうな人はどうかなあ……つまらんかもしれんね」

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と言いながら男はちらりと、僕を見る。

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「え!どんなところだったんですか?」

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そんな風に言われると、気になるのが人情であろう。

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「最初、わしもどんなところか聞かされずに連れて行かれたんやけどな。

行ってみると、ちょっとしたアメリカンバーみたいなところでな。

広々したウッド調の店内奥には高いカウンターがあって、高いテーブル席がポツポツあってなあ、椅子は一個もあらへん。

まあ日本で言うたら、立呑屋みたいなもんかな。

一杯飲むごとに金を払うアメリカンスタイルで、なんや昔のロックとかがガンガン鳴っててな

ダーツとかもあったなあ」

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お客さん?そこそこおったなあ……

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「しばらくは連れとカウンターでワイワイ話しながら、まあ楽しかったんやけど、女もおらんし、だんだん退屈してきてな。

おい、もう帰ろうか?

なんて、連れに言ったんよ。

そしたら、そいつ、なぜかニヤリと笑ってね。

こっちに来いと勝手に歩き出したんで、ついていったんや」

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「そいつ、どんどん店の奥の方に進んでいくわけよ。

分からんけど、とりあえず付いていくと、薄暗いところに小さな裏口みたいのがあってな

そこから中に入ったら、いきなり白い仕切りカーテンがあったんや。

その前に浅黒い顔の現地の男が立っててな。

連れの男がそいつに何やら耳打ちすると、財布から金を出して手渡したんや。

2,000バーツやったかな……。

日本円で6,000円くらいかな。

一人、3,000円というところや。

そしたら、その男がカーテンを開き、中に入れ、と手招きしたんよ」

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「入ってみると、そこは人が一人立てるくらいのスペースがあって、天井の蛍光灯が切れかけとったのか、チカチカと点いたり消えたり、しとった。

そんで、クーラーでもついてるんか思うくらい冷んやりしとって、なんか薄気味悪い感じのとこやったなあ。

見ると、目の前に動物園のようなガラス張りの個室が向こうまで並んどる。

なんやろう?と一つ中を覗いたら、床はコンクリートで何もなくてな。

天井には手前に一つ、裸電球がぶら下がっとるだけで奥は結構暗くてな、うなぎの寝床みたいやった。

何やつまらんなあ、なんて思って何となく見とると、そこに何かおるんや。

初めは、なんか珍しい動物でもおるんかいな?と思っとった」

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何故だろう、冷たい何かがじわりじわりと腰から背中に向かって這い上がってくるのを感じる

と同時に僕の心臓は拍動を速めていく。

すでに喉はからからだった。

男が大きく一つため息をついて、続ける

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「そしたら、連れのやつがバッグから何かが入ったビニール袋を出して、個室の手前上にある鉄製のダッシュボードに放り込みよった。

コンクリートの床にドサリと落ちたそれを見てみると、袋の口から大量のミミズのような長いのがウネウネと蠢いているんや」

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「そしたらや、、、

しばらくすると、奥の方で固まっている黒い影の一つがピクリと動きよった。

影の形だけ見ると、何や頭の上にツノのあるカタツムリのような風体をしている。

そいつは長い身体をくねらせてゆっくり移動しながら、こっちに向かって近づいてきた。

アナコンダかなんかかな?と思って見てると、とうとう終いには裸電球の真下まで来た」

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突然男は僕の方を向いた。

そして明らかに怯えた顔でこう呟く。

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「兄ちゃん、わし、あんなに怖かったのは生涯、あの時が初めてやったかもしれん」

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「あいつは、間違いなく単なる動物ではなかった。

けどなあ、人間でもなかったな。

胴体は長くて、そうやなあナメクジのお化けのような感じで白くヌメヌメと光っていて、まだらの模様がある。

頭には二本の触手があって、その下には人間のような二つの黒い瞳と口があった。

鼻はない。

胸の辺りには二本の細い腕があったな。

そいつ腹が減ってたのか、コンクリートに蠢くミミズをそのか細い前足で掴むと、歯のない口に放り込んでむしゃむしゃと食い始めよった。

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それでわしがしばらくその様を唖然としながら眺めていた時やったと思う。

そいつ何を思ったのか突然食うのを止めると、じっとわしの顔を見始めたんや。

それから何やもぐもぐと口を動かしだした。

わし初めのうちはその行為の意味が分からんかった。

でもようやくその意味するところが分かった瞬間、あっという間に背筋が凍りついたんや」

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男はそこまで喋ると、じっと僕の目を見ながら無言のまま口だけを動かしだした。

まるで口の効けない者が必死に言葉を伝えるかのように、1言1言ゆっくりと。

僕は最初分からなかったが、やがてその言葉を理解することができた。

その言葉は、

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タ、、、ス、、、ケ、、、テ

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そこまでしゃべると男は急に黙りこみ、頭上で静かに廻る天井扇を呆然と眺めだした。

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「スミマセ~ン! ジカンデ~ス!」

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男の足元の女が片言の日本語で言った。

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「オーケー、オーケー、ねえちゃん

サンキュ!サンキュ!」

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男は起き上がり財布から金を出して、女に手渡すと、

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「兄ちゃん、すまんなあ

もうちょい話したかったけど時間もきたみたいやし

また今度、もし会うことがあったら、話すわな

じゃあな……」

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と言うと、ベッドから降りて悠々と歩き出した。

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……

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僕は遠ざかる男の後ろ姿をずっと見つめていた。

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マッサージ店を出た時はもう辺りは暗くなっていた。

ネオン瞬く繁華街の歩道をホテルへと歩いていると、電信柱やショップの正面ウインドウとかに貼り紙が貼ってあるのが視界に入ってくる。

見るとそのほとんどは怪しげな店を宣伝する野卑なものなのだが、中には人探しと銘打った真面目な内容のものもあった。

そしてそれらに印刷された写真の者は白人・黒人そしてアジア系と様々で、その殆どは若い女性のようだ。

その中にごく偶にだが、日本人らしき女性の写真もあった。

思わず立ち止まり、僕はその写真を凝視する。

白いTシャツにジーパン姿の二十歳くらいの若い女性が、楽しそうな様子でカメラに向かってvサインをしている。

その時なぜかふと僕は、先ほどの男の話を思い出しゾッとした。

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Fin

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Represented by Nekojiro

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