バイト終わりの帰り道、俺は周りから見てもわかるほど浮かれていた。
なんならスキップでもしそうなくらいの調子の良さである。
このウキウキにはわけがある。長年欲しかった限定版のスニーカーが今日、自宅に届いているのである。
狭いワンルームに住んでいるくせにこのスニーカーのためだけに簡易の配達ボックスまで付けてしまった。
今日のバイトの休み時間に『配達が完了しました』のメールを見たときはスマホに向かってガッツポーズをしたくらいだ。
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家に着き、高まる期待を胸に箱を開けた。
「うおお……」
スニーカーを手に取りすみずみまで眺める。思った以上に状態がいい。なんでこれがメルカリで5000円で出てたのか、出品者はアホなのだろうか。
「最高だ」
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匂いも残っていない。むしろ新品のゴムの香りがするようだった。
俺は好きなものは積極的に使って行くタイプだ。特にスニーカーなんてほっておいても接着剤が劣化してしまうんだからガンガン使って思い出を持ったモノにするほうが価値があると思う。
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昨日のテンションを引きずったまま今日も夕方からコンビニへバイトに来た。
「いらっしゃいませ〜!」
うん、今日の俺は心からいらっしゃいませと思っている!やっぱり良いモノは気持ちを変えるね!
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夜の10時が過ぎ、お客さんもまばらになってきたころ。外の灰皿を片付けに行く。
「あっ」
吸い殻を一本落としてしまってそれを拾い上げようとしたとき、左足の靴ひもがほどけているのに気が付いた。
靴ひもさえも踏んで汚したくはない。しっかりと結び直した。
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12時、深夜帯の人と交代でバイトからあがる時間。
俺は着替えてロッカー室から出た。休憩スペースを通ってそのまま帰ろうとしていると
「あのう」
深夜帯にシフトしている陰気な女に話しかけられた。俺コイツ苦手なんだよなぁ。
「その靴……」
女は俺の栄光のニューシューズを指差した。
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やっぱわかる?わかっちゃう!?有名だもんな〜、でもこの靴の良さがわかるとは陰気なくせになかなか見どころがあるぞ。
などとうっすら笑顔になりながらお花畑な思考をしていたのだが
「その靴……、履かないほうがいいと思いますよ」
「はあ!?」
いきなり何言ってんだコイツ!
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いらだちを抑えて問い返した。
「何?どう言うこと?」
口調も冷たくなってしまうのも仕方ないだろう。これでも抑えているのだ。
「いえ、ただよくないことが起きそうな……」
女は俺の少し後ろの空間を見ながらそう言った。
「なんなん。オカルト!?そういうのいいから」
それだけ言うとずかずかと足早に帰った。せっかくの気分に初日から水を差された。
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そもそもあの女は霊感があるとか言って人の気を引くようなヤツで、俺を含めてバイトの他のやつらも遠巻きにしている女だ。
俺が見慣れない靴に変えたのをネタにまた心霊話に持ち込もうとしてたんだろう。
まったく。もうちょっと人との距離感とか気にして欲しいね。そんな話を自分の持ち物をネタにしてされたら不快でしかないだろうに。
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しかし、一カ月も経つとだんだんと霊感女の言葉が真実味を帯びてきた。
いやに左足の靴ひもばかりほどけるのだ。
最初は偶然だと思っていたし、大切にするあまり靴ひもをゆるめに結んでいたせいだと思っていた。
でも靴ひもを踏んでコケそうになることが続いてしっかり結び直したときも、紐を踏まないように靴の中にしまい込んだときも、なぜかきれいにほどけてしまうのだ。
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俺は霊感女に会わないようにあの日から11時半には上がらせてもらっていたのだが靴ひもがほどけまくるという謎の現象が頻発するので少しあの女の話が聞きたいと思うようになった。
ただ、最近シフトの都合で12時を超すときもあの女と会うことがなかった。
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「ああ、あの子ね。辞めたよ」
店長に霊感女のシフトを聞くとあっさりそう言った。
「どうしてですか、何かあったんですか?」
思わぬ答えにうろたえた俺はたたみかけるように質問した。
どうやらあの女が辞めたのは俺が最後に話したあの日らしい。
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モヤモヤを抱えたままいつも通り過ごしているとある時からピタッと謎の現象が止んだ。勝手に靴ひもが解けなくなったのである。
なんだやっぱり考え過ぎだったのか。
しかしてその頃から別なことに悩まされるようになった。
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海風、くさった潮の匂い。
ガチャガチャという無数の生き物が鉄の箱の中でうごめくような音。体が痛くて動かない。
これは夢だ。
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ゴトッ
何か狭いところに入れられた(落とされた?)
丸い開口部から夜空が見える。後頭部が痛い。割れている。
両足はその狭い空間からはみ出している。よだれが頬を伝う。口が閉まらない。
これは夢なんだ!
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2人の人相の悪い男。こいつらが俺を殺す。
これから俺がどうなるのかわかってしまう。
悔しい。死ぬのが怖い。
そうやってうなされながら目を覚ます。
これは最近見る夢の話だ。
毎夜毎夜、断片的にこんな夢を見るようになった。
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夢から醒めるときはいつも汗だくで『殺される』という恐怖とともに飛び起きる。
毎日こんな夢を見ているせいかどんどん俺はやつれていった。
店長からもシフトを減らそうかと心配された。
やっぱりこの靴となにか関係があるんだろうか
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俺は霊感女の連絡先を教えて欲しいと店長に頼みこんだ。
だが個人情報がどうたらで店長も教えるわけにはいかないらしい。
折衷案として、店長が霊感女に掛けた電話に元バイト仲間(仲間どころか苦手だったが)の俺が偶然に懐かしがって代わるという形をとった。
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意外なほどあっさりと霊感女は店長からの電話に出てくれた。電話を俺と代わると店長が言ったとき切られるんじゃないかとヒヤヒヤしたがすんなりと俺の電話に出てくれた。
店長はなにを勘違いしたのか「ごゆっくり〜」と面白がるように言って休憩室から出て行った。
俺は内心すごく不安だったのだろう。挨拶もそこそこに俺の現状を話すと「どうすればいい?」「どうしよう?」と鼻声になりながら霊感女にすがった。
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「ちょっと詳しく確認したいんだけど……夢は、進んでる?」
何度目かの応答でそう問われたとき俺は気づいた。
そうだ、俺の見ている悪夢はだんだんと進んでいるのだ。
死に向かって。
勢いこんで夢について細かに話すと
「よかった。じゃあ誰の『声』も聞いていないのね」
静かな吐息が電話の向こうの女の安堵を伝えた。
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結論からいうと俺は靴を再びメルカリで売ることにした。
霊感女……といっては失礼なのだがその彼女が言うには靴に『恨み』が強くこびりついていたらしい。
そして意外だったのだが靴ひもがほどけまくったのはその『恨み』の仕業ではなかったようだ。
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守護霊だかご先祖様だかが、靴ひもをほどいて単純に『履くな』というメッセージを送ってくれていたらしい。
それを無視し続けた結果『恨み』の念が俺を侵しつつあったのが悪夢なのだそうだ。
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あれだけ憧れ続けたこの靴がよりにもよって呪われたシロモノだなんて……はあ。
持っていたら行く末にどんな不幸が待っているかわからないので、勿体ないけとすぐに捨てようと思ったのだがそれはダメらしい。
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こっくりさんに使った10円玉みたいな話で、ちゃんと商取引にのせるというのがひとつの浄化になるそうだ。
そうしないといくら捨てても戻ってくるみたいなことがあるらしい。
それはそれでゴメンだ。
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だから今、俺の呪われたニューシューズはメルカリで3000円で出品している。安すぎても怪しまれそうだがこのくらいなら買う人もいるだろう。
ただなぁ、勿体ないのもアレだけど、まだ売れてはいないから今もその靴はウチにあるわけで。
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今朝の悪夢で
「いい靴はいてんじゃん。もーらい」って人相の悪い男が夢の中で俺の靴を取ったんだよね。
やっぱり取られたのは左足の靴だった。
そう言えば今朝からなんだか左足がヒリヒリするんだよね。まるで傷口に潮風がしみるみたいにさ。
作者春原 計都
呼ばれた気がして!お久しぶりです!(呼んでない)