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中編5
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ひとりじょうず2

今年五十になるTの半生は孤独そのものだった。

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彼には兄弟がなくまた親戚との交流もなく、唯一の肉親だった母親も去年病気で亡くなった。

縁に恵まれなかったのか、未だに独身で付き合っている女性もいない。

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彼には若い頃から、これといった人生の夢や目的というのがない。

大学を卒業後地元の小さな会社に就職し、総務課に配属されて30年。

特に出世もせず今日まで来た。

朝から地下鉄で会社に行きパソコンの前でおおよそ9時間過ごし、また家に帰る。

それをただただ繰り返してきた。

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それは暑い夏が終わり、ようやく日差しにも穏やかさが感じられだした頃のこと。

仕事を終えたTはいつもの通り地下鉄のホームで、いつもの19時18分の電車を待っていた。

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─電車が通過します、、、

危険ですので白線の内側にお下がりください。

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アナウンスが鳴り響くと同時に電車の音が近づいてくる。

ホームの端辺りに立っていたTは白線の内側まで下がると改めて正面に向き直り、俯いていた顔を上げた。

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その時だ。

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彼の視界に広がっている向かいの薄暗いホーム。

その真ん中に明らかに周囲の人とは異なる者が三人立っていた。

それは恐らく夫婦とその子供。

三人を含む周囲の光景だけがまるで古い写真のようにセピア色をしていて、陽炎のように微かにゆらゆら揺れている

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─あれは、、、

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Tは思わず手の甲で目を擦り、確認するかのように両目を大きく開く。

それからまるで夢遊病者のようにふらふらと前に歩きだした。

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そしてあと一歩で足が踏み場を失うかという時。

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凄まじい轟音とけたたましい警笛音を鳴らしながら、鼻先を電車が通り過ぎていく。

その風圧で彼は数歩後ろによろける。

電車はあっという間に通り過ぎていった。

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Tはその場にへなへなと膝まずいた。

心臓は早鐘のように激しく脈打っている。

なんとか持ち直し立ち上がり改めて正面を見た時は、あの三人の姿はなかった。

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帰りの地下鉄の長椅子にもたれかかり、正面の暗い窓に映る自分の顔を見ていると、何故か脳内には16ミリの映写機が回るかのように昔の光景がよみがえってきた。

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それは幼い頃の様々な懐かしい光景。

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下町で鉄工所を経営していた頑固な職人気質の父。そして、それをささえる人情深く気丈な母。

三人の暮らしは決して楽なものではなかったが、あの頃の生活には日々喜怒哀楽があり間違いなく毎日を生きているという実感だけはあった。

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そう、あの頃確かにTは孤独ではなかった。

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─あーもう一度、あの頃に戻りたい、、、

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彼はそう一人呟くと大きくため息をついた。

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すると唐突に彼の脳内に、切り取られたある記憶がよみがえってきた。

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それはある秋口の夕暮れ時のこと。

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幼いTはいつものように父母と夕飯を食べていた。

彼の前には汗で黄ばんだランニングシャツの父、その隣には割烹着姿の母が座っている。

すると玄関の方から「あのお、すみません」という男の人の声が聞こえてきた。

母が「はーい」と返事をする。

彼が後ろを振り向き玄関先に目をやると、そこには灰色の背広姿の年配の男が立っているのか見えた。

男は痩せていて、どこか自信無さげで不安げな表情をしていた。

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母は父と顔を見合わせると苦笑いする。

すると父は茶碗を置き少しの間腕組みをすると、母に向かってこう言った。

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「おい、気の毒だからおにぎりか何か持たしてやれ」

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母は立ち上がると男に向かって「ちょっと、待っててね」と言うと台所に行く。

しばらくすると母は、二個のおにぎりを乗せた皿を持って玄関に走った。

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だがその時には男の姿はなかった。

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……

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………

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…………

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─○○~、○○です。

どなた様もお忘れものなきよう、、、

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駅員の場内アナウンスで目が覚めたTは、慌ててホームに飛び出した。

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彼は改札を出ると地上に上がり、いつものルートを歩きマンションの敷地に入る。

集合ポストで郵便物の束を取り、エレベーターに乗り込むと5階のボタンを押した。

しばらくするとチーンというチャイム音とともに金属の扉が開いていく。

降り立ち渡り廊下の先を見渡した時、彼はドキリとした。

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え、、そんなこと、あり得ないだろう?

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彼は小走りで自分の部屋の玄関のところまで行く。

だが、やはりそうだ。

ドアが開け放たれているのだ。

彼はどちらかというと神経質なほうだ。

近所に用事の時さえも玄関の鍵はかける。

ましてや開けっ放しで出かけることなど絶対にない。

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Tは恐る恐る玄関から中を覗く。

廊下奥のリビングはそこだけセピア色に浮かび上がっており、ぼんやりした人影が動いているのが見え、テレビの音と時折話し声が聞こえてくる。

彼は後退りし再び廊下に立つと、号室を見て間違いないことを確認すると奥の部屋に向かって、

「あのお、すみません」と声をかける。

すぐに「はーい」という明るい女性の声が聞こえてきた。

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その声を聞いたときTは、心のどこかから何か暖かいものが沸き上がってくるのを感じた。

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しばらくすると今度は「ちょっと待っててね」という先ほどの女性の声がした。

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この瞬間だ。

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彼は全てを悟り静かにドアを閉めた。

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翌朝マンション内にある小さな公園前には、救急車とパトカーが停車していた。

門の前では二人の主婦たちがひそひそ話をしている。

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花柄のエプロンの方が深刻な面持ちでしゃべりだす。

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「今朝朝の散歩してたら、そこのベンチで誰か寝ていたのよ。

恐々見たらグレーの背広着た男の人でね。

もしもし?って声を掛けても、うんともすんとも言わないからおかしいなあって覗きこむと顔の血の気が全然なくて

恐る恐る手に触れたら、ひんやり冷たくて、、、

もうわたし、びっくりして慌てて119に電話したの」

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もう一人の主婦が聞く。

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「まぁ浮浪者かしらねえ?

食べるものとか寝るところがなくて、とうとう死んじゃったんじゃないの?

辛かったでしょうね」

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そしたら花柄のエプロンの主婦は首を横に振りながら、こう言った。

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「それがね、その男の人本当に幸せそうな感じの顔してたのよ。

死ぬ前に何か良いことあったのかしらね」

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「ばったり初恋の人に会ったとかね」

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二人の主婦は目を合わせると、さも楽しそうに笑いだした

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そしてその明るい声は雲一つない秋空に吸い込まれていった。

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Fin

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Presented by Nekojiro

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