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長編8
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「ハサミ将棋」

先輩ヘルパーのYさんは、お酒やタバコが大好きな愉快な方です。

元風俗嬢だったと憚ることなく公言し、「怖いものなんかねぇ。」と初対面の利用者さんやご家族に対しても臆することなく、抜群のコミュニケーション力で、すぐに打ち解けてしまう「女傑」です。

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ちょっとしたことで落ち込んだり、凹んだりするヘルパー仲間を、「そんなこと、いちいち気にすんな。爺婆死んだわけじゃねーだろ。」と励ましてくれる優しい一面もあり、底抜けに明るいYさんがお休みの日は、火が消えたように静かで何か物足りない気持ちになりました。

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今季一番の寒さを迎えた ある朝の出来事でした。

そろそろ、朝のミーティンが始まろうとしていた頃、新人看護師のTさんが、血相を変え、へルパーステーションに駆け込んできました。

Tさんは、東南アジアのご出身で、この春、日本の看護学校を卒業し、同じ法人が運営する隣接の特別養護老人ホームに看護師として着任したばかりでした。

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まだ、勤務中だったのですが、7時の引き継ぎを待って早退願いを出し、逃げてきたというのです。

「もう耐えられない、ここには居られない。」とパニック状態です。

私は、Tさんの勤務先である、特養のナースステーションに電話をしましたが、なかなか繋がりません。

仕方がないので、しばらくの間、Tさんから何があったのかお話を聞くことにいたしました。

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昨日、夜勤中に、洗濯室からパチリパチリという微かな音が聞こえて来ました。

Tさんは、介護スタッフが乾燥機を止め忘れて帰ったのかもしれないと思い、洗濯室を覗いてみることにしました。

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洗濯室の中は、うすぼんやりとした常夜灯に照らされ、よく見えません。

パチリ

しばらくすると、

また、

パチリ

音のする間隔は不定期ですが、洗濯室の奥から聞こえて来るのは確かなようです。

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常夜灯の灯りを頼りに、目を凝らしてみると、

着物姿の男性が、こちらに背中を向けて将棋を指しているのが見えました。

聞こえてきたパチリパチリという微かな音は、将棋の駒を置く音でした。

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姿かたち、着衣、ひと目で、ここの入居者さんではないと気づきました。

Tさんは、不審者が侵入してきたのかもしれないと、「こんな時間になにをしているんですか。」と恐る恐る問いかけてみたところ、男はゆっくりと振り返り、Tさんに向かって、

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「やぁ、久しぶりだね。アリスちゃん、元気だったかい。」

と嬉しそうに語りかけてきました。

Tさんが驚きのあまり、その場に動けないでいると、男は、スルスルと滑るようにTさんの目の前にやって来て、身体を45度傾けると、ぐぅと顔を近づけてきました。

目玉のないまっくろな目が、しばらくの間、懐かしそうな眼差しで、Tさんを、じっと見つめていたそうですが、顔を数回小さく横にふると、がっくりと肩を落とし、煙のようにあとかたもなく消え去ってしまいました。

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Tさんは、余程怖かったのか、私のもとにやってきて、

「どうしよう。来週は、夜勤が2日あるんです。それに、私、アリスちゃんじゃないし。」

と、肩を震わせてしがみついて来ました。

洗濯室に幽霊が出るという噂は聞いていましたが、これほどまでにリアルな話を聞くのは初めてでしたので、その場にいるヘルパー全員が震え上がりました。

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Yさんは、不敵な笑みを浮かべると、

「あんた見える人なんだねぇ。」

と、ストックしてあったク○ール○ップスープをマグカップに入れ、ポットのお湯を注ぐと、涙を浮かべながら怯えているTさんに差し出し、

「ほら、顔真っ青じゃないか。これでも飲んで、少し落ち着いて。幽霊だって元人間なんだから。怖がることはないよ。」

と、Tさんの肩を抱きながら、

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「いやぁ、久しぶりだなぁ。出物腫れ物所嫌わずとはいうけれど、まさかこのクソ寒い中、お出ましになられるとはねぇ。」

と呟きました。

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「悪いねぇ。その幽霊、私の古い友人で斎藤さんっていうんだよ。私がキャバクラに努めていた頃の常連さんでさ。当時、店にいた東南アジアから出稼ぎに来ていた若い子アリスに入れあげて、とうとう離婚。その上、自己破産までしちまった。人間として屑だよね。

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子ども二人は奥さんが引き取って、その後子連れ再婚した。元々、親同士が決めた結婚で、愛のない家庭だったそうだ。ま、お互い様ってとこかな。働くことしか能のない 典型的な日本のお父さん。それのどこが悪いのかねぇ。っていつも呟いては水割りを何杯も煽っていた。

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いつの間にか居場所がなくなって、気づいたらキャバクラ通いしてたってわけ。

なんかね。もっと、器用に生きられないものかね。

と思ったよ。

アリスちゃんに、何を求めていたのかな。

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唯一将棋が好きでさ。時々、私、相手してやってたんだけど。日本語もろくに話せないアリスちゃんには、将棋は、ちと難しすぎたんだな。いつまでたっても、駒の動かし方すら理解できなかったのよ。

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しょうがないから、将棋が出来なくても簡単に遊べる「ハサミ将棋」を教えてやったんだ。

斎藤さんもアリスちゃんも喜んでさ。以来、時間を忘れるほど楽しんでいたんだ。

たかが、「ハサミ将棋」だよ。笑わせるってば。

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斎藤さんは、その後肝硬変を患い、しばらくの間、隣の病院に入院していたんだけど。すぐ裏が飲み屋街じゃん。勝手に夜、病院を抜け出して、アリスちゃんに会いに来るんだよ。こっちは、商売だから来てもらえるのは助かるけど、病人それも肝臓をやられた患者がやってくるってさ。どうかしてるよね。

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斎藤さんは、病院に入院している手前、飲めないから、アリスちゃんとふたり仲良く「ハサミ将棋」をして遊び、巡回の看護師がくる少し前に病院に戻る。客とキャバ嬢というよりは、仲の良い父と娘みたいに見えた。

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「今なら考えられないわ。ホント…。昭和って時代は、どうなんだろ。」

その場にいる皆が呆れ返っていました。

「病院も薄々分かっていたんじゃないのかな。でもさ、そんな夢みたいな時間、そうそう長く続くわけ無いじゃん。」

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「その後、アリスちゃんは、不法滞在外国人ということで、自分の国へ強制送還されてしまった。斎藤さんは、肝硬変が悪化して、退院してからも自宅で頑張っていたんだけど、高齢者のひとり暮らしは、無理があるからね。そう長くは続かなくて、結局、特養で最期を迎えた。

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あまり良くないって風の便りで聞いてさ。一度面会に行ったんだけど、家族以外は駄目だって言われ門前払いを食らったの。頭にきて、喫煙室でタバコ吸っていたら、ここの所長に目をつけられて、「もうあなたもいい年なのだから、夜のお仕事辞めて、うちに来ない。未経験でも働けるわよ。それなら、ここのヘルパーとしてつまり正職員として、堂々と斎藤さんに会えるでしょ。」って説得された挙げ句ハンティングされたんだわ。

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キャバクラも、行政や警察の介入があったりして、なんやかんやとめんどくさいことになってたし、それこそ、いつまでもキャバクラ嬢っていうのもどうかと思ってね。前月の分、まだ貰っていなかったんだけどさ。いろいろ揉めたくなくて、即、辞表を書いて突きつけてやった。キャバ嬢とヘルパー、どっちも接客商売だからさ。お酒提供する以外は、似ている所あるから。」

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それは、違うんじゃないかなと思いましたが、私は、キャバクラで働いたこともなければ、ヘルパーとしての経験も浅く、両方の立場や仕事を熟知していらっしゃるYさんの仰ることに意を唱えることは出来ませんでした。

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「今、洗濯室として使用している部屋は、改築前は、娯楽室だったんだよね。

斎藤さん、ここに来て、たったひとりで将棋指してた。

今の娯楽室にある、月刊「将棋」は、斎藤さんの蔵書。

所長も私も、斎藤さんを知る人達は、捨てるに捨てられないって話してさ。」

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「なんだよ。ゆかり、なにか言いたげだけど。」

「いえいえ、なんかいい話だなって。昭和の一番羽振りの良かった頃を思い出してしまいました。」

私は、胸にこみ上げるものがあり、そう答えるのが精一杯でした。

Yさんの頬も、キラリと光っていたように思います。

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その場に居たヘルパーたちは、皆 俯き、言葉を発することも出来ず、Yさんの話に耳を傾けるしかありませんでした。

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Yさんは、ぷいっと横を向き、

「こら、スープ覚めてるじゃないか。ちゃんと飲んで。」

とTさんを促しました。

「すみません。私、泣いちゃった。アリスさん、家族のために働いていたんですね。今、どうしていらっしゃるのかしら。Yさん、お時間のある時でいいので、ハサミ将棋、私にも教えて下さい。」

Tさんは、そういうとYさんに向かって深々とお辞儀をしました。

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「ちょっと、そういうの止めてくれない。斎藤さんの幽霊、しばらく、見かけなかったから、てっきり成仏したと思っていたんだけどね。あのバカ、アリスちゃんに似た子を探して、未だにふらふらと飲みに行ってたんだろな。

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Tさんさぁ、あんた見える人みたいだから、お願いがある。時々、深夜勤の時でいいから、斎藤さんに会いに行ってやって。幽霊だけど、元は人間。いいヤツだったんだ。目ン玉空洞になっちまったのは、しょうがねぇけどね。」

「え?でも、そんなことしていいんでしょうか。」

「いいんだよ。そのうち、飽きれば成仏したくなるよ。私が死んた時に、もしまだここに居座っていたら、地獄でも天国でも同行してやるから安心して。」

Yさんの女男前の気質が、私や皆の心をほっこりとさせました。

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私は、

「斎藤さんの死因は、肝硬変なのですか。」

と聞きました。

Yさんは、寂しそうに、

「酒なんか辞めてさ。スープか味噌汁かせめてコーヒーで我慢しとけばよかったんだよ。酒は、飲むもので、飲まれるもんじゃねぇんだ。それと・・・。」

一瞬間をおいて、

「いい男やいい女は、相手の方が惚れっちまうんだ。自分から絶対に惚れたり、告ったりはしないもんだ。」

と持論を展開したのでした。

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「そうですよね。私もそう思います。」

Tさんは、頷くと、すっかり覚めてしまったスープを嬉しそうに飲み干しました。

(Yさん、あなた、ほんとうに、そう思っていらっしゃる?)

私は、この時ばかりは、なんと申しましょうか・・・Yさんの表情に紗が掛かったような気がして、複雑な気持ちになりました。

FIN

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どちらかといえば人情話ですね。

とはいえ、外人労働者の輸入・使い捨てで暴利狙って無茶苦茶やる業者も多いでしょうし。一部の特定左翼とかが、そういうのをさらに政治的に悪用している現実がありますから。

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