21年11月怖話アワード受賞作品
長編8
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合唱曲「恐怖」

皆さんは、「恐怖」という合唱曲を知っているだろうか。

昭和50年当時、私の中学校では、年間学校行事の中でも「校内合唱コンクール」が最も大きな比重を占めていた。

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私が中学校2年生の2学期の出来事である。

私のクラスに 一人の男子転校生がやって来た。

仮にT君としておこう。

T君は、三白眼で青白い顔色をしていた。

自己紹介の時、「自分は、腺病質なもので、運動や校外活動は苦手です。」と語った。

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T君のいうとおり、体格は、平均的な男子よりひと回り小さく、貧弱で神経質な雰囲気を醸し出していた。

彼が近づくと、枯れ葉を燻(いぶ)ったようなタバコの匂いがした。

都心に住んでいたという割には、全くといっていいほど垢抜けていない。

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田舎の中学生ですら、ほぼ全員が、本革の学生カバンで通学していたのに、T君は、蓋付きの帆布素材のカバンを斜めがけにして、学区外から徒歩で登校していた。

文庫本を手に、猫背気味に歩く姿は、年齢よりもずっと更けて見えた。

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ズボンのベルトには、「懐中時計」がぶら下がっており、時折、それを眺めては、物憂げな表情を浮かべている。話す言葉も、どこか慇懃無礼で、上から目線のような印象を与えた。

私は、そんなT君が苦手で、席は近かったが、それとなく距離を置いて過ごしていた。

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合唱コンクールの日が迫っていた。

課題曲が発表になり、自由曲を選ぶ段階でクラスは紛糾した。

私は憂鬱だった。

このクラスでピアノを弾けるのは私だけしかいなかったからだ。

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学年の中でも、私の在籍する2年1組は、協調性のないクラスだった。

全校朝礼の時、必ず誰かが注意されていた。

朝礼が終わってからも、連帯責任と称し、クラス全員残されて説教を食らうといった有様だった。

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伴奏は、独奏とは違う。「頼むから、弾きやすい曲にしてくれないだろうか。」そんな祈るような気持ちで、私は自由曲が決まるのを待っていた。

なんとなく、定番の合唱曲で決まりそうになった時、「ちょっと待って。いい曲がある。」

T君の声が響いた。

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「『恐怖』という曲にしよう。これだと、間違いなく優勝する。歌詞は、こんな具合。」

T君は、そういうと例の帆布素材で出来たカバンから、詩集のような本を取りだすと、朗々と読み上げた。

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一言一言に クラスの皆がざわめいた。

女子の中には、怖いと叫びだすものもいたが、大部分のクラスメイトたちは、奇妙な歌詞に興味を持ち始めた。

その時まで、「恐怖」と題する詩を知るものは、ひとりもいなかったからである。

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「歌詞は分かった。どんな曲か知りたい。」

クラス委員のY君が声を上げた。

私も、「楽譜はあるの?」と聞いてみた。

T君は、口元に笑みを浮かべると、合唱コンクールの練習用に置かれた足踏みオルガンの前に歩み寄り、椅子に腰掛けると 楽譜も見ずに弾き語りを始めた。

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以下原詩のママ 記載

♪道をたづ(ず)ねてきたひとが

ひと晩に三度もやつ(っ)てきた

三度ともわたしはそれを教へ(え)た

暗い晩で

雲がさかんに寒ぞらに走つ(っ)て

砥ぎ出された星がいくつも輝いてゐ(い)た ♪

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その人はその晩はさすがに最う来なくなつ(っ)た

しかし私はどうしても来るや(よ)うな気がした

暗い星ぞらをみていると

ぬかつてゐ(い)る道をあるいてゐ(い)るその人が見えるや(よ)うな気がした

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私は机にもたれては

聞耳を立ててからだを凝らしてゐ(い)た

もしやその人がふいに来はしないかと

胸がどきつくほど落ちつかなかつ(っ)た

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窓はいくども開けてみた

暗さが暗さを折りかさね窓につづいてゐ(い)た

た(と)うとうその人は来なかつた ♪

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ハリのある魅惑的なテノールが教室全体に響き渡る。

意味不明な不気味な歌詞と、それにマッチした曲を 当然のように弾き語りをしているT君に皆が魅了され、選曲に時間を費やし、紛糾した自由曲はいとも簡単に決まった。

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T君は、唖然としている私の前につかつかと歩み寄り、

「君には、この曲は無理。君は、課題曲の『山のいぶき』だけを弾き給え。自由曲は、僕が弾く。君は、朝の礼拝で奏楽の奉仕をしなければならないからね。」

と告げ、不遜な笑みを浮かべた。

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「皆さんは、多分、知らないと思いますが、この曲の歌詞は、あの有名な室生犀星の詩です。どうです。ゾクゾクとした怖さが伝わってくるでしょう?」

血走った三白眼と慇懃無礼な物言いに対し、クラスメイトは、誰一人として言い返すものはいなかった。全員、蛇に睨まれたカエルのように、ただ、こくりと頷くのが精一杯だった。

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練習は、ほとんど朝のホームルーム前と放課後の数十分程度しか確保できなかったが、協調性のないクラスにも関わらず、練習を休む生徒は、ひとりもいなかった。

この曲は、ラスト3回 「来なかった」を連呼し、突然終了する。

まさしく、その部分が、クライマックスなのだが、私は、ラストで毎回鳥肌が立った。

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なぜなら、T君の右肩に、赤黒い影がまとわりつき、委員長のY君や指揮者のE君はじめ、クラス全体が、その影に操られているように感じられるからだ。

T君は、課題曲『山のいぶき』を弾き終えた私と交代する時、毎回、無愛想な声で、「お疲れ様。」と言った。

それから、悲しみと憎しみが入り混じった表情で、私のことをじっと見つめるのである。

もちろん、それは、一瞬の出来事で、気のせいと言ってしまえばそれまでのことなのだが。

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合唱コンクール当日、T君は、学生服の胸元に真っ赤な薔薇の花を一輪挿してやって来た。

手元には、いつも、ズボンのベルトにぶら下げている『懐中時計』が握られていた。

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課題曲を歌い終わり、伴奏を終えた私が、ソプラノのパートの列に並んだのを確認すると、T君は、深々と、会衆に向かってお辞儀をした。

「自由曲、『恐怖』」アナウンスされると、懐中時計をグランドピアノの上に置き、ニヤリと口元を緩ませた。

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そして、ゆっくりと椅子に腰掛けると、指揮者のE君に 人指指と中指を立て、

「いいよ。」

と、合図を送った。

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例のタバコのような枯れ葉を燻(いぶ)ったような匂いがあたりに漂う。

いつもの匂いより、きつく感じたのは、私だけだろうか。

ジャジャーン ザザザザザ

ピアノの不協和音が響き渡る。

『恐怖』の前奏が始まった。

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と、同時に、会場にどよめきが起こり、会衆一同、騒然とした雰囲気に飲まれた。

それまで、ステージを照らしていた照明が全て落ちたのである。

が、しかし、伴奏も合唱も止むことなく続けられた。

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T君の胸元の赤い薔薇の花びらが、ひらひらと零れ落ちるのが見えた。

明かりもないのに、なぜか懐中時計だけが銀色に光っている。

会場全体が、たばこの紫煙のような靄に呑み込まれ、まるで深夜のようにひんやりと、湿った空気に満たされた。

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いったいどうしたの。

私は、うろたえながら、あたりを見渡した。

え?

クラスメイト全員が、目も鼻も耳もない。真っ白いのっぺらぼうになっている。

だが、なぜか口元だけが、真っ赤でパクパクと動いている。

歌声もピアノ伴奏も なにも聴こえない。

聴こえてこない。

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一瞬何が起こったのか 起こっているのか分からなかった。

私は、固く眼を閉じ、祖母から貰ったロザリオを握りしめ、早くこの『恐怖』が去ってくれることだけを祈った。

ふと、枯れ葉を燻(いぶ)ったようなタバコの匂いが私の横にまとわり付くように流れてきた。

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―ほう、君は、この光景が異常だということが分かるんだね。ただの……だと思ったら、そうじゃなかったんだ。ホント!胸糞悪いったらないよ。こんな田舎にいるとはねぇ。―

ピアノ伴奏しているはずのT君が、私の耳元でそう囁いた。

そんな馬鹿な。

思わずのけぞる私の頬に、

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鋭利な何かが突き刺さった。

「痛い。」

―そうかい?痛いかい?でも、この薔薇は、もう枯れているんだ。薔薇はね。僕たちの種族に触れると枯れる運命に在るんだよ。―

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「あなた誰?まさか!」

―そう、そのま・さ・か だよ。君たちのご先祖たちによって亡きものとされた悲しい者たちさ。見てくれ、トゲと枝だけになってしまった。あの美しい薔薇がね。ー

T君は、私から眼をそらずと、ふぅとため息を漏らした。

ーそろそろ、潮時かぁ。ここなら、楽しく暮らせると思ったんだけど。ー

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パチパチパチ 会場からたくさんの拍手が聞こえてきた。気がつくと、あたりは明るくなっており、頭上は眩しさで目がくらむほどのライトに照らされ、会場は、2学年でありながら、難曲を歌い熟した快挙を称える歓声で満ちあふれていた。

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突然の停電というアクシデントにもかかわらず、最後まで歌い切った努力もさることながら、想像以上の完成度に審査員満場一致の最高得点、皆が高評価を付けたのだ。

私達のクラスは、見事、最優秀賞を含む全ての賞を総なめにしたのだった。

最高学年の三年生を上回る出来に、誰もが驚嘆した。

T君は、一日にして全学年に知れ渡るスターとなった。

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にもかかわらず、T君は、合唱コンクールの翌日から学校に来なくなった。

そして、3年生に進級する少し前に、別れの挨拶もせずに転校して行った。

お父さんの仕事の都合だというのだが、クラス担任もご両親とは、電話で話しただけで、全てT君ひとりで手続きをし、ただの一度も見(まみ)えぬまま引っ越していったと話していた。

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3年ほど前、還暦祝と称し、中学校の同期会が開かれた。

当然のように、見事最優秀賞を手にした校内合唱コンクールが話題にのぼった。

私は、それとなく、T君について聴いてみた。

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「あの年齢にしては、随分と老成したような不思議な雰囲気を醸し出す生徒だったよねぇ。」

「そうそう、音楽のW先生が話していたよ。あの子の演奏は、ちょっと変わっていたって。私は、そっち方面のには詳しくないのだけれど、かなり前に亡くなったポーランド出身のピアニストの演奏によく似た弾き方をしていたらしい。古い弾き方で、珍しいってさ。」

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「古いといえば、彼、カビ臭いというか。タバコ臭くなかった?」

「それと、当日、真っ赤な薔薇の花を一輪 胸ポケットに挿してきた時は、なんかこの人変じゃない?と思ったわ。」

今は、どこでなにをしているのか そもそも生きているのかすらわからない。謎は謎のままにしておくのがいい。思い出は、薔薇の花のごとく。時は、タバコの煙のように儚く過ぎる。それでいいのだと思う。

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そういえば、吸血鬼が薔薇の花を手にすると、またたく間に枯れてしまうのだと、当時、兄が読んでいた少年漫画雑誌に記載してあったのを思い出した。

同期会の会場は、タバコの臭いで充満していた。

会場は、「禁煙」のはず。

私は、急に、寒気を覚え、T君が、この会場のどこかに居るような気がして、ロザリオをかたく握りしめた。

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@いも 様
お読みいただきまして、ありがとうございます。
もったいないほどのお褒めの言葉の数々、怖いの評価まで頂戴しありがとうございました。
驚きました。
内田百閒の名作『サラサーテの盤』をご存知とは。
なかなかの教養人と推察いたしました。
内田百閒も室生犀星と似て、どこか収まりの悪い不気味な作品を輩出した作家として有名です。
言葉による表現も、非常に感覚的であり、怖さを全面に押し出すような強いものではありません。じわじわと真綿で首を絞められるような息苦しさと、独特の空気感でもって、気づいたら異界に誘われていた…もうそこからは逃れられない。そんな作品です。
私は、内田百閒をこよなく愛した作家様のホラー作人が好きで、ひと頃、作品を読み漁ったことがあります。内田百閒は、他の明治の文豪たちと異なり、旧仮名遣いにもかかわらず、たいそう読みやすく、ジャパニーズホラーを思わせるものがあります。
多くの作家たちに、今も尚愛され続ける明治の文豪たちを 思い起こさせていだき、ありがとうございました。

2021年11月10日 22時37分

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頂いた「お題」で、よくこれだけの作品を書けましたね。完璧だと思います。文章も雰囲気も両方いい。古い作家に詳しいのなら、「サラサーテの盤」とかいう作品があったと思うのですが、ひょっとして理解されているのかと。僕には分からないんですよね。

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