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長編12
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「因果とさだめ」

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「えいこうMarkⅡ」は、我が国が、世界に誇る最新にして最高の海底無人探査機である。ランチャー・ビークル方式。このシステムにより、長年の悲願である海の最深度(マリアナ海溝10,000メートル)にまで、到達することができたのだ。

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中島達夫は、この仕事に関わってから30年以上になるベテランだ。

胸には、海洋学に多大な貢献をした者にのみ与えられる銀と濃紺のバッチが光っている。

中島は、その栄誉を称えるバッチを胸に、今日も、日本海溝の近くを潜航し、母船から、4名のスタッフとともに、新たな深海生物の生態についてサンプル採取をしているところだった。

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「ん!」

7,000メートルを超えたあたりで、モニターに人型の様な影が映し出された。深海には巨大な魚も生息している。よもや、新たな生物と遭遇したのだろうか。得体のしれない大きな人影について、中島は、更に詳しく分析を始めた。

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「な、なんだ!これは。」

画面いっぱいに映し出されたのは、幼稚園児が着る紺色のスモックと、ドラえもんの付いた片方の小さなズックだった。

「ドラえもん…馬鹿な。ここは、深海だぞ。」

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ガツン!

ビーグルが、動きを止めた。いや、なにか物理的な力が加えられた結果作動しなくなったというのが正解だろう。

DANGER DANGER DANGER DANGER 

サイレンが鳴り響き、モニターの画面は真っ黒になった。

スタッフが、駆けつける。

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「中島さん。う、ううしろ。」

スタッフのひとりが、中島の後ろを指差し、ぶるぶると震えている。

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「うわぁぁぁぁぁぁ。」

ドスッ

中島の背中に、激しい衝撃を感じた。

ベタ ズルッ

1メートル程の丸い楕円状の茶色い物体が張り付いた。

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うわぁ。

思わず、左肩に右手を置いた瞬間、ドロリと冷たい粘着物に触れた。

何とか振り払おうとするのだが、ドロドロにとけた物体は、執拗に肩に絡みつき離れない。

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ズブズブズブ

茶色い物体は、低く鈍い音をさせながら、ゆっくりと 中島の肩越しに その全容を現わした。

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グバァ

上下に開けられた大きな口には、今にも、中島の耳を食いちぎらんばかりに、鋭利な歯が並び、その周囲には、とけた粘膜がネバネバと糸を引いている。

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平べったく歪んだ顔。申し訳程度に付いた目と思しきもの。

眉間には、弓状の突起物があり、その先端は、どんよりとした光を放っていた。

その姿は、つい今しがた水深70メートル付近で目にした、チョウチンアンコウそのものだった。

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どんなに大きくても、チョウチンアンコウは、体長40センチを超えることはない。

巨大化したというのか。

しかも、7,000メートル超えの深海で。ありえない。

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チョウチンアンコウの淀んだ沼地のような目の奥には、狙った獲物 そう、中島の全身がしっかりと捉えられていた。

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ふと、かつて、この感触、感覚と似たものに触れたことを思い出す。

あぁぁぁ、あの女だ!

この心地よさだけで、肌を重ねた女。

ベルベットのような感触。

軟体動物を思わせる冷たい肌質の女。

女には、痩せた猿のような醜い子どもが居た。

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ブスブスブスブス

ドボッ ドボッ ドボッ 

「た、たすけてくれー。」

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中島の肩、胸、両腕、腹部、下肢が、底なし沼のような茶色い粘膜に少しずつ 少しずつ呑み込まれていくのが分かる。

いや、呑み込まれているのではない、中島の身体は、チョウチンアンコウの茶色い粘膜に同化しているのだ。

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チョウチンアンコウのオスは、交尾をおえたとたん、メスの身体に取り込まれ、同化し、やがて消失する。

カマキリのオスも、交尾の後は、メスに頭から喰われる。

これは、彼らに課せられたさだめ。

オスだけに課せられた運命(さだめ)なのだ。

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今の私は、まさに、その状況にあるのだ。

若いスタッフたちは、全員母船から離脱し、避難したらしく、人の気配は全く無い。

さんざん、女を喰ってきた…この俺が、過去、足蹴にして来た底辺の女に 今まさに喰われようとしているのである。

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ちゅる ちゅる ちゅる ちゅる 

ずる ずる ずる ずる ずずずずずずぅーー 

びちゃびちゃびちゃびちゃ

俺の体液と血液、蔵物全てが激しい音を上げながら啜(すす)られているのがわかる。

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身体の痛みは、それほどでもない。

それよりも、この女の体内に、こんな形で取り込まれ、一生を終えることのほうが、ずっとずっと痛い。

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中島は、取り込まれる刹那、陵辱された女の怒りと憎しみ、力でねじ伏せられた恐怖と屈辱が、我が身に返ってきたのだと思った。

絶望的な哀しみに耐えかね、身を捩らせ激しく抵抗したが、今となっては、いかなる抵抗も「蟷螂の斧」のごとく、両手両足は、虚しく宙を切り、空を舞うかのように無力だ。

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もがき、嘆き、どんどん力が抜けていく一方で、かつての女と思しきチョウチンアンコウは、ますます拡大し、膨張し続けている。

やがて、中島の身長とほぼ同じ体長1メートル70センチ近くまでに巨大化した。

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「うふ、何か言い残すことはない?私達をさんざん苦しめておいて。よもや、忘れたとは言わせないわ。」

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中島の頭部だけが、最後まで残された。

「お、お前、なんてことをしてくれたんだ…。」

「言いたいのは、それだけ?」

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耳元で、女が囁く。

「故郷に錦を飾ったんでしょ。私達を犠牲にしてね。」

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薄れゆく意識の中で、中島の脳裏に、ぼんやりと故郷の海岸が浮かび上がった。

「頼む。あの幸せだった頃に戻してくれ。海と魚に胸踊らせたあの頃に。」

「所詮、お前の帰る場所は、あの辛気臭い田舎ってわけね。」

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女は、甲高い声で哄笑すると、中島の頭を一気に丸呑みし、巨体を左右に揺らしながら、底しれぬ闇の奥、深い海の底から、陽の光を目指し、何日も掛けて浮上した。

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○月○日、地元F小学校の秋のPTA行事 地引き網体験学習会が行われた。会場となったI海岸は、バスで30分ほどで行ける馴染みの場所で、10年以上前から、伝統漁法である地引網体験を町や観光協会が中心となって行っている。

なんでも、この寂れた小さな漁港の町から、海洋学博士が誕生したことがあるのだという。

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この日も、滅多にないチャンスとばかり、一家総出で参加する家族が多く、その数は、ゆうに300名を超えていた。

PTA会長の話では、なかなか予約が取れなかったが、知人の口利きで、やっとこの日にしてもらえたと話していた。

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ひとつ気がかりなことといえば、町の自慢ともいうべき人物について、なぜか、地元の漁師たちは、あまり話したがらない。

そもそも、地引き網体験自体 この町の人間たちは、あまり乗り気ではないようなのだ。

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「温度差ありすぎなんだがね。」

地引き網体験を決める時、この日だけは、どうしても困ると難色を示した漁師がいたそうだ。上からの圧力で、既に決まったことは仕方ないと言われれは、それに従うほか術はない。

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実際、過去、地引き網体験で大きな事件や事故は一度も起きてはいないのだ。

何を恐れ、躊躇うのか、外部の人間には、さっぱり分からない。

誰もが、口を固く閉ざし、何も語ろうとはしないのだ。

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この日も、集まった顔ぶれをひと目見るなり、漁師や手元を預かる女達は全員眉間にシワを寄せ、口々に呟いた。

「予想外に小さい子が多すぎる。」

「なにも、わざわざ、この日にしなくても。」

「波に攫(さら)われなければいいが。」

「今朝方から胸騒ぎがする。」

と。

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地元の観光協会の会長とPTAの会長は、今更後には引けないし、漁師もその関係者も、さしたる根拠もない話で、300名を超える体験者たちを落胆させることは出来ないと言い張った。

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揉めに揉めた挙げ句、最終的に決行することになったのは、午前10時半過ぎ。

当初の予定から、1時間以上も経っていた。

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「さぁー、いくぞ。」

地元の漁師たちの手引きに従って、網が打たれ、程なくして二手に分かれて網を引く。

沖には舟が停泊し、船頭が、網の引き具合や力の入れ加減を、身振り手振りで誘導するのである。

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総勢300人が一斉に引く姿は、見ごたえがあり圧巻である。

魚が網にかかり、ほぼいっぱいになると、沖の舟がだんだんと近づいて来た。

「いよいよ、浜に揚げるぞ。水揚げだ。」

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やがて、二つの網のうち最初に投げ入れられた一本目の地引き網が、浜に引き揚げられた。

うわー!すごいすごい。

網の中はイワシの大漁で、他にもカニや鮭、小さなヒラメがピチピチと音を立てながら、所狭しと踊っている。

参加した小学校の親子連れたち約300人は大歓声を上げた。

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程なくして、遅れること20分。2本目の地引き網が浜に引き揚げられた。

広げられた網は、キラキラと陽の光に輝き、今度も大漁かと皆が笑顔になったその時だった。

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「うわぁ。なんだこれ。」

網の中を覗いた男子児童が大きな叫び声を挙げた。

ピチピチと跳ねるイワシの大群の中に、見たこともない体長1メートル70センチほどの大きな魚が、ドラえもんのついた小さなズックの片方を口に加えたまま、網に引っかかっていたのである。

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「うぇ、気持ち悪い。」

鱗らしきものは見当たらず、体表は、ドロドロにとけ、目玉は、半分抜け落ちていた。

頭部には、弓上に曲がった長い突起物があり、その先端には、房状の異物がだらしなく垂れ下がり、腹と尾びれ付近は、何かに食いちぎられた様な跡がついていた。

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その姿は、巨大なチョウチンアンコウであったが、見ようによっては、巨大な魚に呑み込まれ、十分に咀嚼されぬまま、魚の腹の中から取り出された人間の成れの果てのようにも見える。

「こやつ。バケモンなんぞに成り下がりやがって。」

古参の漁師が、ゴム長靴で、その魚の脇腹を、思い切り蹴飛ばした。

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グワッ、ゲボッ、

腐ったチョウチンアンコウから、詰まった排水管の様な音がしたかと思うと、ドロドロの体液とともに、ぐるぐるに丸め込まれた紺色の幼稚園児が着るスモックが吐き出された。

ダ、ズ、ゲ、デ、グ、レ……

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チョウリンアンコウに似た巨大な魚は、言葉らしきものを発したかと思うと、2・3回ブルブルと身体を痙攣させた。

ひゅーひゅーと風のような呼吸が、とぎれとぎれになり、プツリという音を最後に全く聞こえなくなってしまった。

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「死んだのか?」

その場は、騒然となり、集まった300人余りの老若男女全員パニックに襲われた。

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「チクショー。こんなものが引っかかるなんて。」

「だから、あの日と同じ日に、体験を入れるのは反対だったんだ。」

地元の漁師たちは、チッと舌打ちをすると、

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PTA会長に向かって、

「もう、十分だろ。適当に魚を分けたら、今日はもう、早々に帰ってくれ。」

と、大声で叫び、忌々しいとばかりに、両手を下から上に何度も追い払うように振り下ろした。

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「警察に電話しなくていいんですか。地元の新聞社とか。せめて、この魚の名前だけでも知りたいですよ。」

PTA会長は、予定時間より早く切り上げなければならなくなったことへの不平不満を訴えた。

「これはもう、魚でも人でもねえから。警察だって、どうにもできねぇよ。さぁ、もういいから。さっさと帰んな。」

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「何を隠しているんですか。さっきから、様子がおかしいです。」

と、詰め寄るものもいたが、取り付く嶋がなかった。

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網にかかった魚は、食べられるものとそうでないものとに選別され、PTA役員たちが用意したクーラーボックスに全て収められた。

参加者分を山分けした後、それぞれの家族に配布することに決まった。

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皆、ブツブツと不平不満を口にしながらも、駐車場に向かい、トボトボと砂浜を歩き、バスや乗用車に乗り込んだ。魚の入ったバケツや袋を手に、困惑しながら、その場を後にしたのだった。

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一足遅れた家族が居た。

その家族の末っ子である、5歳ぐらいの女の子が、砂場にキラリと光る 銀色と紺色が混じり合うバッチを見つけ、手のひらに乗っけた。

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「なんだろう、これ?」

不思議そうに眺めていると、

「それ、バッチだよ。綺麗だろう。」

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目の前に、自分と同じぐらいの男の子がずぶ濡れの紺色のスモックを着たまま、その場に突っ立っていた。

青白い顔をし、ガリガリに痩せた男の子だった。

履物は、履いておらず、足は砂にまみれていた。

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胸元の名札は、水に濡れたのか、かなりうすくなっていたが、ひらがなで、

「なかじま しょう」と書かれてあった。

「しょうくんっていうんだ。」

「……」

小さく首を縦に振ったように見えたが、返事はない。

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「地引き網を引きに来たのね?小学校に、お兄さんか、お姉さんがいるの?」

「……」

俯いたまま、小さく2回ほど 首を振った。

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「じゃあ、お父さんやお母さんといっしょなの?」

「…・ゔッチ・ゔ・・して・・。」

男の子の声は、低く くぐもっていて、話の内容について全く聞き取れない。

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女の子は、初めて会う同世代の、「なかじま しょう」という名の男の子に興味を持った。

どうして裸足のままなのか。

どうして…服が濡れているのか。

家族は、どこにいるのか。

どこからきたのか。

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女の子は、それら全ての不思議に思ったことを、ひとつずつ、問いかけようとしたのだが、なぜか 喉に幕が張り付いたように声を出すことが出ない。

ずぶ濡れの男の子は、砂に足を埋め、俯いたまま顔をあげようとしない。

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「…・ゔッチ・ゔ・・して・・。」

「え?何。今、なんて言ったの。」

ふと、男の子の足元に目が行った。

下肢全体が紫色に腫れ上がり、棒もしくは枝のようなものが、向こう脛のあたりに引っ付いているのが見えた。

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だが、よくよく、目を凝らしてみると、それは、棒でもなく、木の枝でもなかった。

真っ黒に変色した足の骨が、破れた脛の中から覗き、赤黒い血の塊がそこかしこにこびりついていたのだった。

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いやぁぁぁぁぁぁ・

女の子は、ゾッと寒気がして、叫び声を上げながら、後ずさりした。

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あ!

一瞬、砂に足を取られた。

バランスを崩し、転びそうになる。

慌ててそばにあった岩につかまり、岩肌に手をかけながらよじ登った。

ちっ

と、誰かが舌打ちする音が聞こえてきた。

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その時、2回目の網にかかった チョウチンアンコウのような大きな魚が咥えていた 片方だけのドラえもんのズックを思い出した。

「あれって、もしかして、しょうくんのズックなの?」

「……」

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ザワザワと体中の毛穴から冷たい汗が吹き出した。

そう、風邪で高熱を出した後、解熱剤で強引に熱を下げた時のような、異常な感覚に襲われた。

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「さ、さむいよ。しょうくん。」

気がつくと、つい、今しがた目の前で対峙していたはずの男の子の姿がなくなっていた。

忽然と姿を消したのだ。

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「しょうくん……どこ?。」

「うそ。嫌だ。しょうくん…、消えちゃったの?」

怖い!誰か。助けて。

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「おーい。そんなとこで何してる。」

大勢の大人達が揚げる怒声と叫び声が 女の子の耳に飛び込んできた。

大人たち全員、自分に向かって何か叫んでいるようだ。

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さっきまで、誰の声も聞こえなかったのに。

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血相を変えた母親の

「エミちゃーん。今、助けに行くから。頑張るのよ。」

絶叫に相前後して、

「そこを動くなよ。今、行くから。じっとして待ってろよ。」

喉から絞り出すような、父親の怒鳴り声が響き渡る。

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我に返り、足元を見たとたん、女の子は、きゃっと小さな叫び声を上げた。

乾いた砂浜を歩いていたはずなのに、いつの間にか、小さな岩の上に、へばりつくように座っていたのである。

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波に侵食された岩は、満潮時になると、海面下にその身を沈めるであろうことを物語っていた。

私、どうなるの。どうやってこの岩に上がったのだろう。

全く、記憶がないのだ。

いいしれぬ恐怖が小さな身体を蝕んでゆく。

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女の子の両足は、ぐっしょりと濡れ、いつの間にか、履いていたズックは、靴下ごと波に攫われてしまったらしく、裸足になっていた。

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ぐいっと背後から、屈強な50代ぐらいの漁師に両肩を捕まれた。

「動かないで。ゆっくりと、身体を後ろに倒して。」

言われるがままに身を委ねた。

近場を偶然通りかかった漁師の舟に連絡が入り、急遽、舟を岩場に乗り付けたのだという。

女の子は、無事保護され、同乗していた父親の手の中へと返された。

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舟が岩場から離れる際、父親に抱きかかえられた女の子の手から、紺と銀色に光るバッチが滑り落ちた。

ポチャン!

それは、みるみるうちに波間に沈んでいった。

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「カエッテキタ、カエッテキタ。」

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「ソ・レ・ガ さ・だ・め うふふふふふふふふふ。」

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「お父さん、誰か何か喋ってる。」

「……」

舟を操縦している漁師が言う。

「あぁ、あれは、波の音だ。そうだろう。」

「え?でも、あの声は、……しょうち。」

と言いかけた時、

「死にたくなかったら、そう思い込め。」

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漁師は、舟を浜まで走らせながら、女の子とその父親を一瞥もせず、そう叫んだ。

父親も、厳しい顔で、言い含めた。

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「エミは、悪い夢を見ていたんだ。忘れよう。忘れるんだ。」

大人の男ふたりから受ける重圧と、味わったことのない緊迫感に女の子は、帰宅するまでの間。ずっと震え続けていた。

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かわいそうに、その夜から、三日三晩高熱と悪夢にうなされたのだと。

熱がやっと下がってからも、髪は、全て抜け落ち、生え揃うまでに1年半を要したとのことである。。 

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その翌年以降、F小学校において、二度と、地引網体験学習会が開かれることはなかった。

その海岸では、未だに、地引網体験がおこなわれているらしいのだが、特に噂になるような事件事故は、起こっていない。

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らしい。

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