大橋さんの妹は、霊感が強かった。
nextpage
妹が小学校1年生になりたての頃。
妹はいつも、少し歳の離れた高校生の大橋さんには見えないものを見ては怯える素振りを見せていた。
「ああ、また何かあったのかなあ……って毎回思って適当に返事をしていたのね」
nextpage
大橋さんに霊感はない。
妹が怖がる隣で、妹が何に怯えているのか何もわからず、何一つとして理解できていなかった。
nextpage
「いつも“そんなわけないじゃない”って返してたの。そんなわけないじゃない、何もいないよ、きのせいでしょ?って」
nextpage
妹がどれだけ怖がって泣いていようと大橋さんには何も見えなかったし、本当に妹が怖いものを見て泣いているのか、それとも全てが嘘で虚言を言って気を引こうてしているのか全く判別がつかなかった。
nextpage
大橋さんは妹の事が嫌いではなかったけれど、どうにも「見える、聞こえる、怖い」と泣くその癖だけは好きになれずそれを言われるたびに苛立ちが湧く事すらあった。
nextpage
「その日もそう。青褪めた顔をして家に帰ってきたの。ああまたかあ、めんどくさいなあ……って思って適当に返事して……」
nextpage
“そんなわけないじゃない、そんなおかしなもの居るわけないでしょう?
沢山遊んだから、ちょっと頭が混乱して変なものを見た気になったんだよ。”
nextpage
いつものように大橋さんが宥めると、幼い妹は目にいっぱい涙を溜めながらうんうんと頷いた。
nextpage
「今日は何をみたの」
「いっしょにいこうっておててをひっぱってきたの」
「ふうん」
大橋さんは、遊んでいる最中にお友達に強く手を引っ張られたのだろう……とその程度にしか考えていなかった。
nextpage
「その日も、泣きながら帰ってきたの。お手手を繋いできたの、引っ張ったのって」
ふうん、そう……。
大橋さんは、また適当に「そんなわけないじゃない」と妹を適当な言葉で丸め込むことにした。
nextpage
“お手手を引っ張られたんだったら、怖いものじゃないのかもしれないよ?お友達になりたいんじゃないかな?大丈夫だよ!”
nextpage
大橋さんの妹は、信頼している姉の言葉を素直に聞き入れて、大きく「うん」と頷いた。
nextpage
「それから暫く、何もなかったのよ。何かを怖がったり、見える聞こえる〜って言う事もなくなって。ああ、もしかしたら“変な癖が治ったのかな?”って、そうとしか思ってなかったの」
nextpage
それから、大橋さんの妹は何もないように普通の生活を送るようになった。
nextpage
頻度が減った、というのではない。
ぱたりとそう言うことを言わなくなった。
何日か、ではない。
何週間も、何ヶ月も、それを超えて1年、2年、3年。
nextpage
怖いものを見たとか聞いたとかいう話を妹はその日から一切話すことはなくなった。
nextpage
だから、きっともう妹の霊感はさっぱりなくなってしまったのだろうと大橋さんは思っていたそうで。
nextpage
「それから、本当に何もなかったの。怖いものを見た、聞いた、とかなんにも。でも妹が高校生になった時、急に部屋にやってきたの」
nextpage
学校から帰ってきた妹がいつものように帰宅してきた。
大橋さんといえばとっくに社会人になっていて仕事に出ていたわけであるが、その日はちょうど仕事が休みだったから自室でのんびり趣味の時間を楽しんでいた。
nextpage
そこにノックの音がして、妹がセーラー服のままひょっこり顔を覗かせた。
「ねえお姉ちゃん。ちょっといい?」
「うん、なになに?」
大橋さんがイヤフォンを外して妹を見ると、そんなに大した事じゃないけど、と笑いながら“昔さあ”と話しをしはじめた。
nextpage
「あのさ、私、昔、怖いものがいる……聞こえる……ってよくお姉ちゃんに報告していたじゃない」
「ああ、そんなことあったねえ」
「そんなわけないじゃない、ってずっと言われてたけど……。それで、お手手を繋いでくる……ってお姉ちゃんに泣きついたことあったよね」
「あったねえ」
nextpage
「あの時お姉ちゃん、怖いものじゃない、お友達になりたかったのかもって言ったでしょ?」
「そうだっけ?」
「うん」
nextpage
そこで大橋さんは古い記憶を掘り返してみた。
すると、もう何年も前の古い記憶の中、確かに自分は“友達になりたいから手を繋ぎたいのかも”“怖くないよ”と耳障りのいい言葉を言って妹を丸め込んだような気がした。
nextpage
「ああ、言ったかも。それからそういう事なくなったのか見たとか聞いたとか言わなくなったよね」
「うん」
「それがどうしたの?」
nextpage
今更そんな話してどうしたの?
nextpage
「…………」
nextpage
どうしたの、と聞かれた妹の顔から表情が消えた。
先程まで少し照れたように笑いながら思い出話をしていた妹が、すぅ、と感情のない凍った表情をこちらに向けている。
nextpage
大橋さんは、今まで一度もこんなに冷たい顔を妹から向けられたことはなかった。
nextpage
「そんなわけないじゃない。あの日からアイツ、ずっと私と手を繋いでるの。ずっと、ずっと、寝てる時もご飯食べてる時も学校にいるときもお風呂入ってる時も勉強してる時も友達と遊びに行ってる時も今もずっと、ずっと。友達になりたいなんて嘘、そんなわけないじゃない。お姉ちゃんの嘘つき。お姉ちゃんのせいだから」
nextpage
そういうと妹は部屋を出て行った。
大橋さんは後を追うこともできず、乱雑に締められた扉を見つめる事しかできなかった。
nextpage
その後しばらくすると、妹が外出して行ったのか玄関ドアが雑に締められる音が聞こえた。
nextpage
それ以降妹とは口を聞いていない。
いいや、聞けていない。
nextpage
この日、夕方に家を出た大橋さんの妹はその足で快速電車に飛び込んで自殺した。
nextpage
「夕方だったから見てる人が沢山いたの。左手を前に出した妹が、何かに引っ張られるようにして走りながら“やだ!やだ!”って叫んで騒いで……泣きながら電車に飛び込んだんだって……。
お母さんにもお父さんにも、まだあの時のこと話せてないの、話していいのかもわからないの」
nextpage
妹に何があったのか遺書も何も残されていなかったため大橋さん含めて誰にも何もわからないままになった。
nextpage
“お姉ちゃんのせいだから”
nextpage
この言葉が、今でも大橋さんの胸に深く突き刺さったままだ。
きっと死ぬまで刺さったままになるのだろう、と大橋さんはそう思っている。
作者怪談夢屋