個人として在るということ

長編8
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個人として在るということ

「幽霊ってなんで一体、二体、って数えるかわかります?」

そう僕に質問したのは相田さん。会社員の男性。

少し考えて「……そういえばそうですね。どうしてでしょう?一人二人でもいい気がしますね」と応えた所、相田さんは「ちゃんと理由があるんですよ」と言う。

――――

相田さんは、キャンプが好きだ。

それも、人がいない山奥に一人きりで泊まるのが好きだった。

その日、相田さんはキャンプ仲間に教えて貰った人気のない場所にソロキャンプに来ていた。

その場所は近くに川が流れていてなんとも落ち着く、という事で、ゆっくりと川の流れる音を聞きながらのんびり過ごそうという予定だったのだ。

キャンプ当日、天候は満足のゆく晴天。

昼に差し掛かる前には目的地に到着した。

人がいない穴場というだけあって、山は少し険しい。

ざくざくと分け入って、友人の話していたポイントにようやく着いた。

「穴場だったねえ。でもね、ちゃんと人は来ているみたいで木の枝に何か引っ掛けた跡があったりね。ここに三脚を立てるんだな、って窪みだとかね。ちょっとした秘密基地みたいで楽しいんだよ」

テントを張って、キャンプ道具の入ったリュックを下ろした。

近くの川は穏やかで、耳に心地よい環境音が流れ込んでくる。

「これはいいなぁ、と思って」

相田さんはその場所が一目で好きになった。

付近を散策しよう、と思ったが、あまり慣れていない山を動き回るのは御法度という事を心得ていた彼は、川に沿ってのんびり散歩をする事にした。

「こう、流れの向くままに下流に下流に……途中で曲がりくねって山の中に入ったりたりするんだけど、それでも流れを上に辿れば必ず元の場所に戻れるからさ」

相田さんは最低限の貴重品や水、お菓子なんかを持って歩いてみる事にした。

――――さぁあああ、

と、川が流れるままに歩く。

空気は澄んでいてとても気分がいい。

歩いてほどなく。

大きな岩が見えた。

川の流れを変えてしまうほどどっしりとした大岩で、なかなかの景色だったそうである。

「わかるかなぁ。ちょうど川の流れがね、角が丸まった“N”の字みたいになってるんだ。岩のせいで流れが下に落ちて、岩にぶつかって上向きになって、そこから岩を越えてまた流れていくんだ……」

相田さんはその大岩の近くで休む事にした。

大岩の近くは、少し流れが澱んでいるのか冷たい空気で満たされて、深々と冷えている。

岩に向かって流れる川は少し流れも早く、同じ川でもこんなに雰囲気が変わるものかと感心した。

大岩にぶつかる水の音は堂々として力強い。

「大岩の近くに他に、椅子に良さそうな丁度いいサイズの岩もあったりして。腰を落ち着けて暫くぼーっとしてたんだよなあ」

持って来ていたコーヒーとお菓子でひと息いれた彼が時計を見るといい時間になっていた。

折り返して戻る頃には丁度夕方を少しまわるだろうか。

戻った後は火を起こして、ゆったりと夕食をとって、暗くなるのを待ちながら読書でもして……と、心の中でこれからの予定を組み立てていく。

よ、っと岩から立ち上がり、さて戻ろうとした時。

白い何かが、大岩のキワに水流に乗ってくるくると舞っているのが見えた。

それは白いスニーカーだった。

大きさからして男性のものと一目でわかる。

水の流れの中に取り込まれたそれは、くるんくるんと流れの中で円をかきながら泳いでいた。

(落とし物かな……?)と思った彼は、少し近くに寄ってスニーカーを注視した。

「だいぶ長いことそこにあったんだと思う。ボロボロだったもの。誰かが水遊びして落っことしちゃったんだ」

よくよく見ればそこにはたくさんの“落とし物”が沈んでいた。

「この岩の所に流れてきたら水の流れに巻かれちゃうからそうそう取れないよ。落とし物だけじゃない。スチール缶とかもあったね」

山の中、しかもキャンプができる場所の付近。

落とし物なんて珍しくもなかったから、そのままキャンプ地に戻った。

そこからはもう、悠々自適である。

相田さんは心ゆくまで穏やかなキャンプの時間を楽しんだ。

――――パチパチ、パチ、

 ――――さぁあ、さぁあああ

焚き火の音と、川の流れの音が混ざり合って耳に届く。

手元には愛読書。

お気に入りのランタンがぼんやりとあたりを照らしている。

アルミホイルで包んだサツマイモと林檎を熾火に放り込んで、食後のデザートを作っているこの時間が何よりも贅沢で好きだった。

「たらふく食べて、本を読んで、寝るには少し早い時間だったけど朝早くに起きてのんびりしてもいいわけだからね。10時頃には火を消して、それでテントに入ったらランタンの明かりも消しちゃって……」

完全に寝てしまう気でいた。

川のせせらぎ、どこかで鳴いている鳥の声、動物か何かが草を踏む音。

どれもこれも疲れた身体を眠りに誘うには十分過ぎるものだった。

相田さんは30分もしないうちにすとんと眠りに落ちた。

――――さぁあああ

 ――――さぁあああああああ、ちゃぷ、

――――ぱちゃ、ぱちゃ、ぱちゃっ

何か水面を叩くような音で、相田さんは目を覚ました。

水の流れる音に混じって、ぱちゃん、と水面が叩かれる音がする。

魚かな?と相田さんは最初思ったそうだ。

魚が跳ねて水面を叩いているのかな、と。

――――ぱちゃん、ざぶん、

 ――――さぁあああああああ

  ――――ぱちゃん、ぱちゃん、

「でも、魚じゃなくて。魚よりもはるかに大きい何かが水を叩く音なんだよ。それとね、ざぶさぶと泳ぐような……そういう音も聞こえていて。人が泳ぐ時に、水面を手の平で叩くでしょう?それが、丁度ああいう音になると思って」

……何かが泳いでいる。何かが……誰かが。

相田さんはもしかして溺れた人がいるのかもしれないと思い慌ててテントのジッパーに手をかけた。

しかし、ジッパーを下そうとした時、とある事に気がついた。

ぱちゃん、と、水面を叩くその音は、離れもしないし近づきもしていない。

何かが泳いでいるとして、それは前に進んだり流されていったりするはずなのだから、同じ音がずっとその場に在り続けるのは本来ならあり得ないことなのだ。

「……万が一ちゃんと人がいたとしても、そこで立ち泳ぎしてる事になるんだよね」

この時間にこんな場所で川で立ち泳ぎをする人間がいたとして、まともであろうか?

答えはNoである。相田さんはジッパーから手を離してそのまま毛布に包まり、何も聞こえないという事にして眠ろうとした。

「眠れないよ。そんなの聞いちゃったら眠れない。でもランタンをつけるのも怖くてね」

――――さぁああああ、さば、ぱちゃん

 ――――さぁあああああああああ、ぱちゃん

川の音に混じるその音に、彼は集中した。

何か変化があっても怖いから、その音を集中して聞く事で向こうの様子を探る。

じっとその音を聞き続けて時間が経った。

時間は経つものの、外の音に変化はない。

――――さああ、ざぶん、ぱちゃん、

 ――――ざぶ、ぱちゃ、さあああああああ

その時。

〈すみません〉

と、テントの薄布一枚を隔てた向こうから、若い女性の声がした。

困ったような、女性の声だ。

思わず叫びそうになった口を自分の手で塞いだ。

相田さんは、身体をこわばらせた。

草を踏む音は、聞いていない。

〈すみません〉

――――さああああ、ぱちゃん、ざぶん

 ――――ざばん、ぱちゃん、さあああああ

川から聞こえる何かが泳ぐ音。

若い女性の声が、すぐ向こうから聞こえる。

(しらない、しらない、しらない)

相田さんは心で何も聞こえないと念じ続けた。

それでも、水の音と女の声は止まなかった。

〈すみません……〉

〈すみませぇん……〉

〈靴、落としちゃったみたいでえ……〉

〈……白のスニーカーなんですぅ……あのぉ〉

若い女性の困ったような、それでいて若さ特有の少し鼻にかかったような声。

白のスニーカーと言われてあの大岩のキワでくるくると舞っていた靴が脳裏によぎった。

女の足には大きすぎる、男物のあのスニーカーだ。

(白のスニーカーってあれ男物だっただろうが!!!)

心の中で悪態をついた相田さんは毛布を体に巻き付けるようにしてさらに潜り、ギュッと目を瞑った。

――――さぁああああ、バシャッ、ざぶ、ざぶん、

川で何かが留まる音がする。

相田さんはあまりの恐怖に閉じた目から涙が滲むのを感じた。

怖い、怖い、怖い。

身体がこわばって痛みを感じるほど、相田さんは身体を堅くした。

 ――――ジッ、

と、ジッパーがテントに擦れるような音がした。

いっそうの恐怖が込み上げる。

(!!!?!やめろ……開けるな、開けるな!開けるな!)

相田さんの願いは聞き届けられなかった。

 ――――ジィイイーーーーー

ジッパーが完全に下された音。

――――ドサッと何かが崩れるようにしてテントの中に流れ込んできた。

思わず目を開けた相田さんは、テントの入り口に水気を吸ってぶよぶよに膨れた青白く丸い塊が転がっているのを見た。

「針のない、膨らみ切ったハリセンボン、みたいなやつが」

ぬらぬらと水で光る青白く丸く膨らんだ物体には、幾つもの顔が合わさっていた。

肉の中に肉があり、腕や、足や、そういったものが癒着するように張り付いている。

あえて例えるなら、何人もの人を合わせて捏ねくりまわして固めたような。

塊から、声がした。

それもたくさんの人の声が。

〈しりませんかぁ〉

若い女の声がした。

〈わぁー〉

子供の声がした。

〈たす、け、て〉

年老いた女性の。

〈……くつは、おれの、〉

相田さんの耳元から、男の声がした。

「うわああわああああああっっっ!!!!!!」

相田さんは、叫び声をあげた。

そして、意識を失ったのだ、という。

目覚めた時、朝の光が開いたテントの隙間から鋭く差し込んでいた。

川の音に混ざる泳ぐ音、水を含んだあのぶよぶよとした物、それらは全て煙のように消えていた。

相田さんは早々に道具を片付けてその場を引き上げた。

――――

「仮に人があの川で溺れたらきっとあの大岩の流れに引っかかると思うんですね。もしね、何人も何人も流れてきたらきっと、水の中で混ざってしまうんじゃないかって。

それでね、何人も何人も何人も混ざって混ざって、個人として在るための最低限の形を無くしてしまった瞬間から、全部混ざって一体って数えるんじゃ、ないかなぁって」

そう思うんですよねえ……。と相田さんは僕に話してくれた。

彼は今でもキャンプが好きだ。

ただし、川のある場所にはあまり行かない、と笑っていた。

Concrete
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